A-09  Battle Cry

 ご武運を。
 彼女がくれたペンダントと共に戦場へ旅立った俺は、今まさに、その武運に期待しているところだった。
「ちっ!」
 後ろから矢が飛んできて、俺の腕をかすめていった。畜生、避け損なった。矢は飛力をなくし、フラフラと眼下へ落ちていく。落ちる様子を見守る余裕はないが、俺は下が海ならいいがと願った。もしも降った矢が平地の民に当たった日には、後味が悪くて戦争する気になれない。
 だから俺は、弓矢でなく長槍で勝負する。空気抵抗に勝てる矢というものが難しいためもある。飛びながら狙って打つなど、神業だ。つまり、この敵はかなり厄介だということだ。大いに武運に期待中である。
 背後を取られて振り払おうとしているうちに、一対一になってしまった。
「タオ、大丈夫か?」
 相棒をねぎらうと、タオは「ぐわ?」と人を馬鹿にしたような疑問形を返してきやがった。誰に向かって訊いてんだと言いたげだ。
 大丈夫だ。あいかわらずの尊大な口に安心すると、俺は手綱を取り直した。一気に引き離そうぜ!
 俺の操縦に応えるように、タオが吼えた。竜の咆哮が、空中に響き渡る。呼応してか、敵の竜も鳴いた。天候も、俺たちの必死ぶりを表わすかのように、段々と雲を出して視界を見えにくくしてきた。雲が低い。降るかも知れない。
 下手をすると戦場からどころか、国からも出てしまいそうなほどの辺境に来てしまったのかも知れない。あちらも混戦中なのか、普通は援護に来るはずの仲間の竜騎士が、一人もやって来ない。まさか全滅ではないだろうが、ここは一人で踏んばるしかないようだ。
 ふと子供の頃――無心で“飛ぶ”ことをだけ楽しんでいた頃を思い出した。
 ボケた頭を叱咤するように、また矢が飛んできた。今度は避けた。
 タオは素早く元に戻って反対側に傾き、旋回し、相手の攻撃をかわし続けてくれている。巨大なトカゲのように滑らかな皮膚と、皮膚の下で脈打っている隆々とした筋肉は、伊達じゃない。デコボコとした皮膚がぶるりと震えて、騎手の俺を揺らした。応えて、俺も手綱を揺らす。そうだな、今は憧憬にふけっている時じゃない。
 俺の戦術は接近戦しかない。魔法も使えず矢も嫌いな槍使いが竜騎士になれたのは、ひとえに相棒タオのおかげだ。子供の頃から友達だった竜と一緒に軍へ志願して訓練を乗り越えられたから、今の地位があるだけだ。
 地位を維持していられる強さも、タオのおかげである。こいつの速さと機転が、いつも俺を助けてくれる。俺もそれなりの筋肉を備えているが、これも竜の背に見合う男でいたいからだ。タオの動きは、伊達じゃない。
 餓鬼の頃に偶然、怪我したこいつを看病してやったんじゃあなかったら、とても人の手でどうにかなる竜じゃなかっただろう。実際、タオと同じ種類の竜を、俺は見たことがない。北の山奥に仲間が棲んでいるらしいが、噂に過ぎない。
 そのタオが、前方に向かって吼えた。気付いて前をよく見ると、黒い雨雲がうねっている。タオの速度が増す。突っこむ気だ。
「よし!」
 手綱をゆるめ、好きに走らせてやる。バサッと翼をはためかせて、タオは雨雲へと急いだ。いつまでも背後を取られているのは、俺も好きじゃない。何とか回り込んで、正面衝突に持ち込みたい。
 竜騎士の数は少ない。我が軍もだが、敵にも少ない。竜の数自体がそもそも少ないし、その上、人が乗れるように飼育するのも困難なのだ。竜を持つ数が戦を制するとまで言われるほど、竜騎士の存在は重要である。竜の吐く炎一つで、街が壊滅する。
 だが炎を吐くと一週間は眠らねばならぬほど、竜は消耗する。だから、こうした騎士同士の戦闘だと、竜は飛ぶことにだけ専念する。騎士は、ただの騎手でなく、戦える者でなければならないのである。タオは炎を吐いたことがないので、俺たちの功績自体は大したことがない。だが落とした敵の数は、国一番じゃないかと自惚れている。
