A-02 『翼もつ者』

「戦が終わった──」
 海の向こうからアヲクの念が聞こえて、ハナダの胸に喜びが膨れあがる。
「お戻りになるのですね!」
 アヲクはこの島で唯一の翼兵として、島の村の期待を背負って戦に出ていた。多くの村から沢山の兵が募られた大きな戦を生き抜いて、命を失うことも、大きな怪我もなく、無事、戻るのだ。
 ようやく会える……。アヲクの青銀の翼の色が、ハナダの脳裏にいっぱいに羽ばたいて、想いは溢れ出し、空行く木霊のように広がっていく。

「戦が終わったのっ?」
 まだ翼が小さくて飛ぶことができない少年が、家の扉から駆け込んできて、ハナダは笑いだす。
 ハナダは、アヲクの念しか受け取れない。けれど、ハナダが放った念は、渡す相手をアヲクだけに絞り込めない。それは、ハナダにとって、悲しい事実だった。ハナダがアヲクだけに念を伝えることができれば、アヲク専属の念伝兵として、共に戦場に出ることができたのだ。
 けれど、今日は特別だ。アヲクづきの念伝兵になれなかった悲しみも払拭するほどに、喜びがハナダの胸を満たしていた。
「ちぇっ。俺の翼が育つころまで戦が続いていたら、俺だって、アヲクに負けないほどの翼兵になれたのに」
 憎まれ口をたたきながらも、兄を歩兵として戦場に送っている少年もまた、戦が終わったとの報に、満面の笑顔だ。
 この村では、子供が幼い頃にハネヅタの種を背に植える。ハネヅタは、糸のように細い蔓をからみあわせて翼の形に成長し、鳥の羽のような葉でそれを覆う。ハネヅタの翼は、宿主の人の意のままに羽ばたくのだ。しかし、飛べるほどに大きく翼が育つ者の数は限られる。アヲクのように強く大きな翼で長く飛び、さらに剣の腕に優れた翼兵はほんとうに少ないのだ。

 アヲクから「夕には島につく」と念が送られてきた日。ハナダは衣髪を整えて浜で出迎える。
 橙に染まった水平線に、遠く現れたアヲクの青銀の翼の色は、傍らに、もう一つ、濃薔薇色の翼を伴っていた。
 2組の翼はみるみる近づき、アヲクが先に浜に降り立つ。駆け寄るハナダにも気づかぬかのように、やや遅れた薔薇色の翼を振り返る。
 それは、ほっそりと鍛えられた体躯に、体の線に沿った皮鎧をつけ、細編みの髪を冠のように自らの頭に飾った、女戦士だった。
 彼女が浜に無事降り立つのを目で確かめてから、ようやくアヲクはハナダに向いた。
「クレナイだ。戦場で……」
 紹介するアヲクの言葉を、クレナイは、女にしては低めの声でさえぎった。
「……ハナダ殿か? よろしく」
 その視線は硬く、ハナダを貫くように思われた。
 あの翼の色を知っている、と、ハナダは思う。戦場でアヲクの気が昂ぶったとき、アヲクの視界が念となって、きれぎれに垣間見えることがあった。そのときに、よく、その濃薔薇の翼の色が傍らにあったと、まるで目が覚めてしばらくしてから夢が脳裏に甦ることがあるように、ハナダは、思い返したのだった。

 その夜、アヲクの親兄弟の帰還祝い晩餐に、ハナダは当然のように招かれた。
 想いの繋がる翼の者と念の者が、血縁のない男女であれば、婚姻するのは村の風習だったから、村中の者からも両家の家族からも、ハナダはアヲクのいいなづけとして扱われていた。念の者は、愛した者と想いが繋がると信じられているからだ。実際、ハナダも例外ではなかった。自分が「念の者」となったと気づいた少女のころ、念の繋がる相手がアヲクでありますようにと、どれほど祈ったことだろう。
 祝いの席には、クレナイも共にいた。しばらくアヲクの家に寝泊りするのだという。
「アヲクが、他村の翼兵殿を連れて戻るとは思いませんでした」
 やや戸惑いの篭った、アヲクの母親の声に、クレナイは冷たく響く言葉を返す。
「アヲクには戦場で命を救われました。少しばかり恩を返すまで、世話になります」
 最初に会った瞬間と同じ、硬い無表情である。感情がないのか、それとも憎悪に類するものを隠すためなのだろうか。ハナダはいぶかしむ。
 そう、憎悪。たとえば、平和な村でのうのうと待ちながら、アヲクと婚姻を結ぶであろう、とりえのない村娘への嫉妬。
「クレナイ。その話を始めると、また、どちらが先に命を救ったかという言い争いだ」
 豪放にアヲクが笑みを見せる。
「いや。戦の最中の話は、戦が終わった祝いの席にはふさわしくなかろう」
 これ以上はやめておこう、と口には出さず、小さくかぶりを振って見せたクレナイの表情が、かすかに緩む。この女戦士は、アヲクにだけは気を許しているのだ。その認識が、ハナダの心を騒がせる。
 この村の者には、ハナダはアヲクのいいなづけとして扱われてきたけれど。二人の間で、言葉に出して約束を交わしたわけではない。他村の者であるクレナイの目には、自分はいったいアヲクの何として写っているのだろう。ハナダは、自分の想いが念として溢れだしてしまわないように、奥歯をそっと噛みしめた。

