B-06  スケア・クロウ

 スケア・クロウ。
 君はかかしだ。
 中身がつまっているのは、帽子をかぶる頭だけ。

 1・スケア・クロウがカラッポなこと

 ある日のことだった。その日もいつものようにウェストミンスターの鐘はディンドンディンと鳴っていたし、BBCも放送していた。いつものように空は灰色がかっていたし、もちろんバッキンガムの近衛兵の交代儀式は観光客の見世物になっていた。
 だからスケア・クロウもいつものように、ぽてとんぽてとんと夕暮れのロンドンを歩いていた。すると、塀の上で寝そべっていた猫がこう言ったんだ。
「あらまあ、なんてこと。あの子ったら、ナカミがすからかんじゃないの! きっとネズミに食べられちゃったのねえ。かわいそうに!」
 もちろんスケア・クロウはびっくりした。ぶちのおばさん猫がじいっと見ているのは、自分だったから。
「どうして?」
「おやまあ。お前はジョーシキがない、シンケーがない、ココロがない、なんてココロナイことを言われたことはないかねえ? どうしてわかるかって? 猫にはわかるんだよ。長いひげがあるからねえ。」
「ふうん。でも食べられちゃったんなら、どうしようもないね。」
「そうかねえ? ミルク皿は空っぽになっても、またいっぱいになるじゃないの。」
「それはつぎたすからだよ。心なんか、どうやってつぎたせばいいの?」
「アタシにはわからないけど、スキンブルシャンクスなら何か知ってるかもしれないねえ。遠くまで旅をしているから。」
 それからその猫のことと必ず乗っているという夜行列車メイル号のことを話して、おばさん猫は塀のむこうへぴょいと消えた。

 2・キングズ・クロス駅の居座り列車、依然原因不明

 まだ9と3/4番線の看板が置いてあるキングズ・クロス駅へ出かけたのは、だから、そんなわけだった。
 この週末、夜行列車メイル号は予定の発車時刻をとっくに過ぎて、作業員の苦労もどこ吹く風で、同じ場所に停車しつづけていた。この事件を書いたある新聞の見出しは『キングズ・クロス駅の居座り列車、依然原因不明。例のあの人のしわざか?』。
 スケア・クロウはそんな時代遅れの三流誌は買わないで、立ち入り禁止のテープと作業員に囲まれたかわいそうなメイル号にもぐりこもうとした。結果はわざわざいうまでもない。代わりにキオスクのかげやホームのすみっこ、それから駅の周りをぶらぶら歩いた。リージェント・パークにも行ってみたけど、猫が人間のことばをしゃべるくらい変わったことはなんにもなかった。
 そして、やっと駅の裏で見つけたのは例のあの本に出てくる魔法学校の女の子の飼い猫──じゃなくて、ぎん色のがっしりした大きなオス猫で、スケア・クロウそっくりに落ち着きなく、ぐるぐるぐるぐる歩きまわり、ときどき古びたドアを前足でひっかいていた。
「ねえ、スキンブルシャンクスって猫、知らない? いま停まってる夜行列車に乗ってた、ちゃ色で、毛が長くて、しっぽの長い猫だって聞いたんだけど。」
 ぎん色猫はぴたりと止まり、前足をそろえて、それにしっぽをくるりと巻いた。
「私はライデンカッツェ。ピルリパート姫さまのお守り役だ。君のいう猫とは会ったかもしれない。それというのも昨夜、その夜行列車に乗ろうとしたところで、われわれはネズミどもにおそわれてしまったのだが、あやういところでそのスキンブル氏らしい猫が姫を連れだしてくださったのだ。しかし今どうしていらっしゃるかはわからない。ネズミどもに追われ、このドアの奥に逃げこまれたときに運悪く私だけ閉めだされてしまったのだ。君、このドアを開けてもらえないだろうか?」
「ここ?」
 ぎいいと音を立てて、スケア・クロウは重いドアを開けた。中はごちゃごちゃとした物置みたいで、うす暗がりに木箱とほこりとクモの巣の城がたっていた。ライデンカッツェは鼻とひげをひくひく動かして、ほこりの上の猫の足あとをそうっと追いかけた。
 すると、木箱の陰になっている壁に大きな穴があいていて、足あとはその中に消えていた。奥はまっ暗だったけれど、ライデンカッツェは──それからスケア・クロウも──入っていった。
「どうしてこんなところに入ったんだろう?」
「静かに。それはネズミに追われていたからだろう。」
「でもネズミに追われてって、猫なのに?」
「相手はただのネズミではない。恐ろしいネズミの王の手下どもなのだ。」
 階段は下へつづいている。

