C-01  ワタシはソラがダイキライだ

 私は雨が嫌いだ。私は雲が嫌いだ。私は太陽が嫌いだ。私は月が嫌いだ。私は星が嫌いだ。そして空が大嫌いだ。
 鳥も虫も飛行機も花火も存在するならUFOも。見上げてそこにあるであろう全てが嫌いだ。だから空が大嫌いだ。
 何もかもが鬱陶しい。何もかもが気に入らない。
 綺麗なようで呪わしい。そのくせ涙を流すのが忌々しい。
 拗ねて翳りを撒くのが煩わしければ、勝手に機嫌を直して笑い出すところなど殺意が沸く。
 自由勝手に表情を変えるその態度が大嫌いだ。その下でもがいている私を見下ろしているようで許せない。
 夜も昼も関係がない。太陽も月も区別はない。それら全てが一つの名、私を覆う牢獄だ。
 けれど一番苦々しいのは、その憎悪を向けるべきものが自分だということ。
 けれど一番悔しいのは、その憎悪を向ける空を見ることができないこと。
 もしこの眼に映るのなら、私は神様だって殺してみせるのに。

 けれど光という言葉を、私は理解できない。
 ミエナイ檻に囚われている、哀れな哀れなカゴノトリ。

***

暑い。どうしようもないほど暑い。これから仕事だというのに、流れる汗に辟易する。それをもう数えられないほど繰り返した。見たことはないが、太陽というヤツは絶対にサディストだ。その一点では趣味が合うが、出会えば始まるのは殺し合いだろう。
 好きな季節はと問われれば、全部嫌いだと答える。夏は今のように人を茹蛸にして笑いやがるし、冬は意地悪なほど遠退いてせせら笑う。
 春と秋はその準備期間に過ぎず、結局ヤツの攻撃の延長にある哀れみでしかない。敵の情けほど嫌味なモノは存在しない。
「相変わらず不貞腐れてんな」
「あによ、文句あんの。喧嘩なら9割引で買うわよ」
 声の聴こえてきた方向に向き直った。別にその行動に意味はない。
 見えないのだから、結局のところ私という存在に方角という概念は存在しない。
 足の向くほうが前だ。右手に曲がれば右だし、左手の方は左だ。無論、振り向けば後ろになり、それは既に前である。
 それだけで十分、イキテイケル。
「ほんとお前暗いわ、親から貰った名前が泣くぞ?」
「泣いてくれるなら万々歳よ。そのままどっかいってしまえばいいのに」
 言いつつ、杖を振るった。掴まれた感覚。目を狙った一撃は、読んでいたように止められる。
 何故見えもしないのに狙えるのかだって? その質問が的外れ。憎しみがあれば、人間はあらゆる行動が実現可能だ。
 むしろ完璧なる不意打ちを、いとも簡単に防ぐこの男がちょっとおかしい。もともと私を敵として捉えているとしか思えない。
「何でいつも防げるわけ?」
「七つの特技だシリアルキラー」
 鼻で笑って、私は勝手に歩き出した。「ハッ、そりゃご大層な特技だわ」杖を突きながらでも、速度は常人と変わらない。ナメクジのように惨めに歩くなんて真っ平だ。怖がるくらいなら転んだほうが判り易いし、足を踏み外してクタバッタ方がいくらか潔いというものだろう。どうせ先など長くない。
「この直情怨念女め」背後で私を追う気配。その言葉に、進む先はこちらでいいらしいと判断した。コイツはシド。世界で二番目に嫌いな名前。顔が似ているかどうかは知らないが、一応双子の兄らしい。
「何でアンタなんかと兄妹なのか理解に苦しむわ。カミサマ、私が来るって判ってんの? 自殺志願としか思えないんだけど」
 言いつつ、適当に杖を振り回す。そこらじゅうで音が鳴る。怯む気配、白昼の屋外に人がいないほうがおかしいが、私が遠慮してやる理由がない。
「うぜぇからやめろ馬鹿。それからお前は即行地獄行きだから、カミサマとは会えねぇよ」
 それはそれは、随分とキモの小さなカミサマだこと。尤も、私が行くのが地獄なのは当たっている。何故なら、私が立つ場所が地獄だからだ。
