A-07 うわのそら滑走路
空が青いのにも、ちゃんと理由があるらしい。
この地球は自分の周囲に、厚い大気の層をまとっている。
惑星がその引力によってひきつけている、大気のベールだ。ベールのなかでも地上に近いあたりには、引力の影響を強く受けた、質量の大きい粒子がただよっている。地上から遠くなるにつれ、粒子はより小さなものに変わっていき、順番に層をなしていくというわけだ。
宇宙空間を旅してきた太陽光線は、この大気のベールを突き抜けて通ろうとする。
このとき、虹の七色がまじりあって、ひたすら白くのみ輝いていた太陽光線のなかから、まず紫の光がはじき返される。ベールのもっとも外側にある小さな粒子が、波長の短い紫の光にだけ干渉して、散乱させてしまうのだ。
紫よりも波長の長いほかの光は、小さな粒子など無視して、すんなりここを通り抜けていく。波長の波が大きいと、小さな粒子をゆったりとまたぎこえてしまえるのだ。
ベールを内側へ進むと、少し大きな粒子の層が現れる。こいつは、紫に次いで波長の短いやつに狙いをさだめ、勝ちほこって立ちふさがる。
青い光が散乱する。
空間いっぱいに、まばゆい青が、これでもかとまき散らされる。
こうして、今日もわれわれの頭上には、気持ちよく晴れ上がった青空に、白い雲がくっきりと映えて、流れるちぎれ雲を追えば、弧をえがく蒼穹はどこまでも……
「ちょっと、ちょっと」
私は我に返った。私のとまり木のひとつに、鳥がとまっている。不満いっぱいの抗議の声は、どうやらこのチビさんらしい。
私は慌てて客人のもてなしに注意をもどした。
「ええと、旅はいかがでした?」
とってつけたような私のセリフが気にさわったか、翼のある紳士は、甲虫の背中みたいなつややかな目を、不機嫌そうにパチパチさせた。
「いかがでしたって、まあ、いつものごとくさ。気流が荒れてね、ずいぶんくたびれた」
どの旅人も、ひと息つくとまず愚痴だ。やれ疲れただの、よその国のやりかたには我慢がならないだの。
「そりゃまた、大変だったんですねえ」
私はこずえを静かに揺らしてやった。鳥はただ、ふん、とだけ答えた。
常に変わらぬ不平を聞かされると分かっていても、こうして旅の報告を聞くのは、この場所に根をおろしたまま一歩も動けない私にとって、何にもかえがたい楽しみだ。私は、あまりわざとらしくならないよう気をつけながら、ほうとため息をついた。
「無事に切り抜けるだけの才覚を、ちゃんとお持ちだったんだなあ」
「うん、まあね」
鳥くんは、あっというまに機嫌をなおしてくれたようだ。いそいそと土産ばなしの包みをほどきはじめた。
「嵐にあおられて、えらく高いあたりで長いこと過ごしてしまったんだけど、あのへんっていうのはあれだね」
「ええ、ええ」
「空のはしっこが藍色というのか、紫というのか、なんとも不思議な色合いになるんだよ。空の、高い高いあたりというのは。あんたはまあ、もちろん見たことなかろうがね」
「ええ。そうなんですけれども」
小型のわりに、なかなか飛べるのが自慢らしい鳥くんのプライドに配慮しながらも、私は知っていることは知っていると言わずにおれなかった。
「いろんなかたからお聞きしますよ。空の高い場所の、一瞬の紫……夜の暗黒と、ま昼の青空のあいだの、言うに言われぬはざまの色」
その言葉は、私のお気に入りだった。口にするだけで、私は地上にしばりつけられたわが身から、一瞬にして解き放たれる。空へのあこがれを翼のように広げて、一直線にかけのぼることができるのだ。
晴れわたった青のなかへ。
しだいに深くなる藍へ。
そして神秘の紫、可視光の果ての色。
たなびく最上層のベールをふわりと抜ければ、その先は暗黒の宇宙空間……
「大気圏通過のときに、のんびり景色を楽しんでいる余裕などないんだよ。普通は」
惑星間貨客船、通称バードの航行コンピューターは、モニターがオンであればふくれっつらを表示したであろう声音で言い、私の飛翔はさえぎられた。
