B-03  天使の住処

 漆黒に塗りつぶされた空には、星が点点と浮かんでいる。
 深夜の大通りの、とりわけ路地は、街灯がないうえ人通りもないために一際暗く感じられた。その細い路地から大通りへ、凝固したように張り詰めた空気をすり抜けていく、ひとつの影がある。
「へへ、失敬するぜ」
 得意げに口の端を上げたのは、小柄な少年だった。いや、実は「青年」に値するぐらいの年齢なのだが、それはさておき。その小柄な上に童顔な彼は、闇を掻い潜って街はずれの方向へと駆けていった。
 彼が出てきた路地の奥には、小さな雑貨屋がひとつあるだけだった。

 街はずれの森に辿り着くと、少し仮眠をとった。冷えた空気に目を覚ますと、うっすら空が白みはじめている。時計を確認していないので正確な時刻はわからないが、空気の静けさからまだ早朝であることが窺い知れた。彼はその足でまた少し歩く。森を抜けると、そこには大きな屋敷があった。
 屋敷の裏に廻る。そこには、一人の少女がいた。
 朝が早いにもかかわらず、きっちりと着替えを済ませていた少女は、無表情のようで、どこか警戒しているようも見えた。ブロンドの長髪を持つ、可愛らしい少女である。
「おはようさん。これ、頼まれてたヤツだぜ」
「ありがとうございます」
 深深と頭を下げ、手渡されたものを受け取る。それを、確かめるように触る指は白すぎて、少年には気味が悪かった。
「心配しなくても本物だって。ほら、金は?」
「用意しています。こちらに」
 せかされて、懐から皮袋を取り出す。強引に奪うと、こちらも中身を確認する。
「そちらこそ、心配しなくても誤魔化してなどいません」
「うっせえ、貴族は黙ってろ」
 貴族、という言葉に少女が唇を歪める。彼女にとって、貴族という地位は少なくとも矜持の対象ではなかった。
 少女は、表情を固くしたまま、彼が持ってきた、いや「盗ってきた」ものをもう一度見る。それは、手のひらに乗るほどの小さな箱。別にそれはオルゴールでも化粧箱でもなかった。埃をかぶった、汚らしい木の箱である。飾り気もないただの直方体という以上に表現のしようもない代物だった。
 少年は、きっちり札束が揃っていることを確認した後、いま一度依頼者である少女のほうに視線を向けた。
(なんだって、あんなモノ欲しいんだ)
 少年にはわからなかった。手間賃を差し引いたって、一般市民が一年は暮らしていけるだけの金と、あの箱がとても釣り合うものとは思えなかった。しかも、わざわざ盗賊である自分に依頼してまで得るべくものであるとは、とても。
 だが、仕事が終われば、いや仕事中であっても、自分には関係のない話である。そろそろ屋敷の使用人が起きてくる時刻だろうし退散せねば。
「じゃあな、確かに受け取ったぜ」
「こちらこそ、本当にありがとう」
 そう言って少女は、また礼をした。自分より身分の高い者に頭を下げられるのは、どこか気分がいいものだった。
 少年が去った後、少女はゆっくりとその箱を開いた。外装が地味なら、その箱の中も空だった。
 だが、その箱の中を見て、彼女は初めてにっこりと微笑んだのだった。