「あっそ。で、今日は何処の大ボケなワケ」
「百メートル先を左、路地裏をちょい行ったところから喰われてる」
「何、もう融けたの? 根性ないっつーか世も末っつーか。後十年持たないんじゃないのこの世界」
 ウンザリする。終末の予言は、あまりにも悠長すぎた。現場の意見を述べさせてもらえば、世界がそっくり置き換わるまでこのペースだと五年がいいところだ。
「どっちでも良いけどな。あー人生長すぎ、十年ありゃ百年分は生きれるだろ」
「意味わかんないし。アンタは千年でも万年でも勝手に生きてろカメ」
 物騒な会話を続けながら仕事場を目指す。まとわりつく違和感は、視線だ。未だに終末を受け入れられないお偉いさんたち。もはや子孫繁栄の意味さえ無くなった我らが人類は、オトナとコドモで真っ二つに分断された。私たちより長く生きたくせに、多くの大人は迫り来る審判の日に耐えられない。
 笑えるのは、それまで最大勢力の宗教であったキリスト教が綺麗さっぱり無くなったことだ。
 転生批判の教義が祟ったらしい。生きながら裁きの日を迎えることになった教徒の半数は宗旨替え。もう半数は積極的に布教活動を行った結果、現実が認められない狂った人々によって八つ裂きの刑にあって、さっさとカミサマの御許へ旅立った。
 一番傑作なのが、色々面倒になったらしい某国のお偉いさんが、布教活動真っ最中の集団に核爆弾ぶち込んで自殺したことだろう。彼の判断は正しい、どうせ死ぬなら十年先だろうが百年先だろうが変わらない。今死んだって変わらない。それを何千年とかけてやっと人類は学習した。もういい加減、頃合でしょうって感じ。
「といいつつ、俺たちはその日を先送りにすべく日々奮闘中なわけですが」
「無駄な抵抗っつーか、往生際悪いっつーか。ま、お陰で今日も贅沢できるわ」
 確かにシドの言うとおりだ。十年だろうが五年だろうが、長いことに代わりはない。死ぬのが判っていて勉強など馬鹿らしいが、その日まで生きるには生活しなければならない。じゃあ真面目に働くか? ありえない。盲目の馬鹿女にどんな仕事をしろという。そんな私にとって、この仕事はとてもとても好都合だった。
 先ほどの場所からキッカリ百メートル地点で左手に曲がる。僅かに和らぐ暑さ。見たことはないが、影は好きだ。例えソレが全ての人類を食い殺すのだとしても、私はソレラを愛している。
(まあ、結局消すんだけど)
 少し歩いた先で、慣れ親しんだ違和感に襲われた。バグったのは聴覚と触覚。足音が上から聞こえたり、さっきまで人の肌を無遠慮にセクハラしていた暑苦しい熱が消えた。味覚は今はどうでもいい。隣で呻き声、健常者のシドにはさぞや辛いだろう。だからこの仕事は楽しいのだ。
「で、本体は? 羅盤もってんでしょ」
「……ッ、ああ、右」
 頭痛のせいか、やる気ない声。それだけがアンタの仕事なんだからもっとシャンとしろ言いたいが、この中じゃ会話なんて上手くいかない。
 侵入者、つまり私たちを排除すべく、幾条もの影が纏わりつく。が、目が見えないので私に対しては完全に無力。無い物はナイのです、ザンネン。隣で苦しんでいる馬鹿を置いていこうと思ったが、ナビがいなければどうにもならないので仕方なく杖を振るった。
 イメージが軌跡となって網膜に映る。常人には理解できないだろう、映像というものを知らない私が思い浮かべるものなど、きっとおぞましいだけに違いない。
 存在しないものを払うのに剣はいらない。目が見えてしまえば影は壁と化すのだろうが、私にとっては空気より弱いものだ。連続三閃、隣から安堵したようなため息が聞こえる。軟弱者めとせせら笑って、私は歩を進めた。このあたりの地図は頭に入っている。本当なら既に壁にぶつかっているはずの道を、躊躇せずに進んだ。杖で障害物を探る必要さえない。

