B-02  火星の空の下 チャイルドは歌う

「火星移民局からニュースです。火星が誇る歌姫、エリカ・チャイルドの新曲が地球でもダウンロード数1位になりました。エリカ・チャイルドは三ヶ月前に地球ツアーを終え、今頃は宇宙船の中でしょう。帰星が待たれますね」

 と、そこまで聞いてエリカはホテルの一室に備え付けられたテレビを切った。
「とっくに帰ってきてるわよ。でも火星−地球間が最新の宇宙船で三ヶ月ってのは長いわよね」
「スペースシャトルだったら半年だったわよ。そっちがよかった?」
 マネージャーのアイラがじろりと睨む。エリカは首をすくめた。
 エリカの殊勝な態度はそう長続きはしなかった。次の仕事を告げられた瞬間、声を荒らげる。
「ひどいわ、聞いてないわよ! 誕生日の前後あわせて一週間は完全オフだって言ってあったじゃない!」
 アイラはエリカの癇癪にはうんざりだとでも言いたげに首を振った。
「どうしても断れなかったのよ、今度のパーティーには市長もいらっしゃるんだから。わがままをいって困らせないで」
「いいえ、オフよ。スケジュールは先に入れた予定が優先されるべきだわ。アイラがなんと言おうと休暇ですからね」
「エリカ!」
 制止する声を振り切り、エリカは部屋の外へ出た。VIP待遇の赤いカーペットのずかずかと歩き、エレベーターホールに向かう。ちょうど下りエレベーター待ちの少年と青年がいた。彼らと目があう。少年がびっくりしたように声をあげた。
「うわっ、エリカ・チャイルド!?」
「しーッ!」
 予想よりも大きな声を出されてしまい、あわてて少年の口を塞いだ。傍にいた青年がエリカを制止する。
「ピートに何をする!」
「危害を加える気はないわ、黙って欲しかっただけよ!」
 そしてやってきたエレベーターに、エリカは青年の袖をつかみ、少年ごと押し込むように滑り込む。三人だけしかいないエレベーターの中でエリカは二人を交互に見た。
「ここで会ったのも何かの縁よね。ちょっと付き合って頂戴?」
 エリカは手を放す。少年は丸く見開いた目でエリカを凝視する。
「あんた、本当に、あの、エリカ・チャイルド?」
「そうよ」
 そう断言すると少年は頻繁に瞬きを繰り返し、頭を抱えた。青年のほうは特に表情が動かない。
「どうする、ピート? 私はお前の判断に従うが?」
「こんなの、どうしろってんだよ」
 少年は深くため息をつく。だが青年はさらに答えを求めた。
「ピート。その答えでは分からないな」
「はいはい! 同行します、このお嬢様に!」
 やけになったような言い方だったが、エリカも青年も気にしなかった。
「私のほうは自己紹介いらないわよね? あなたは?」
「ピート・ラフロイグ。大学院の卒業記念に旅行に来た、地球育ちのただの観光客だよ」
 そういった彼は大学院生というよりまだ高校生のような年若い顔立ちをしていた。そして同行者の青年を指さす。
「こいつは俺のパペット」
 一見、人間にしか見えない青年は黙って立っていた。挨拶はない。エリカは彼を見て手を差し出した。
「初めまして。あなたのマスターはとてもいい人ね」
 そういうと青年は、誇らしげに微笑んでエリカの手を握り返した。
「製造番号16xyz21gg4464だ。マスターは私をヒースと呼ぶ」
「あなた、ヒースというの?」
 そういったエリカの顔が、なんだかとても嬉しそうだなとピートは思った。

