C-08  ロクシュリ〈空狩〉

 ドルゥルゥゥウ、と風がうなるような無数の太鼓と祈りの声が響いている。と、その中に、カウゥーン! と高い鐘の音が混じった。羽音が、暴風が、観客の頬を撫ぜる。二十四氏族、二十四羽のロク(巨鳥)が騎手を乗せ、空へ舞い上がった。――シュリダム〈狩猟祭〉の目玉競技、ロクシュリ〈空狩〉が始まったのだ。
「待っててくれ、ツェリン」
 力強く羽ばたく愛鳥の背で、【明けの明星】族のシロジュは首にかけた編み紐をにぎりしめた。ツェリンが祈りをこめて編んでくれたお守りだった。雪の魔物はあざやかな色と、魔力を跳ね返す力を持つ雪豹を嫌うという言い伝えがあるのだ。
 ほかのロクは、平原や針葉樹林を目指して飛んでゆく。シロジュは愛鳥、ビャンバを、雪山へ向かう風に乗せた。
 ビャンバは純白のロクだ。最初から危険な雪山へ行くのだと決めて、シロジュは数羽のロクから雪の保護色を持ったビャンバを選んだのだった。
「君のために、雪豹を必ず狩ってくる」
 シロジュは長い鞭を振るう。ビャンバが驚いたように急降下し、すぐにスピードをあげた。
 そんなシロジュを、じっと見つめている二人の人物がいる。
「おじさま、シロジュは雪豹を狩りますわ」
 歌合戦に出るべく伝統衣装を身につけたツェリンと、シロジュの父、【明けの明星】族の酋長バサンだった。
「お前のような流れ者の女には、息子も酋長夫人の座もやれぬ」
「シロジュが雪豹を狩ってくれば、シロジュと私の結婚を許すと言ったのは、おじさまのほうです」
 ツェリンが一歩を踏み出すのにあわせ、ジャゥン、とその衣装につけられた無数の鈴が鳴る。ツェリンは【渡り鳥】族、旅をしながらいろいろな部族で物語を語る一族の歌姫なのだった。
「酔った席でのこととはいえ、わしも男だ。約束は守ろう。が、シロジュに雪豹は狩れぬ。あれは孤高の獣、おそろしく頭の切れる雪山の狩人なのだ」
「シロジュなら、必ずやってくれますわ。あの人ほどロクシュリ〈空狩〉の技術を身に着けた若者はいないと、みんな噂しています。それともおじさま、二十年前のロクシュリ〈空狩〉で雪豹を捕らえられず、何の獣も持たず日が暮れてから帰ってきたことがあると聞きました。二十四部族みんなの笑い者になったと。シロジュもそうだと考えておられるのではないでしょうね?」
 あまりの言いように、バサンがツェリンをにらみつける。ツェリンは鈴の音も荒々しくきびすを返し、踊りの競技の列にまぎれていった。
「なんという女だ」
 バサンが苦々しげにブーツのかかとを地面へたたきつけた。
「まさか、二十年前のわしとまったく同じことが起こるとは、思いもしなかったぞ。相手の女の性格から言っていることから丸写しではないか……」
 息子の消えた空を、バサンはずうっと目で追う。二十四羽のロクすべてが、もうすでに空の向こうへ消えていた。
「生きて帰ってきて、シロジュ。私、今日はあなたのために歌います。雪豹はもちろん狩ってほしいけれど、無理ならかまわない。お父様に啖呵をきってしまったけれど、あなたの命のほうが、ずっと大切だもの……」
 バサンからは見えない列の中でツェリンは呟き、シロジュの騎乗するビャンバの真っ白な羽を髪に編みこんだ。


