C-06  ルシフェルの系譜

 薬剤庫は空っぽだ。
「全部丸ごと? やられた……」
「ブロック病院に連絡をいれろ。午後の予約が二人入ってるぞ!」
「どうしてこんな」
「推理は後だ、後!」
 主任は小走りで通り過ぎながら「パニクるなよ」と部下に声をかける。そして、一番最後に俺の顔を見た。


「――昨夜盗まれた薬剤は、抗HIV薬ばかり……ここって、エイズの治療してるっすか」
「午後に患者が来るんで、話があるなら早くしてください」
 俺は意識して無愛想な顔で、院内を歩き回り、彼の顔を見ないようにしていた。
 やってきた探偵――名前はもう忘れた――は、病院長の知り合いで興信所に勤めている中年親父だ。神経質そうに髪を撫で付けながら歩いている。ちょっと猫背で、痩せ型……あまり傍にいて気持ちのいい親父じゃない。
 彼は俺の後ろをテロテロと歩いて、小さな声で「話があるのはそっちだろ」と文句を言っていた。さらに、人っ子一人いない院内を見て「経営大丈夫なんかなあ」と余計な一言。
 探偵は独り言のように話し始めた。
「その薬剤庫から消えた薬を渡す予定だった患者ってのは、これから会う人ってわけだ」
 俺はすっと足を止めて、彼を振り返る。
 院内をぼんやりした顔で歩いていたそいつは、突然止まった俺に気づかずにそのままぼふっとぶつかってきた。
 よろめく彼を押しのけて、俺は冷たい声で答えた。
「刑事さん」
「いや、それ、俺は違いますから」
「何だって良いんだよ。てめーと患者をあわせる気はない」
「…………」
「これ以上一言もわめくな――治療の邪魔だし、迷惑だ。かぎまわらずにもうとっとと帰れ」
 知らん顔で彼から離れ、昇降機に乗り込んだ。
 俺は血液内科、感染外来の担当医。エイズの治療なんか義務でなければ誰が好んでやるもんか。
 日本では現在、一万五千人近くのHIV感染症患者がいるが、これは氷山の一角。毎年千人以上の新規感染者が見つかっている。近い将来、累積患者が三万人ぐらいは軽く越え、糖尿病と並ぶ一般的な病になると予想される。
 HIVは1981年に初めて世界に発見され、その後、その死亡率の高さから社会パニックを起こしたウィルスの名前。当時はゲイシンドローム、しばらくしてAIDS(後天性免疫不全症候群:エイズ)と呼ばれるようになった。当時はAIDSを起こせば例外なく100%死亡した。治療薬はなく、不治の病で致死率が高い……となれば、誰だってこの病を恐れる。
 AIDSを治療したというだけで経営不振に陥り、廃業に追い込まれた病院がある。その後、医療関係者は公然と、いや、隠密にこの感染症患者を遠ざけてきた。
 だが、1987年に最初の抗HIV薬(AZT)が登場して以来、エイズを取り巻く医療業界は様変わりした。
 今は、薬さえあればAIDSを発症しても、滅多に死ぬことの無い病になった。国はエイズ患者の受け入れ先となる地域ブロック拠点病院を各都道府県に最低一つは設置することを決め、集中的に治療できる環境を整備した。また、ブロック拠点病院に協力する中核拠点病院というシステムも作った。それがうちの病院。これでエイズ患者が公然と社会的に抹殺されることはなくなった――だが、いまだにエイズは世界4位の死亡原因。薬を飲まなくちゃ、死ぬ。
 それがごっそり消えた。
「――で、エイズ……失敬。例のブツ、被害額ってどれほどー?」
 背後霊のようにボソッとした声で俺の後ろに張り付き、一緒に昇降機に乗り込んできた。
 俺はため息をついて振り返った。
 探偵親父は片目だけちょっと上げて、皮肉な笑みを浮かべている――帰る気はないようだ。ずうずうしい奴。
「薬で結構です。ちなみにエイズってのは症状の名称で、薬剤は対ウィルス名で」
「その薬剤はお高いんでしょー?」
「……俺は自分で買った事は無いのでね」
「保険とか補償とか」
「いちいち煩い話をするおっさんだな。面倒だから、きっとあんたを呼んだんだろ」
 六階につくと声もかけずに外に出た。その男もニヤニヤ笑って後に続く。
 いつも無人の院長室を覗いてみたが、案の定。昼の休みに誰かがいたためしは一度も無い。
 ただでさえ、閑散としてしまっている昼休み。一般外来も午前の診療を終えて、休みに入っている――手持ち無沙汰になった。次はどこに逃げればいいんだろう?
