B-09 紫に染まる

               紫に染まる



 視界は、明から暗へ一気に変わる。
「こっちの空の色って、ほんと味気ない。」
小高い丘の上、隣り合って座る二人の内の、少年が何ともなしにつぶやいた。時刻は丁度昼から夜に変わった直後で、つぶやきを聞いた男のほうは薄暗い視界の中少年の――といっても年齢的には男とたいして変わらないらしいのだが、童顔のため、少年に見える――横顔を伺って、彼の言動にまたかというように肩をすくめ、
「はっ、じゃああんたのとこじゃどうだったんだい?勇者様?」
わざとらしく彼のことをそういった。勇者と呼ばれた少年は、その言葉にちょっと困ったように、
「やめてよ。あなたにそういわれると、なんだかむず痒いし。いつものように呼んでもらった方が、気が楽。」
つぶやいて、空を見あげる。暗いため、彼の表情を見ることは出来ないが、多分遠い目をしているのだろうな、と男には察しがついた。彼がそうしているときはいつも、遠い故郷のことを思っているのだと、男は何となく知っていたから。

 この世界にとっての異邦人。それが、勇者と呼ばれ、他の人々に担ぎ上げられているのが目の前にいる少年だと、今なら気づくものはいないだろうな、とどうでもいいことも思う。別に感傷につき合うつもりもない。だから、男は少年の思考をさえぎるように口を開く。
「イスカ。魔王を倒す前夜に俺を訪ねてくるってのは、なんの用件だ?」
それは、男にとって一番の疑問だった。既に勇者と世界中で呼ばれ、人々の熱い希望を一身に背負うまでになったこの少年が、自分を訪ねてくるということが不可解だから。何しろ男とイスカの関係は、ともに戦う仲間でもなんでもなく、とても単純なもの。彼にとっての異世界にとばされた先で、最初に助けたのがこの男だったというだけ。それだけの関係しかないのに、何故自分に、それもここから遠く離れている地にいるはずの彼がここにいるのか疑問だった。

 イスカはそれには答えずに、小さく口の中で呪文を唱え、灯りをつけた。ぼんやりと、イスカと男が浮かび上がる。それを確認して、伸びてひとまとめにした黒髪をつまみつつ、男の問いとは関係ないことをしゃべり出す。
「僕の世界では、ここみたいに昼から夜が一瞬に変わらなくて、夕日がちゃんとゆっくり沈むんだ。その時の空は少しずつ赤く染まって、ゆっくり暗くなっていくんだ。」
そのことに男は何も言わず、彼の言葉の続きを待つ。
「それが、あって当たり前だと思ってた。でも、この世界に夕焼けも日の出もないんだよね。当たり前にあることがないって、なんていうかすごく・・・違和感があるというか、寂しいんだ。」
イスカの声は、悲しむでもなく懐かしむでもなく、ただ淡々と事実を告げているようだった。男にその心情など理解できるわけでもないが、いつもこの時間帯になるとそんなことを考えているのだろうかと一瞬脳裏にかすめ、すぐに振り払った。考えてもどうしようもないと、とっくに理解している。
「それで?」
まぁ、今できるのは、彼の話を聴いて合いの手を入れることくらいだろうな、と勝手に思いつつ。イスカは声に促されて、続きを話す。ただ、今度はほんの少しうれしそうに。
「当たり前にあることって、大事なんだって、この世界にきてよく分かりました。この世界にきてよかった。そうでなかったら、元の世界に帰るためだけに嫌々勇者になろうなんて、苦労なんてしようなんて思わないし。だってそうでしょ?人一人が背負えるものなんて、たかが知れてるんだから。だから・・・あなたに会いに来たんです、レーリィさん。」
「お前、それ勇者にあるまじき発言だな。しかもうれしそうにいいやがって。まぁ、いかにもお前が言いそうではあるけど。で?本題は?」
レーリィは呆れた様子でいいつつ、本題を促す。そこでやっと、イスカはレーリィに向き直った。その表情は彼の童顔に似合わぬ真剣なもの。そこに何か儀式めいたものを感じたレーリィも神妙になる。
「あなたくらいですよ。僕が異世界からきたって知っても、それが勇者だって反応じゃなくて普通に接してくれたのは。それがうれしかったから、グチでも言いたくなったんです。いいえ、それも本当のことだけど・・・僕の名前、覚えておいて欲しいんです。」
「はっ?」
イスカの申し出に、思わずレーリィは素っ頓狂な声を上げた。名前なら、あるではないか。そのイスカ、というのが名前ではないのか?そんなことを表情から読み取ったのか、イスカは苦笑しつつ、訂正する。
「だって、僕が名乗ったときにレーリィさんがちゃんと聞き取れなくて、それからずっとイスカって呼ばれるようになったんですよ?向こうじゃそんな風に呼ばれたことないのに。」
そういって、苦笑するイスカは、明日魔王と対決するとは思えないほど穏やかで、レーリィは不思議に思う。だがそのことには口にせず、
「そりゃあ悪かったな。でも、なんでオレなんだ?オレはあくまで一般人だぜ?」
なんていえば、イスカはジト目になって反論する。
「ゴブリンを素手で倒せちゃう作家さんが一般人っていえるんですかね?そんな風に言っておいて、実は強いくせに。」
その反論に、レーリィは胸を張って、
「それでも一般人なのっ!」
いうものだから、イスカは呆れるやらなんやらで、変な顔をしたあと、
「理由なんてないですよ。あなたの書く話に、使ってもいいって位に思ってくれれば。そうしたいって思っただけだから。」
そういって、息を整える。そして、一語一句をかみ締めるように、しっかりとした声で彼は本当の名前をいった。
「僕の本当の名前は、五十鈴霞冬(いすずかふゆ)です。寒い冬の、霞がかった天気でも、それを振り払って青い空の下を歩いていけるように、と。ああ、こっちじゃ、カフユ・イスズっていったほうがいいのかな?」
そこまで告げたイスカ、いや霞冬に変化が起きた。今まではっきりしていた体の輪郭がぼんやり光る灯りの中、おぼろげになっていく。驚きの表情が見えたのか、霞冬はああ、となんでもないように言い放つ。
「時間切れ。転送術で意識だけかけてここにきたんだけど、ちょっときつかったかな。ごめん。・・・じゃあね。」
それだけ言って、霞冬の出した灯りが消えて、彼自身もゆっくり紫色に染まりながら消えて、あとに残ったのはレーリィのみ。




 レーリィはズボンのポッケに手を突っ込むと、目的のものを探し当て、たばこに火をつける。丘を見下ろせば、彼の住む村の家々からほのかに光が漏れている。明日、すべての決着がつくというのならば、この風景を拝むのもこれが最後かも知れない。風に揺れる紫煙を目で追いつつ、彼はつぶやく。
「さてと・・・古代言語で“空を制するもの”の名を持つ者は、神にも等しき魔王にどう立ち向かうんだ?イスカ、いや、イスズ・カフユ。」
脳裏に浮かぶのは、体を紫色にして消えるかの姿。

 もし、――という仮定が彼は嫌いなのだがこの際仕方ない――霞冬がすべてを終わらせてここにきたら、レーリィは教えてやろうと思う。この世界にだって、きれいなものはたくさんあると。例えば、一年に一度だけ訪れる、紫に染まる空のことを。


                              おわり

inserted by FC2 system