 気にならない、と言えば嘘になる。
 というより物凄く気になる。
 そうでなければ、まさか盗賊が犯行現場に再び足を運んだりしないだろう。彼は街中の路地裏に吸い込まれていく。
(ありゃ、なんなんだ一体)
 実は、彼女に依頼品を渡す前、彼はあの箱を無断で開けていたのだ。やはり彼が見たときも、箱の中身は空っぽだった。あまりにも軽すぎたので、まさか、と思って開けてみたのだ。だが中身については言及されていなかったし、見た目が彼が頼まれていたものと特徴が一緒だったので、まあとりあえず運んできたわけだ。
 しかしあとになって、なぜあの少女があの箱を欲したのかがじわじわ気になってきて、気がつくと何も手につかなくなってしまっていた。あれから数日経つが、仲間とやった賭けカードゲームは惨敗するし、仕事には失敗しかけるし、いいことがない。
 だから、ここへ来れば、あの箱の正体がわかるかと思ったのだ。早いことこのもやもやを解決してやらないと、自分のスタンスというやつをもう一生取り戻せないような気がした。
 雑貨屋の扉を開けると、くくりつけられていたベルがカランカランと鳴った。少し心臓が跳ねたが、誰かが出てくる気配はなかった。一体何のためにつけているんだとぶつぶつ呟きながら、盗賊は店の中を見渡す。
 この前忍び込んだときは夜だったため気づかなかったが、どうやらここは雑貨屋、というよりも魔法具屋のようだった。箒が大量に隅に置かれ、叩けば埃が立ちそうな本がこれまた大量に本棚に押し込められている。床の絨毯には、よくよく見るとなにか呪術をにおわせる文様が書かれていた。あとは植物やら薬やら杖やらなにやらがごちゃごちゃと配置してある。香の臭いが鼻についた。これも魔法のなにかなのだろうかと考えると胃のあたりがムカムカした。
「いらっしゃいませ」
 再び冷や水をかけられる。
 薄暗い店の奥に、ぼうっと白い影が見えた。店主なのだろうか、ひょろっとした眼鏡の青年が、人の良さそうな笑顔を浮かべて立っていた。その肌の白さは、この間の少女の家事労働を知らない指を思い出させた。
「何かお求めですか?」
「いや、別に俺は魔法使いじゃないから」
「別に一般の方でも買っていかれる方はいらっしゃいますよ。お好きな方がいるんですよ、こういったモノがね」
 店主は一瞬にやっとしてみせる。
「……あんたは、魔法使いなのか?」
「恥ずかしながら、その端くれです」
 少し照れて見せるその整った顔立ちを見る限り、どこか洒落たレストランのウェイターでもやったほうが受けが良いのではないかと思う。いや、魔法使いというものは総じてそういう顔つきなのだろうか? 自分は以前同業者に会ったことがあるが、こちらも絶世の美女だった。性格は、五分話すだけでドブに突き落としてやりたい衝動にかられるほど憎憎しいものだったが。
 ふと、窓際に置かれている箱が目に付く。それは、自分が盗んだものと同じものだった。やはり汚らしい木の箱にしか見えない。
「なあ、これは?」
 思わず手にとって尋ねた。
「それは、スペルボックスです」
 気がつくと、店主は盗賊のすぐ近くに歩み寄っていた。
「スペルボックス?」
「箱の中に、魔法使いにしかわからない魔法の呪文が詰められているんです。非言語魔法などを主に入れています」
「非言語って、どういうことだよ」
「文字に表すことの出来ない、いわゆる『魔法使いの勘』というやつでしか認識できない魔法があるんです。古代の魔法が多いですね」
 だから、常人には中が空っぽに見える、とでも言いたいのだろうか。古代の魔法とはどんなものなのかを尋ねると、「面白いですよぉ、水の中で息が出来るようになる魔法とか、羽が生える魔法とか、古代人の知恵がいっぱいなんです」との答えだった。現代魔法とやらとの違いも、その面白さも、さっぱりこちらにはわかりゃしなかった。
 店主の話は少なくとも知っている言語で構成されているはずなのに、盗賊には理解できないことばかりで。やっぱり、魔法使いは特殊な奴らなんだと痛感する。
「そういえば」
 店主がにっこりと笑う。
「これ、最近『買っていかれた方』がいらっしゃるんですが、御代がまだなんですよね」
 盗賊は、はっと気がついた。足元から得体の知れない植物が生えていて、自分の両足を絡め取っていたのだ。
「払って、いただけますか?」
 頷くしか、なかった。

