C-05 クウジュ

 へやには せいねんが ひとり いました
 せいねんの かみのいろは ふかみどりいろ
 かっしょくの はだに あわいあおいろの めが よく めだちます
 せいねんは にこにこと わらっては へやのゆかに ねそべって いるのでした
 とても しあわせそうなかおで ずじょうに ひろがる あおぞらを ずっと ながめているのでした
 しあわせ しあわせ しあわせしあわせ しあわせし あわせしあわせしあわせ

 “ほんとう?”

 いうな きくな そう たぶん おれは

 なんにんが きづくでしょう
 ほほえんだ せいねんの めが うつろな こと

 “おめでとう きょうで あなたも はたちだわ”

 へやに はいってきた おんなのひとの こえが むなしく ひびきました
 せいねんは しあわせそうな ゆめの なかで つめたく なっていました



   *   *   *



 少年の目の前には「Happy Birthday」と書かれ10本のろうそくが立てられたケーキが置いてあった。
 恐らく今日が誕生日であろう当の少年はケーキに興味もないようでただ床に寝転がっては笑顔で見える青空を見上げていた。褐色の肌に深緑の髪の毛、それに蒼の瞳を持つ風体はまるで自然そのものを連想させる。天井に描かれた飛行機の群れにも少年は興味がなく、時折流れては消えていく白い雲をじっと眺めては楽しそうに笑っているだけだ。

 なんでじぶんは

 ふとわいてくる疑問。

 なんで笑っているのだろうか

 笑いながらも少年の心は満たされることなどない。面白くない冗談に付き合って笑い転げているのと、これでは全く同じだ。

 笑う必要がある? 必要以前に僕は笑いたい?

 空虚だった少年の心が質問で満たされ自分を取り戻していくうちにも、空は青く綺麗な表情を隠していく。少年は勢いよく身を起こした。大粒の涙を落とし始める空は自分のために泣いてくれているのだろうかと少しだけ嬉しくなった。
 ぽつり
 冷たい雫が少年の手の上に落ちるが、雫がどこから落ちてきたのが少年には分からない。少年は雨漏りでもしているのだろうと思い込んでいたし気にも留めなかったから、自分の顔がぬれていることにすら気付かなかった。

“まったくあなたは駄目な子ね”

 いつの間にか部屋にいた看護師に少年は恐怖をあおられて後ろに後ずさる。毎日毎朝現れては無情にも嬉しそうに注射器を少年の腕に突き立てる看護師は甘いものを少年に差し入れにくるときですら少年に緊張させる。

“今日は晴れていないといけない日なのに、こんなに雨を降らして”

 にこやかな笑みで近づいてくる看護師に少年が身をすくませると、一瞬空が光っては轟音が鳴り響く。看護師が一歩踏み出せば少年は逆方向に数歩逃げては降り止む気配を見せない雨脚が一層強まる。

“……せめて”

 更に激しくなった雨音に少年が気を取られていると、看護師が何かをつぶやいた。普段人の声を聴きなれていないせいか、少年は何を言われたも分からずに反射的に振り向いた。

“眠っていて頂戴”

 笑顔で看護師に告げられた言葉を少年は一瞬理解できずに唖然とする。看護師は右手に持っていた注射器を少年に向かって差し出し、少年に避けられる。避けられるのは看護師の予想の範疇であったため、看護師は注射器から逃げられたことでほっとしている少年にすかさず左手に隠し持っていたスプレーを向けた。顔にスプレーをかけられた少年は驚きで思い切り息を吸い込み、スプレーの成分は容赦なく少年の身体を駆け巡る。少年の病的なまでに細い身体はやがて力が抜け、床に倒れこんだ。ほどなくして空は白い綿雲すら浮かべない空っぽの青空を見せる。それは少年が空っぽの幸せを夢見ているのと同義だが、看護師は晴れてよかったと満足げに青空を見上げた。



