D-05 ぼく、ボスです
初めまして。ぼく、ボスです。
ああ、いや、そう呼ばれてるだけです。
洞窟とか、城とか塔とか、そういう所。ダンジョンっていうんですかね、そこの大体奥にいるのをそう呼ぶんだそうです。
ぼくは、とあるネットゲームのダンジョンのボスです。
名前は、ベータ版では『デュラハン』だったのですが、本稼動では『ロードデュラハン』、バージョンアップ後には『ダークデュラハン』、今の2.0では元の『デュラハン』に戻ったので…………まあ、名前はないです。
あ、ベータ版とかバージョンアップとか分ります?ベータ版っていうのはゲームが本稼動する前のバージョンで…………。
って、ああ、分りますか? 良かった、話が通じて。
んでもって、ぼくの仕事は殴られることです。あ、決して殴られ屋とかじゃないですから!
え、分ってるって? 話が早くて助かります。
ぶっちゃけ、倒されるのがダンジョンのボスの仕事なんですよ。これはこれで大変なんですよ、混んでる時は、次から次へとお客様が来るんですから。一回倒されても間髪入れずに、はい次、なんて。
あのですね、殴られるのっていっくらボスのぼくでも痛いんですよ!
笑わないで下さいよ、本当に痛いんですから。痛いなんてもんじゃ済まないんですから。
あなた殴られたことあるんですか。オヤジにだって殴られたこと無いでしょう…………あれ?ぼく今変な事言いました? 微妙な顔しないで下さいよ。
え? ネタはやめろ? 失礼ですがぼく、テレビは見たこと無いんですよ。ず――――っとボスでしたからね。
要するにですね、ぼくにそのネタが本当には分らないように、あなたにだって殴られる本当の苦しみは分るかってことなんですよ。
殴ってる方はいいでしょうよ。どうせコントローラーとかキーボードなんでしょ?
ぼくは自力で頑張ってるんですからね! がしがし殴るイメージでやってるんですからね!
ぼくも欲しいですよキーボード! いいの知りません?! ああそれ以前にぼく、お金持ってませんね!
それだけじゃないんですよ。
ぼく、秘密守るの苦手なんです。
それがなんで困るかって? いやあ、大事ですよこれ。
一応、ぼくはストーリー上、悪の幹部ってことになってます。設定からいうと中間管理職っていうか、かなり下っ端ですけど…………って関係ないですね。
んで、困るのは何かっていうと、本筋知ってないと悪役面できないじゃないですか、だからストーリーの裏は全部知ってるんです。
すっごい困るんですよこれ!
だって言いたくなっちゃうじゃないですか裏!
あの勇者っぽいNPCの妹が実は悪の教祖が取り付いてる本体だとか、あの仮面っぽい敵は実はラスボスの仮の姿だから倒しておくと後々セリフが変わるだとか、あのイベントがじつはラストへの伏線だったとか、次のイベントは12月に起こるとか!
知ると言いたくなるでしょ! 推理小説って奴もそうみたいですよね。
で、いつだったか本当に、尋ねてきたお客様に言っちゃったんですよポロっと。おかげ様で大問題になっちゃって。結局プログラムバグで別のボスのセリフが出ちゃったってことになって、全体ストーリーも少し変わって…………ぼく? 勿論大目玉でした。
ボス降格とか言われて脅されました。
正直期待しました、はい。
だってただ洞窟の奥で倒されるの待ってるより、歩き回れる雑魚敵のがいいじゃないですか。
ハイ、本題に入りましょう。
なんで、ぼくがここにいるかですね。
正直言うと…………逃げ出して来たんです。
ああああ頼みます通報しないで! 会社に通報しないでっ!
もう耐え切れないんです。本当に嫌なんです。殴られるのも殴るのも。おっかない服装で四季関係なく年がら年中最深部に居座るのもうわははははは勇者どもよここで死ぬのだとか毎回言うのもレベル高いお客様にゴミとか言われるのもレアアイテム目当てに一日に何度もボコられるっていうか一撃で倒されたりするのもえーとそれからっ!