 三人は揃ってホテルの外に出ると、ピートは頭上を見上げて感嘆の声を漏らした。
「へぇ。空が青いや」
 頭上では地球で見るのと同じくらい青い空が広がっていた。その台詞に、火星生まれのエリカは小さく首を振る。
「残念ながらこの空はワールドハウスの天井に投影された映像にすぎないの」
「知ってるよ。本当の火星の空は、砂嵐でピンクなんだろ?」
 ピートは苦笑しながら言ったがそれに対するエリカの返事はなかった。
 火星を地球環境化する計画は随分昔からあるが、この星は未だ人が住める環境ではない。ワールドハウスと呼ばれる温室型建造物を建ててそこへ人類が移住するパラテラフォーミング(擬似的地球化)は随分進んだ。高さ1kmのワールドハウスの中は植物や水、適切な温度や重力、1気圧の大気など人類が必要なもので満たされている。各地で都市規模のハウスが複数作られ、増設がリアルタイムで行われている状況だ。現在、火星の住民は90%以上がワールドハウスの中で生きている。
「だけど私が行きたいところはハウスの中じゃないのよね。旧式でいいからATV(全地形対応車)を借りなきゃ」
「外に出るだって!?」
 ピートは信じられないとばかりに、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「火星の表面温度が平均何度か知ってるのか? 降り注ぐ紫外線やガンマ線はどうする? 二酸化炭素が主成分の薄い大気に酸素が望めると? 火星の砂塵は月のそれより毒性が強いんだぞ!?」
「レンタルの宇宙服があるわ。本物のEVA(船外活動)にも耐えられる代物よ」
 あっさりと言い放つエリカだった。

 赤い大地を踏みしめるためには、扉を開けて即ハウスの外に飛び出すというわけにはいかない。ハウスの中は地球と同じ1G、だが火星の重力は0.38Gだ。減圧室のような小部屋があって、そこからしか外へは出ていけない。
 自然とエリカがよく行く出口――無人ゲートから出ることになった。
「準備はできた?」
 手慣れた様子でエリカは後部ハッチを閉める。宇宙服を着込んだピートは酸素ボンベの使い方をおさらいしていた。青年が気遣わしげにピートに話しかける。エリカが着ているのと同じ、フードのついた服を着ていた。
「エアは正常に作動しているか? 日焼け止めは塗ったか? なんなら私だけが行ってもいいが、本当に行くのか?」
「行くさ。火星の空をナマで見てみたいってのも観光目的のひとつなんだ。滅多に出来ない体験だろ。だいたいこんな装備しながら日焼け止め塗るなんて思わなかったし」
「お前、手抜きして塗らないものな。地球でも紫外線、強いのに」
「うるさい!」
 二人のやりとりに、エリカがくすくす笑う。
「仲がいいのね。ツアーで少しの間だけ地球にいたけれど、ヒースほど感情豊かなパペットはいなかったわ」
「こいつが感情豊かだって?」
 少年は疑わしげに青年を見上げた。青年は、にやりと笑って少年を見下ろす。
「そうだな。人間なら、私は随分と愛想のないタイプだろうな」
「自分で言ってたら世話ないや」
 ピートは吹き出すように笑った。
 そんな少年の様子を見て青年は頬をゆるめる。ヒースは次にエリカに向かって言った。
「地球で出会ったのは業務用パペットばかりだろう。一個人が使うパーソナルパペットは各マスターの性格にあわせて、皆、私などよりずっと感情表現が豊かだよ」
「あなたもパーソナルパペットでしょう?」
「私は元々業務用だ。基本構造はボディーガード用でね。ある時、大学に入ったばかりの孤独な天才児にプレゼントされるため感情回路を組み込まれた」
 短い言葉の中に、当時を思い出すような懐かしい響きが混じる。ピートはその頃のことを思い出した。親元から離され、ひとりぼっちの子供に与えられた大きなおもちゃ。その時からヒースは自分の所有物であり自分の家族となった。彼はピートのことを自慢のマスターだと言う。それが誇らしくもあるが気恥ずかしくもあり、照れ隠しもあって前のハッチに手をかけた。
「もう開けてもいいだろ」
「OK。重力に気を付けて。体重60kgの人なら22.8kgしか負担を感じなくなるわ」
 がこん、と音がした。
 
