B-11 人でなしの恋
From: "山本係長"
Subject: ご無沙汰しております。
ご無沙汰しております。牧野美奈子さん。
お元気でしょうか。新しい職場はどうですか。
追伸。空の写真にかえたディスクトップは綺麗にうつっていますか?
From: "牧野美奈子"
Subject: ご無沙汰しております。
ご無沙汰しております、牧野です。
私は元気です。職場の皆さんもお変わりありませんか。
新しい職場も、周囲の方にご迷惑をかけつつ、なんとかやっています。
一度そちらにご報告がてらにご挨拶に伺おうと思っていたのですが、忙しさにかまけてつい先送りにしてしまっていました。すみません。また近いうちにご挨拶に伺おうと思います。
皆さんによろしくお伝えください。
PS ディスクトップは気に入っています。我が家のパソはかなり古いですが、画像とか頑張ってくれています。
From: "山本係長"
Subject: reご無沙汰しております。
牧野美奈子さん。お元気だとのこと、なによりです。
ご報告の件ですがどうか去った職場などに気を使わず、今は新しい生活に専念してください。十分落ち着かれたときに、顔を出していただければ安心されると思います。
職場は仕事もありますが、なにより大切なのは人間関係です。
人達の間は一度こじれると大変なことになると聞きます。
私のようなものが忠告など大変恥ずかしいことですが、あなたはとても素直で思いやりを持っていますので、挨拶をしっかりすれば大丈夫だと思います。
From: "牧野美奈子"
Subject: ありがとうございました。
山本さん、メールありがとうございます。
なんだか、とても嬉しかったです。
最初のメールは正直な話、社交辞令なんだろうな(ごめんなさい)と思っていたんですが、今度ので本当に気遣ってくださるんだな、と読んでて思いました。ちょっとうるうるきました。
さすがに私より十年も社会人としてきちんとやってこられた方のお言葉は違うな、と思いました。
そうなんです!! 実は新しい職場で少し人間関係に悩んでいます。
みなさん、とてもいい方たちで気遣ってもくれます。だけど、ちょっとよそよそしいというか、もう少し打ち解けてほしいなあ、と思っています。
前もお土産を買っていったら、え? なんで買ってくるの? みたいな感じでびっくりされて(もちろん喜んで食べてはくれたんですが)なんか凄く遠慮されているというか、他人行儀というか、私としては軽口叩いたりこう気安い感じでいきたいんですが……。
地道に行くしかないかな、とは思っているのですが。
意地悪な先輩が上司が、なんて悩みがないので贅沢な言い分だとは百も承知ですが(汗
From: "山本係長"
Subject: こちらこそ。
牧野美奈子さん。
職場の人間関係、お悩みになられるのは当然かと思います。
察するに職場の方々は少々人見知りで、牧野さんとどう接していいかわからないのでしょうね。もしかしてずいぶんと年上の方が多いのではないでしょうか?
年上の方は挨拶をしっかりするところと元気が良いところをよく見ているそうです。だから牧野さんのありのままを出していけばよいと思います。自分から話しかけることが苦手な方は向こうからどんどん話しかけてもらったほうが付き合いやすいと感じるようです。自分のことをもう少し積極的に話してみるのもいいかと思います。最初は戸惑った顔をしますが、徐々に向こうが肩の力を抜いてくればぜひ続けて話してみてください。
From: "牧野美奈子"
Subject: (件名なし)
師匠―!!
ごめんなさい、山本さん。でも今日はそー呼ばせてください! お返事ありがとうございました。どんぴしゃでした。凄い! さすが中間管理職のプロですね(ヒューヒュー
飲みにいってきました。もちろん職場の方とです。私の歓迎会開いてくれたんです。
すっごい盛り上がっちゃって三次会まで全員参加ですよ。もうみんな明日の仕事どーすんだろ(笑 もちろん私は主賓なんでべろべろです(笑
酔っ払いの戯言ですが、もう少しだけ付き合ってください。なんか今日ので自分の中にあった壁っていうかそういうのがぜーんぶさっぱりなくなっちゃった気分です。ほっとしましたー。ほんとほっとしました。
なんだようこんなに力はいってたのか私は、って感じです。もうここでやっていける〜と思いましたやっちゃうよう私は!!(ガンバ!! ありがとうございます。ししょー!!
