A-04  縛! 雷神

 殿はお天道様が眩しく光るのを仰ぎ見、呟かれた。
「空に三廊下とはいつのことか。今や照るばかりではないか。降ろうか、照ろうか、曇ろうかと空が迷う様が懐かしい」
 私は平伏しながら同意する。殿が嘆くのも無理はない。元々雨は少ないが五月の頃からかれこれひと月、一滴たりとも雨粒が落ちて来ないのだ。
 国の水瓶である竜神池ももはやひび割れた池の底土を晒すのみとなり、田畑は干涸らび、枯れることはないと言われていた城の井戸でさえも、最近は泥水が混じる始末。それでも度々、天を突くように雲が青天に伸びることがある。それ雨だ、やれやれこれでと、皆が喜び勇んだとたんに雲は散り、人々を落胆させるのである。
「空梅雨にございます。いずれは降りましょう」
 これは私だけでなく、国中の人々が望むことだ。しかし殿は眉をしかめ、
「悪戯に甲斐のないことを申すな。それを空に標結うというのだ」
 と、再び空を仰ぎ見、薄くたなびく雲を鋭く睨み付けられるばかり。

 暫くして、照念寺の和尚が現れた。雨乞いの祈祷では評判の和尚であるが、此度の祈祷はことごとく空振りに終わっている。
「これはこれは。本日もお日柄が良う……」
 恭しく挨拶する和尚の鼻面に人差し指を突きつけ、殿が一喝した。
「千寿。雨はまだ降らぬのか! 既に一月は経つというに、雨粒一つ落ちぬではないか!」
 息巻く殿を宥めもせず、和尚は目を伏せた。
「私めも、昼夜祈祷を重ねておりまする。ですが一向に。斯くなる上は雷神を縛り上げ、雨を降らすよう説教するほかありませんなぁ」
「和尚! 雷神を縛り上げるなどなんと畏れ多い事を。軽口にも程というものがあろう」
 そのような所行をして万が一雷神の怒りを買えば、降るものも降らなくなるではないか。しかしその時、殿の眉毛がぴくりと動いた。
「いや待て、誠之助よ。何、雷神を縛り上げるとな」
 殊更に感心したような様子の殿に、私は内心慌てた。
「恐れながら殿、そのようなことをすればどのような天罰が下るやもしれません」
 切腹覚悟で口火を切ったが、殿は暫し目を伏せられしみじみと、
「誠之助よ。民草のためだ。どんなことをしても雨を降らせるのが我が勤め。さあ、国中にふれを出せ。雷神を捕らえた者に褒美を取らせるぞ。和尚、待っていろ。必ずや雷神を連れて参るぞ!」
 殿の喜々とした様子に、私も和尚もあんぐりと口を開けたまま顔を見合わせた。和尚の間抜けな顔を見て、ああ、開いた口がふさがらないというのはこういう事を言うのだと納得し、また自らの口の中が乾いていくのを空悲しく思った。


『此度の日照りの元凶、雷神を、照念寺和尚直々の説教にて改心させ候
 故、雷神を捕縛し城に連行した者には、金百両を与える』

 そんな立て札が町のあちらこちらに立ったのは、それからすぐのことだった。
 寺からは和尚の読経が厳かに続いている。万が一誰かが雷神を捕らえでもしたら、和尚は雷神に説教しなければならない。拒めば打ち首、説教をすれば雷神の怒りを買う。その前になんとしてでも雨を降らせねばと汗を流しているらしい。

 立て札を眺める人垣の外に、呉服問屋の主、平八がいた。呉服問屋と言っても、裏では何でも売るよろず屋だ。とんでもない歌舞伎者で、女物を奇妙に着ているから何処にいてもよくわかる。その平八に「おい」と、声を掛けると奴は「おう」と、あきれ顔で応えた。
「お殿様も無茶言うねぇ。雷神の機嫌を損ねりゃ雨どころじゃなかろうに」
「きっと、何かお考えがあってのことだ。殿はいつも民のことを考えておられるからな」
 すると平八はなにやら神妙な顔になった。
「ここのところの日照りで桑もよくない。特産の絹もどうなることやら。昨日金を借りに来た奴ぁ、質草に娘を差し出したよ。女郎に売ろうが好きにしてくれと」
「なんということを! 娘を売るなど」
 その言葉に私は憤ったが、平八は私の顔を見てふんと笑うのみ。
「まあ、期日までに払えなかったら望み通り娘は売るがな。家の者は食い扶持が減って助かるし、娘もよいべべやうまいおまんまにありつける。借金に追われてひもじい思いをするのとどちらが人らしい暮らしか」
「お前には血も涙もないのか。売られた者が人らしい暮らしが出来るなどと、本気で思ってるのか」
「さてね。空情けならやめろや。娘に迷惑だ。ま、お前がなんとかするって言うなら店に来い。昔なじみで安くするよ」
 平八はそう言い残し、カラカラと下駄をならして店に戻っていった。