 見る見るうちに、体が不安定なまでに軽くなる。ハッチの外は明るかった。
「ウェルカム・トゥ・マーズ。ここが本当の火星よ」
 エリカがふわりと外へ躍り出る。
 ピートは、宇宙服の透明の風防ごしに瞳を見開いた。
「……空が明るい?」
 想像していたサーモンピンクの空ではない。
 そこには、わずかにブルーを帯びた明るい空が広がっていた。
「馬鹿な! 火星の大気は薄くて、とても短波長の光が拡散するほどの大気量はないはずで、空が青いなんてことは理論上ありえないはずなのに!」
「でも青いでしょう? 何人もの研究者がこの謎に取り組んでいるけれど、まだ謎のままらしいわ。大気が薄いのも本当。だから地球の研究者は最初、火星の空を、月と同じように真っ黒な宇宙空間を素通ししているものだと思っていたらしいのね。でもヴァイキング1号が最初に地球に送ってきた写真では違った」
 ふわふわと歩みを進めながらエリカは一面の荒野の上、淡いブルーの空の下で両腕を広げた。
「地球の空だっていつも青とは限らないでしょう。雨もあれば曇りの日もある。火星だって同じよ。雷の鳴る日もあれば、本当に砂嵐で空がピンクに染まる日もあるのよ。火星の青い夕焼けをあなたにも見せてあげたい」
 宇宙服も着ないまま、エリカは嬉しそうに言う。
 宇宙服に身を包んだピートは、それを冷静な視線で見ていた。
「この酸素のない大気の中、平気でいられることを俺達にばらしてもいいのかい」
「とっくに知ってるでしょう、博士?」
 逆にそう切り替えされた。意表を突かれたピートは表情がこわばり、エリカは微笑んでいる。
「そうよ。私、パペットだもの。製造番号erica290よ」

 火星を代表する歌姫はともかく、ホテルでVIP専門のフロアにこの二人はいた。なぜか。彼らがエリカを地球から火星まで運んできたからだ。携帯電話が飛び交う電波を捕まえて通信を可能としているのと同じで、政府登録されているパペットも中央管理センターから送られる電磁波を捕らえて作動している。惑星間を航行する間、パペットはちょうど圏外になった携帯電話と同じく電池消費が激しい状態となる。だから電源を落としてバッテリー上がりを抑えるのだ。その担当者として地球側から選ばれたエージェントが、ロボット工学を専門とするP・ラフロイグ博士である。博士号をとったばかりの年若い「博士」は、元々卒業旅行で火星に行く予定だった。
 マスコミには、エリカ・チャイルドがパペットであるとは公表されていない。

「パペットは生きてるわけじゃない! どんなに生き生きした表情を作っても、どんなに感情豊かに歌っても。それは結局あんたを作った誰かが組んだ、ただのプログラムにすぎないじゃないか!」
「そうね」
 エリカは掲げていた腕をおろし、胸の前で組んだ。
「あなたの言うとおりね。機械はただ再生するだけで、歌えるはずがない、と。だけど私のマスターがそれを私に望んでいるのですもの。あなたの隣にいる人もそうでしょ? 私たちはマスターを一番、愛しているのよ」
 パーソナルパペットはマスターを最優先するようプログラムされている。
「だから私は歌う。あの人の望むままに」
 彼女は二酸化炭素の大気を吸い込み、両腕を広げる。
 命なきパペットが紡いだ歌は、高らかに命を謳い上げはじめた。
 これはただのプログラムだ。パペットにあらかじめ登録されている歌が再生されているだけだとピートは頭では理解している。なのに、その歌から意識をそらすことができなかった。彼女が紡ぐ歌に、妙に涙腺が刺激されるのは何故だろう。どうして生の歌声だと錯覚してしまうのか。
 隣に立つ青年が目頭を押さえているのを、ピートは見た。彼に涙を流す機能は搭載されていない。
「ヒース」
「循環機器系に異常はないよ。教えてくれ、ピート。この感情は何というんだ?」
「これは……感動というんだよ」
 他に言いようがなかった。自我を持たないパペットが心を震わせることはあるのだろうか。歌声は大気に溶け込み、大地に溶け込み、この星と一体になってピートたちを包み込む。