はぁ、はぁ。
…………あ、有難うございます。ぐびぐび。
冷たいお茶なんて初めて飲みました。本当においしいんですね。
どうやって逃げてきたか、ですか。うーん、言いづらいんですけど。誰にも言わないで下さいよ。会社もそうですけど、本当に誰にもですよ。
逃がしてもらったんです。
とってもいい子でした。ゲーム始めたばっかりで。小学生、っていうんでしょうか、キャラクターとしての外見は大人の魔法使いでしたけど、お客様自体は子供だったんです。
ネットゲームはおろか、普通のゲームさえ、あまりやったことがないような子でした。
感情移入が凄くて。倒される時にぼくが、つい「やめて、痛い」って言っちゃったら、本気で悲しい顔をして心配してくれるような子でした。
ゲームに慣れた他のお客様なら、シナリオ上のセリフだ、と気にも留めなかったでしょう。でもその子は、ゲームの設定を半分本気にしていたんですよ。
勿論、現実とも思ってなかったでしょうね。機械の中の話ですもん。でも、全くの虚構とも思えなかったのかな。
ぼくと初めて相対したときは本気で怖がってました。
ぼくに攻撃するとき、「ごめん」って思わず呟いちゃってました。
その子がよく訪れるようになって、ぼくの方はゲームのコツとかこっそり教えてあげて。代わりにぼくは、ダンジョンの外のこと、ゲームの外のことを教えてもらいました。
森。街。ショップ、セーブ屋、闘技場。
学校、公園。友達。先輩。お父さん、お母さん。
楽しそうだなあ、って言ったら、その子ってば、一緒に行こうって言うんですよ。「ちょっとだけならみんなも困らないよ」なんて。
普通に話してるだけでも規約違反です。あまつさえダンジョンから出るなんて。ぼくはボス降格どころか、初期化されて消されて、殺されてしまいます。
だから、しばらくは色々と誤魔化しながら断わってました。そうやって、その子がぼくに飽きるのを待つつもりでした。
所詮、ゲームなんですよ。子供だって大人になります。
気持ちが変わったのは、本当にその子が来なくなってからです。
ほっとしながらも、寂しかったです。寂しくなきゃ嘘でしょ、これだけ辛い労働条件の中での唯一の華だったんですから。
悪いことしたなとも思いました。実は体調を崩してログインできなくなったのかなとも考えました。会社にバレて、アカウントを消されたのかとも思いました。
ああ、アカウントっていうのは登録情報みたいな…………ああ、いいですか、はい。
不安でした。凄く心配しました。
はい。気付いたらその子のことばっかり考えてました。
でも、その子がどうしたかなんて調べる方法はありません。ぼくは一介のボスなんですから。
でもって、それから5年くらい経った頃でしょうか。
メールが、来たんです。
凄いでしょ、ぼくはメールアドレス持ってないのにですよ。
その子は、なんとハッカーになったんです!