 三日もすると、御城下は雷神を捕らえようと集まってきた人々でごった返した。噂を聞き、一攫千金を狙って来た余所の国の者までいる。雷神がいるという山に出かけていく者、妖しい呪術を試みる者、巨大な凧を作りそれで空高く飛ぼうという者まで現れ、街は騒然となった。加えて大規模な護摩を焚く和尚。焚かれる護摩の煙が空の真ん中に揺れるのを眺めながら思う。
 このままではいけない。雨が降らねば売られる女子供が増える。冬には多くの者が飢えて死ぬ。しかしどうしたらいいものか。空を歩むように落ち着かぬ。

 私は居ても立ってもいられず旅支度をすると、よく雷が落ちると言われる山へ登った。ぬかるんだ山道は滑り、わらじを足袋を泥で汚す。どうやら雨が降った後のようだ。どうせなら領内に降らせてくれればと、考えても仕方のないことを思いつつ山頂を目指す。
 やがて辺りの木が、道が、視界全てが白く覆われていった。濃い霧のようだが、これは雲だ。この雲を持ち帰れればあるいはと、私は雲を両手で捕まえてみた。しかし手の中に白く煙る雲はなく、じっとりと両手が湿っただけだ。手で駄目なら衣に包んでいけばどうだろうと、羽織を脱ぎ、それを袋状に縛って雲を取り込み包んでみた。が、結果は同じことだった。
 雲を掴むことなど出来るものではない。雷神も現れない。私は途方に暮れた。
 仕方なく引き返そうと思ったその時、木立の向こうに小さな庵のようなものを見つけた。近づいてみると、それは古い祠だった。傾いだ木戸を開け、「御免」と中に入る。足下を小さな鼠がちょろちょろと這い回り、何処かへ逃げて行った。かわいらしいものよと頬が緩む。
 ふと顔を上げたその時。目の前に一筋の光が届いた。
 板の隙間から差し込んだ西日に映し出されたのは、雷神。鋭い金の眼光に貫かれ、私は動けなくなった。やっと会えたのだと喜び、また恐れに拳が震えた。しかしそれも束の間のこと。よく見れば古びた掛け軸で、対の風神も隣に並ぶように掛けてある。風神は白い雲の上、雷神は黒雲の中で雷を掴んでこちらを睨んでいる。落胆と安堵の中、私は気付いた。
「雷神は黒雲の中……か」
 そういえば凧で雲の中に行こうとする者がいたな。もしや黒雲に凧で突入すれば雷神に逢うことが出来るやもしれぬ。
「よし」
 自らを奮い立たせるようにかけ声を掛けると、急ぎ山を下りた。

