D-11 獣王の眼

 密林に閉ざされた闇夜の底に、漆黒の長髪を靡かせて疾走する影が在った。呼吸は荒いが、纏う深紅の板金鎧や背負う皮袋の重量を全く感じさせない身の熟しである。
 夜鳥が低い角笛の響きで一声啼き、彼女は足を止めた。左目の眼帯を上げ、汗で蒸す瞼を拭う。暗緑色の右目が前に見える大木の根元にしゃがむ小柄な白い背中を睨めつけた。
「……よし、撒けたみたいだな。自由だ!」
 と無用心に快哉を叫ぶ少年に近付いてゆく。
「ハハハハ! バラバラさん、左様なら!」
「“バルバラ”」
 手短に訂正するや否や、少年は跳び上がって振り返り、尻餅をついた。短い黒髪の頭頂から小鼻の前迄白い覆面で隠れているが、感情は唇の形で窺える。
「ど、どうして? どうして見つかる……?」
「さて? どうしてだろうなあ?」
 バルバラは藍色の縁飾りが美しい法衣の襟首を左手で掴み上げた。覆面の目出し部分に嵌め込まれた黒硝子を真っ直ぐに見据え
「此れ以上巫山戯た真似をしてみろ。聖職者と雖も、切り刻んで猛禽の餌にしてくれる」
 右手で佩びた剣の柄を握り締めて、凄む。
「……御免なさい…………」
 猛禽に命乞いするかの如き涙声で、少年は深紅の騎士に頭を下げた。

 馬は密林前の村に預けた。此の先に村は無い。緑すら殆ど見えない。赤い荒野を南へ歩く旅である。聖エーヴィヒ教国赤竜騎士団副団長バルバラ=ラーエル・ゼーエン・ツヴァイスヴェーグは縄を握る左手に力を込めた。
 「あの、」と呼び掛けられて目を落とした。白い頭に描かれた藍色の紋様が映る。左手の縄は傍らを歩く覆面少年の首に繫がっていた。
 彼の名はグリグリ・レーベンハイム。普段は辺境の教会で治癒聖術士の補佐を勤めているが、齢十三にして動物学者であり、聖エーヴィヒ国教会の要人――神典総書記官である。
 だがバルバラにとっては一人の悪童でしかない。敬語を使う気も失せた。
「縄を解いて下さいよ。もう逃げませんから」
「嘘吐け。昨夜で何度目だ。三十七度目だぞ」
 彼は兎に角、逃げるのだ。
「養父上、護衛は要りません。皆行方不明になってしまって辛いのです。其れに僕一人になっても、何時も無事に戻れてるでしょ?」
 研究の旅に護衛を付けられる事を厭い、養父であるレーベンハイム治癒聖術士に訴える場面を何度も目にした。
「何度も言ってるだろう? 君の旅に騎士団の護衛が付くのは教皇の御命令だよ。又、ベンディガー遺跡なんて危険地帯に行くんだろう? 何時も一人で帰って来られるのが奇蹟なんだよ。頼むから心配させないでおくれ」
 深い青の瞳に不安と怯えを湛えた養父は、其の都度そう説得していたものだ。根負けしたグリグリは、不承不承肯いていた。
 だが出発前夜、彼はバルバラの愛馬に乗って教会を脱走した。幸い、馬が体調を崩したので直ぐに追い着けたのだが、以降一月の間に逃亡を数える事三十七回。
「……逃げても直ぐに見つかっちゃうし、悉く邪魔されるし……。……奇怪しいなあ……」
 騎士の鉄靴が発する高い足音に紛れて何やら呟く少年の頭を、今一度見下ろした。
(“奇怪しい”のはどっちだ)
 神神しいのか、禍禍しいのか。渦巻く藍の紋様を見つめ、胸の内で舌を打った。