 翌日から、せっかく島に戻ったというのに、アヲクは島のあちこちを飛びまわってばかりいた。ひさしぶりに島に戻って、島の景色が懐かしいのだろうか。
 クレナイは、この村の暮らしが物珍しいと言い張って、ずっとハナダと共にいた。
 手伝えることがあるなら手伝うと、口ではいうのだが、大きな翼を持つ翼兵は、家の掃除のような狭い空間で用事をこなすには不向きだし、浜で海草や貝をとるのも、翼のハネヅタが塩で痛むので論外だ。畑仕事を共にしてもらうのも目立ちすぎる。村では、翼兵は敬すべき者として扱われるので、戦争や狩猟、急ぎの物運びといった翼が有利な仕事以外を任せることはあまりないのである。
 まるでハナダがアヲクに会うのを妨げるためだけに傍にいるようにも思えて、ハナダはため息をついた。
 海に隔てられたこの島周辺は、翼のある者は船に乗せないという風習がある。海神の怒りを買うというのである。
 子供の背に種を植えるハネヅタは、点々と白い花を咲かせれば、それより翼が大きくなることはない。その時点で、翼が空を飛ぶに足るだけの大きさに育っていない場合には、村の術師が翼を切り落とすのが普通だった。翼が小さすぎて日常の邪魔にならず、船にのる用事もない女たちの中には、あえて翼を残し、子が生まれたあと、暑い日などに子供を扇いでやることもあったが。
 ハナダのように、ハネヅタが背から外へ伸びて翼を形づくらず、身の内へ入り込んだ子供は、高い熱を出す。そのまま死に至ることもある。生き残ると、たいてい「念の者」になるのだった。

 翼兵に何日か遅れて、歩兵たちも戻り、村は平時の賑わいを取り戻した。クレナイの姿を見た歩兵の一人が、アヲクとクレナイが戦地で、ほぼ常に一組となり、多くの殊勲をあげた戦士だと教えてくれた。
 ふと気づくと、つきまとうようにいた、クレナイの姿が見えない。ハナダはなんだか不安になって、クレナイを探した。
 ハナダの家の庭の木の陰に、隠れるようにいたのは、クレナイと、アヲクだった。
「お前にだって、家族はないのか」
「今は、私は一人だ」
 断言するクレナイに、アヲクが少しひるむ。
「この地にも……」
 クレナイの声は高く低く、ときに聞き取りにくい。けれどどうやら、この島にとどまりたいという話をしているらしかった。

 ハナダが二人の立ち話を盗み聞いた翌日から、クレナイはハナダのそばには姿を見せなくなり、かわりになのかなんなのか、アヲクがハナダを訪ねてくるようになった。
 どうしたのかと訊けば、何か手伝うという。
 クレナイのようなことを、と、思ったが、二人で居られることが嬉しくて、ハナダは、とくに深く考えなかった。
 ところが、母親に貝を採ってこいと言いつけられた。海の塩は、ハネヅタを弱らせる。つきそいを断って浜に出たハナダは、しばらく貝をとるうちに、大きな翼の羽音を聞いた。
「来てくださらなくてもいいと……」
 言いかけて、振り向こうとしたとき。
 後ろ頭に殴打の痛みを感じ、ハナダは、そのまま、昏倒した。