 ステージに立ったときと同じく、歌い終えるとエリカはゆっくりとお辞儀をした。そこまでが「歌」でプログラムされた部分のようだ。一曲限りのコンサートが終了した頃には、空には衛星が浮かんでいた。
「いけない。歌ってる暇はないんだったわ。日暮れまでに帰らなきゃ!」
 先ほどまでの歌姫の顔はどこへやら。今は、ごく普通の少女にしか見えない。三人は各自レンタルしたATVにまたがるとエリカの道案内に従って乾いた大地を駆けていった。
「あなたたちを連れて行きたい理由があるのよ」
「ん?」
 どこまでも続くと思われた荒野に、村らしきものを発見したのはそう遠くない場所で。村といっても完全閉鎖型ドームで覆われている。問題はその周囲だ。ピートは目を疑う。土の上に紫色の花をつけた植物が植わっていたのである。
「まさか、本物?」
 ピートが植物を確認しようとATVを降りるより早く、エリカがドームへと駆けつけた。
「ただいま、ヘザー!」
 ひょいと窓の外から見えたのは少女。エリカと同じ顔だった。
「エリカ! 今年はもう帰ってこられないかと思っていたわ」
「あなたの誕生日なのに? 何をさておいても帰ってくるわよ」
 双子といっても差し支えないほどそっくり同じ顔した二人は再会を喜びあっている。
「とびきりの誕生日プレゼントよ。ラフロイグ博士。本物よ」
「ええッ」
 その会話に、ピートは思わず自分を指さした。

 三人はドームの内、ヘザーの家に招かれる。エリカが改めて同じ顔の彼女を紹介した。
「彼女はヘザー・マッカラン。私の開発者で私のマスター。なんと、あなたのファンなの」
「開発者!?」
 ピートは自分と同世代だと思われる可憐な少女を見た。
「は、初めまして。あの、この間ニューアース誌に発表された論文、読みました。とても画期的で素晴らしかったです」
 エリカより少し線の細い印象のヘザーは、頬を紅潮させている。
「じゃあ、君もロボット工学を?」
「ええ。まだ博士号はありませんけれど」
 ヘザーは憧れの人を前にしてもじもじと照れる。ピートにしても同世代の天才とはほとんど交流がない為、新鮮な驚きだった。
「エリカは君自身がモデルなんだね」
「ええ。私、体が弱くて外に出られないから、エリカが代わりにあちこちへ行って色んな物を見てきてくれたり……。私が作ったから私の分身でもあり私の子供みたいなものでもあるの。ヘザーとエリカって同じ花の名なんです」
 そういってヘザーは外にある紫色の花を指さした。
 互いに緊張しあいながらも段々と研究の話に白熱していくマスター同士を見、パペット同士はそっと部屋を抜け出した。
「ピートはあまりここに長居しないほうがいいわ。気づいた? ここの重力は0.9Gしかないの。ヘザーの先祖は初期の火星入植者で、当時の科学技術で作られた重力発生装置ではちゃんと1G出せなかったのよ」
 初期入植者はエンジニアや科学者、医者だった。その軽いGの中で生まれ育った研究者の子孫たちは現在1G下で暮らせない。だからヘザーはワールドハウスの中にも、地球の大地の上にも立てない。ヘザーにできないことをするためにエリカは作られた。元々人にできないことを代わりにするために生まれたのがパペットだ。
「今や火星のパペット技術は地球をしのぐ。ここの環境がそうさせるのだろう」
 人が生きられない自然環境だから。
「ヘザーの研究テーマは独創性のあるパペットを作ることなの」
「それは成功しているな」
 ヒースは穏やかな微笑みを浮かべてエリカを見た。
 いつのまにか窓の外は一面の星空になっていて、遠くに地球が輝いていた。

 パペットに自我はない。パペットに命はない。
 かつて火星は生命の望めない星だといわれた。その星の上で、生命なきチャイルドは終わりなき生命の詩(うた)を歌う。

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