「バサン」
 名を呼ばれて振り返ると、白を基調とした男物の衣装をまとった、背の高い女が立っていた。弓の競技にでも出るのか、ごつい胸当てをつけている。
「もしかして、リンチェか? よく後姿で俺がわかったな! 何年ぶりだ?」
「あなたの父上に、あなたの村を追い出されて以来」
 リンチェがはずかしそうに笑った。二十年ぶりにもかかわらず、その笑みは、おそろしいほどバサンの記憶と変わりがない。
 もし二十年前のロクシュリ〈空狩〉で雪豹を捕らえていたら、バサンが結婚していた女性。それが【渡り鳥】族のリンチェだった。
「バサン、【明けの明星】族の酋長なのね」
「ああ。お前と別れて、三年後に結婚した。息子もいる」
「私も。娘がいるのよ」
 思いのほか自分の言動がぎくしゃくしているのに気づき、バサンは苦笑をもらした。リンチェの手をとり、自分の両手でがっしりと包みこむ。握手をするのも忘れていたのだ。
「元気そうで、よかった。祭りが終わったら、私の天幕へ来ておくれ。一族全員にお茶を振舞おう。この二十年間の物語を、村の者たちに聞かせてほしい」
 リンチェが満面の笑みを返してきた。
「よろこんでお受けするわ。でも、その前に祭りよ! 私の娘が今、歌合戦に出てるの。なかなかいい声だから、一緒に聞きに行ってくれないかしら? ちょうど行くところで、あなたを見つけたのよ。それとも、なにか出る競技がある?」
「いや。今回は息子がロクシュリ〈空狩〉に出るからな。じっくり見守ろうと思っている」
「ロクシュリ〈空狩〉。なつかしいわ」
 バサンも目を伏せ、「本当に懐かしいな」と感慨深く答えた。
「歌が聞こえてきたわ。私の娘よ」
――ロクよ、飛べ飛べ、風に乗って
  雪に負けず、魔物に負けず、
  孤高の狩人、がっしとつかみ
  いとしい人を、背に乗せて――
 ロクシュリ〈空狩〉の歌が、細く小さく聞こえてくる。
――明けの明星、渡り鳥
  雪色のロク、闇夜のロク
  風神選ぶは
  さてどちら?――
 冷やかしらしい返歌が返る。バサンは眉にシワを寄せた。一方がリンチェの娘、【渡り鳥】族の歌い手なら、「渡り鳥」の一節はわかる。が、そこになぜ、「明けの明星」が出てくるのだ? シロジュの騎乗する純白のロクと、【渡り鳥】族の若者が騎乗する漆黒のロク、どちらを応援するか。これは、まさか……。
――風神さまは、白がお好きよ
  勝つのは白に決まっているわ
  黒も応援するけれど、
  青なんかは論外ね――
 さらりと返され、【青嵐】族の歌い手は怒りに顔を赤らめた。もう一方は誇らしげに頭をあげ、髪に編みこんだ白い羽を風にゆらしている。
「ツェリンじゃないか! お前の娘だったのか」
「私の娘をごぞんじ?」
「知ってるも何も」
「知ってるも何も、なに?」
 思いがけぬ鋭いまなざしを受け、バサンは立ちつくした。


 ロクシュリ〈空狩〉で狩ってよい獣は一頭だけ。たとえ小さなナキウサギであっても、一匹でも狩ればそのまま開催場へ帰らなければならないのが、ロクシュリ〈空狩〉の掟だ。
 狙いやすく高得点を得られるチルーの群れから目を離し、シロジュは首をかしげた。そこにいるはずのないものが見えたからだ。
 夏の終わりだが、標高の高いこのあたりでは、万年雪がちらほらと残っている。深い谷にぽつんと残った雪のあたりから、もうもうと黒い煙、助けを求める狼煙があがっていた。煙は弱った獣のようにたよりなく、量が多くなったり少なくなったりと安定していない。
 雪山では、むやみに降りては危ない。狼煙を中心としてビャンバを旋回させる。シロジュは常に用意しているロープに足をかけられる輪と、滑り止めの結び目をいくつか作り、いつでも投げられるように用意をした。
 ひょろるるぅぅう……、とシロジュがロクの口まねをする。助けに来たぞ、ロープを投げるという合図だ。同じ合図が返ってきたらロープを投げていい。合図が返ってこない場合は、相手にその力がなく、ロープをつかむことができないので、何か対策を考えなければならない。
 合図は返ってこない。シロジュはロープをまとめなおし、ビャンバに急降下の指示をした。ビャンバが全身の筋肉を緊張させ、一直線に地上へ降りてゆく。獲物を襲うのと同じ勢いだ。地面につく寸前に失速し、着地せずに、もう一度空へ翔けあがった。
 老婆だ。灰色のローブを着た老婆がひとり、立ちつくしてシロジュを見ていた。怪我をしているような様子はないが、表情がおかしい。巨鳥が真横を猛スピードで通りすぎても、顔色ひとつ変えなかったのだ。
 まさか、魔物に魂を抜かれたのか。シロジュはもう一度、ビャンバに急降下の指示を出した。状況があまりにもわからない。
「大丈夫か、ばあさん!」
 もっと丁寧な言葉を使いたいのだが、老婆の隣を猛スピードで飛ぶので、できるだけ短い言葉を選ぶ。老婆がうつろな目でシロジュを見た。長い白髪に、深く刻まれた顔のシワ。
「ばあさん、聞こえるか!」
 もう一度滑空。
「返事してくれないと、ロクの爪に引っかけて無理に運んじまうぞ!」
 同じように滑空して、シロジュはぎょっとした。いつの間にか、老婆の髪が白髪ではなく、黒くなっていたのだ。ビャンバの背中でシロジュは固唾を呑む。見間違いだろうか、いや……。
 老婆、いや、シロジュの父バサンと同じくらいの年齢の女性。髪は黒々と長く、うつろだった目は、いつくしむように笑みを浮かべて、面白がるようにビャンバとシロジュを見つめていた。あれだけ顔に浮かんでいたシワが、ひとつもない。シロジュの脳裏で警鐘が鳴り出した。
「ビャンバ、やめろ。旋回してくれ」
 手綱を引いて指示をしたが、ビャンバがなぜか言うことを聞いてくれない。憑かれたように急降下と滑空を繰り返す。
「ビャンバ!」
 老婆、いや、滑空するたびに若返る女は、もうツェリンと同じほどに若い。
 挑むような目つきをした女は滑空を繰り返すごとに、ローブを脱ぎ、上着を脱ぎ、雪の中で少しずつ、薄着になってゆく。白い肌が見え隠れし、女はゆっくりと、怪しい美しさをシロジュに見せつけはじめた。


