C-05  真夏の昼の夢

八月に入ってすぐの土曜日、夕飯の後、パパが突然こう言った。
「明日はみんなで森林公園に行こう!」
森林公園は学校の遠足で行った事があるが、とても広くて一日では回りきれなかった。だからまた行けると言うことで嬉しかった。
ボクの家は群馬県にあるので、埼玉県にある森林公園へは車で一時間あれば着く。

家族でのドライブは久しぶりなので、ボクは朝からうきうきわくわくしていた。
ボクたちを乗せた車は滑るように自宅を後にし、橋を渡り、田園地帯を抜け、快調に走っていった。
「さあ、もうすぐ森林公園に着くよ。」とパパの声。
するとどこからか犬の遠吠えのような声がした。何かに追われているような、どこか物悲しい遠吠えにボクの耳には聞こえてくる。
そうしているうちに車は森林公園の駐車場に着いた。多くの車が停まっている事から、夏休み期間中だけあってたくさんの家族連れが遊びに来ているのが分かる。
ボクは犬の遠吠えの事はすっかり忘れて、公園内に入った。
園内に入ると、森林公園の名の通り、公園一帯が自然のままの森に囲まれている雰囲気だ。

ボクは入り口でもらった園内の地図を見ながら(さあ、今日はどこに行って遊ぼうか?)とあれこれ考えていると、パパが、
「みんなでサイクリングをしようか?」と言った。ボクもママも賛成した。
レンタサイクルセンターで自転車を借りると、早速サイクリングを始めた。
真夏の太陽がボクたちを照らしている。しばらくすると心地よい汗が流れてくる。自転車で風を切るのもすがすがしい。
ボクが森の中を自転車で走っていると、また犬の遠吠えがしてきた。やはり森林公園のどこからかで鳴いているみたいだ。
走り始めからて三十分後、木々に囲まれていて薄暗かったサイクリング道路に急に真夏の青い空が広がった。
ボクたちは〔わんぱく広場〕という広い遊び場に出た。そこにはアスレチックがあり水遊び場もあり、まさに子供の為の広場だ。
ボクも久しぶりに広場を駆けたりアスレチックに挑戦したりした。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、もうお昼。
広場の側にあるベンチで、ママが作ってくれたおにぎりと、水筒のお茶を飲む。
大空の下で食べる手作りおにぎりはとても美味しかった。学校の給食も美味しいが、青空の下で食べる食事も美味しい。
パパとママはすっかり疲れた様子だが、ボクはまだまだへっちゃら!
午後からまたサイクリングをしよう!と張り切った。
「パパとママはこの広場で休んでいるから、その辺で遊んできなさい。森林公園は夕方五時で閉まってしまうから、必ず五時までには南口に帰るんだよ。」との言葉を残し、ボクは再びサイクリングを始めた。

林の中の道を自転車で進むと、また犬の遠吠えが聞こえてきた。今度は今までのよりも格段にはっきり聞こえる。もしかしてこの辺りにいるのかもしれない?と思った。
ボクは思い切ってサイクリングコースを外れ、林の中に入っていった。
少しは自転車に乗って林の中の道に入っていけたが、しばらく進むと小川の流れが道を遮っていた。
(どうしよう……。)ボクは考えた。どうせ遠吠えの主が野良犬なら別に怖くないし、埼玉の森林公園にオオカミやヒョウが居る訳が無い。
(とりあえずは安心かな?)ボクは決意した。
ボクは小川の脇に自転車を置いて、小川の中に足を入れる。
小川が浅く流れが緩やかなので楽に渡れた。小川を越えた先は更に深い森になっている。
「行こう!」ボクはまるで冒険家になったかのように張り切って森の奥に進む。

森の中は光があまり入らなく、うっそうと茂っている。犬の遠吠えは森の中であちこちから聞こえてきた。反響しあい色々な方向からに聞こえる不気味なうなり声。
今気がついたのだが、遠吠えのほかに何か銃みたいな物を発射する音も時々聞こえる。
ボクは少し怖くなってきた。けど、(たかが鳴き声だ。)と思い、もう少し奥に進んでいく事にした。
最初にもらった地図では、位置から判断して確かこの先に進むと〔彫刻広場〕という所に繋がっているみたいなので、遠吠えに驚きながらもボクは進んだ。
しかし、行けども行けども彫刻広場には着かない。その逆でどんどん森が深くなっていく。
(あれ……おかしいな……。)ボクは不思議に思ってもう一度ポケットの中からくしゃくしゃになった園内地図を取り出して広げて見た。
確かにボクが自転車を降りた所から道なき道を直線に進むと彫刻広場に抜けることができる。
(もしかしたら道を間違えたかな?)と心配した矢先、ボクは森の奥で一箇所が光り輝いているのに気づいた。
「やっと出られる!」ボクは今までの不安な気持ちが一気に吹き飛び、ほっとした。