 暗い。後ろ手に縛られているらしい。手首が痛い。動けない。倒れた下は、砂である。周囲は暗く、頭上はるかにぽかりと夕空が見える。上に口を開いた洞窟のようなところらしい。
 みし、と、かすかに砂が鳴った。誰かが、歩いている。意識を取り戻したことがわからぬように、ハナダは頭を動かさないまま、目線だけあげて、音のほうを見た。淡い光の中でもはっきりと見てとれたのは、濃薔薇の翼、皮の鎧。ほっそり伸びた手の先に、短刀がきらめいた。
 攫われたのか。殺されるのか。戦場でずっとアヲクと共にあり、アヲクの故郷まで離れがたくやってきたこの戦士に。
 恐怖と怒りが膨れ上がる。念となって、あふれ出す。
「聞こえるっ」
 小さく悲鳴じみた声を上げたクレナイは、手にした短刀でハナダを縛った綱を切ると、ハナダを横抱きに飛翔した。
 洞窟の上方の口を抜けてすぐ、濃い紫と薄紫の二つの翼が、クレナイを追ってくるのが見えた。
「アヲォォォク!」
 クレナイは、女にしては低い声で、吠えるように呼んだ。
 ハナダは、まだ事情がわかりきらぬまま、ただ、空中に在ることの恐ろしさに、クレナイの首へ腕を回そうとする。
「放せっ!」
 抱いたままの耳元で怒鳴りつけられ、思わず手を放したとき。ハナダを支えていた腕が、はずされた。
 落ちる!
 クレナイにすがりつこうしたが、もう遅い。耳元で風が鳴り、ハナダの身はただ落ちていく。ハナダは思わず目を閉じた。なぜ、なに、やはりこの人は私が憎いのか。ならば、なぜ、洞窟から連れ出したのか。混乱する頭のなかで、その疑問符が形をなした時、逞しい腕がハナダを抱きとめた。
 え、と目を開けば、思いもかけぬ間近、唇を引き結んだアヲクの顔。
 では、クレナイは、アヲクとの距離を測った上で、ハナダを投げ落としたというのか。受け止める腕の強さを信じて。
 アヲクは、深青の翼を大きく羽ばたき方向を変える。
 ハナダはおそるおそる、アヲクの首に腕をまわした。アヲクは拒まない。ようやく少し安心して、ハナダは後方へ目をやった。
 クレナイが、二人の翼人に追われている。追っ手の一人は、空中で鞭を振るってクレナイの翼をからめようとし、一人は抜刀してクレナイに迫る。ついさっきまでハナダを抱いていたクレナイの剣は、まだ鞘にあり、クレナイは手を鍔にかけたまま、空中で、鞭と剣を避けるに窮々としているように見えた。
「弓兵!」
 アヲクの低い声が、抱かれているハナダの身体がびりりと震えるほどに、呼ばわった。
 弓小屋から、数人の兵が、あたふたと駆け出してくる。
「頼む!」
 アヲクは、ハナダの身体を、弓をかまえた兵らの隣に降ろし、そのまま地を蹴って再び飛び立った。
「アヲク!」
 思わず呼んだ声に応えるように、アヲクの念がハナダを包んだ。意識して念を「送った」のではなく、激情として溢れ出る想いが。
 ハナダがどれほど愛しくても・ハナダの前で死ぬことが恐ろしくても。いまクレナイを見捨てることは俺にはできない。ハナダが怪我ひとつなくて良かった。俺のいとしい者よ……。
 念のなかで、いとしい者と呼ばれたのは初めてだった。ハナダの目から涙があふれた。しばたいて、アヲクの姿に目をこらす。
 自分の想いが聞こえたことを意識するのかしないのか、アヲクは振り向きもせずに、刃が交わる場へと戻っていく。
 遠目に、クレナイはようやく剣を抜いているのが見える。真紅の翼が羽ばたいて、空中で、追っ手と刃を交えつつ、鞭をも切り落とそうと腕を振るうのがわかる。しかしついに、薄紫の翼もつ者の鞭がクレナイの片翼を捉える。濃紫の翼が、ぐいと寄って、剣を振るう。クレナイの片翼が切り落とされるのと、クレナイの刃が濃紫の翼兵の胴を貫くのが同時だった。敵とクレナイは、絡み合うように落下し、宙に切られた紅い翼だけが、風に巻かれてふわりと踊った。
 その、絡み合う色に。体当たりする勢いでアヲクが飛び込み、紅い片翼もつ人影だけを抱き攫う。生き残った薄紫の追っ手が、その後を追う。クレナイは意識を失っているのか、残った翼がだらりと下がり、アヲクの速度が上がらない。と、ハナダが気づいた次の瞬間。アヲクの手にあった刃が動いた。クレナイの背に残されていた片翼が、その背を離れ、空に舞う。
 敵の目がその翼を追ったのか、ほんのわずか、アヲクと追っ手の距離が開く。その差めがけて、地上から矢が射掛けられた。淡紫の翼は、慌てて方向を変えようとしたかに見えたが、翼を矢の1本が射抜いた。穴のある翼で向きを変えようとした身体に、さらに矢が射掛けられ。
 戦に破れたとはいえ、自らの故郷に戻れば大切に迎え入れられたであろう翼兵が、敵地の海へ墜ちるのを、ハナダは目で追った。

