B-10  箱の行方

 欠伸が出るくらい暇な日だ。暇なのはいつものことだけど、今日は特に雨が降っているから数えるくらいの客も訪れる気配がない。新聞に目を落とせば異国からの希少な宝石が展覧会に出品されるとか、どこかの貴族の当主が失踪したとか、庶民から芸術大賞の入賞者が現れたとか、自分に縁の薄そうな記事が載っている。
薄暗い店内にはガラクタにしか思えないものばかりが置いてある。だがそれらは大事な商品であり、また客でもあるのだ。埃を被っているものもあるが、そこはご愛嬌というものだ。
 ドン
 不意に音がして店の扉が乱暴に開かれた。
「誰だ」
「貴方が『プラチナクォーツ』?」
 雨の中を走ってきたのか、男が息も荒く訊ねてくる。フードを外した下には麗しい顔があった。整った目鼻立ちは世間の女性を幾人も魅了しているはずだ。
「如何にも。プラチナクォーツはわたしだ。クォーツでいい。それで、用はなんだ」
 濡れて頬に張り付いた金糸を手で取り除きながら、男は名乗る。その仕草は優雅で、貴族なのだとわかる。
「私はヨラン。貴方はどんな謎も解く名探偵だと聞いた。この箱の謎を解いて欲しい」
 銀の縁取りが美しい小さな箱。それはかつて指輪が収められていたものだとわかる。ただし中身はなかった。
「中身はありません。うちの家宝がこの箱なんです。空の箱、何故これが家宝なのか調べて欲しい」
 わたしの片手に壊れ物を扱うような仕草で彼は箱を置いた。
「家宝? 何の情報もないのにこの箱の理由を調べろというのか」
「それが出来るのがプラチナクォーツ、貴方だと聞きました」
 真顔で答えられて返答に窮する。確かに普通の物を探すのとは全く異なるのだろう。この店に来ること、わたしをプラチナクォーツと知っていることが、既に調査の始まりなのだから。
「仕方ないな」
「では」
「まずは座れ。そこの椅子ならば汚れてはいないはずだ」
 喜色を浮かべかけたヨランを座らせる。濡れたままでそこら中をうろつかれては迷惑だ。わたしにとっても、他のモノたちにとっても――

