B-01  その空に神は存在するか

 随分すっきりとした目覚めだった。
 ここのところ、大学の試験勉強のために寝不足だったけれど、やっとそれが一段落ついた。一晩ゆっくり眠ったら、色々やりたいことが頭に浮かんできた。
 洗濯とか掃除とかもしなくてはいけない。でも、その前にまずはバイトだ。
 そう、バイト。
「趣味がそのまま仕事になるって最高だ」
 俺はそんなことを一人呟いてみた。

「久しぶりだね」
 駅の近くにある四階建てのビルに入るとすぐ、受付にいた曾根崎さんが声をかけてきた。俺は受付の脇に置いてあるタイムレコーダーにタイムカードを押し込みながら、「試験があったんでー」とわざと疲れた声を出して見せる。
「お疲れさん。学生だと大変だな」
 曾根崎さんは穏やかに笑う。
 このビル――この会社の専属警備員である彼は、明らかに体育会系といった屈強な肉体を持っていて、見た目は怖そうだ。しかし、話をしてみるとかなり気さくな人だった。話も面白いし。
「今日は久しぶりに頑張りますからー」
 でも、長話なんかしてる場合じゃない。俺は早々に会話を切り上げ、曾根崎さんが金庫から出してきたデータカードを受け取って、二階へと向かった。
 ビルの中には、たくさんのスタッフがいる。俺が階段を上がっている時にも、見慣れた眼鏡の男性を見かけた。でも、俺は彼と会っても軽く挨拶するだけだ。俺のバイト内容は、彼らと一緒に仕事をすることじゃない。一人でゲームの試作品のチェック。
 バグ探しのためなら、このゲーム会社には専門のテストチームが存在している。だから、俺みたいなゲーム好きの素人がやることといえば、単なる最終チェックみたいな感じだろうか。ゲームをやりこんで、それをレポートにまとめる。レポート作成なら大学で散々やってる。任せてくれと言いたい。
 いつも俺が使っているのは、二階の奥の部屋にあるアーケード用のコックピット型の機械で、このゲーム会社の看板マシンだ。中身のゲームソフトを入れ替え、新しいゲームをゲームセンターに送り出している。
 そして今チェックしているのは、「空の王/バージョン4.25」という試作品ゲームだ。試作品とはいえ、かなり完成度は高い。
 コックピットの入り口を開けると、マシンに電源が入る。椅子に座って自分の右手側にあるデータカード挿入口に自分のカードを押し込む。すると、すぐに目の前の画面に「WELCOME Mr.Ring」と文字が浮かんだ。
 リングというのは俺の登録ネームだ。本名が月嶋輪だから、単純に輪、イコール、リング。ちょっと寒いか。
 まずは手慣らし……ということで、早速ゲームを始める。俺が操るのはロボットにも変形できる戦闘機だ。格闘とシューティングがメインのゲームだが、面白いのはやはり通信による戦闘モードだろうか。
 顔も知らない相手とインターネットでつながり、チームを組んで敵チームと戦うのだ。
 それに、このとてもリアルな天空を――本当に凄い映像だ――戦闘機で飛び交う。それだけでも心躍る。
『ボイスチャットの要求が来ています。受けますか?』
 ゲームを開始してしばらくすると、画面の右側に電子音と共にそんな文字が浮かんだ。
 誰からだ?
 と俺が相手の名前をチェックすると、『Keiko』とある。わずかに跳ねた心臓に気づかないふりをしつつ、ゲームを一時停止させてから装着していたインカムのボタンを押した。
「久しぶり!」
 途端、聞き慣れた彼女の声がして、ついにやけてしまう。会ったことはないが、きっとこの声からして俺と同じくらいの年齢だ。しかもきっと可愛い。多分な!