 命辛辛逃げ込んだ森の中を全力疾走している。慣れない板金鎧が重くて仕方無――かった頃の夢を見ている、のは判っていた。だが覚醒出来ない。記憶と痛みが再生される。
 正面から何かの影を捉えた瞬間、左目に激痛が奔った。倒れ乍らも辛うじて意識は残った。真っ赤な視界の左端を占める矢柄は重い曇天へ伸びゆく樹木よりも太く見えた。
「……お前の左目はもう駄目だな……」
 何処からか掠れ声が届いた。同時に覆い被さった影から赤い雨が降って来た。
 朧げに影の正体が見えて来る。顔を隠す程長い黒髪の、浅黒い肌の、黒い毛皮の外套を纏った男だ。此の恰好、兵ではない。濃厚な血の臭い。致命傷を負っているのは明白だ。
「……俺は……目以外がもう駄目だ……」
 含み笑いと共に血の泡が漏れた。
「……………………だから……」
 左目に刺さる矢柄を握られた。激痛に仰け反り悲鳴を上げる。意識が飛ぶ寸前、涙の溢れる右目が捉えた像に、彼女は絶叫した。

 小気味良い音と両頬の軽い痛みに薄目を開くと、白い覆面が迫っていた。唇を吊り上げて尚も平手打ちしようとする手首を掴む。
「魘されてたんです。凄く心配しましたよ」
 (口が笑っていたがな)――指摘しようとしたが止めた。野営で眠る護衛。捕縛した儘とは云え、逃げようと思えば逃げられる状況だった。彼が今此処にいるだけで上出来だ。
 身を起こし、顔に掛かる髪を掻き上げた。指が眼帯に触れた。小さな空気穴を開けてはいるが、汗を掻くと矢張り蒸す。
「其の左目……どうしたんですか?」
 どういう風の吹き回しか。逃げてばかりの少年に興味を向けられるのは初めてだった。
「十三年前かな。お前と同じ位の年の頃、初陣で射貫かれた。私の左目はもう無い」
 眼帯を捲り閉ざされた瞼を見せて淡淡と答える騎士を見上げ、少年は小首を傾げていた。「じゃあ」と質問は続く。
「貴族のお嬢様なんでしょ? 名前長いし。どうして騎士に?」
 石に囲まれた焚火の中で小枝が爆ぜた。
「第九夫人の娘には居辛い家だ。どうせ政略結婚に使われるだけだし、其れならば――」
「死のうと思ったんですか?!」
 身を乗り出しての唐突な問いに仰け反る。軽く吐息を漏らし、左右に首を振った。
「いや。己の道を己で決めたかっただけだ」
 少年も吐息を漏らした。「男前な科白だなあ」と何故か頬を赤らめて。バルバラは籠手を着けたままの左手で、彼の頭を撫でた。
「さて私の番だ。お前こそ此れは何事だ?」
 撫で乍ら覆面の頭頂を抓む。其の途端に彼は飛び退いた。頭突きを食らった籠手越しの掌に鋭い痺れが奔った。
「養父の特製覆面に触らないで下さい! 昔火傷して、爛れて気味の悪い顔だから見せたくないんです! 無理矢理剥がそうとするなんて非道いです! ワアーン!」
 喚くだけ喚いたグリグリは背を向けて駆け出した。足元でのたうつ縄を踏むバルバラ。縄が伸びきった処で彼は引っ繰り返った。
 覆面を抓んだ左手が未だ痺れているのは、頭突きの所為だけではなかった。藍色の光の粒子が弾けながら飛び交っている。
(“養父の特製覆面”……。触れる者を弾く紋様……。治癒聖術士が攻撃するとは必死だな。余程顔を曝させたくないとみえる)
 手首に巻いた縄の先では、覆面少年が法衣に纏わり付いた赤い砂を叩き落としていた。