「事故とはいえ、高空域をあんなに長時間ただよって、はざまの紫をまじまじと鑑賞した経験を持つ鳥は、そうはいないはずだけど。違う?」
自分の経験は特別であると、小さな航行コンピューターは、彼なりに誇りを持って報告しているのだ。
「もちろんそうですよ。私に大気圏上層の紫のことを話してくれたかたがたは、まあ、あっという間の出来事を、ちらっと見かけたって程度でしょうからね」
私は優しく言って、彼の航行データを、打ち上げルートからちょっぴりはずれた事故の記録とともに、丁寧にメモリに収納した。
「そうだろう、うん」
彼はおさまりかえって、データの送信を完了した。コンソールパネルの表示ライトが、目玉のようにぱちぱちまたたく。
こういう会話は、私の巨大な頭脳の各所で、同時にいくつも交わされていた。
私は、バードたちの離着陸を一手に管理する、システムツリー型管制頭脳。枝わかれした発着所のとまり木には、ほかにもたくさんの鳥がとまって、長旅の疲れを休めているのだ。
大地に根をはり、枝をひろげている私の、何百とあるとまり木のうえで、点検補修用のメンテナンス・アームが、優しくゆれるこずえのように、鳥たちの頭上をゆらゆらと行き来していた。
とまり木で機のメンテナンスを終えると、彼らはおしゃべりしながら次の積み荷や乗客を待ち、準備がととのえば、チイとだけ言ってあっさり飛び立つ。
私は飛び立っていく彼らのおしりに狙いをさだめ、幹のてっぺんから、レーザービームを照射する。ビームの推進エネルギーの助けを借りて、鳥たちは惑星の重力を振りきり、はるかな宇宙へ旅立つのだ。
見送る私は地上にしばりつけられた身ではあるが、空を飛ぶ友人たちが持ち帰る、生き生きとしたデータを、まるで夢を食べる幻獣のごとく溜めこんでいた。私の頭脳のなかには、あらゆる入射角度から見た実像としての、完璧な地球のすがたすらあった。しかし、それをまのあたりに見たという身体感覚は、他者の経験の精巧なコピーだと、私は知っている。そこを知覚できなくなったら、私は私でなくなってしまうのだから当然なのだが、ときどき思うのだ。
「なにもかも自分で体験したことなのだと、思い込めたら楽しいだろうなって」
つぶやいてしまったとき、私は意識の上層部だけをそっとあやつり、空のうえへ、うえへとのぼり始めていた。この事故機がくれた航行データを、さっそく味わってみたくてたまらないのだ。メンテナンス・アームを手順どおり動かすだけのルーティンワークなら、下位頭脳にいくつもある並列処理スペースで、十分まかなえる。
「ちょっと」
鳥が私の入力回路をつついた。
「今の、ひとりごと? うわのそらで応対をするのも、いい加減にしてくれないかな」
私はかまわずにのぼっていった。鳥たちの滑走路は、空そのものだ。可視光ディスプレイを圧する青が、しだいに藍の色をおびてくる。
「そんなことだから、出発のときに磁気あらしを見落としたりするんだよ。まったく」
内緒だが、彼を送り出したとき、私のレーザービームはちょっと出力不足だったのだ。重力圏離脱のための推進力が足りず、鳥くんは再トライの準備がととのうまで、そこらを漂流するはめになった。不意の磁気あらしの影響でして、などと言った私のごまかしを、彼の小さな頭脳は素直に信じている。
「いくら高等だからって、片手間にひとのメンテをしないでよ。聞いてるの?」
鳥はいつまでもうるさくさえずっていたが、私の意識はうわのそらの彼方へとスピードをあげた。けむるような神秘の紫色が、ゆっくりとあたりを覆いつくしていく。彼の漂流のおかげで、はざまの空域の情報量が多い。オゾン分子が鼻先をぴしぱしと叩く。いや、オゾンを感知したのは私の鼻ではなく、鳥の船外センサーだ。圧倒されるような現実感。巨大な虚空の気配が、すぐそこまで近づいている。
「さあ、旅がはじまるぞ」
私はわくわくしながらデータ走査にとりかかった。