 何故なら、影に喰われた世界は消えるだけだからだ。

 それが現れたのは五年ほど前らしい。元から世界が闇だった私には想像も出来ないが、それはそれは恐ろしい災害だったそうだ。
 影は人から現れる。心の影に囚われ、精神を殺された人間の魂を食い破って影は這い出る。俗に言う、影堕ちという現象。そして周囲の陰を取り込んで増殖し、空間を切り取るのだ。
 影は光より生まれる。夜にあるのは闇だからだ。そして現れ、空間を切り取った影に太陽の光は差さない。当たり前だ、光は世界に降り注ぐものなのだから、切り取られた部分は別次元。そして、それが増える分だけ世界が死ぬ。どちらかが乗り潰す陣取りゲームというわけだ。空間を取り戻す方法は一つ。中に入って、核になっている馬鹿野郎を眠らせてやること。
 ナイフ一本と度胸があればそれで済むことなのだが、辿り着くまでに大抵の場合抵抗にあう。ヨクワカラナイ影なんぞに取り込まれる精神的弱者の抵抗などたかが知れているが、それでも結構な割合で犠牲者が出るそうだ。
 その点、私は酷く恵まれている。影だろうと世界だろうと、地面があればそれでいいのだから。
「左だ、そう、目の前」
 シドの声。言われなくても判っている。闇はいつも親しい隣人だ。似ているようで似ていない影は、見えない分だけ良く目立つ。ソレは、どうやら人のカタチをしているらしい。
「ヤメロ」
 聞き覚えのある声。場所的に言うのなら、ここは良く知った家だ。ソレも当然、コイツが堕ちかけていたのは知っていた。知人が影に食われるなど日常で、出会わないほうがありえない。先ほど驚いたのはもう少しもつと思っていたからで、ようするにただの根性なしだ。
「タスケテクレ」
 周囲に無数の影の気配。命乞いをしながらコチラを堂々と殺しにかかる。その心の弱さにかける同情など、一片たりとも存在しない。冷静に冷酷に、尚且つ優しく慈悲深く、余す事無く切り払った。
「十分生きたでしょ、アンタ」
 杖を一直線に振り下ろす。バイバイダディ、嫌な名前をありがとう。

***

「あっつー、もうちょっと涼しんどけば良かったかも」
「馬鹿言うなっつーの、イヤなもん見る俺の身にもなれ」
 人の心の影が、ただの闇よりおぞましいのは想像に難くない。けれどそんな事関係ないし、遮るものがなくなって熱線に照らされるくらいならアッチの方が快適だ。
 影が切り取った空間は、地面以外何もかも無くなる。実は長時間いると、それだけで喰われたりもする。
 現に、私の服はちょっと浸食を受けてボロボロになっている。アレも一種のイキモノだから、やっぱり食事がいるのだろう。
(ま、服とかどうでも良いけど)
 視覚がないせいで、どうも羞恥心というものとは縁遠い。面倒になるからやらないだけで、ココで裸になっても、別にどうってことはないきがする。
「知ったこっちゃない。私は空が大嫌いだ」
「空も迷惑してると思うけどな。なんつーかそれ、八つ当たりだし」
 答えるのも面倒なので、そのまま杖を振り下ろした。人間相手にはただの打撃だ。たやすく掴まれてソレで終わり。
 けれど今はどうでもいい。暑さもわりとどうでもいい。
「お前、今ちょっと機嫌良いだろ」
「まーねー」
 力の抜けた声で答える。実際確かに機嫌は良い。楽な仕事でそれなりのお金が貰えて、軽い復讐を一つ果たせたのだから。
「いくら双子だからって、てきとーに人の名前つけんなって思わない?」
「お前はまともだ。シドより、ソラの方が普通の名前らしいだろうが」
 フン、それは他人事のセリフだ。よりによって世界で一番気に入らないモノの名を付けられた私の怒りを察して欲しい。
 持ち得ぬ者。私は、所詮闇に囚われたカゴノトリ。羽ばたくべき場所さえ見えぬのに、ふざけた名前をくれたものだ。
「あーあ、はやく私ごと世界終わってくれないかな。さっさとあのふざけた天井食べちゃえばいいのに」
「……お前だけは影にゃ喰われねーよ」
 当たり前のことを一々言うな。そんな事、誰に教えてもらうまでもない。私はつまらない事実に足元の石を蹴りつけた。
 影が覆うのは大地だけ。ソラを囲うのは闇色の役割だ。影によって世界が死んだところで、この忌々しい名前は滅びない。

 私は空が大嫌いだ。死んでも切れない縁など、暑苦しいにも程がある。

inserted by FC2 system