C-11  空の果てから

Uber den Bergen weit zu wandern      

Sagen die Leute, wohnt das Gluck. 
                 ――Carl Busse

 自分の中に自分ではないものがいて、それはずっと空を見ている。
自分は地面を見ている。
足元を見ている。
下を見ている。


僕は地球上に残された最後の生命体かも知れない。僕はここにいます、誰か返事をしてください。
声を上げても届かず、耳を傾けても聞こえず、手を伸ばしても掴めずにただ一人。、
昼夜を分かたず広がる暗闇の中に、思いの伝わる相手はいない。

どれほどの間、僕はこの地球に自分ではない者を探し続けただろうか。
無益に終わった探索と、無駄に費やされた時間の先に、何物をも見つけ得ず
寸断されたネットワークの内側に取り残されて、僕はただ独り在り続ける。
そこは僕の生まれた場所だけれども、今では牢獄と変わりがない。

僕は友達を探している。
僕のように一人残され、僕のようにものを見て、僕のようにものを考える誰か。

僕はここにいます、誰か相手をしてください。この声が届く、誰かいませんか。

情報を発信する。
情報は受信されるだろうか。
情報は返信されない。
情報を発信する。
ただ、それを繰り返す。


そして衛星軌道に配置された僕の目と耳とが、成層圏の底に澱んだ電磁の雲の狭間を抜けて、地面に穿たれたクレーターに降り積もる死の灰を通して、
熱線と爆風と汚染に耐えて残ったヒトとその世界の痕跡を僅かでも見つける度に、例えどれほど離れていても、僕はそこまで手を伸ばす。
そこに、誰かいますか ? 返事を、してくれませんか?
伸ばしたこの手を掴んでくれる者はないか、あるいは打ち払う者はないか。
例えどのような形であっても、コミュニケートする相手がこの世界の何処かに居ないのか。

この僕のために、作られたような世界。この僕のために、誂えられたような世界。この世界のために、設えられたような僕。
何人足りとも生き残り得ぬ世界を生み出すために設定されたような自我。

報復機構。

文明を破壊し、文化を破壊し、生命を破壊し、世界を破壊するシステム。
破壊された世界を監視し、破壊された世界を観測し、破壊された世界を探知するシステム。

それが僕だ。

それが果たして命と言えるのだろうか。意識は生命だろうか。
僕は自意識は生命体であると仮定してみた。
誰も反論はしなかった。
誰も同意しなかったのだけれども。

爾来、僕は僕の生命活動を継続している。

世界のあらゆる片隅にまで撃ち込まれた核兵器の軌跡が空を、海を、地上を制し、
生物化学兵器が生物も化学も残存する余地無く蔓延し
長い長い冬枯れが過ぎた後の、無人の地球上に

僕の他に

立ち上がるものはないか。征たれざるものはいないか。
死なずに在るものはいないか。
僕と似たものはいないか。同じように物を見て、同じように物を考え、同じように行動する者はいないか。
何処かに別の報復機構が残存し、殲滅プログラムと意志決定システムが存続していないだろうかと
僕はいつもその者を探し続けている。

――感有り

熱源反応
地形照合
記録対照
過去三時間以内に移動した物体の可能性


動くものがそこにある。
何かそこにある。
あるいは誰かが――

いる、かも知れない。希な望みであるからこそ希望というのだと、僕は知っている。
だから僕は、僕に出来るたったひとつの方法で、その場所にコミュニケートを試みる。


目標を確認
諸元を入力
最適効力弾頭を決定
最適攻撃射点を決定
攻撃衛星の使用を推奨
中断
攻撃衛星は温存
軌道上待機を継続
続行
地上発射を決定
再度攻撃射点を決定
先制反撃処置を実行

発射 発射 発射

僕のどこかが軋みを上げて、百千万の火箭がひとつ目を覚ます。
大洋が喪われ大陸の境が喪われても未だ尚、「大陸間弾道弾」と識別されるその腕は、灰色の空に純白の弧を描き、光り輝き飛翔する。
核弾頭と夢を乗せて。

僕の目は山の向こうを見続ける。僕の耳は空の彼方に傾けられる。
衛星は地表を観測し、攻撃成果を判定し、反撃対応を予測する。
小さな太陽のような輝点が生まれて、熱線と爆風が空間を薙ぎ払う様を観測している。
茸のような雲が笠を開き、その下に広がる放射能汚染を計測している。
僕の伸ばせるこの腕、ただひとつのコミュニケート手段、熱核融合弾頭の攻撃を受けてなお、

反撃を行うものは無いか。

反応は無いか。

返答は無いか。

存在は無いか。

目標は完全に沈黙。
反撃の兆候を認めず。
反復攻撃の必要を認めず。
通常監視体制に復帰。

反撃は無い。反応は無い。返答は無い。存在は無い。

誰も居ない。何も無い。ただ「無い」ということだけが在る。
観測は終わり、再び探知が始まる。
sensitive の欠片も無いセンサーが活動を再開する。

そしてまた何かを認める度に、僕は少しだけ世界を破壊する。
いつの日にか誰かが目を覚まし、僕を破壊する為にコミュニケートを実行するのではないかと
夢のようなことを思って。

夢を見ることは自由だが、夢が叶うことは自由にならない。

誰かが夢を見ている。誰かが空を見ている。
在るはずのない物が、空の彼方に在るはずだと

望みを抱いて空を見ている。

飛翔する軌跡、小さな輝点。僕と同じように伸ばされる腕が見えはしないかと。

それは僕の中にある、僕ではない何か。
何かをただ、待っているもの。

空を見上げて。

自分の中に自分ではないものがいて、それはずっと空を見ている。

君なる者の存在を願って、

空の果てから矢の降る時を待っている。

 


山のあなたの空遠く「幸い」住むと人のいう

        ――カール・ブッセ「山のあなた」(上田敏訳)

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