「ふふふ……保険屋にかぎまわられたら面倒って訳だ」
「あんたにかぎまわられるのも同じぐらい迷惑だが」
「……あんたも言うね」
 人気の無い廊下を歩いてエレベーターに乗り、医局に戻った。俺たちが部屋に入ると血液内科の主任が「あ」と呟いて、慌てて立ち上がった。
 俺の顔を見て小さく舌打ちしていた――ここにつれてきたのは都合が悪かったらしい。
 俺も片目を閉じて目をそらしつつ、探偵からそっと離れた。
 主任は仕方なさそうに笑みを作り――明らかに迷惑そうな作り笑顔だが――俺達の傍に来た。
「どのようなご用件でしょう?」
 探偵はかかかと笑ってこめかみを指先で軽くかいた。
「そいつは――ちょっとご挨拶だな。今朝、いきなり呼び出したのはそちらですが?」
「いきなり来られても、対応はできません。病院長には」
「いなかったぜ」
 探偵は傍にあった椅子に勝手に腰掛けて、背伸びをした。
 俺と主任は無言で目を合わせ、そらした。
 探偵が煙草を取り出したので、すかさず看護師が「院内は禁煙です」と注意する。探偵は居心地悪そうに煙草をしまう。
 看護師が俺の傍に来て「何ですかぁー?」と耳打ちをする。俺は「今朝のやつで」と短く答えた。昨夜の事件を聞いた彼女達は訳知り顔でようやく口を閉じてほくそ笑んだ。
 その時、部屋の奥にいた来客が奥の個室から出て来て、少し驚いた顔になった。
 俺達はバツの悪い顔になって彼から目をそらした――探偵には見せたくない人物だった。
 探偵は「ふーん?」と言いながら、俺の顔を見上げる。その間に客は軽く俺に頭を下げて出て行った。
「――で、今のは?」
「ふぅ……個人情報の守秘義務」
「じゃ、勝手にかぎまわってみるか」
 探偵はそんなことを言って、再び煙草を取り出して口にくわえた。
 看護師長が「禁煙」と言いかけて、止まった。探偵は一本指を前に出して「加納!」と言う――忘れていたが、それが奴の苗字。
 主任がそっけなく答えた。
「元医局員の佐伯先生だ。地元で開業して時々こちらの勉強会にも顔を出す」
「医師ですか」
「ちなみに昨夜の彼のアリバイも話しましょうか?」
「やめてくださいよー、俺は刑事じゃないんだから、ははは――で、何ていう病院?」
「……。内科と婦人科をやっているんだ。妊婦にはHIV抗体検査をしてる。患者を紹介されることもあってね」
「なるほどね……そういうつながりですか」
 そういうことを確認するあたりは刑事っぽいと思うが。佐伯先生に注意が向いている間に俺はそっと医局を出た。
 午後一時から外来が再開する――予約患者の中には、HIVキャリアも待っている。
 俺と同じく緊張気味の顔をして、医師が二人出てきた。
 俺達は互いに目をあわせ「厄介なのが来たぜ」と誰とも無く呟いた。


 医局員は医師が5人、看護師が4人、それに助教、講師、助教授、教授が一人づつ。
 加えて、薬剤師が8人、事務局員が6人、警備員まで入れると被疑者というカテゴリーに入る人物は30人以上。
 他の医局員まで入れると面倒だが、抗HIV薬を欲しがる科があるとは思えない。
「俺はね、誰が盗んだのかと言うより、どうして盗んだのかを考えるべきだと――病院関係者の中にエイズ患者がいて盗んだんじゃないのー?」
 と、加納。はた迷惑な推論をぶっ放す奴だ。内部の犯行、か。
 午後の診療が終わって、俺は一度医局へ引き上げた。驚いたことにまだ例の探偵がいた。
 俺は煮詰まってしまったコーヒーを捨て、新たに豆を入れてコーヒーメーカーを動かす。片手間に彼の質問に答えた。
「俺達の力も借りずに自分に適した薬剤を見つけられるなら大した医師だ」
「へえ……そういう自負があるんだ?」
「抗HIV薬は副作用もひどいし、23種類もある。体質によって使える薬剤が異なる。勝手に盗んで使えるってものでもない」
「……じゃ、どーして盗んだの?」
「……盗まれたのか?」