「全く以て今更な事だとは思うのだが、」
 縄で繫がった二人は逃げ水の揺らめく荒野を歩き続けていた。見渡す限り赤い大地。偶に岩や枯木。偶に防具の抜け殻。偶に骨。
「何の研究でこんな処に来る必要がある?」
 護衛対象に対する過度の干渉は――勿論覆面を剥がそうとする事も――団の規範に反する行為だが、尋ねずにはいられない。
「ベンディガー伝説が面白いんです。獣の王って意味なんですけど」
 暑さに舌を出し猫背で歩いていたグリグリの背筋が伸びた。黒硝子の奥の何色かも判らない双眸は今、炯炯と輝いている事だろう。
「ン、伝説? お前は動物学者だろう?」
 肯いたグリグリは早口で捲し立てた。
「ベンディガー人はとても珍しいんです。何しろ創世と共に誕生した一人しかいないんですから。二人目が生まれたら一人目が死んで、此の世界もお仕舞いらしいです」
 バルバラは首を傾げ、視線を青空へ上らせた。太陽は黄金に輝き、雲は一つも見えない。
「…………今日も暑いな……」
「嗚呼! もう、だからですねえ――」

 『世界』は自らの誕生にあたり、先ず完璧な守護者を創り上げた。人間の姿に獣の眼。発生するであろう総ての生物の声を聴き、繁栄に導く王。即ち『始まりの獣王』。
 又、『世界』は自らの終焉に備え、完璧な破壊者を創り上げた。人間の姿に獣の眼。発生したであろう総ての生物の四肢を操り、破滅に導く王。即ち『終わりの獣王』。
 『世界』は寿命が近付くと 『始まり』に卵を生ませる。孵化するのは『終わり』。『終わり』は手始めに 『始まり』の命を吸収する。
 『終わり』には思考も感情も無い。立ち向かう者にも逃げる者にも、棘の鞭を振るうのみ。棘に触れた者は皆錯乱して殺し合う。殺し合う相手が見付からなければ自刃する。唯一人になるまで続く血の舞踏。然うして 『世界』の始末を付けた時に、尽き果てるのだ。
 ――『終わり』の総ては空ろの儘に――

 神典総書記官の口から“獣王”に関する総ての薀蓄が出尽くした時にはもう、空は燃えるような朱色に変化していた。
「ハハハア。其れは又、凄まじい伝説だな」
 辟易の色を隠さず、バルバラは乾いた笑いを漏らした。隣で少年が歯を剥く。
「其の云い方! 莫迦にしてますね?!」
「莫迦にはしていないが、研究する価値は無い――と云うよりも、危険だと思っている」
「遺跡がちゃんと在るんですからね」
 (話を聞け)――噛み合わない会話に苛立ちが募る。話題を変えてみる事にした。
「そう云えば、お前、此の頃大人しいな。もう逃げなくても良いのか?」
「ウウン、もう着いちゃいますしねえ……」
 唸る彼の足が止まった。バルバラも止まる。
「此処まで誰かと一緒なのは初めてです」
 遥か前方、今や赤茶けた法衣から伸びる指の示す先に、崩れた建築物の影が佇んでいた。

 其の建築物には屋根も無く、彼方此方割れた石の床から数本の太い石柱が屹立しているのみであった。いや、玉座らしき岩も在る。
「……只の廃墟…………」
 バルバラが率直な感想を漏らせば、グリグリが拳を振って反論し
「違います! 此処には人間――否、全生物の存亡に関する秘密が隠されてるんです!」
 床に蹲って、手指を這わせ始めた。
 凝視してみると、慥かに文字らしき線が密に刻み込まれていた。眼帯の奥の眼窩が疼く。
「手遅れになる前に探してみせる……。精査すれば、屹度方法が見つかる筈……!」
 独白が耳に留まる。暗緑色の右目が床の文字から白い後頭部の藍の紋様へ移った。
「お前、焦ると思考が口に出るな。何が“手遅れ”で、何の“方法”を探しているんだ?」
 法衣の肩が小さく痙攣した。床を探る手が止まる。静寂の中、息を呑む彼の喉が鳴る。
「矢鱈逃げ回っていた理由は? 護衛が皆行方不明になる理由は? 護衛を失った子供が何時も一人で生還出来る理由は? 密林と荒野を徒歩で越えなくては辿り着けない遺跡に何度も通う理由は?」
 出発前に聞いたレーベンハイム父子の会話の言葉尻を抓み上げては、放り投げる。
「其の覆面に隠す真実は何だ?」
 すると黙って蹲っていたグリグリが立ち上がった。深紅の騎士に向き直り
「教皇が僕の旅に必ず護衛を付けるのはどうして? 何人亡くなろうが次々に来るのは? 本当に“護衛”なんですか? バルバラさんは、本当に僕を護衛しに来たんですか?!」
 彼女を凌ぐ剣幕で以て欲する答えを引き出そうとする。
 バルバラは瞑目した。渺漠たる赤い荒野に砂交じりの熱い風が吹く。遠くから地鳴りが聞こえる。縄を持つ手を放した。
「……私に下された命令は、」
 右の瞼が再び開かれた時、暗緑色の瞳は冷酷な殺気を漲らせていた。深紅の右手が緩やかに鞘から剣を引き抜く。
「お察しの通り。グリグリ・レーベンハイム神典総書記官の暗殺だ。理由は、解るな?」
 聖エーヴィヒ教国赤竜騎士団副団長バルバラ=ラーエル・ゼーエン・ツヴァイスヴェーグは、炎に似た波形の刃を標的に突き付けた。