 敵に片翼を、アヲクにもう一翼を切られたクレナイは、意識が戻らず、高熱を出した。
 アヲクは、クレナイを弓小屋に寝かせ、成長しきらなかった翼を切る術師を招いた。述師は、乾いた木を燃やして篩ったキメの細かい灰を傷口につけ、乾くまで繰り返せと指示をした。アヲクは、子供を扇ぐ母親のように、つききりで、翼でクレナイを扇いだ。ハナダは、クレナイの額に当てる濡れ布を替えたり、アヲクの食事を届けたりして、付き添った。
 アヲクは、静かな声で戦場でのことを語った。アヲクは、戦のなかで、濃紫の翼兵ムラサキと共にあった念伝兵の少女を斬っていた。薄紫の翼もつシオンは、ムラサキと少女と同じ村の者。もしかすると、どちらかの家族かもしれない。ともかく戦が終わった後も、帰郷せずに、味方の陣近くで見かける日が続いた。
 クレナイは、ムラサキとシオンが襲ってくるときまで、アヲクの帰郷に同行すると言い出した。2対2なら負ける気はしなかったので、アヲクはクレナイの申し出を受け入れた。
 ところが、道中はついに二人は襲って来ることがなく、島まで戻ってきてしまった。二人がムラサキづきの念の者を斬られた復讐として、アヲクの念の者であるハナダを狙っているのではないか、と言い出したのは、クレナイで。アヲクは半信半疑だった。
 ハナダが攫われた日も、クレナイはムラサキらを探してあちこちを飛んだあと、アヲクの元に定時の報告へ来た。アオクがハナダを一人で浜に出したときいて、すぐに浜へ向かい、遠く飛ぶ拉致者たちを見つけて、一人で後を追ったものらしい。

 クレナイが目を覚ましたとき、その開口一番は、
「ハナダ殿はっ」
だった。
「無事だ」
 アヲクが、翼のある身の向きをかえ、ハナダの視界からは翼の陰になっていたハナダを、近くへ、と手招いた。
「良かった……」
 これまで、表情に欠ける、と、しか見えなかったクレナイの目から、涙が流れるのを見て、ハナダはうろたえる。
「良かった……」
 そう繰り返して、クレナイはハナダを抱き寄せる。
「ハナダ殿には、二度、命を救われた」
 身に覚えがなくて、ハナダはきょとんとなる。
「ハナダ殿が私に怯えてアヲクを呼ばなければ、アヲクは私の正確な位置をつかめなかった」
 しかしあのときハナダが念を放たなければ、ムラサキとシオンという敵兵に気づかれることもなかったのである。
 そのことをハナダが口にする間を与えず、クレナイは言葉を継いだ。
「私には念伝の者がいた。実の妹だった。戦の中で斬られたとき、心が、繋がっていた。私は……、妹を通じて死を感じたのだ」
 クレナイが、ハナダを見るたびに、誰を想い返していたのか。ハナダはようやく理解する。あの貫くような視線は、亡くした者と、目の前に生きてある者を見比べる目であったのだ、と。
「心が死んだようになった私を、戦が終わるまでの数日、かばって戦いぬいてくれたのはアヲクだ。そして、戦が終わった日、ハナダ殿の喜びの念が、戦場を覆って……。私を、もう一度、生きる気にさせてくれたのは、ハナダ殿なのだ」
 はい、とも、いいえ、とも言いがたく、ハナダはただクレナイの胸に抱き寄せられたまま、アヲクの表情が曇るのを見上げている。
「ハナダには悪いことをしたが、クレナイにはもっと詫びねば……。すまぬ。翼を切った」
「翼を切ったのはムラサキではなかったか?」
 高熱が記憶を霞ませているのか、クレナイは努力して思い出すらしい表情をした。
「一翼は、ムラサキが。もう一翼は俺が切った。翼あるままのクレナイを、抱いて飛びきれなかった」
「一翼落とされれば、二翼目は。育て直すのにかかる時間は同じだからな。翼が育つ体質なのは判っている、村に戻って、種を植えなおすさ」
 軽く言って見せて、クレナイは微笑む。ああ、この女(ひと)は帰るのだと、それをまだ嬉しく思う部分が自分のなかに見つけながらも。ハナダは、姉を慕う妹のように、クレナイの肩にそっと額をつけた。

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