 俺はそう問い返して、彼を見た。探偵――いや、加納――は苦笑いして口を閉じた。
 しばらくして「あ、俺も」と言って、空になったカップを差し出す。図々しいぜ。
 出来立てのコーヒーを自分のカップに注いで、立ったまま休憩する。
 主任がやってきて、俺の傍に来た。
「部屋は?」
「あ、いつもの」
「ふん……さっき薬がきたぞ」
「判りました」
 消えた薬の代わりが来たみたいだ。間に合ってほっとした。僅かな会話を交わして、彼は最後に俺の肩をポンと叩いた。
 俺は深くため息をついて、コーヒーを口に入れた。時計を見て、時刻の確認をする。
 時計の針が4時を回る前、俺を呼びに来た看護師を見つけて声をかけた。
「加納さんにコーヒーを入れてあげて」
「あ、はい……それで、天宮先生」
「判ってる……もう行くよ」
 そうして、彼女にカップを渡して部屋を出て行く。
 だが、加納はにんまり笑って「これから会うんですね」と声をかけてきた。俺は振り返らずに扉を閉めた。
 少し歩いてから医局を振り返ったが、付いてくる奴は誰もいなかった。俺はほっとして用意した個室に入った。


 病院にやってくる患者の八割はゲイだ。だが、もちろん、異性愛者でHIVを持っている奴も多いはずだ。統計上出てきていないだけ。
 ヘテロセクシャルでHIVを持っている奴が病院に来る時は、大抵AIDSを発症している。ゲイは可能性が高いと言われるだけ抗体検査を受けて事前にきちんとケアをするので、実は扱いが楽だ。
 一度AIDSを発症し、抗HIV剤を使用すると後は死ぬまで薬剤を飲まなくてはならない。
 一剤が五-六万はするという薬剤だ。それを二剤から三剤組み合わせたカクテル療法(HAART療法)を行うので、総額は一月に二十、三十万はする。それが一生続く。並みの稼ぎではとても払えないだろう。だが、日本国民ならば、国民健康保健のお陰で医療費負担は三割。それで10万以下に抑えられる。一度でもAIDSを発症すれば障害者認定も受けられるので、福祉制度を利用してさらに安くなる。患者の自己負担は現在、一割未満。負担は月にゼロから三、四万程度だ。
 昨夜消えた薬剤の代わりに、地域ブロック拠点病院から薬剤を分けてもらった。
 薬剤の横流しは珍しくない。というのも、HIVはもともと変異性の高いウィルスで抗HIV薬も一剤だけではすぐに耐性がついてしまうから多剤同時併用療法が開発されている。使えなくなったらその薬はどれだけ残してあっても全て破棄。だから、お上から交付金のある規模の大きな拠点病院以外は、高額の薬を常備しておくことは難しい。しかも使えなくなったらすぐに別の薬を用意しなくてはならない。
 使えなくなるぐらいなら、他所に流したって構わないだろ。だから拠点病院間は案外気楽に薬が行き来する。開発途中の新薬の治験も来るしね。今回のような緊急事態に頼りになる。
「――で、探偵さんがきちゃったんだぁ? 先生も大変だね」
 血液検査の結果を一緒に眺めながら、患者と世間話をしていた。
 この日、俺が担当した患者は30代の女性。
 自身は夫の発病で検査を受け、HIVポジティブが発覚した。普通の一般家庭でHIVが見つかると大抵はどちらが浮気をしたのかって話になるけど、幸い彼らは結婚してからまだ5年目。AIDSの潜伏期間は平均10年だ。10年前の話なんて彼も私もわかんないわよ、と互いの肉体関係については不問としたようだ。夫婦が同じ病と言うのも幸いした。どちらか一方だけが感染していたら、面倒なことこの上ないのだが。
 彼女の夫は先月まで集中治療室に入って感染症予防と薬剤の投与からくる副作用に悩まされていた。今はウィルス量が安定し、免疫機能も回復してきたので外来治療に切り替えている。
 彼女もすぐに治療が始まった。
 AIDS関連疾患はまだ見られないが、免疫機能を示すCD4(体細胞免疫の一つ)の値が200を切っていたからだ。体調も悪く、肌の色つやも悪かった。彼女は、年のせいでしょ、と化粧を重ねて隠していたが。肌の乾燥はエイズ患者にはよくある症状の一つだ。