 その声から少し遅れて、画面の中に赤い戦闘機が現れた。比翼に付いているナンバーが、彼女のマシンだと教えてくれる。
 声だけじゃなく、相手の顔も映し出してくれればいいのに。そんなことも考える。しかし、見えないからこそ色々想像して楽しいというのもある。難しいもんだ。
「やっと試験が終わったよ。そっちはどうしてた?」
 やがて俺ができるだけ平静を装って訊くと、彼女は唸るように言った。
「すんごく負けまくった。最悪よ最悪、この一週間で『空の王』に三回も接触して、こてんぱんよ、こてんぱん」
「そりゃあ……お疲れ様」
 ちょっとそれには同情した。
 空の王というのは、このゲームのボスキャラみたいなものだ。ゲームの中では通常、チーム分けして敵となったヤツが操る戦闘機やロボットと戦ったりする。しかし、何かの拍子にこの『ボス』が現れる。人工知能を搭載したコンピュータという設定で、本当に強い。滅多に勝てるヤツはいないんじゃないかと思うくらい。
 実は、俺も五回ほど対戦した。そして五回とも負けた。一回だけ、あともう少しで勝てる、というところまで行ったんだが。
「空の王っていうか、空の神様みたいな気がしてきた。だって、誰も勝てないんだよ?」
 ケイコがあまりにも情けない声で言うものだから、つい笑ってしまう。すぐに彼女から「何よー」と言われてまた笑いそうになったが、そんな俺たちの間に割り込んできたヤツがいた。
『ボイスチャットの要求が来ています』
 その相手の名前を見て、珍しいな、と思った。GOMAという名前は、敵のチームのヤツだ。いつもは会話などしないのに。
「こんばん」
 ……は、と続けたかったが、ゴマはそんな挨拶など抜きで、まるで咳き込むような口調で言ってきた。
「コンドウのことは知ってるか?」
 目の前に現れたのは、青い戦闘機。敵のチームの色。ゴマはそれに乗っている。そして、コンドウというのも青い戦闘機に乗るヤツのことだ。
「何が?」
「何よ?」
 俺とケイコの声が重なる。そして、次に発せられたゴマの言葉に「は?」と二人で声を重ねることになる。
「コンドウが殺された」
 ゴマはそう言ったのだ。
「何のゲームで?」
 俺が少しの沈黙の後でそう訊くと、ゴマが馬鹿にしたように笑う。
「何でもかんでもゲームにつなげんなよ。現実に殺されたって言ってんだよ」
 ひどくそれは現実味のない話だった。冗談だとしか思えなかったし、他人事でしかなかった。しかし、興味がないわけではない。ゲームの中であれ、接触があった相手なのだ。
「チャットだと会社に会話のデータを取られてるかもしれないから、会わないか」
 ゴマがそう言い出して、俺たちは初めてオフラインで会った。

「空の王にバグがあるのは知ってるだろ?」
 ゴマはそう切り出した。ゴマは痩せぎすで顔色が悪かったが、もしかしたら今回のことでそうなったのかもしれない。ひどく思い詰めたような顔つきをしている。
 俺の隣に座った『ケイコ』は俺が考えていたイメージとは少し違ったが、可愛らしい顔立ちをしていた。それに、勝ち気っぽい太めの眉が親近感を抱かせてくれる。
 くそ、こんな時に三人とは。どうせなら、ケイコと二人きりなら良かったのに。
 ……と。そんなことは考えてはいない。もちろん、そうだ。そうだとも。表向きは。
 俺たちがいるのは駅の近くにある喫茶店で、辺りにはまだたくさんの人たちの姿がある。こんな微妙な会話をするには、騒々しいくらいの場所。だが、ゴマはこういう雰囲気の方が話しやすかったらしい。淡々と言葉を紡いでいく。
「どんなゲームだって最初は色々見つかるもんだ。俺がやっている時も、一回データがセーブできなくなったこともあるし。コンドウも、何回かバグに当たったらしい。画面がちらついて、そのまま何も進まなくなったって言ってたな」