 鉄靴が石の床を蹴り、標的へと発進した。
 だが突き出したのは、剣ではなく左腕だった。少年の体を抱え込み、石柱の陰へ回る。刹那、風切音を伴った数十本の矢に襲われる。
 柱が盾になったが、総ては躱せなかった。右腕の板金が裂け、右肩の継目にも一本突き刺さっていた。奥歯を食い縛り、引き抜く。血の滴る矢は太く短い、対板金鎧仕様だった。
「……私諸共暗殺、に決まったようだな……」
 左の小脇で藻掻くグリグリに、彼女は脂汗の滲む顔で微笑み掛けた。
「エ? 副団長を、どうして……?!」
「……私の代わりなど沢山いる。是が非でもお前を殺したいんだろう……。それにしても凄い数で来たもんだな……」
 しかし今は兵の数より矢数の方が重要だった。板金鎧を貫く威力の矢は風雨に晒されて脆くなった石柱を突き崩して行く。間を縫って柱の陰を転々とするものの、此の儘では身体中穴だらけにされるのは時間の問題だ。
 地鳴りが左右へ展開して行く。此処は荒野の真中。囲んで射掛けるつもりなのだろう。脱出法を考えあぐねて唇を噛んだ時だった。頭上で破砕音を聞いた。
 振り仰げば、背後の石柱の上部が砕け、破片が落ちて来ようというところだった。咄嗟に少年を放り投げ、自分も前へ跳ぶ。
「ぐああッ!」
 だが後一歩足りず、悲鳴を上げた。右脹脛に大きな塊が直撃したのだ。辛うじて潰される事は免れたが、鉄靴が陥没する程の衝撃を受けている。とても立ち上がれそうにない。
「……グリグリ、逃げろ……」
 取敢えず顔を上げて、目の前にへたり込む少年を見据えた。其の口の端が震えている。
「僕を殺しに来た癖に、どうして……?」
「……どうせ誰も……お前を殺せん……」
 其の言葉に彼の中で何かが弾けたらしい。今迄に無く声を荒らげた。
「然うですよ! 誰も僕を殺せない! 襲われたら、此の手が勝手に殺してしまう! 解ってるなら! どうして?! 解ってるなら! 庇わなくたって――」
「お前は徹頭徹尾伝説の儘の『終わりの獣王』じゃなかろう! お前には思考も有る! 感情も有る! 何の為に人間の中で暮らしている?! 何の為の研究だ?! 誰一人として殺したくないからだろうがッ!!」
 昂りで裏返った若い獣の悲憤を、理性の大喝が抑え込んだ。
「私とてもうお前に誰も殺して欲しくない! 解ったら早く去ね!」
 愕然と頭を垂れたグリグリだったが、やがて唇を引き結んで力強く立ち上がった。
「……直ぐ助けてあげますからね……」
 俯せに倒れる騎士の横を通り、軍勢の主力の方へ。視界から外れた。
「おい、何をする気だ……? やめろ……」
 必死に首を捻って声の先を見遣る。目に映ったのは落ちて行く白い覆面と、短い乍らも風に靡く黒髪だった。
 駆け出した白い背中が夕映えの赤に溶けていく。獣の咆哮が鼓膜どころか大地を、否、空までをも激震させた。
 やがて矢の雨は止み、地鳴りは鎮まり――ベンディガー遺跡は再び静寂に包まれた。

