A-01 ミズと小さな秘密基地

 グッと頭を持ち上げ、ミズは後ろを振り返る。
「どうだっ?」
 自慢気に問いかける先で、弟のワムがキョロキョロと部屋を見渡す。
「すごいよっ」
 二人が入ってしまえばもういっぱいで、思うように身動きもできない。だが、それでもワムは、兄が一人で作り上げた秘密基地に驚嘆の声をあげた。
「すごいよっ」
 ただそれだけを繰り返す弟。ミズはエッヘンと誇らしげ。胸を張り、天井すれすれの高さから弟を見下ろす。
「兄ちゃん、これ本当に一人で作ったの?」
「そうだっ」
「父ちゃんにも、爺ちゃんにも手伝ってもらわなかったの?」
「当たり前だろっ」
 今度は少々不機嫌そう。頭の上から弟を怒鳴る。
「だいたい、父ちゃんや爺ちゃんになんか言ったら、こんなところに基地なんか作れるかよ」
 確かに、と納得したようにワムはペコッと頭をさげる。
「でもさぁ、そうするとやっぱ、見つかったら怒られるよねぇ」
「だから秘密基地なんじゃないか」
 まったく、これだから子供は困るよ。
 うんざりとため息をつき、天井を見上げた。もう目の前が天井だ。
「ここは、ボク達だけの秘密の基地だ。ここからボク達は出動するんだっ」
 その言葉に、ワムはなおいっそう頭を下げる。そうして下げた頭から、不安そうに目だけで見上げる。
「ねぇ 本当に行くの?」
「当たり前だろ。なんだ? お前、怖くなったのか?」
「だってさ」
 詰られて、でもワムは胸の内の恐怖を吐露せずにはいられない。
「だってさ、母ちゃんがいつも言ってるじゃないか。体が透明になっちゃうよって」
「あんなの脅しだ。だいたい、雨が降ったら見てもよくって、それ以外の時にはダメだなんて、言ってるコトがいい加減だ」
「だって、雨が降ってない時に見たら、白くって大きなモノがパァッて振ってきて、それでボク達の身体も白くなって、どんどん白くなって」
 ワムは、母親から教えられた話を一生懸命思い出す。
「それで最後には真っ白になって、見えなくなっちゃって、いなくなっちゃうんだよ」
「バカだなぁ」
 意気込みながら説得を試みる弟の言葉を、一蹴する。
「なんでそんなコトがわかるんだよ?」
「きっと、誰かが本当にそうなっちゃったんだよ。それで、みんなに教えてくれたんだよ」
「それがバカなんだよ」
 ミズは伸ばしていた腰を曲げ、ワムの頭の上に自分の頭を持っていく。
「透明になっていなくなっちゃったヤツが、どうやって他のヤツらに教えるんだ?」
 うっ と言葉に詰まる弟。それみたことかと身体を左右に振る兄。
「きっとそれは、ボク達にお空を見せないために作った、ウソの作り話なんだ」
「そうかなぁ?」
「そうに決まってる。それともなんだ? お前、お空を見たくないのか?」
 グイッと睨みつけられ、ワムはもう萎縮する。
 本当は、それほど見たいワケではない。見たくないワケではないが、お空なんか見るより、自分のお部屋でゴロゴロウネウネしていたい。だが、兄に逆らうと後でどうなるか。
「どうなんだ?」
「み、見たいよ」
 無理矢理言わされたワムの言葉に、ミズはもう満足げ。一度身体を揺らしてから、再び天井を見上げた。
「じゃあ、行くぞっ」
 それはまるで、ワムにと言うより自分に言い聞かせているかのよう。
 ミズはグッと己の頭を天井にくっつけ、意を決して押し上げた。
「ぶわっ!」
 崩れた天井が二人の上に降り注ぎ、ワムなどはもうそれだけで驚きのた打ち回る。
「兄ちゃんっ 助けてっ!」
「うっ うるさいっ!」
 動揺を悟られまいと必死に弟を怒鳴りつける。そうして崩れた天井から、勢いよく頭を覗かせた。
「に 兄ちゃん?」
 頭を突き出したまま微動だにしない兄の姿に、ワムの身体が硬直する。
「兄ちゃん?」
 だが兄の身体、いつまでたっても透明にはならない。
「ねぇ 兄ちゃん?」
 三回目の問いかけで、兄はようやく天井の穴から頭を引っこ抜いた。
「すごいぞっ」
 その表情が、ワムの胸の内を高揚させる。
「お前も見てみろよっ」
 そう言ってミズはさらに頭をぶつけ、天井の穴を大きくする。
「兄ちゃんっ!」
 お空を見ても透明にならない兄の姿に、ワムはもう興奮を抑えることができない。

 お空が見れるっ

 さっきまでのやる気の無さはどこへやら。
 興奮に後押しされ、兄の作った穴から外へと頭を突き出した。
「わぁ」
 青い世界。
 だが、母に教えられたような、突き刺すような強烈な色ではない。
 ほんわりと柔らかな、暖かい青。その中に、薄い白色も浮かんでいる。
「これがお空?」
「これが、お空だ」
 嬉しくって、ワムはもっと頭を出した。
「ねぇ 兄ちゃん」
「ん?」
「お空って、柔らかいね」
「柔らかいか?」
「うん。なんだかポヨポヨしているよ」
 そう言いながら、ワムは白くて青いお空を頭で叩いた。
 確かに、お空はワムの頭に押されるたび、ぼわぼわムニョムニョと波を打つ。
「すごいぞっ!」
 ミズは興奮気味に叫んだ。
「お空はポヨポヨしてるんだっ!」
 それから、もっと興奮して弟を振り返る。
「ボク達は、セイキの大発見をしたんだっ!お空がポヨポヨしてるだなんて、きっと父ちゃんも爺ちゃんも知らないに決まってる」
「うん ボク、教えてあげるよ」
 するとミズは慌てて弟の言葉を遮る。
「バカっ」
 怒鳴られ、ワムはポカンと兄を見る。
「そんな事言ったら、この秘密基地の事だってバレるだろっ。この基地は、ボク達がこっそりお空を見るために作ったんだ。見つかったら壊されちゃうよ」
「そっ そっか」
 せっかくみんなに自慢できるのにと喜んでいたワムが、ガッカリと頭を下げた時だった。

 バサッ!

 まるで大好物の落ち葉が、食べきれないほど大量に巣穴に落ちてきた時のような、ある意味嬉しい大音量。
 思わず上を振り仰いだ兄弟の頭上に、眩しい世界が大きく広がる。
「うわっ」
 それはまさに母が教えてくれたような、突き刺すような鋭い白。
「うわっ」
「兄ちゃんっ!」
 突然振ってきた白いモノ。
 身体が透明になってしまうっ!
「兄ちゃん、助けてっ!」
 スタコラと土の中へ逃げ込むミミズを、弟のミミズも慌てて追う。
 その上に、ため息混じりの女性の声。
「やれやれ」
 青地にぼんやり白い雲。お空の描かれた小さなタオル。
 拾い上げ、土をポンポンと払い落とす。
 その背後から、乳児の鳴き声。
「はいはい」
 タオルを求めてグズる我が子。駆け寄り、その上にそっと乗せながら、眩しそうに空を見上げる。

 柔らかな雲がユルユルと流れる、青い空。
 心地良く晴れたある日の午後の、穏やかなどこかでの小さなお話。

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