「一体誰が呼んじゃったの?」
 彼女は定期健診の結果を横目に見ながら、別の話をしたがっていた。
 俺は彼女の免疫機能が少し下がっていることに気が付いていたが、あえて何も言わずに別の話をすることにした。
「病院長、かな?」
「わざわざ探偵を雇うなんて、犯人がここにいるって知ってるみたい」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ――ちょっと薬の話をしても?」
 俺は話を元に戻す。とたんに彼女の顔色が少し悪くなった。
 CD4の値は先月の投薬から下がっている。一時500を超えていたが、最近は再び300を切りそうだ。毎月下がっている。これに反してウィルス量は微増。明らかに薬の効果が出ていない。
 今の薬ではダメかもしれない……彼女は既に五つの薬剤に耐性がある。夫のウィルスは既に多剤耐性形のHIVだった――その時点で俺は彼の浮気相手はセックスワーカーだったんじゃないかと思うけれど。
 今度の薬で効いてくれればいいのだけれど。
「――私が使える薬はまだあるの?」
「あるよ。毎年新しい薬が出てるんだから」
「でも、一剤がダメになる時間が早いよね……やっぱりこの病気って嫌ねー。すぐに耐性がつくんだもの」
 彼女は少し明るい顔でそう言った。でも、その言葉の重みは俺も共感している。
 医療関係者に配布されるエイズ対策マニュアルだって毎年更新されている。俺達はまだ誰もエイズについて心底理解し、安心して確信しながら医療をしているわけじゃない。いつだって、これでいいのかな、と思いながらヒヤヒヤして現場に立たされている。頼むからAIDSを発症するな、外科に行ってくれるな、妊娠してくれるな、事故を起こしてくれるな、平穏無事に寿命まで生きてくれって思っている。
 俺には何も出来ないって、言えない。
 薬だって本当に安全なのかどうなのか、よく判らない。でも、日本の治験制度にのっとって抗HIV薬を認可しようとしたら、今以上にたくさんの患者が死ぬ。時間が無いんだ。既に23種類の薬剤のほとんどに耐性のある患者だって出てきてしまっている。早く新しい薬を、早くたくさんの薬を開発してくれないと……彼らが死ぬんだ。
 だけど、それは――俺の仕事じゃない。薬剤を作る奴らを拝むしかないぜ。
 既に薬はあるんだ。有り余るほどたくさん。なのに、彼女が使える薬はどんどん消えている。
「先月、新しい推奨薬の情報が来たんだ――それを使ってみよう」
「どんな副作用があるんですか?」
「うーん……下痢や頭痛」
「今までと同じかな」
「うん。やってみようか?」
「別の薬って無いんでしょ」
「……何だってあるよ」
「また、嘘ばっかりー」
 彼女は明るい笑顔で手を振った。俺は少し空しくなったが、にっこり笑って「本当だよ」と念を押した。
 その後、生活の悩みやストレスの解消法なんかを指導して、薬の処方箋を渡した。彼女はいつも「やっぱり先生でよかった」と約束のように呟いて帰っていく。
 俺はその言葉が心に重くて仕方がない。絶対に逃げちゃいけない、って思うんだ。
 彼女たちを誰が助けられるんだろう……きっと、俺たちしかいない。何も出来ない非力な俺たちだけ。
 ただ薬を配る、それだけが俺たち医師にできる仕事。


 再び医局に戻ってきたら、既に外は暗かった。さすがにあの探偵も帰っただろうと思っていたが、まだいた。
「――患者は二人だったみたいですね」
 俺の顔を見るなり、そういった。怪訝な顔で見ていたら、加納はにんまり笑って「医師がまだ一人帰ってこない」と言いながら、名札入れを指差した。
 医局に彼をつれてきたのはやはり失敗だった。医局員が今、どこにいるのかを記したボードが彼の前にドンと置かれてある。午後五時三十分。看護師は既に大半が帰宅。教授たちも帰宅。
「昨日、病院長に会いましてね」