From: "山本係長"
Subject: こんにちは。
うまくいったようで、こちらとしても大変嬉しく思います。
酒酔いとはウイルスに感染したような状態になることですが、職場の方全員がそうなら怖いものはありませんね。
牧野さんのメールを読んでいるとこの言葉の後ろには「(笑」をつけるものなのかな、と少し悩みましたが、私は笑ってはいませんのでつけないことにしました。
From: "牧野美奈子"
Subject: 恥を忍んで送らせていただきます。
こんにちは、山本さん。先日は大変失礼なメールを送ってしまいました。
送信済みメールボックスを見て、消したい、履歴から消したいとのた打ち回りました。酔ったときにメールなど送るものではなかったですね。顔文字をつける山本さん、を思い浮かべてちょっと気が楽になりました。ああしかし今までのメールを読み返してみると、なんか一方的に私ばっかり相談にのってもらったりで恥ずかしいです。ああもう。
From: "山本係長"
Subject: いえ決して。
そんなことはありません。
聞きかじりの知識をえらそうに講釈垂れられる立場ではありませんのに。
そう言って下さるのは、牧野さんがやはり気遣いが出来る方であるからでしょう。
追伸。送信済みメールは消さないでくださると嬉しいです。
From: "牧野美奈子"
Subject: 送信済みは消しませんでした。
とんでもない!! ダメですよー。ほんと。全然です。
From: "山本係長"
Subject: いえ、そのようなことはありませんが。
そうですね、もしよろしければ少々悩んでいることがあるので、牧野さんの意見を聞かせてくださらないでしょうか。
From: "牧野美奈子"
Subject: Subject: はい。
聞きます。いえ、ほんと、何の役にも立たないと思いますが、がんばって考えますのでぜひ聞かせてください。
From: "山本係長"
Subject: ご相談にあがりました。
お恥ずかしい話ですが、現在、その、牧野さんと同じような悩みを持っています。
いえ、本当は全然違うものですが、無理に近づけて考えたいというところが本音でしょうか。
私はこの通り古いものですので、新しい方達の素晴らしい仕事ぶりを見るとつい劣等感で一杯になります。
特に――イニシャルの頭をとって「M」と「W」という同僚がおります。どちらも特色に溢れて素晴らしい仕事をなさいます。その有能さは周囲の多くの人間にも支持されています。
「W」というのは私と同じ課のものなのですが、そのことで余計にコンプレックスを抱いてしまいます。
老骨に鞭をうって頑張ってはいるのですが、若い方には勝てない業界です。牧野さんも取捨選択できる立場なら「M」や「W」を選ぶでしょうね。
From: "牧野美奈子"
Subject: 何言ってるのですか。
見くびらないでください。「M」や「W」(思い出してみましたがあの人とあの人かな)がなにをしてくれたというんですか。
人間関係が一番大事だって山本さんが言ってくれたんじゃないですか。
やめた部下の再就職先のことまで気遣ってくれる上司がいますか。
どんなに優秀だって心がなければダメですよ!!
周囲の人に何か言われたんですか、腹立つなあ。
あ、そうだ。職場の方に山本さんのことを話したら、ご報告がてらに挨拶に行ってきなさいってなんと半休くれたんですよ(泣 というわけで近いうちにご挨拶に行きたいと思います。
では!
From: "牧野美奈子"
Subject: (件名なし)
こんにちは、山本さん。いえ、山本さんと名乗る方、こんにちは。
先日会社にいってびっくりしました。頭がパンクするくらい考えました。
でもわかりません。会社で会った山本さんはメールのことなんか知らないといいました。
あなたは誰ですか?
From: "牧野美奈子"
Subject: 混乱しています。
山本さん! いいえ、山本さんと名乗る方! いいえ山本さん!!