その【光】の先は、ボクが予想していた彫刻広場ではなかった。
どこかに彫刻のような物があって普通であるが、どこにもない。ただ何もない広い広い空間。透き通った青空と地平線の果てまで何もない野原。
今まで時折聞こえていた犬の遠吠えはすっかり消え、鳥のさえずりがわずかに聞こえる程度であった。
ボクは(森林公園内にこんな所ってあったっけ?)と不思議に思った。
少し考えた後(もしかしたらここは新しく公園を作っている場所なのか?!ボクは道を間違えて、工事中の広場に入ったんだ。)という事を考えた。
けどこの考えも何か違う。
(埼玉県にこんな広い空間ってあったっけ?車で森林公園に来た時も、周辺は住宅地や田畑ばかりでこんなに大きな野原はなかったはず。)
そう考えると少し心配になってきた。ひょっとしてボクは悪い夢でも見たのではないかとも思った。
(ここは本当にどこなんだろう???)ボクはだんだん心細くなってきた。
(変なところに迷い込んでしまった。一体ここはどこなんだ!そして元に帰れるのか!?)
もしかしたらボクは日本ではない変な空間をさまよってしまったのではないか!とも思った。
(つまらない事で森の中に入らなければよかった…………。)ボクはパパとママに会えなくなるかもしれない心細さと自分のしてしまった軽はずみな行動に悔やんで半分悲しくなってしまった。

すると、どこからか人の声がしてきた。
「キミは誰?」
ボクは振りむいた。しかし、そこには人間ではない小さい生き物が空中に浮かんでいる。
天使?いや違う。天使なら頭の上にリングが浮かんでいるが、それがない。
するとひょっとして……エルフ??
エルフはファンタジー系のコミックやテレビゲームにもよく登場する妖精として知られている。現実世界にはいない架空の生き物が目の前にいる。ボクは本当に夢を見ているのか??
すると、「私は妖精のアニー。よろしくね。君の名前は?」と、かわいい声がした。一応人間の言葉を理解し、日本語を発することができるらしい。
「ボクの名前は原田翼、十歳。ツバサって呼んで!」
「ツバサ君だね。けど十歳でエルフを知っているとはすごいね。」
「だってエルフはマンガやゲームにもよく出てくるし、ボクのパパが乗っているトラックは『エルフ』って言うんだ。だからエルフと言う言葉を覚えたんだ!」とボクは自慢げに答えた。
アニーは『トラック』と言う単語を初めて聞いたのかきょとんとしている。
「ところでここはどこなの?」とボクは尋ねた。
するとアニーは言った。「ここは動物とエルフがともに仲良く暮らす世界。キミのような人間が来る所ではありません。」
「ボクは森林公園の森の中で迷っているうちにここにたどり着いたんだ!」と必死に訴えた。
アニーはボクの言いたい事が判ったみたいで、
「なるほど、キミも日本の埼玉県にある森林公園から来たのですね。最近森林公園から来る人が増えて、私も何人か送り返しているのよ。」
ボクは、(今までに何人もの人間がここに迷ってきたんだ。)と思った。
さらに「私はこの世界に迷い込んだ人間を元の世界に連れ戻す仕事を任されてるの。」と話してくれた。
エルフたちは、地球上の各地で人間の開発によって住みかを追われている動物たちを住みよい世界に送ってあげるため、時々人間界にやってきて罪のない動物たちを安全な世界に移送している。
しかし、エルフ用の出入り口は一箇所開けたままになっている事から時々そこから人間が迷い込んでしまうという。

突然アニーの持っている小さな羽で大空に大きな丸を描くと大きなプレートのような物になった。
「この羽はね、空に書いた物が何でも本物になる不思議な羽だよ。私たちエルフしか使うことのできない道具なの。」とボクに教えてくれた。
アニーは言った。「ツバサ君、このプレートの上に乗って。」
ボクが乗ると、プレートはふわりと浮かび上がった。そしてプレートは上空数百メートルのところで静かに止まった。
上空からは、家も道路も鉄道も全くない、日本とは別の世界であった。ただそこにあるのは野原と森と川と空だけであった。
アニーがボクの肩に止まり、こう話した。
「この世界は地球と違って人間の手が入っていない自然がいっぱいな動物たちの楽園よ。」
そう言うとボクを乗せたプレートはゆっくり下降した。
ボクが地面に降りるとプレートは自然と消えた。

草原を歩きながらアニーは、
「キミがさっきまで居た森林公園は、大昔は豊かな自然あふれる丘陵地帯だった。やがて【森林公園】として整備する事によってあちこち自然を壊していった。土地の開発を食い止めることはできないが、せめてそこに住む生き物だけは救いたい、と思ったのが始まりなのよ。」
ボクは質問した。「すると、さっきまで森林公園で聞こえていた犬の遠吠えは?」
アニーは間髪をいれず、
「この森に住む野犬の声の事ね。この辺りに心無い人が飼っていた犬を捨てていって、野良犬になってしまったのを、私たちが一匹ずつ捕獲してこの国に送っているの。もちろん生きたまま連れて行くことができないから……。」
ここまで話すとアニーは持っている羽でまた空に絵を描いた。それは長い銃の様な物だ。
「これを使って動物に向かって銃を放つの。命中すると眠ってしまうので、眠っているうちにこちらに送っているのよ。まあ、私にはまだ使いこなせないけど。」
ボクは納得するとアニーは羽を振った。すると銃は跡形も無く消えた。本当に不思議な羽である。