 3・クルミはロンドンの地下を転がり落ちる

 ぎん色猫のライデンカッツェの語るところでは、そもそもはお城の台所に住みついていたネズミの一族が、あぶらみを食べてしまったことから始まったのだという。
 お姫さまのお父さんである王さまは大好物のソーセージを台なしにされて、とうぜん怒った。怒って、ネズミ一族を退治した。生き残ったネズミの女王はそれいらい一族のかたきにお姫さまの命を狙うようになり、ぎん色猫の一族はお姫さまのお守り役をすることになった。
 だけど、猫たちも王さまたちもお姫さまを守れなかった。ネズミの女王がかけた呪いは、美しかった赤ん坊のお姫さまをぶさいくなクルミ割り人形にしちゃったんだ。
 何年もあとにこの呪いはある若い男のひとが解いて、ネズミの女王も死んでしまったんだけど、今度はそのひとがクルミ割りになってしまった。王さまは呪いを解いた人をお姫さまと結婚させると言っていたけど、お姫さまは断った。それで王さまは青年はどこかへ追いはらってしまった。
「ひどい恩知らずだ、恥知らずだ、わがままだと、ひとびとに言われつづけた姫は、とうとうお国にいられなくなってしまったのです。」
「それでロンドンに来たんだ。」
「ええ。そして情けないことに私はすっかり油断しておりました。ネズミの女王のあととり息子は青年を追っていったので、姫はもう狙われていないものと思っていたのです。しかし……」
「ねえ、お姫さまって猫じゃないよね? 人間?」
「まさか! 姫はマイセン王家の、それはそれはお美しい白い陶器人形でいらっしゃる──今は。」
 階段を降りきってドアを開けると、そこにあったのは──

 4・ネズミの女王とネコの騎士

 レールだった。ちょっと離れたむこう側にはまっ白に光っているプラットホームがあって、スケア・クロウのいるあたりもうすらぼんやりと見えた。アナウンスやお客たちの声や列車のたてる音が、ジャングルの鳥の鳴き声みたいにごちゃごちゃにまざって、あたりにたちこめている。
「地下鉄──キングズ・クロス・セント・パンクラス駅だ。駅に戻ってきちゃったんだ。」
「気をつけて。ネズミどもがうようよしています。」
 ぴかぴか光るエメラルド色のするどい目が暗やみをにらみつけて、耳がぴぴぴっと動いた。
「姫!」
 ライデンカッツェの走って行った先に、お姫さまとちゃ色の猫はいた。なんだかよくわからない小さなくぼみの前で、猫は長い毛を逆立てて、中に入ろうとするネズミを追いはらっている。くぼみを取り囲む、たくさんのネズミたちのまんなかに一匹だけ種類のちがうネズミがいた。
「女王!? 生きていたのか!」
 ライデンカッツェは死んだ女王がお城から運び出されたあとのことを、誰も何も伝えていなかったことを思い出して、うう、とうなった。
 ネズミの女王がフンと鼻を鳴らすと、ネズミたちはライデンカッツェのほうへじりじりと向かってきた。ライデンカッツェも毛を逆立てて、しゅーっと蛇のような声を上げる。
「むこうへ行っていろ!」
「え? 今、なんて言ったの?」
 ネズミを一匹ぽいと投げ飛ばし、叫ぶ。
「危ないから、むこうへ行けと言ったんだ!」
「むこうって、どこ? うわあっ!」
 ──どしん!
 ネズミに飛びかかられて、スケア・クロウは転んだ。
 あたりはしいんと静まりかえり、ネズミたちは群舞のダンサーみたいに次から次へと姿を消してしまった。
「あれ? どうして?」
「君が女王をけとばしてしまったからだよ。ケガはしていないかね?」
「うん。してないよ。ねえ、他のネズミは?」
「やつらは女王とは違う一族だから、不利になったら逃げたほうがいいと思ったのだろう。」
 スケア・クロウが起きあがると、きいきいと声がひびいた。
「子ども! よくもわらわを踏みつけたな! おまえもクルミ割りにしてやる!」
 ところが、スケア・クロウは人形にはならなかった。
「なぜじゃ! なぜおまえは──ああ!」
 と、女王は叫ぶと、とうとうぴくりともしなくなってしまった。
 ライデンカッツェは女王をくわえて暗がりに飛びこんで、しばらくしてまた現れた。
「今度こそ女王はまちがいなく片づきましたよ。」
 そこへ、ふわふわのしっぽをゆらゆらさせて、ちゃ色の猫がくぼみから出てきた。
「やあ、助かった。ライデンカッツェ殿ですな! こんなところに追いつめられてしまって、まったく面目ない。しかしご安心めされ。姫君はかすり傷ひとつございませんぞ!」