   *   *   *



 丸いドームの形をした天井のある部屋では、褐色の肌に深緑の髪、それに空色の瞳を持つ男の子が一人、寂しげに空を眺めていた。男の子の寂しさに鼓動するかのように、空は薄暗く雲がかかっていた。男の子がいる部屋の壁もドーム型の天井もガラス張りのため、周囲を見回すとまるで空の中にいるような錯覚に襲われる。壁際によって下を見ない限り地面なんて見えないことからも、部屋が高いところにあることが分かる。下に見えるは延々と続く野っ原だし、空は天気の変化を見せるだけで何もない。見ていることしか出来ない男の子にしてみればすぐにでも見飽きてしまうような風景だ。男の子は時間を持て余しているがゆえに不安にさいなまれては視線をさまよわせ、さまよった視線は最終的に天井にとたどり着く。ガラス張りの天井から見えるのは延々と続く灰色の雲ばかり。男の子の好きな飛行機も天井には描かれていたが、空が晴れていないのでは絵の飛行機も見栄えがしない。空を飛んでいるようにすら見えない飛行機が何機もあったところで、男の子の心が和むはずもない。男の子はひたすらに目に涙を浮かべ、空も男の子の感情に答えるかのように涙を流し続けていた。

“まったく、あなたはわるい子ね”

 優しくも厳しかった母親の声が、男の子の脳裏に否応なく響く。あるはずもない母親の姿を目で探し、男の子は数秒で諦めるとまた天井に見入った。

 どうして、こんなことに

 沸いて出てきた疑問に、男の子の目から再び大粒の涙が零れ落ちる。同時に天井に打ち付けられる雨粒の音も大きくなったが、そんな天気の変化も男の子にとってはささいなことでしかなく、気付くはずもなかった。

 僕は帰る。帰りたいよ、帰してっ。

 男の子の叫びを聞くものは誰もいない。叫び続けた挙句の果てにそのことを理解した時は男の子の体力の限界で、部屋の真ん中に大の字に寝転がった。雨はいつの間にかやんだようであったが空は晴れない。鬱屈とした天気は男の子の心情――涙は流していないが、もやもやしたままの感情――を表しているようにも見えた。男の子には分かっていた。この部屋からたとえ出れたとしても、男の子には帰る場所がないことを。

 “お薬の時間ですよ”

 盆に水と白い包みを持った看護師らしき女性は床に取り付けられた扉をぱかりと開けて出てきた。看護師は恰幅のいい大柄な女性で、白い肌と茶色の髪に濃い紫色の瞳が映える。

 あそこに入ればここから出れる……っ! 

 一瞬の喜びとともに男の子は跳ね起きて扉に駆け寄ろうとするが、無情にも看護師は扉を閉め鍵までかけてしまった。希望を潰されてしまった男の子に残るのは与えられようとしている薬に対する恐怖だけだ。ひゅうと風が強く吹きつける音が聞こえる。男の子は薬の包みを持って近寄ってくる看護師の手から逃れようとするが、子供と大人の体力では子供のほうが不利であり、すぐに男の子は壁際に追い詰められた。床にへたり込んでからも頑なに薬を拒み口を閉じ続ける男の子に、看護師は苦笑した。

 “仕方ないわね”

 助かった、と思う男の子に一瞬の隙が生まれた。どんな隙でも見逃すまいとしていた看護師がそれに気付かないはずがなく、男の子の腕にちくりと一瞬痛みが走った。何が起こったのか分からず男の子は看護師の顔を見るが、看護師は笑顔のままである。恐る恐る自分の腕を見ると男の子の腕は看護師の左手によって押さえつけられており、看護師の右手には注射器が、注射針は男の子の腕にと刺さっていた。何が起こったのかは男の子の理解の範疇を超えており、男の子は結局注射器内の液体が看護師によってゆっくりと押し出され自分の身体の中に入っていくのをまじまじと見つめる。針が抜かれても暫くは男の子も唖然としていたが、気付けば男の子は笑っていた。何が楽しいのか、何で笑っているのか男の子自身にも分かっていない。なのに男の子は楽しそうに笑うものだから、先ほどまで雨を降らせていた空もいつの間にか晴れ渡り青空を見せていた。看護師の姿はいつの間にか部屋から消え、訳も分からず笑い続ける男の子の目から一筋の涙が零れ落ちた。