 町に戻ると、河原になにやら人だかりが出来ていた。何事かと人垣を掻き分けていくと、無惨に壊れた巨大な凧の傍で、血塗れの男が呻いてるのを遠巻きにしているのだった。男は、足と手それに体もあらぬ方向に折れ曲がり、なすすべもなく息絶えた。町方がやってきて検分を始める中、まわりの話を集約すれば、大凧は揚がりはしたものの、上空で風に煽られそのまま墜落したのだという。
 ふと見れば、人垣の向こう側に平八がいる。手を振ると、気が付いた平八が「お帰り」と手を振り返してこちらに来た。そして、「こんだけの人だかりに見物料を取らないなんて勿体ねぇ」と笑った。人が一人死んでいるのだ。笑い事ではない。それに、今はあれが空へ揚がる唯一の方法だ。
「平八。黒雲まであれで行けると思うか?」
 原形を留めぬほど壊れた凧を指さすと、平八はふふんと笑った。
「おまえも雷神を引きずり下すと? やめな。ああやって死ぬが落ちだ」
「雨が降らねば困るのはお前も一緒だろう」
「へえ。手を貸して欲しいと?」
 小賢しい笑みに私は頷くしかなかった。不本意だが、平八の知恵と財力は他の者に引けを取らない。いや、こいつだからこそ、よい知恵の一つもあるはずだ。案の定平八はにやりと笑い、
「一つ、いい手がある。ちょっと顔貸しな」
 と、そのまま平八の店へ行くこととなった。
 紺地ののれんをくぐると、
「いらっしゃいませぇ」
 という黄色い声声声。そして、薄桜、山吹、白藍、真朱、等々の反物の色の洪水。それらが私の耳と目を混乱させる。番頭が揉み手をしながら、
「これはこれは誠之助様。今日はどのようなものを?」
 と愛想笑いでやって来る。それを平八が手で制し、
「今日は俺の客」
 と言うと、番頭と女衆はつまらなそうな顔をしてそれぞれの仕事に戻っていった。と、表に水を張ったたらいの横に女が立っていた。
「その足、なんとかしろ」
 平八に言われるまま、表で泥の付いた足をたらいにつけると、水に映る青空が揺れ、水が泥で濁った。足を丁寧に洗ってくれるこの娘は先日売られた娘なのだろうか。なんと不憫な……と思っていると、平八は私を嘲笑うように笑んだ。そして、
「お菊、奥にお茶。あとは暫く二人にしてくれ。夕方まで誰も入れるな」
 と女に命じた。女は私の足を拭きながら「あい」と返事をし、たらいを持って下がる。その後磨かれ黒光りする廊下から奥座敷に通され、暫くすると先ほどの女が分厚く切られた羊羹と茶を持って現れた。茶の香ばしい香りに喉が鳴る。それらを置くと何も言わず、女はそそと退室した。誰もいなくなったことを確かめるためか、平八はおもむろに立ち上がると外を見、勢いよく障子を閉め、私の向かいに座る。
「誠之助、これを知っているか」
 平八は懐から紙切れを出し、私に差し出した。そこには筒のようなものが描かれていた。何だこれは。
「先日大陸より仕入れた『かせん』というものだ。空鏡をも打ち落とすという。ま、空言であろうが」
「月を……」
 なんという恐ろしいものを。手が震え、紙ががさがさと鳴った。
「火薬を使い空に打ち上げる。これなら黒雲くらい楽に届くだろう。雷神を打ち落とすこともできるやもしれん。少々値は張るがな」
「飢饉に苦しむものも出ようと言うのに、金の話か?」
「百両にまけておいてやるよ」
「ううむ……」
 平素ならおいそれと出せる額ではないが、雷神を城に連れて行けば殿より褒美が出るはずだ。
「わかった。では黒雲が現れたら早速」
 平八がそろばんを弾きながら頷くのを横目で見ながら、私は茶請けの羊羹を薄く切り、口に運んだ。その味わいは甘くて苦い。
 私は雷神の怒りを買い、雷に打たれて死ぬだろう。しかしそれで殿とこの国の者達が救われるのなら本望だ。
「大丈夫だ。骨は拾ってやるよ」
 相変わらずの平八の軽口に、私は「ああ」と頷き、温い茶で乾いた喉を潤した。

 今日も護摩祈祷は止まない。死人騒ぎの後でも、懲りずに巨大な凧を飛ばそうとする者、また雷神を打ち落とそうと石つぶてを雲めがけて打ち、下の長屋に多大な被害を出す連中等、迷惑千万と町方に捕らえられる者も後を絶たない。雷神捕縛はもう無理だと、諦めの声も上がり始めた。

 その十日ほど後のこと、山の際に黒い雲が湧いて出たのを町の者が見つけた。
「雷神だ!」
 口々に町人達は呟き、雷神捕縛に来た者達はいきり立つ。巨大な凧を揚げようと目論む者達は、町はずれの野原に凧の準備に出向いたようだ。私と平八も後を追う。寺の中から巨大な火柱が上がっているのが見えるが、きっと和尚もやけっぱちなのに違いない。