 5・カラッポじゃないお姫さまとやっぱりカラッポのスケア・クロウ

 いつもそうしているらしく、ライデンカッツェはささっと毛並みをととのえて、お姫さまのそばに足をそろえて座り、前足にしっぽを巻きつけた。
「姫。遅くなりました。すぐに地上へお連れいたしましょう。」
 すぐに返事はなかった。しくしく泣く声だけが聞こえた。しばらくしてやっと、くぼみの奥にいたお姫さまは話しはじめた。
「ごめんなさい、ライデンカッツェ。よく来てくれました。そのように傷だらけになって、本当にごめんなさい。」
「これくらいの傷など、お気になさることではありません。」
「いいえ、いいえ! スキンブルさまにもご迷惑をおかけして。心よりおわびいたしますわ。──ああ、わたくしなど、とうに割れてしまっていればよかったのに!」
「姫! 何ということを!」
「ライデンカッツェ。わたくしと一緒ではもう国へは帰れないのですよ。それに、この国にもわたくしの悪い話は届いています。すぐにまた、ほかの国へ行かなくてはならなくなるでしょう。こんな旅をつづけていては、いつまた危険な目にあうかわかりません。どうか、わたくしのことなど忘れて帰って。」
「もし私がこの旅を苦にするような猫でしたら、ここまで姫をお運びして来たでしょうか? そしてほかの国へ行くときに私以外の誰が姫をお運びするのでしょうか? それに姫があの青年を思ったからこそ、ご結婚のお話を断ったことを私は知っています。姫ひとりを残して、どうして国に帰れましょう。姫のお心など知ろうともしないあの国に。」
「ええ。彼が残れば恐ろしいことになっていたでしょう。城のみながクルミ割りを見たときの顔は──思い出したくもありません。あのひとたちは本当はわたくしもあんな目で見ていたのです。愛されているとばかり思っていたわたくしが愚かでした。わたくしがあのひとたちに喜んでもらえると思ってクルミを割っていたのを、かわいそうなこと、ひどいことだと言っていたのです。そして陶器人形に戻ったときには、美しいだけで飾っておくしか用がないと責めるのです。ああ、わたくしは何のために作られたというのでしょう!」
「姫。姫の割ってくださったクルミは、まだ幼いころの私のお気に入りのおもちゃでした。よく姫の足もとでカラを転がしては追いかけたものです。他の人形たちはガラス扉のなかにこもって、私が近づくのさえ嫌がっていたというのに。姫のおそばにいるとき、私はいつも幸せでした。それは今でも変わりません。」
 お姫さまの目からガラスの涙の粒がころりと落ちた。
「ありがとう。わたくしがどんな姿になっても、変わらなかったのはライデンカッツェ、あなただけよ──」
 そのとき、地下鉄の列車がごおおと音を立ててやってきて、猫たちとスケア・クロウの脇を走りぬけて、小さな石をぱちんとはじいた。ぱちんとはじいて、ドレスを着た陶器人形をぱあんと割った。
「あっ!」
 本当にあっという間だった。いちばん近くにいたライデンカッツェですら、かばう時間なんかひげ一本ぶんもなかった。みんな、ぼうぜんとお姫さまのいたところを見ていた。
 そこにはばらばらになった陶器のかけらが飛び散っていて、そしてそのまんなかにまっ白い猫がいた。白い猫は自分のしっぽを追いかけて、一回くるりとまわるとこう言った。
「まあ。いったい何が起きたのかしら。わたくし、今度は猫になっているようだわ。なんて不思議なんでしょう。」
 ぎん色の猫と白い猫はしばらくお互いを見たり、においをかいだりするのに夢中だった。
 こうしてやっと話すことができるようになったスケア・クロウは、もう一匹の毛づくろいをしているちゃ色の猫のそばにしゃがみこんだ。
「あなたがスキンブルシャンクスさん? あなたなら何か知ってるかもしれないって──ええと、ぶちの猫なんだけど、名前は聞かなかったからわかんないや──聞いたんだけど……」