「残念だけど一度破壊した自然は再び戻すことはできない。だからといって開発が全ていけないという事ではない。日本でも、ここの森林公園のように自然を残している地域もあるし山村もたくさん残っている。だからこそツバサ君のような子供に自然の素晴らしさを教えようと思って神様がここに誘ってくれたんだよ。」
アニーはそう言い終わると羽を取り出して空中に大きな鳥の絵を描いた。
真っ赤な大きな鳥がボクの目の前に現れた。
「鳥の背中に乗って!大丈夫、怖くないから!」アニーの声が弾んだ。
ボクが鳥の背中に恐る恐る乗ると鳥はゆっくりと羽ばたき始め、大空を飛んだ。
草原から森へと景色が移って行く。眼下にはたくさんの動物がのんびり暮らしている。しかし所々で動物たちの熾烈な争いも起きている。
「弱肉強食の動物たちの世界……。地球では大昔から繰り広げてきたごくごく当たり前の風景なのよ。」
「そうかー。動物も生きていくには他の動物を殺さないといけないんだよね。」
「動物界では当たり前の光景が、ここだけでしか見られなくなってしまわないようにしていかないと、ね。」
ボクは鳥の背中から見た風景こそが自然そのものであると感じた。
学校では教えてくれないことをアニーに教えてもらった様な感じであった。

ボクはすっかり時を忘れて不思議な世界で楽しんだ。
鳥の背から降り、再び地上に降り立った。鳥はそのまま大空へ飛び立った。
アニーは花の絵を描いた。描いた花はそのまま地面に植わり、見る見るうちに一本の花がどんどん増えて辺り一面が花畑になった。
アニーが雲の絵を描くと雲は次々と空に浮かんでいった。
ボクは花畑の中で、流れていく雲や鳥を眺めていた。マンガやゲームも楽しいが、何もしないでぼんやりとすごすのもたまにはいいなと感じた。

この世界にも【時間】が存在するのか、太陽が西に傾き始めていた。
突然ボクははっとした。
(早くこの世界から帰らなくちゃ!)
時間がたつのを忘れて遊んでいたのでついうっかりしてしまった。
ボクの行動を察したのか、アニーは、木の絵をたくさん描いた。
木は次々と増え、森に変わって行った。まるでボクがこの世界にたどり着く前に居た薄暗い森林の様であった。
「アニー、これは何?」と聞くと、
「この森の道を抜けるとツバサ君がさっきまで居た森林公園に戻れるよ。」と一言。
「ありがとう!」僕は喜びながらアニーに礼を言った。
最後にアニーは満面の笑みを浮かべて言った。「今日はここに来てくれてありがとう。キミたち人間がもっと自然と共存できる日が早く来ることを願っているよ。さようなら。」
ボクも「楽しかったよ。またいつか遊ぼうね。」と言うとアニーと別れ、森の中を駆けていった。

ふと気がつくと、ボクは小川の前に立っていた。小川の向こうにさっきまで乗っていた自転車が止まっていた。やはり夢ではなかった。
ボクは(帰れたんだ!!)と喜んだ。ボクは自転車に乗り、ポケットの中に持っていた地図を見ながらパパとママの居る南口まで急いだ。
ボクはようやく南口にたどり着いた。ゲートの近くにあった時計は四時半を回っていた。
ゲート付近のみやげ物店にパパとママは居た。
ボクを見るなりパパは、「遅かったね。心配してたんだよ。どこに行っていたの?」
「サイクリングをしてきたんだよ。」とボクの一言。もちろんあの世界に行ったこともエルフのアニーに会ったことも内緒。
ママはボクの背中を見て、「あれ、こんなところに鳥の羽と花びらが……。」
ボクは(やばい!)と思い、しどろもどろになりながら、
「サイクリングロードの途中で芝生があったから、そこに寝そべっていたんだ。その時にくっついてしまったのかも。」と答えた。
ママも納得したみたいだ。
ボクは、この鳥の羽と花びらは、【アニーの世界に行った証拠】として大切な宝物にしようと決心した。
「さあ、家に帰ろう!」一家は森林公園を出た。
車の窓から後ろを向くとさっきまで居た森林公園がだんだんと遠ざかって行く。ボクが大人になる時も、この森林公園が緑に囲まれた自然をずっとずっと残してほしいと思った。
帰りの車の中で、花びらと鳥の羽を見ながら(またアニーに会いたいな!)と思った。

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