 ボフッと音がしそうなほど分厚い黒雲に、俺たちは突っこんだ。雲の中には、細かな雨が渦巻いている。視界が利かない。だが、これで敵の矢も効かない。文字通り雲隠れし、旋回して反撃だ。
「いいぞ」
 静かに大きく飛ぶタオの器用さを小声で褒めながら、俺は敵の姿を探して目を細めた。
 が、細めた目を、思わず大きく見開いてしまった。
「うわっ?!」
 足下を、稲光が走っていったのである。ガリガリと音がして、足を弾かれる衝撃が起こり、少しブーツが切れた。中の足も負傷したかも知れないが、そこまで見えないし、痛みはなかった。火傷もしていなさそうである。奇妙な雷だ。
 見えない敵を、不気味に感じた。やばい予感がする。
「出た方が良さそうだ」
 タオに指示して手綱を引いた時だった。
「落ちろおっ!」
 斜め下から、敵が急上昇して来たのである。俺が叫んだせいだ。
「くっ」
 敵にとらえられて逃げ切れず接触し、俺の胸元が破れた。かろうじて鎧だけで済んだようだったが、血が舞ったということは、鎖骨の辺りも切られたか。軽さ重視の鎧は、皮だけに弱い。胸元に手を伸ばしてペンダントヘッドが指先に触れると、俺は息をついた。
 それから、タオだ。俺は慌ててタオの体をざっと見回した。どこも斬られていないようだ。安堵しつつ、俺は再び、手綱を持つ手に力を込める。さっさと離れないと、次の一手はさらに強烈になる。ちょっと飛んだら、この濃い雲に阻まれて敵の姿が消えた。
 俺はともかく、タオを斬られたらおしまいだ。翼一枚、尻尾の先さえ斬られるわけには行かない。体の傷だけでなく、信頼にも傷がつく。俺は槍を横に構えて、気配を読んだ。
 雨、風、雷。――翼の音が消える。雲に入ったのは失敗だった。だが、今は下手に動けない。相手も気配を読もうとしているのだろう、みじんも音を立てやがらない。
 心中で祈る相手は、神でなく恋人である。結婚を約束した彼女に「ご武運を」と祈って見送られてきたというのに、屍では帰れない。生きて、五体満足で帰還して、かならず彼女を抱きしめる。結婚式でだけなら彼女を背に乗せてもいいぞと、タオからも了解を得ているのだ。せめて死ぬなら、この夢を叶えてからだ。
 と思っていたら、急にタオが吼えた。
「おい!」
 俺はぎょっとして手綱を引いた。が、タオは言うことを聞きやしない。
 こいつ、賭けに出やがった。
 咆哮に合わせて、一瞬だけ雲が晴れた。
「だったら、そう言えっ」
 どうやってだ。タオはしゃべれない。俺は馬鹿だ。思わず笑ってしまった。笑ったと同時に動き、構える。来る。
「ふんっ」
 突進して来た竜に向かって、槍を突き出す。が。
「何っ?」
 騎手は、刀を持っていなかった。代わりに彼の手からは、雷光が走ったのである。俺は衝撃に耐えて、悲鳴をかみ殺した。肩に当たったようで、今度は痛みと熱を感じた。どうやら焼けたらしい。
 すれ違いざま、敵が手を伸ばしながら叫んだ。
「雷剣!」
 魔法だったのだ。
「わざわざ雲の中へ入ってくれるとは、ありがとよ!」
 叫んだ瞬間、彼の指先から雷が飛んで来るのが見えた。今度は避けることができた。一旦離れ、お互いの竜が旋回する。雨が強くなり、音も激しくなった。どうやら雲が彼の魔法を増大させ、雲も、彼の魔力に呼応して育ってしまったようである。育った雲のうねる中に、敵の嘲笑が消えた。
 すぐにまた襲われると危惧して構えたが、敵竜は来ない。
「……?」
 離れたようだ。
 ピンと来た。
「追うぞ」
