A-12  エアメール

 郵便受けの扉が触れ合うかすかな音がして、わたしは重い体を持ち上げると玄関へと歩いていった。たいていは裏切られる期待が、今回こそは叶えられて、端々がすりきれた茶封筒が底に横たわっている。わたしは慎重にそれを取り出すと、そろそろと居間に戻った。二人掛けの小さな食卓から食べかけだった朝ごはんをどけてスペースを作り、そこに封筒を置いてから椅子に座る。

 棚の上から箱を持ってきて、封筒に鋏を入れた。傾けないようにするのは、前に一度、砂がこぼれ出てきたことがあるからだ。薄紅色の、きめの細かいそれも、ビタミン剤が入っていたガラス瓶に集めて、他のものと一緒に箱の中にしまった。そんながらくたで、箱はもうすぐ一杯になってしまう。
 たとえば、波で削られたガラスの破片、見る角度によって色を変える羽、踊りくねる文字が印刷された粗悪紙のチラシ、高く澄んだ音を一つだけ鳴らす玩具の笛、細い金の筋が表面を横切る鉱石、絵の描かれた米粒、名も知らぬ薄紫色の押し花、練り香、貝殻、螺子、それから数枚の便箋。
 今回はなんだろう? 手紙が来るたびに、わたしは国の名前や、封筒の形状から中身を当てようとする。またどこかで拾ったものかしら? それとも旅先で仲良くなっただれかに貰ったなにか? それともどうしても買わずにおれなかったささやかな記念品?
 それらの物に手紙が添えてあることは少なくて、あったとしても、いつも同じ『お元気ですか、僕は元気です。』にはじまって、滞在している土地の地名や、送ってきた物の由来について簡潔な文章が数行だけ並んでいる。確か、最初の手紙にはこう書いてあった。

『僕が旅先で一番感動したものの、お裾分けです。』

 それだけで、わたしは机の上に砂がこぼれたことも、それから彼の不在も許してしまった。われながら現金だとは思ったけれど。それから、ほんとうに稀に、後で彼がふたたび目にしたら、必死で取り返して燃やしてしまいそうな文章もある。わたしのお気に入りはこれだ。

『夜空の星座は日本と全然違いますが、北極星の位置は変わりません。君は、あの星のような人だと、思いました。』

 今日受け取った封筒は、軽く平たかった。覗いてみると何も入っていないように見えたので、慌ててさかさまにすると、薄い紙がひらりとこぼれた。淡い水色があますところなく小さな長方形を塗りつぶしている。そこかしこに水彩の筆痕がむらを残した紙の隅に小さく文字が書いてあった。

『お元気ですか、僕は元気です。ここは本当に空が広くて、自分がちっぽけな存在だということを実感します。』

 わたしは季節がこちらとは逆の半球に広がる春の空を眺めた。淡い水色にやわらかな雲がたなびいて、見渡せるかぎりを包みこんでいる。その下で、彼の大きいばかりで無骨な手が絵筆を持って、その情景を写し取ろうとしているのを想像した。うつくしい青空を見つめたときのように、わたしは満たされた気分になった。けれど、すこしだけ残ったこころの隙間が、ぽつんとした独り言をこぼさせた。

「そろそろ、帰ってきては、いかがでしょうか。」

 言葉にしてしまうと、余計さみしくなって、手持ちぶさたに封筒を指先で撫でてみた。分厚い紙はところどころけばだっていて、そこに挟まっている微細な砂の粒子がざらりとした感触を伝えてくる。強い筆圧で書かれたわたしの名前も、斜めに押された『BY AIR MAIL』のスタンプも、読めないほどではないにしろわずかに滲み掠れている。切手はテレビでしか見たことのない動物の図柄だった。それを半分以上隠してしまっている消印の日付は半月以上前のものだ。裏返すと、当然のことながら左下隅に彼の名前がある。宛名が、いささかしゃちほこばって角張った字であるのとくらべて、そちらの署名はいつもと同じく自由奔放な書きぶりだ。
 彼からの手紙はさみしさを埋めてくれるけれど、それは一時的なものでしかない。それでも、ずっと同じ場所で輝く星にたとえられるように、わたしは待つことが上手になった。それから秘密を持つことも。
 空の絵を箱にしまおうとして、裏返したそこに走り書いてある文章にわたしの目は釘付けになる。

『そろそろ帰ろうと思います。』
 
 たぶん、という単語のあとに書かれた到着予定日は今日から一週間後。その頃にはもっと目立っているわね、とわたしは日に日に膨らむお腹を撫でた。この子にいつか箱の中身にまつわる話をひとつずつ聞かせるのがわたしの夢だ。そのときのためにゆっくりと箱の蓋を閉めると、出迎えたときの彼の顔を想像してわたしは微笑んだ。

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