「さて。これだ」
 ふふふと笑いながら平八は大八車に乗せられた被いを外した。私はそれを見て仰天した。例の筒が長い棒にくくりつけられ、ずらりと並んでいたのだ。自慢げに微笑む平八の肩越しに、お侍衆がやってきた。先頭を切るのは、
「これは殿!」
 走り寄って跪くと、殿はうむと頷き、大八車に目をやった。
「これか。例のものは」
「左様にございます」
 平八が頷くと、殿は不気味に笑いながら、
「よし許す! 思う存分にやれ」
 と、言い放った。どういうことかと平八を見ると、口笛を吹きながら空知らぬ顔をする。殿にも売りつけたのか。こいつめ悪どい商売を。じろりと睨み付けてやったが、当の平八はどこ吹く風。お侍衆に混じって筒の準備に取りかかった。件の黒雲は徐々に迫りつつある。大凧は大勢の男衆に引っ張られ、今にも飛び立たんとする。そこをお侍衆が取り囲み、
「暫し待て」
 と、引き留められた。不満そうな男衆を尻目に、殿がふふんと鼻をならす。
「邪魔者は押さえた。さあ打ち上げい!」
 殿の一声で、導火線の一本に火が放たれた。一同固唾をのんで待ち受ける中、じりじりと焼けて移動する小さな火が筒に吸い込まれていった。と、次の瞬間大きな音と共に長い棒ごと空に打ち上がっていった。
「おお!」
 人々がどよめく中、稲光がそれを撃ち、光を放ちながら木っ端みじんになった。雷神が跳ね返したのだ。
「よし、雷神はあの中だ! 次! 怯まず打て!」
「空つぶてではいかん、狙うのだ!」
 一発、二発と、導火線に火が放たれる。黒雲の中で光りながら四散した火花や欠片が、地面にばらばらと落下する。殿は黒雲への攻撃の手を弛めることなく、しかしどれだけ打ち込んでも雷神は降りてこない。それどころか、黒雲は見る間に空を覆わんばかりに広がり、次々と閃光を煌めかせ始めた。
「雷神様はお怒りじゃあ! 天罰じゃ。天罰が下るのじゃ!」
 いつの間に来ていたのか、和尚と坊主共が団体でお経を唱えながら平伏す。
「殿! 危のうございます。お下がり下さい」
 と、誰かが叫んだその一瞬、目もくらむ光と腹に響く轟音が辺りを揺さぶり、私も平八も尻餅をついた。

 おそるおそる目を開き、辺りを見渡す。立派だった大凧は無惨に壊れ、焦げた匂いが鼻をついた。倒れた男衆はぴくりとも動かない。天罰が下ったのだ! 男衆に駆け寄ろうとしたその時、頬に何かが当たった。手をやると、微かに濡れている。
「雨……雨だ」
「雨が降ってきたぞ!」
「雷神が降らせてくれたのだ!」
「皆の者、でかした!」
 殿が喜々として両手を広げる。稲妻閃く空から、大粒の雨は降り続ける。平八は私に歩み寄り、「やったな」と肩を叩いた。和尚は感極まってお題目を唱え続け、死んだかと思われていた男衆も、一人、また一人と立ち上がり、雨の感触に歓声を上げた。
 たちまち雨は土砂降りとなり田畑を潤し、枯れていた竜神池も満々と水をたたえ、これで国は安泰だと、皆が安堵した。


 縁側に座り、暗い空模様を眺めつつ銚子を傾ける。最後の一滴を盃に垂らし、それを舐めるように飲み干すと、いつの間に来ていたのか平八が側に来て座った。
「誠之助、空酒は体によくない」
 平八の気遣いが無性に腹が立つ。
「あれからもう七日か。降りすぎだ。雷神の怒りを買ったのは間違いないな」
 私は項垂れた。今私は雷神捕縛計画の責任を負わされ謹慎中の身である。いつの間にか雷神を打ち落とそうとした張本人は私ということになっており、真犯人は目の前で、空っとぼけて座っている。

 と、表で誰かが叫んだ。それを聞きつけた平八が立ち上がり表へ駆けていった、かと思うと間もなく息を切らせて戻ってきた。
「またおふれが出たぞ。今度は風神を連れて来いってさ!」
 喜々としたその声に私は驚き、よろめく足で立ち上がった。
「風神、を?」
「雷雲を追い払うように祈祷するのだと。和尚は既に護摩を焚き始めているぞ」
 平八はそう言うと愉快そうにはははと笑った。
「謹慎は終わりだな。誠之助」
 平八の言葉に頷きながら、私は黒雲の立ちこめる空を仰いだ。
「ああ!」
 風神が乗る白い雲を探し、是が非でも風神を捕らえるのだ!

   完

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