 俺は手綱を口でくわえておいて、首のペンダントを引きちぎった。それを槍の先端に巻きつける。タオは俺の意図を汲んでくれて、わざとバサッと雲を追い払うような飛び方で、先を急いでくれた。かくれんぼは終わりだ。
 奴の魔法“雷剣”は、詠唱なのか気の集中だか何だか知らないが、術の完成に時間がかかるらしい。だから間合いと時間を取っていたのだ。奴の魔法が完成しないうちに、叩く。
 風竜の咆哮で。
「行け!」
 俺が叫ぶ。
 タオが吼える。
 雲が晴れる。
 今度は、その中心に敵竜を捉えた。斜め下。おあつらえ向きだ。
 すかんと晴れた視界の中、俺は驚く敵に向かって槍を構える。
 タオと俺が、同時に吼える。敵も手をかざして何かを叫んでいた。
 槍を投げるのと、奴が雷を飛ばしてくるのは、どっちが早かっただろうか。
 だが奴の雷は、俺たちに届かない。槍の先端に当たり、吸収されたのだ。金属のペンダントに。
 雷剣が槍に同化しながら、まともに敵へ返った。速度を増して落ちる槍は、騎手でなく竜の背に刺さった。敵竜が傾く。驚く騎手の顔が敗北の色に染まる。勝負がついた。
「まだだ」
 それでも騎手は諦めない。往生際悪く詠唱をし、手を振り上げて“雷剣”を打とうとして来やがる。
「よせ!」
 避けるため旋回しながら、彼の魔法を制止した。が、遅かった。
 魔法につられて押し寄せていた黒雲が光を帯びた。帯びて、とうとう本当の雷を落としたのである。
 彼に向かって。
 まるで、天の咆哮だった。
 世界中に響きわたるような激音が耳をつんざき、一瞬すべてが白くなった。光の中、俺の槍が避雷針になってしまったのが見えた。灰色の暗雲を戻った時、すでに彼らは断末魔の悲鳴を上げながら落ちて小さくなり、雲に隠れるところだった。不運だった。だが俺たちも、こうしちゃいられない。
「逃げるぞ」
 雷雲となった中に、いつまでもいるのは危険だ。俺の体にも、敵の放った雷が残っているはずなのである。
 上へ、上へ。下におりては、雷をくらう。皮の鎧には耐電性もあるのだが、過信して黒焦げになったら、後悔もできやしない。
 再びタオが吼えた。と同時に、雲が晴れる。雲のトンネルになったところを、タオが突っ切る。トンネルの向こうに丸く太陽が光っているので、俺は顔をしかめて手をかざした。顔に当たる雨がうっとおしいのもある。
 すると突然、雨が消えて雲が晴れた。
 抜けたのだ。
 息が詰まった。
 目が覚めた気分だった。
 生まれて初めて感じた眩しさとは、こういうものじゃなかっただろうか。
 眼下を光る雲がうねり、影を作り峰を並べ、どこまでも続いて伸びて行き、地平線となって目の高さに居座る。その線の上を、くっきりと、はっきりと覆っている、青い空間。塗ったように、一点の曇りもなく青いのだ。青の中に浮かぶ太陽だけが、煌々と神のごとく輝いている。光は柔らかだが強くて、焼かれる思いがした。
 何度も見たことがある光景なのに、生死の瀬戸際を切り抜けた後で訪れたからだろうか、胸にズシンと来る。目に染みて、泣けそうにまでなってくる。
 タオが「くわあ」と鳴いて、俺を引き戻してくれた。
 とても可愛らしく、しとやかに。
「そうだな」
 帰ろうと俺も応えて、彼女の首を撫でた。撫でてやりながら、心中で「ごめんな」とも呟いた。お前以外の恋人を、しかも嫁さんにすることにして、ゴメンな、と。タオは我関せずといった風情で、首をゴロゴロと鳴らした。
 恋人にもいつか、この光景を見せてやることができるだろうか。俺は天上の世界を離れて降下を始め、雲を避けて地上に戻り……ようやく「あ」と大事な物に気が付いた。
 あのペンダントが武運をもたらしてくれたんだよと言い訳して、彼女は許してくれるだろうか?

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