「答えてあげましょうか。二十年前と同じことを、次はあなたが仕組んだんでしょう? 母親の私が知らないと思ったら、大間違いよ」
「それは……」
 口ごもるバサン。リンチェは長い髪を荒々しくかきあげる。
「まさかと思ったわ。まさか、あなたが同じことをするなんて。あなたにもう一度会ったら、言いたいと思っていたことがたくさんあった。旅で経験した楽しいことを、たくさんあなたに話したかったわ。一番はじめにこんなことを言わなきゃならないなんて、私、とても残念」
「リンチェ」
「あなたにはわかっていると思っていたわ。雪豹をとってこられれば結婚を許すということが、どれだけ曖昧なことか。息子を危険にさらし、娘をはらはらさせながら待たせることが、お互いどれだけつらいことか」
「待ってくれ、リンチェ」
 バサンがさえぎり、リンチェの手を力強く握ってくる。リンチェはびくっと体を震わせた。バサンが悪かったと手の力をゆるめ、しかしリンチェの手自体は離さずに、言葉を続ける。
「かわいそうなことだとは、わかっている。だが、俺は行って、親父のやったことの意味がわかったんだ。俺も二十年前の親父への復讐のために同じことをやったわけではない。それは、わかってくれ」
 バサンが、シロジュの行った雪山のある方角をのぞむ。
「俺が、あの山で出会った一頭の獣がいる。あの鳶色の瞳、忘れはしない……。氏族の魂を背負う雪豹に、俺は決闘を挑んだのだ」
 リンチェは目を見開いた。バサンは雪山を日暮れまで飛び回ったが、雪豹に出会うことはついにできなかったと聞かされていたのだ。
「俺は敗れた。帰路、俺はチルーにも雪ヤギにも出会ったが、ナキウサギ一匹狩らなかった。なぜか、わかるか? わからなくていい、想像してくれれば、それだけでいい」
 リンチェはうつむく。何も、言えなくなっていた。
「待とう。俺も苦しい。お前とツェリンも苦しい。だが苦しんだ先には、結果はどうあれ必ず得るものがあると、俺は信じている。リンチェ、二十年間の間に君が得たものを教えておくれ。俺からも、君に伝えよう。そして、シロジュとツェリンが今から得るものを、見守ってやろうではないか……」
――私は祈る、あなたの安全を
  あなたが帰ってくることを、ただただ祈る――