 一ヶ月ラクして生活出来るはずが、一気に貧乏になってしまった。いや、本当は少女からの仕事で貰った額の半分ぐらいを請求されただけなのだが、なにせ、この数日の間にカードゲームに賭けていた分を根こそぎとられていたのだから、手元にまとまった金が残るはずもない。
「ったく、なんなんだあれは」
 煉瓦敷きの大通りを、盗賊は大股で歩いていた。すると、街頭で臨時新聞を配っているところに出くわす。無料だというので渡されるままに受け取った後で、自分はあまり字が読めないということを思い出した。とりあえず写真を見る。
 そして、目を見開いた。
 彼は、すぐ隣を歩いていた気の弱そうな男の襟首を掴むと、「おい、これを読んでくれ」と叫んだ。

『領主の娘は天使だった? ――ひとり娘失踪――』

 内容はこうだった。
 街はずれにある領主の屋敷には結婚を控えた一人娘がいたのだが、その彼女が昨日突然失踪した。彼女の家は躾に厳しく外出ですら制限されていたらしいから、その大胆な行動に対して誰もが驚きを隠せなかった。しかも目撃者の話によると、その背には羽が生えていたというのだ。彼女は天使だったという噂が出回っており、そこから転じて彼女が死んだのではないか、と言い始めた輩までいるそうだ。兎に角彼女の両親は血眼で彼女を捜しているらしい。
 そう、彼女は、数日前盗賊が仕事を請け負った、あの貴族の少女だったのだ。
「あいつ、馬鹿にしやがって……!」
 盗賊は、唇を噛んだ。

 数日後。
 街中でも一、二を争うボロアパートの一室。そこに、彼女は訪ねてきた。起き抜けの盗賊は、扉を少しだけ開けてまだ眠そうな顔をのぞかせる。
「……よう、魔女様じゃねえか」
 皮肉たっぷりで言ってやった。しかし彼女は動じない。
「そういうジョークが出るということは、ちゃんとお金払ってくださったのね、ありがとう」
「やっぱりお前が仕組んでたのか」
「協力してもらっただけです。御代はそれなりにはずんであったはずですけれど」
「はあ、そうですな」
 ため息をつく。気が強い女だ。どうやら、色々な意味でただのお嬢様ではなさそうだった。
 話を聞いてみると、やはりあの魔法具屋の店主も一枚噛んでいたらしく、こっそりと連絡をとってスペルボックスを用意しておいてもらっていたのだそうだ。そして運び屋として盗賊が選ばれた。そう、全てはあの屋敷から逃げるために、だ。
 そういえば、そもそも彼女の依頼を知ったのも、一枚のメモが家のポストに入っていたことがきっかけだった。これもあの店主が入れたのだろうか。自分のことを知っていたとなると、やはりあれもただの魔法使いというわけではないのだろう。
 彼女が事情を話さなかったのは賢明だった。こんな面倒なことになるのなら、盗賊だって仕事を引き受けなかっただろうから。
 そしてその彼女は、手に大きな荷物を持っていた。
「お前、これからどうするの」
「わたしをこの部屋に置いてください」
「え?」
「いいじゃないですか、一応魔法使いなんですよ? 泥棒家業にだって役に立てますわ」
「いや、そういう問題じゃ……」
 すると彼女の背のあたりが光って、ぶわっと大きな翼が広がった。その肌よりも、ずっと澄んだ純白が眩しい。これが、件のあのボロ木箱の中に入っていた魔法なのだろうか?
 盗賊は一瞬その美しさに目を奪われたが、しかし同時に慌てた。
「お、お前何やって……」
「ほら、空だって飛べますし」
 でかい翼をぶわっさぶわっさやろうとする。
「コラっ! め、目立つだろうが! ほらちょっと中入れっ」
 「天使」は、盗賊の部屋に無理やり引き入れられた。まあ、どちらが「無理やり」だったのかは目にも明らかだろう。

 さて、数ヵ月後、この事件がほんのりと忘れ去られた頃、この街より少し離れたところでとある盗賊団が暗躍することとなる。
 彼らを知る者によると、構成員は童顔の男と魔法使いの少女、そしてこちらも魔法使いの優男が一人というなんとも小規模な団らしい。その彼らはのちに「天使の住処―すみか―」と呼ばれて歴史に名を刻むこととなるのだが、それはまた、別の話。

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