 温かいお茶を淹れてやると少し落ち着いたらしい。彼は熱い吐息を零すと、漸く店中に視線を動かした。所狭しと置かれている商品の様々なこと。食器や家具、蜀台、装飾品、かなりの種類がこの店にはある。その共通点といえば、
「どれもアンティークですね。こちらは雑貨店だと伺っていたのですが」
「雑貨店でも何でもいいさ。宣伝はしていない。ただ物の売買をしているうちにあんたのような客がやって来たのさ。あんた、その箱が家宝になった理由を知りたいのだったな。ならば最初にすることは一つだ」
 わたしは彼の前の椅子に腰を下ろした。この椅子も、彼の座った椅子もアンティークだ。何故かこの店にやってくるのはそういうものばかりになってしまった。
「この家宝はどれくらい前からあった?」
 最初に必要なことはこの男から箱のことを聞き出すことだ。さすがのわたしでも何の情報もないのに推理なんて出来やしない。
「……うちの家が二つに分かれた時だから、二百年程前でしょうか」
「この箱自体には何か聞かされていないのか」
「いいえ。その箱だけでも高価なものだとは推察出来ますけど、理由は知りません。調べようにもその時代の人間は最早居ませんからね」
 苦笑する彼の瞳に寂寥感がよぎる。注意深くヨランを観察しながらわたしは箱の底に手を掛けた。しかしビクともしない。
 二重底になってやしないかと思ったのだ。しかし箱の底は底でしかないらしい。
「二重底の可能性なら前の当主達が散々調べていましたから。それより解ったのですか」
「解るわけがない。わたしにはこの箱の情報なんて何一つ持ってないんだ。今初めて見たのに。寧ろあんたが知っているはずだ」
「私が? 知っていたら此処に足を運んだりしませんよ」
「いいや」
 彼は眉間を指で摘んだ。わたしはもう一度、諭すように言った。
「いいや。あんたは知っている。店に来た時は何かわからなかったが、でもあんたはこの店に来た。自分が何か本当は解っているはずだ。なあ、家宝の箱さん」
 彼の表情が驚愕に染まる。
「私が? この箱?」
「そうだよ。大体、うちに普通の人間が来れるはずないんだから。それにヨランってこいつだろう」
 彼が来る前に読んでいた新聞を見せる。その記事の一つに貴族の当主が失踪したとある。載っている写真もヨランに違いない。白黒なので色はわからないが、この顔が幾つもあるとは思いにくい。
「私が、箱? だとしたら私は?」
「知っているからこそ店に来たんだろう。『プラチナクォーツ』は特定の客には有名な店だ。あんた自身、聞いたと言った。さあ、誰に聞いた?」
 彼は茫洋とした様子で暫くわたしの更に向こうへ視線を向けていた。目を向けていても、何も見ていない。
 その碧眼が生気を取り戻すには、随分と時間を要した。
「私は、あそこから逃げ出したかったんです」
 ゆっくりとわたしへ、彼の視線が戻ってきた。
「此処に、プラチナクォーツに、私を置いて頂けませんか」
「条件がある」
「何でしょうか」
「あんたの話を聞かせてくれ。空の箱が何で家宝なのか、教えてくれるか」
 彼は言葉なく頷いて、話し始めた。
「私は七代前の主に買われました。もちろん、私ではなく中にいた指輪を、ですが。指輪は奥方に渡されました。そして私は奥方に大事に保管されて居りました」
 語る彼は微笑を浮かべていた。それは彼が大切にされていたことを容易に想像させた。指輪を収めた箱というのは、本来それだけが役目のはずだ。見目よろしく金銀で飾ることは珍しくないが、それを家宝にするに至るまで一体何があったのだろう。
「当時の家宝は水晶でした。透き通った綺麗な方で、私の憧れでもありました。しかしその水晶は……ああ、割れてしまったんです」
「落としたのか?」
「違います」
 彼は平坦な声で言い切った。
「殺人の道具に使われたんです」
 淡々と答える彼は哀しそうにも見えた。けれど、何も感じていないようにも見えた。彼は所詮、箱。モノでしかない。人の感情など早々、モノに宿るものではない。だが彼には紛れもなく感情がある。わたしと同じ、モノが命を持った存在。
「水晶は、当主の寝室に置かれていました。誰もが、という訳ではありません。でも触れようと思えば可能で、殺人の道具に使われたのです」
「それでは家宝のままには出来ないな。その後にお前が家宝にされたのは何か意味があったんだろう」
「ええ。その家宝であった水晶も意思を持っていました。だからということではないでしょうが、人々には未来が見えるなんて言われていたようです。そのせいで問題が起きるなんて思わなかったでしょうね」
 わたしを正面から見据え、微笑した。
「あんたはそれで家宝にされたのか。そんな謂れのないただの箱だったから?」
「そうです。奥方が持つ指輪ではなくて、箱でしたから。家宝にされた分、とても大切に扱われました」
 価値がないと思われる箱を家宝に。それは戒めでもあるのだろう。ただの箱であることが彼の役目だったんだ。
「しかし、ならば何故ここへ来た。そのまま家宝のままでいてもよかったはず。何があった」
「……何も」
 やはり彼は微笑んだままだった。
「何もなかったのです。それが苦痛になってしまった。本来の役目さえ与えられずに保管されているだけの私に、言葉は悪いですが飽きてしまったのですよ。だから逃げ出したかった」
 自然と溜息がわたしの口から漏れる。気持ちはわからなくもない。この店に来る客は誰も皆、似たような理由だ。些細な差はあれど、人との暮らしに嫌気が差してしまったモノばかりだ。
「そうでした」
 何かを思い出したのか、彼が手を叩いた。訝るわたしに手の平を向ける。
「貴方を、プラチナクォーツを教えてくれたのはあの水晶でした。『全てを知っている』モノだと教えてくれたんです。だから私はこちらを訪れた」
「そう呼ばれることも確かにある。だがわたしは全てを知っているわけではないよ」
「いいえ。知っていましたよ。私のことを教えてくれました。ありがとうございます」
 深く頭を垂れる彼にわたしはもう一度溜息を零した。何だってこの店の客はこういう奴らばかりなんだ。
「私を、此処に置いて頂けますか」
 彼は微笑む。もう元居た場所に未練はないのだろう。晴れやかな表情でわたしの答を待っている。仕方がない。
「断ったところで行く所もないんだろう。貴族の屋敷のように手は行き届いていない、こんな場所でよければ好きに居ればいい。ただし他の奴らと喧嘩でもしてみろ。即刻追い出すからな」
 腕を鳴らして答えてやると、彼は一言返した。
「はい」
 感極まったような声と同時に彼、いやヨランの体が傾ぐ。更にわたしの手の中にあった箱が身震いをした。意識が箱に戻ったのだ。それはいいが、肝心な問題が残っている。
「……おい、箱。この男は当主だろう」
「ええ。ですから、お屋敷までお願いしたいのですが」
 くぐもった声が箱から響く。わたしは、自分よりも一つ頭大きなこの男を眺め、盛大な溜息を吐いた。

 
 プラチナクォーツ――其処は全てを知っているモノの店。

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