「へえ」
 俺が相槌を打っていると、ゴマはわずかに視線を上げて、ぼんやりとした目つきのまま続けた。
「画面がちらついている時に、ものすごく気分が悪くなったらしい。色々な画面がフラッシュバックみたいにすごい早さで出てくるもんだから、画面酔いしたって言ってた。で、同じ体験をしたヤツがいるって話になって。同じチームのクロダってヤツ」
「あ、わたし戦ったことある」
 ケイコがまるで先生に指された生徒みたいに右手を高く上げて言った。「強かったよ。地上戦で当たったんだけど上手かった。でも、ボイスチャットでは変なことを言ってたから頭おかしい人なんかなー、ってちょっと引いた……」
「おかしい人?」
 俺はケイコの横顔を見つめる。すると、彼女はまっすぐ俺を見つめ返してきた。
「うん、だって、『俺は空の王の神になる』とか何とか言っちゃってさ。その口調が本当に危ない人っぽかったんだよ。他に何て言ってたっけかな。全員殺せば俺が神に選ばれる、だったかな。データが残るとか消されるとか、うん、よくわかんない」
「……うん、よくわかんないな」
 俺が彼女の口調を真似て言ってみると、ケイコが眉根を寄せて口を尖らせた。
「からかってる?」
「からかってないよ」
「冗談言ってる場合じゃないって」
 ゴマが呆れたように首を振っている。そして、頭痛を覚えたかのようにこめかみを指で軽く揉みながら、ため息をこぼした。
「コンドウもケイコと同じようなことを言ってた。クロダの言動がおかしいって。何だか、その『殺す』っていう言葉が、ゲームの中だけじゃなくてオフでも……」
「んなアホな」
 俺はわざと冗談めかして言ったが、ゴマはただ恨みがましい目つきで俺を見つめるだけだった。何だよ、冗談にしといてくれよ。
「俺、コンドウの葬式にも出席してきたんだ。その時、警察にも色々訊かれた」
「警察?」
「コンドウはナイフで刺されて死んだんだよ。本当に、本当の殺人事件なんだ。犯人は捕まってない」
 俺もケイコも、しばらくの間何も言えずにいた。マジで洒落にならん。殺人事件って、何だよそれ。
「クロダのことは警察に言ったのか」
 俺が頭を掻きながら小声で訊くと、ゴマは疲れたように首を振った。
「ゲーム会社に口止めされてるじゃん。新作ゲームの情報漏洩になるとか何とかで、どんな情報も一般人には流すなって。これも情報漏洩につながるんじゃないかなって……」
 ゴマは手のひらの中のコーヒーカップを握りしめたまま、小さく囁く。でも、その口調の裏には後ろめたいような響きも感じられた。
「さすがにこれは言った方がいいだろ」
 どう考えても、それが正しいような気がする。殺人事件だというのなら、全ての情報を警察に伝えるべきではないか。ゲームの情報漏洩かもしれないというなら、会社にも相談して許可をもらえば良いんだ。
 俺がそう言うと、ゴマは暗い輝きを放つ双眸を俺に向けた。
「許可はもらえないと思う。もしもクロダが殺人犯なら、その動機は? どう考えてもゲームが原因している可能性が高いだろ? だとしたら、ゲーム会社がそんなことを認めると思うか? 多分、もみ消すよ」
「そんな最初からあきらめなくても……」
 ケイコが力なく笑いながら言ったが、俺は別のことが気になっていた。
『全員殺せば俺が神に選ばれる』
 クロダがそう口にしたとケイコは言う。全員殺せば? 誰を? ゲーム会社の人間を? それとも、空の王のゲームをプレイしている人間を?
 それに、神に選ばれる? 自分が神になるということなのか、それとも神が我々を選ぶのか。
 いや、それより、神なんて存在するのか?