 加納は冷めているコーヒーをずっとすすって舌を湿らせる。
 医局には、今、主任の他に医師が1人。
「薬剤を違法に破棄している奴がいるから突き止めてくれって言われました。医療現場から出たゴミは指定の方法で捨てないと罰せられます」
「抗HIV薬がゴミだって言うのか――そのゴミを欲しがる奴は山ほどいる。この豊かな日本でな」
 俺はそんなことを呟いて、加納の前に腰掛けた。
 主任がゲホっと咳をして背を向けた。加納はちょっと片目をあげて、ほう、と言いたげな表情で俺を見る。
 彼は確認してきた。
「天宮先生……あなた、ゴミを出しているんですか」
「ここは血液内科だぞ。知ってるだろうが、血液も立派な医療廃棄物だ」
「抗HIV薬のことです」
 しらばっくれる気も失せた。俺は足を組んですわりなおし、加納を正面から見て笑った。加納もにんまり笑って首をかしげた。
 薬の横流しについて、院長が気付いていたとは驚きだ。
 彼は病院の経営しか頭にないのだろうと思っていた。
「日本のセックスワーカーの中には、不法就労者もたくさんいてね」
 主任がコーヒーをカップに入れながら、話し始めた。俺はちらっと彼の横顔を見た。主任は苦々しい顔で俺を睨んでいる。
 彼だけに全てを説明させる気も無かった。俺は途中で彼の話を受けて話を続ける。
「不法就労者は日本の国民健康保険制度に守られていない」
「そして、もっともHIV感染のリスクが高い人たちだ。彼らを買うのは日本の男」
 部屋の隅にいた医師が割り込んだ。俺たち三人は一瞬口を閉じて、互いの顔を見つめあった。少し苦笑いして再び目をそらす。
 加納は一人でコーヒーを飲んだ――「報酬は?」
 俺は呆れた顔で彼を見た。彼は驚いて「無報酬?」と天を仰ぐ。
「あんたらってバッカだなー。医者以外にはなれない奴だね」と、加納はカップを机に置いて笑う。「……で、協力者は佐伯先生ですか」
 俺は思わず顔をそむけた。加納は俺の顔を覗きこむようにして、身を乗り出した。
 嘘をつく気も無かったが、彼は別だ。今、彼は医局員ではない。
「彼は関係ない」
「いつも薬を持ち出すのは佐伯先生なんでしょ? で、そこから外国人労働者に流すんだ」
「それは想像だな」
「元医局員なら、合鍵ぐらい持っていませんか? 夜勤のシフトも知りませんか? 嫌疑がかかっても皆さんで守るつもりなんでしょ?」
「想像だ」
「でも、あんなに大量に盗まれたことは初めてだったでしょう――だから、慌てて彼を呼んで話を聞いたようだけど、あれは佐伯先生の仕業じゃない」
 加納はそう言って、再び机の上に置いてあるカップに手を伸ばした。
 俺は身動きが出来なくなってごくりと息を飲んだ。加納が何の話をしているのかが判らない。いや――判りすぎていたのだが。
 冷たくなったコーヒーを飲み干して、彼は言う。
「ゴミを違法に捨てた人物が誰なのか……俺は知っていますよ」
 俺は加納を睨んで腹を決めた――この病院が俺たちを捨てられるわけが無いって知っている。
 拠点病院でAIDS治療の最前線に立ち続けられる医師なんて俺たちの他にいるわけが無い。
 切れるものなら切ってみろ。
「昨夜のアレね――院長ですよ。これで犯人が困ると思ったそうです」加納はコーヒーカップを持ち上げて続ける。「外国人に対する福祉策ね……偶然だな。院長も市町村や域内の拠点病院を巻き込んでゴミのリサイクルについて考察中らしいっすよ。だから勝手に産廃を持ち出されるのは困るんですって。今回の件、心配しなくても大きな事件にはなりませんよ。真犯人がこれっきりで辞めてくれればね――あ、もう一杯もらえます?」
 そう言って、空になったカップを傾け、加納は笑った。
 食えない奴、そう言いながら俺は苦笑いした。加納は、あんたらもね、と囁いて片目を閉じた。

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