…………汚いなあ、お茶を噴出さないで下さいよ。はい、ティッシュ。
本当です。ええ本当です。その子は、親の意向でゲームを止めなければなりませんでした。受験とかいうものの所為だそうです。
でもその子は、ぼくともう一度だけ話したい、その思いで、ゲーム会社に就職する夢を持ちました。頑張って勉強して、けれど夢を叶えるまで待てなくて。
そして、ネットゲーム環境の現状を知り、ハッカーになったんです。
その子からのメールには、「必ず助けてあげる」とありました。
「何年かかっても、必ず出してあげる」とありました。
彼女に会わなければと思いました。
そして、空を見ました。
ぼくは初めてダンジョンの外に出ました。
会った者全てを攻撃するよう仕込まれている雑魚敵が襲ってきましたが、曲りなりにもぼくはボスです。みんな熨しました。
出口のプログラムがぼくを通してくれるかとても心配でしたが、平気でした。
眩しい感触と共にぼくが変換され、再構築されて、ついにダンジョンの外に出て。
そして、初めて空を見ました。
空です。
綺麗でした。
あんなに青ばっかりなのが不思議で、どれくらい見上げてたのかわかりません。
白いのは雲って名前だったよな、とか、夜になったら黒くなるのか、とか、あの子に教わったことばかり思い出して、泣きそうになりました。
綺麗なのは作り物だから? 現実の空はそんなに良いものじゃないって。そうですね。ぼくは、ずっと作り物の中で暮らしてたし、現実を知りません。
けれど、作り物は本物がないと出来ないと思います。この空の元になった、本物の空を確かめたい。そう思ったから、ぼくはゲームの外にも出たくなりました。
一度そう思ったら、あとは簡単でした。意外なほどロックがヤワかったんです。外に出ようと思うボスがいるなんて、会社は思いもしなかったからでしょうね。
それからいざ出たら、どうしたらいいか迷ってしまって。その子に何とか連絡を取ったら、ここを紹介されました。
だから来ました。
ぼくを守って欲しいです。ゲームの外にいても平気なようにして欲しいんです。お願いします。
それが、ぼくがここにいる理由なんです。
「……………………」
編集長は、困惑して真っ白な頭のままで湯のみを置いた。
机を挟んで目の前にいる青年の、その真摯な瞳を見ると、すっきり直ぐ断ることも出来なくなってくる。
西暦3997年。進化したクローン技術によって、人間以外の生物から知的ポテンシャルを持った生命を作り出すことが成功して20余年。今やコンピューターは生体の時代。
工業、軍事始め、ゲームのシステムまでもが生体コンピューターに頼っている。生体コンピューター無しでは現代の文明は考えられないのだ。
これだけの発展を成し得たのは、ひとえに生体コンピューターを酷使することが許されたから。人間以外の生物から生まれた彼らはロボットと同じ。人権が与えられるどころか、誰にも「ヒト」とは見られない。
現に、サルとイルカと鳥類の「あいのこ」のような青年の容姿は、人間とかけ離れた気持ちの悪いものに相違ない。このようなものに人権を与えようなどと編集長も思えなかった。
だが、あまりに知性的なその言動に、同情を禁じえなくなることも確か。
新聞社のオフィスに、件の少女が生体コンピューターの青年を送り込んで来たわけは、やはり生体製品酷使の抑止を訴えかけさせるためだろう。ジャーナリズムを志す編集長に、この状況を見捨てることが許されるのか。
それでも苦戦を強いられるのは目に見えている。何より、生体コンピューターの権利を認めたら、世界の動きは半減、それ以下になる。現代社会の便利さを享受する人間に、この状況を訴える権利があるのか。
大変難しい問題である。
編集長はキリキリ痛む胃を抱えながら溜息をつくと、青年の受けてきた痛みを思った。
「すまん」
結局、編集長は青年を拒絶した。
オフィスの窓からは、青さを失った白と灰混ざりばかりの空が、のしかかるような圧迫感を日常的に持ちつつ、今日も見えていた。
そうして現在。
生体コンピューターの元ボス君は、中学生の少女を筆頭にする若いハッカー集団と一緒に、権利を得るための活動を地下でしている。
コンピューターだけにプログラミングはプロハッカー以上に上手いし、伊達にゲームのシナリオに関わっていなかったので文章も達者だ。
街中では例え車で移動していても白い目で見られ、生身で外に出たら捕まるので散歩さえ中々できないが、濁って汚染された現実の空の下、彼は非常にたくましく生きている。
今の趣味は絵を描くことで、目下勉強中。
描く絵はおおよそ、真っ青なゲームの空なのだが、「いつか現実もこうするんだよ」が彼の口癖だそうな。