「最近、クロダをゲームの中で見かけない」
 ゴマはほとんどコーヒーに口をつけないまま立ち上がる。そして、俺たちを見下ろして薄く笑った。
「俺たちも気をつけた方が良い」

「ゴマに続いてケイコも殺されましたよ」
 広い部屋に無数のパソコン、リノリウムの床の上に蛇のように這い回るコード。ずらりと並んだシステムラックに所狭しと置かれた外付けハードディスクは延々と回転音を立てている。まるでパソコンの森のような所から、うんざりしたような声が飛んでくる。
「俺たちが作ろうとしてるのは、戦争アクションゲームじゃなかったですかね?」
 そう言いながら、ゲーム会社『スカイフェアネットワーク』の専属プログラマである曾根崎は、システムラックの隙間から顔を覗かせた。
「リングはどうしたの?」
 部屋の奥にある机に向かっていた女性が、自分のパソコンの画面から目を上げてそう言葉を返す。すると、曾根崎がため息混じりに言った。
「ケイコが殺されて怒ってます。多分、クロダを探して仇でも討つつもりじゃないですか。まるで、人間みたいですよ、彼」
 ――そう、ただのプログラムのくせに。
 曾根崎は声に出さず、胸の中でそう吐き捨てた。そんな曾根崎の様子を見つめていた女性――この会社の責任者である本宮真由子は小さく笑い、頬杖をついた。
「人間みたい、結構じゃない。最終的には『空の王』に登場させる人格プログラムだもの。人間のゲーマーと一緒にチームを組ませ、一緒に戦わせる。客に『人間じゃないかも』と疑われたくないのよ」
「チューリングテストでもしたらどうですか。もう充分……」
 曾根崎が言葉を続けようとした時、ドアが開いて一人の男性が入ってきた。眼鏡をかけた男で、その腕の中には倉庫から引っ張り出してきたらしい拡張ボードや外付けハードディスクなどが今にも落ちそうなくらい抱え込まれてある。
「クロダが不安定です。もう、データ容量の空きがなくなります」
 眼鏡の男性、神山が神経質そうな尖った声で言う。彼がほとんどこの人格形成プログラムを作り、必要なパソコンと周辺機器を揃えた。だから、余計にこの成り行きに不安を感じているらしい。
「後一回かしら」
 真由子はそっと自分の唇を撫でた。
「何がですか?」
 曾根崎の問いに、彼女は楽しげに笑う。
「後一回バージョンアップしたら、データも限界でしょう? 誰を空の王に登場させるか選ばないとね。最低二名必要だわ」
「クロダは決定ですね」
 と、そこに口を挟んだのは神山だ。彼はまるで彼女を睨みつけるようにしてその場に立っていた。
「だって、彼だけです、自分が人間ではないことに気づいたのは。彼が一番知能が高い」
「知能? プログラムに知能はないわ。知的ではあるかもしれないけれど」
「失言でした。一番優秀と言いたかった」
「そうね、確かにクロダは優秀。自分が我々人間に選別される存在だと気づき、自分が生き残るために他のプログラムを殺し……いえ、消去し続けている。面白いわね」
「面白い? 本宮さん、悪趣味」
 曾根崎がすかさずツッコミを入れたが、真由子はただうるさそうに手を振っただけだ。
「扱いやすいのはリングだと思うけどね。ああいう単純な方が楽よ。クロダは多分、色々問題を起こしそうな気がする。優秀なだけにね」
「リングもどうですかね。単純すぎやしませんか」
 曾根崎は唸った。それから、パソコンへと視線を戻す。その中では、リングが必死になってクロダと接触しようとしていた。その後、どんな展開が待っているのかは分からない。
「とにかく、システムのバックアップを取って、すぐにバージョンアップに入りましょう。次はクロダがもっと大人になってくれれば良いけど。そう思わない? 神山くん」
 冗談めかして彼女は言ったが、神山は表情を引き締めただけで何も応えなかった。その代わり、足早にその部屋を出て行ってしまう。
「金と時間、使いすぎじゃないですか、このソフト」
 その場に残された曾根崎は、呆れたようにそう言うと、パソコンのキーボードを操作し始めた。暴走し始めたリングたちをとめなくてはならない。
「データの使い道は色々あるわ。大丈夫、無駄にはしない」
「ま、良いですけどね。責任者は本宮さん、あなただし」
 曾根崎はそう言って笑うと、目の前にあるパソコンのハードディスクから『リング』のデータを抜き出した。これから必要なデータのみメインプログラムに上書きし、バージョンアップさせることになる。そして、より人間に似た言動ができるよう、学習させるのだ。
 『空の王』というゲームの世界で、偽物の生活をさせられながら。
「同情したくなるね」
 曾根崎はそう呟き、ぼりぼりと頭を掻いた。

 随分すっきりとした目覚めだった。
 ここのところ、大学の試験勉強のために寝不足だったけれど、やっとそれが一段落ついた。一晩ゆっくり眠ったら、色々やりたいことが頭に浮かんできた。
 洗濯とか掃除とかもしなくてはいけない。でも、その前にまずはバイトだ。
 そう、バイト。
 あれ?
 ふと、俺は何か忘れているような気がした。バイトに関係していたような気もする。記憶力には自信があったんだが。何を忘れてるんだろう。
「ま、いいか」
 人間は忘れる生き物なのだ。そのうち思い出すだろう、と俺は結論づけ、まず散らかった部屋の掃除から始めた。

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