 夜を迎えると、気温は一息に下がった。闇で発色を抑えられた赤黒い荒野を、右足を引き摺って歩く深紅の影。波形の刀身を持つ美しい片手剣は今や杖代わりである。脚や腕の痛みと疲れで息が上がる。今にも頽れてしまいそうだ。其れでも一歩一歩前進する。
 弓矢の残骸が目立つようになって来た。剣や盾も四方八方に転がっていた。やがて前方に無数の砂柱が見えて来た。
 其れはとても良く出来た砂人形だった。人間の特徴を隅々まで明瞭に表現していた。武具迄装備していた。どれ一つとして同じ意匠のものは無い。互いに弓を番えた儘のもの、互いに斬り結んでいるもの――
 砂が少しずつ崩れ行く微かな音が絶えず耳の奥を擽る中、生物の慥かな気配を感じた。乱立する人柱の間を縫って行く。バルバラは、円い広場に出た。
 中心に赤茶けた白い法衣姿の黒髪の少年が座り込んでいた。投げ出した両の掌から彼の身長よりも長い肉色の紐。鋭い突起が彼方此方から突き出している。慥かに其れは棘の鞭を連想させた。更に凝視すると、其れは皮膚を突き破って生えているのが判った。
「グリグリ」
 人間としての名を呼んだ。萎れていた少年の首が緩慢な速度で上がった。初めて見る彼の顔には、矢張り火傷の痕など無い。
 厳重に隠されていた両目の形はぱっちりと大きく、普通の子供と変わらなかった。只、眼球が違っていた。右の虹彩は血の色に似た深い赤であり、左は生肉のような淡い赤であった。縦長の黒い瞳孔は針の如く細い。
 (成程、獣だ)――バルバラは得心した。
「……無事で良かったです。バルバラさん」
 塒を巻いて蠢いていた鞭が急速に縮んで消えた。
「どうして僕は……こんな中途半端に生まれちゃったんでしょう……?」
 どうにか辿り着いた彼女は剣を傍らに倒し、グリグリの横に腰を下ろした。
「“徹頭徹尾伝説の儘の『終わりの獣王』”……の方が良かったかもしれません。思考も感情も無い方が……。空ろな儘の方が……」
 静聴していたバルバラだったが、天を仰いで大息した。瞬く星星を映す右目を細める。手探りで少年の肩を抱き寄せると、詫びでも慰めでもなく
「足掻くぞ」
 とだけ呟いた。

 板金鎧を装備した儘の太腿にグリグリが頭を乗せて寝息をたてている。籠手を外し、其の細い黒髪を指で梳いてやった。
 大量の砂の落下音に顔を上げる。或る砂人形の上半身が崩れていた。がらんどうの内壁が覗く。此れは肉体をがらんどうにされた者。
「どうして僕は……こんな中途半端に生まれちゃったんでしょう……?」
 がらんどうの心を持って生まれて来る筈だった者の悲痛な問いが胸を衝く。
「足掻いた者がいたからだ」
 だから伝説は捻じ曲がり、今に至る。
 答えを知ってはいたが、教える事は出来なかった。
 少年の眠りが深いことを確かめて、左目の眼帯を外した。糊で密着させた上下の瞼を指で押し広げて開く。剣を引き寄せて、波打つ刃に顔の左半分を映した。
 血の色に似た深い赤の虹彩に、黒い針状の瞳孔。
(私の左目はもう無い)

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