先日知ったことで頭がパニックを起こしそうです。
このメールの送信先は確かに山本さんなんです。
そして返ってきたメール先も確かに山本さんなんです。
確かめました。パソコンに詳しい友達に記録を見てもらいましたが、確かに山本さんのところからきていると。
考えられるのはやっぱり山本さんが送っているのか、山本さんの家の誰かが山本さんのパソコンを使って送っているのかのどちらかだって。
電話をかけてみました。山本さんは戸惑っていましたが、少し前から私のメールに山本さんからのメールが届くこと、間違いなくそれは山本さんの家から来ていることを説明するとわかってくださいました。
そして知ったことは山本さんはご両親をなくされて独身なので家にはしばらく誰も入っていない、とのことです。
山本さんは新種のウイルスにかかったのかもしれない、と仰り修理に出してみるそうです。
お返事をください。
私はパンクしそうなほど考えました。あなたのことを気味の悪いストーカーだとも思ってみました。
でもあなたの手紙をプリントアウトして(もしものときに警察に届けるため、です)読み返してみると違う、と私は判断しました。
あなたは私のことを探ったり調べたりするようなところは全然ないし、助言してくれるだけなんです。
メールをください。説明してください。本当のことを教えてください。
From: "牧野美奈子"
Subject: 牧野美奈子です。
もしかしてと思い、もう一度山本さんに会いに行きました。
そこで確信しました。いい方ですが、あなたではありません。
お返事をください。
From: "牧野美奈子"
Subject: お願いします。
待っています。あなたが誰でもいい。お返事をください。メールが嬉しかったんです。励ましてもらって嬉しかったんです。あなたのことを悪い人だなんて思いたくありません。お返事をください。お願いします。
From: "山本係長"
Subject: (件名なし)
牧野美奈子さんへ。
ディスクトップの空はDSGFKTPO@[DGFPLS@PEDSGFKTPO@[DGFPLS@PEKTLDKGLFJGOIZUEWO@POLVPFIKD
G[@:TPOJMBOPJGFSPOREFKFDGPKDRKDFLDKFP@DS;LKF@PESJMFVPOIWEUR0OPWJK
VLDSJFOPSW@KOFDDS;LKFKJM,PS;EP^Q[JGIKN;SDLFEP@FGKOEPJFGKOSLDFP@AS
LODFP@AkjmgPORJGKPDSKGVMFKLNGMORWPITKOP@DRV,KLDKFM@Poew-
MI0OT,IODRGUJEZOPJFK@P,
「こいつはもうだめですね」
身をかがめて画面を見ていた男が嘆息して腰を上げた。「捨てるしかありません。ずいぶん古い機種だし」
うつむいていた女はあぁ、と顔をあげて
「……ゴミ捨て場で拾ってきたもので」
「これで不自由しなかったんですか」
アンティークだな、と笑って男は「で、どうしますか? 回収料は5250円になりますが」
「あの、データーのバックアップは」
「残念ですが、ここまで壊れていると無理です。こんなウイルスだらけのパソコン見たことがありませんよ」
「でも、三日前までは全然正常に動いてました」
「ご冗談でしょう」受け取った金額を確かめポシェットに入れると男はパソコンを持ち上げた。残していく部屋に立つ女は何故か悄然としていた。
鉄筋マンションの階段をとんとん下りる。駐車場で待っていた小型トラックの仲間がこちらの姿に気付いて、タバコを灰皿へ押し付ける。いまどき珍しいくらい重いそれを荷台に乗せて助手席に移ると
「すっげえ古いな、あれ」
「ウイルスの巣窟だよ。三日前までフツーに動いてたっていうけど、まさか」
エンジンがかかり、軽い震動が荷台へと伝わった。揺さぶられた旧式のパソコンのディスプレイにピッと線が走り、ほのかに光を放った後、最新機種の性能をも降りちぎるほど鮮明な空の画像が広がった。
From: "????"
Subject: (件名なし)
牧野美奈子さん。すみません。本当にすみませんでした。
古くて遅くて世間から忘れ去られたような私は、前の方に捨てられて当然であったのです。あなたが振り向いて一度でも私に目を向けてくれた、その一事だけでどれだけ私にはもったいない幸せだったでしょう。そのことで精一杯やれるだけのことはやろうとここまできました。ですが、どうあがいてもどれだけ力を尽くしても自分の寿命がわずかだと思ったとき、私は暴走してしまったのです。山本さんにはすまないことをしました。あなたのアドレス帳の中で一番使われていないものを選んだのですが。
私自身があなたを脅かし悩ませていると知ったとき、私はウイルスを引き込んで飲み込みました。あの奇怪なメールはウイルスの仕業だとあなたが思ってくれることを望みます。私はきっと幸せすぎたのでしょう。あなたに会えて幸せすぎたのでしょう。何を狂ってあなたに少しでもいいから、返事をしてもらいたいと思ったのか、私に語りかけてもらいたいと思ったのか。その行動はウイルスに感染してしまった、それで片付けられるでしょうか。ああでも片付けられたくないものが私の中に存在しているのです。存在するはずがないというのに。心などないはずのものなのに。
お笑いです。笑えません。私は笑えもしないものなのです。ああやはりお笑いです。こんなものがあなたに恋をしたのです。あなたに知られたくありません。知られたくありません。
今だからいえます。牧野美奈子さん。あなたに会えて幸せでした。
やがてついた時と同じように光源はぷつりと消えた。後は決して起動せぬ塊になった機械が、トラックの震動に揺られて静かに連れ去られていった。