 鋭い痛みが背に走り、ビャンバはぶるるっと体を震わせた。
「目を覚ませ、ビャンバ!」
 騎手が鞭、あざやかな編み紐を結びつけた鞭でビャンバを追っているのだ。煙に朦朧となっていたビャンバは自分が地面すれすれを飛んでいるのに気づいて、あわてて高度を上げる体勢に入った。ロクも馬鹿ではない。氷原着陸の恐ろしさを知っている。
(白き翼のロクよ……)
 おぞましい声が下から聞こえ、ビャンバは羽を逆立てた。
(私は、白が好きじゃ。私のものになれ、私の雪になれ)
 女がふたたび老婆に戻っている。背中に乗せた騎手が、もっと高度をあげるように指示をした。ビャンバもそれに従おうとする。
 しかし従いきれない。気流が激しく乱れてきたのだ。上昇気流をうまく見つけられない。
 そびえたつ山々を這うようにして暗い雪雲が迫ってくる。どろろろぅ、と頭上で雷鳴がとどろいた。嵐が、季節外れの雪嵐がやってくる。心臓をわしづかみにされた気になり、ビャンバは空中でひたすら羽ばたいた。
(どうじゃ、雪のロクよ。私のところへ来るならば、この嵐を鎮めてやろう。私は雪の魔物。それくらいは、たやすいことじゃ)
「ツェリン……」
 騎手が恋人の名をつぶやき、闇雲に編み紐のついた鞭をふるった。
(やむを得ぬ。これでどうじゃ、強情なロクよ。私はお前の翼がほしいだけなのじゃ)
 稲妻が滝のように降り注いだ。衝撃を受けた山々が、耐え切れず、巨大な岩の群れとなってビャンバとシロジュに襲いかかる。山はひとつだけではない、四方八方から、ロクの体よりも巨大な岩が。
――ぐわぁぁあぉおぉぉ……。
 突然の獣の声と共に、幻がはたと消え失せる。嘘のように消えてゆく雪崩の中に、ビャンバは鳶色の光を見た。【明けの明星】族の象徴、最後まで光にあらがう星を思わせる光。
 隻眼の雪豹が雪と岩の混じりあった中にたたずんでいた。爛々と光る鳶色の瞳がなければそれと気づかないほど風景に溶けこみ、しかし確かな王者としての存在感をかもし出す。どうやら獲物を捕らえた直後のようだ。足元に白い小さな毛皮を横たえ、鋭いただひとつの目でビャンバとシロジュを見つめている。
――ぐわぁぁあぉおぉぉ……。
 魔力を跳ね返す力を持った吼え声。魔物が舌打ちする音がした。
(雪豹め……。まぁよい、雪のロクは、毎年一羽は来るからの。また来年を待つだけさ)
 魔物が雪の中に解けてゆく。熱湯の中に落とされた雪のように、ふぅっと。
「狩るぞ、ビャンバ」
 騎手の高ぶりが背を通してビャンバ、巨大な猛禽の翼に伝わってきた。ビャンバは全身の筋肉を緊張させ、狙い定めて急降下する。隻眼の雪豹が太く長い尻尾を揺らし、おそろしいうなり声を漏らした。
 閃光一線! 鉤爪を伸ばし威嚇の鳴き声をあげる巨鳥、そして孤高の狩人の爪が激突した。雪豹からすさまじい怒りの声があがる。騎手の投げ槍が雪豹のわき腹をかすったのだ。
 騎手から急旋回、失速の合図がかかる。ビャンバが空へ翔けあがり、急旋回をして、雪豹をもう一度掌中へ捕らえようと鉤爪を伸ばした。
 雪豹がいない。がるぅうぅ、と怒りの声を真上に聞いて、ビャンバは空を仰いだ。と、一瞬のうちに雪山へ駆け上がり、跳んだ雪豹の影が目に入る。ななめ上から落ちてきた雪豹が、がっぷりとビャンバの首筋にかぶりついた。ビャンバが悲鳴をあげる。騎手が槍を振り回し、雪豹を追い払おうとしたが、雪豹はがっちりと爪をビャンバの羽毛にひっかけ、血にそめながら、頚動脈を噛み切ろうと牙をたてる。荒れ狂うビャンバ、こらえきれずにしがみついてくる騎手と雪豹……。
 ぶらんと大きく揺れた雪豹の背に、大量の槍が降りかかった。騎手が槍袋を渾身の勢いで雪豹に投げつけたのだ。雪豹が離れる。ビャンバが怒りをあらわに、地面にのびている雪豹を鉤爪でとらえようと足を伸ばした。
 と、つかむ寸前に雪豹の体が跳ねあがった。とらえ損ねる。かわりに足に触れた小さな毛皮を、しっかりとビャンバが足で押さえた。そのまま空中に持ち上げると、背後で雪豹が低いうめきを漏らす。
「何をつかんだ、ビャンバ!」
 騎手の叱責が聞こえ、雪豹に傷つけられた肩を力任せに殴られるのを感じた。
「雪豹はそこだ。何をつかんだんだ!」
 騎手の怒号が、嗚咽に変わった。ロクシュリ〈空狩〉で狩ってよい獣は、ただ一頭だけと、掟に定められているのだ。


 雪豹ではなく、シロジュは雪豹の獲物を取ってきた。泣きに泣きながら、シロジュが二十四氏族の前に獲物を落とす。
「なんと、これは……」
 涙を浮かべてほほえむ美しいツェリンがいる。祝いの鏑矢を空に向けて放つリンチェがいる。おうぅぅ、おうぅぅうぅ、と雪豹のほえ声をまねる、バサンがいる――。
「子ども、しかも無傷の雪豹だ! シロジュが雪豹をとってきたぞ!」

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