「いやはや。どなたから何をとは聞きませんよ。ふうむ。がらんどうな子どもはたまにいるけれど、これはまた見事にすっかりからんですからな。きみは自分の心を探しているのでしょう。」
「なんでわかるの? やっぱりひげが長いから?」
「いやいや。何といっても目、このはしばみ色のお月さんの妹ぶん、目、ですな。猫の目は夜だってへいちゃらなんですからね。しかし残念ですが、わたしごときには心のありかなんてのはちいともわかりませんな。ですが、デュウトロノミイのじいさまなら何かご存知かもしれません。あのかたはたいへん長生きでいらっしゃるから。おっと。ご存知ってのはだね、知っているってことだからね。じいさまは……にいらっしゃるよ。ところで夜行列車のメイル号がどうなっているか知らないかね? もう出発してしまったかな?」
 スケア・クロウは地上の駅で停まったままの夜行列車のことを話した。スキンブルシャンクスは毛をふくらませ、文字通りに飛び上がった。
「なんと! わたしが遅刻するなんて初めてですから、メイル号のヤツ、かわいそうに! 目を回してしまったのでしょう。はやく行ってやらなくては!」
 レールを飛びこえ、スキンブルシャンクスは地上めざして走りだした。スケア・クロウも追いかけた。するとクジラの歯ぎしりよりひどい、大きな音がぎゃぎぎりりー! それから男のひとの大きな声と、女のひとの悲鳴がトンネルの暗やみを突き破った。
「何やってるんだ!」
「まあ! あんなところに子どもが!」
 このときスケア・クロウはやっとはじめて気がついた。こんなところに入ったらいけなかったんだってこと。
 おとなたちにつかまったスケア・クロウはバターになるんじゃないかしらと心配になるくらい、あっちへこっちへ連れまわされ、さんざんどなられ、こってりしぼられた。しぼってもなんにも出なかったけれど。
 途中で夜行列車がゆるゆると駅のホームを移動していくのが見えたけど、よそ見をするなと叱られたので、あのメイル号だったかどうかはよくわからないままだった。
 そうしてスケア・クロウがぐったり疲れ果てたころ、スコットランド・ヤードが家まで送ってくれることになった。駅から出ると、もううす暗くなってきていた。最初におばさん猫と会ったのも、こんな夕暮れどきだった。
 あれは本当にあったことだったのかな。あんなことを話しても誰も信じないだろうな。階段のあった家も今はどこだったか、ぜんぜんわからない。なんでトンネルなんかに入っちゃったんだろう。クルミ割りはぜったいホフマンの絵本を読みすぎたせいだ──。
 こんな調子でスケア・クロウはすっかりしょげていた。
 あれだよ、と警官が言ったパトカーのボンネットに、大きなぎん色の猫とほっそりとした白い猫がなかよく丸くなっていた。もう何時間も待たされましたよ、という顔をして。よくよく見ると白い猫はまっ白じゃなくて、ひたいにMの字の模様があって、手足にはうすはい色のしましまもついていた。足は細くて、まるでバレリーナみたいだった。
 追いはらおうとする警官の前で二匹の猫はあくびをすると、ボンネットから飛び降りて、スケア・クロウの脇をすり抜けた。
 後ろから誰かがスケア・クロウを呼んだ。
「おーい、君。君はこれを探してたんじゃないのかね?」
 駅員が持ってきた袋には割れた陶器人形と小さなガラス玉が入っていた。白と黒のまじった、ぎん色の髪とひげの駅員はスケア・クロウにそうっと小さな声で言った。
「いじめっ子に隠されたんだろう? 割れちゃってたけど、見つかったのはみんな拾ってきたぞ。いいか、ぼうず。話さなきゃ誰もお前のことをわかっちゃくれないんだからな。わかったか?」
「──うん。ありがとう。」
 でもスケア・クロウにも、自分のことなんかさっぱりわからないのでした。

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