   *   *   *



「あの子は、空樹は元気にしていますか?」
 突然訪問してきた蒼色の瞳に緑の髪を持つ女性に、施設に勤める職員は誰だっただろうかと目を瞬いた。看護師同様白い肌に茶色の髪と紫の瞳を持つ職員はソラキと告げられた名前を数回口の中で反復し、どこかで見た記憶のある目と髪の色だと思っては空に樹という漢字に思い至った。職員どころか施設に勤める全員が知っている名前は――誰かが誤って読んだのが最初であろう――違う読み方のほうで定着していた。誰も疑問に思わず誰もがその読みだと思い込んでいたものだから、正しい読み方で告げられた名前に咄嗟に反応できなかったのだ。職員は再び女性を見、彼女が自分の息子である空樹を数年前施設に預けにきたきり音沙汰の無かった空樹の母親であることに気付いた。息子を預けたからであろう、ストレスが確実に減ったように見える母親に職員は穏やかな笑みを浮かべて向き直る。空樹はいい人材であるから今引き取られても困るし、どうせ母親は自分の息子に会いたいとは言わないのだから適当にいいことを言い、この施設に対してよい印象を抱かせて母親には帰ってもらうのが職員の狙いだ。
「空樹君は素晴らしいよ」
 笑顔で世辞を職員が並べ立てると、真面目に聞いていた母親は世辞の一つ一つを真に受けて頷き、最後まで聞くと満足そうに笑って自慢げに帰っていった。段々と遠ざかっていく母親の背を見つめながら職員は深緑の髪に空色の瞳を持つ少年のことを考えてはもう聞こえない距離にいるであろう母親に向けて呟いた。
「全くもって空樹君は素晴らしい。貴方の言葉は正しかった」
 数年前まだ男の子と言っていい年齢の息子の手を無理に引いて苛立ちながら母親が言った言葉は「この子の感情が、天候を左右するんです」となんとも現実離れしていた。半信半疑で話を聞くうちに男の子も自分が置かれた状況を理解したらしく、可愛らしい笑顔がいつの間にか怯えに取って代わっていた。雨まで降ってくるものだからこれは面白いと興味本位で男の子を預かることを決定し、今まで男の子のホルモンバランスをいじりながら感情を制御して天候の変化を見ていた。最終的に母親の言葉は正しかったと証明され、今や天気は予報するものではなく操る時代だと世界に知らしめた。
「あなたは全てを空樹君のせいにするが……あなたにこそ責任があるのでは」
 施設の中で空樹はクウジュと呼ばれていた。空樹の感情は天気を左右するのではなく天気が空樹の感情を左右しているのだ、クウジュは空呪であると密かに言われては誰もが納得し、施設内での通称はいつしかクウジュになっていったのだ。
「彼ほどの人材は、他を探してもいないだろう」
 言いながらも、職員は次の人材を探さなければならないことを知っていた。元より自分の意思と反して笑わさせられている人間が深層心理と表層意識のギャップに耐えられるはずももなく、空樹の精神が壊れいくのは暗黙の了解とされて無視され続けてきた。いっそのこと深層心理を切り捨て忘れ去って表層意識の感情だけで生きればいいものを、空樹はそれを深層心理を放棄せずにギャップを意識し続けてきた。空樹の精神はかなり参っており、深層心理と表層意識の差に耐えられるのはあと何日かであろうと思われる。面白いものを見させていただきました、ありがとうございますと職員の口元が微かに歪む。よく見れば母親にだって職員が心から笑っていないことなどすぐに分かっただろう。
「明日も晴れますよ、奥さん。
なぜなら明日も、空樹君は笑うのだから」

inserted by FC2 system