B-08 青空をさがして

 雨降小僧は河童がうらやましくて仕方ありませんでした。
 正確には、河童の話を聞いてからずっと憧れていたのです。
「でな、夏はお日さんの光が落ちた水面が銀色にたゆたうんじゃ。空は底なしのまっすぐな青で、お日さんは金色に輝いていて、そのお日さんからもらったキラキラの川で泳ぐのが一等気持ちいいんじゃ」
 夏という季節は知っていますが、青天は知りません。雨降小僧の知る空はいつ見上げても曇天で、明るい灰色のときはあってもお日さんというのを見たことはありませんでした。川というのは知っていますが、キラキラした銀色の川をいうものを見たことがありません。川はいつも鈍色で、雨粒の波紋をうつすだけです。機嫌が悪いと泥色で、轟々と音を立てて流れていくのです。
 冬眠前に雨をもらいに来た河童は、いつもこう言っておわります。
「でも、わし等河童は、坊やおっかさんの雨がなくっちゃ生きていけん。水皿持ちの因果かのう」
 必要な量の雨を手にした河童は、母である雨女に礼を言うと、よたよたと自分の塒へ戻っていきました。
 同じ妖怪であるのに、河童の知る世界は雨降小僧の知る世界とずいぶん違います。
「ねえ、おっかさんは底なしの青い空やキラキラの川ってのを見たことがある?」
「私は雨女だもの、あるわけがないね」
 母の返答はもっともで、雨降小僧はなにも言えなくなってしまいました。
 それでも時折、河童の話を思い出しては空を仰ぐ日々を過ごしていました。
 季節は流れ、冬になり、雨女につれられて雨降小僧は山へ来ました。そこは雪女の住まいです。
 雨女は雪女と仲がよく、冬の季節にはよく互いの住まいを訪問するのです。
「おっかさんは大人同士の話がある。お前は雪童子と遊んでおいで。いいかい、仲良くするんだよ」
 毎年のように繰り返される言葉に、雨降小僧は黙って頷きました。雪童子は雪女の子で、冬の間はよく顔をあわせるのです。
 雪と雨は相性がいいのだと聞いていました。雨降小僧も雪童子を嫌いではありません。ただ、女の子というのはどうも扱いづらくていけません。少し乱暴にすれば溶けると怒るし、放っておけばおいたで凍ってしまうのです。まだ幼い雪童子は氷結と氷解が自分でも上手くできないらしいのです。
 外に出された二人は、持たされたお菓子を手に山道を当てもなく歩き続けました。
「雨降くん、どうかしたの? 今年はなんか変だよ?」
 雪童子が先を歩く雨降小僧に声をかけました。
「ぼく……変に見える?」
「う〜ん、変っていうより、元気がないように見える、かな」
 そこで雨降小僧は立ち止まり、雪童子に河童の話を聞かせることにしました。
 金色のお日さんのこと、底なしの青い空のこと、銀色にキラキラする川のこと。そして、その風景を見てみたいと思っていること。
 雪童子は雨降小僧の話を黙って聞いていました。全部の話を聞いた後、ひとつだけ嬉しい話を聞かせてくれたのです。
「金色のお日さんも底なしの青い空も知らないけれど、銀色にキラキラする川だったら知っているよ。良かったら連れて行ってあげようか?」
 雨降小僧は雪童子に連れられて、山の奥のこれまた奥まで行きました。
 そこには確かに凍りついた小さな滝と、同じく凍りついて銀色に光る小さな川がありました。
 でも、それは雨降小僧が望むものとは少し違っています。
「確かにこれは銀色の川だけど、ぼくはお日さんの落ちた光で銀色にたゆたう川を見てみたいんだ」
 雪童子はせっかく教えた秘密の場所が、雨降小僧の望むものではなかったことにがっかりしましたが、それ以上にがっかりした雨降小僧の姿を見て、思わず励ましてしまいました。
「それじゃ、雨降くんの見たい景色をこれから探しに行かない? どうせ母様達はおしゃべりに夢中で、少し遠くに行ったくらいじゃ気付かないよ。二人で探せばきっと見つかると思うの」
「いいの? お雪ちゃん」
「うん。だって、金色のお日さんとか底なしの青い空っていうのを、わたしも見てみたいんだもの」
 二人は手をつないで歩き始めました。
 山の畝をいくつも越え、数本の川を渡り、気がつくと見たこともない広い原っぱに出ていました。
 それでも二人の頭上に広がる空は曇天で、青の欠片も見つかりません。
 二人はさすがに歩きつかれて、原っぱの隅っこに腰を下ろしました。
 すると、そのときです。凄まじい音とともに原っぱに何かが落ちてきました。
 二人は思わず飛び上がり、顔を見合わせると、落ちてきた何かを見るために原っぱの真ん中あたりまで近寄っていきました。
 そこで見つけたのは小さな雷獣でした。雷獣は雷神さまの子供で、小さいときは動物の形で育つのです。
「ああ、この子、空から落ちてきたんだね」
 雪童子が手を伸ばすと、雷獣は懐くように擦り寄ってきました。そして、雪童子の手のひらを一生懸命になめるのです。
「お腹がへっているのかな?」
 雨降小僧がおそるおそる差し出したお菓子は、雷獣に一口で飲み込まれてしまいます。
 もう一つ差し出すと、それも一口で食べてしまいました。そうして、二人の持っていたお菓子を全部一人で平らげると、雷獣は満足したように眠ってしまいました。
 これからどうしよう。
 見たこともない原っぱの真ん中で、眠ってしまった雷獣を囲んで二人は途方にくれていました。
「もし、そこの妖怪の子供。ここらで雷獣を見かけなかったかい?」
 二人の背後から声をかける者がいました。それはいつも空の上にいる雷神さまでした。
「雷獣なら、ここで眠っているよ」
 雨降小僧が指差した場所で、雷獣は小さなお腹を膨らませて眠っていました。
 雷神さまは、雷獣が世話になったお礼を述べてから、二人に尋ねました。
「ここは人間と妖怪の境界線。妖怪の子供がくるような場所ではないはずだが、二人はここで何をしていたのだい?」
 雨降小僧は答えました。
 河童から聞いた話に憧れて、金色のお日さんと底なしの青空と、銀色にたゆたう川を探しにきたことを。
 雷神さまは最後まで話しを聞くと、たいそう困ったような顔をしました。
「天を照らす大神さまを見ることは、水属性の妖怪には難しいことだ。それでもお前たちには子供が世話になった恩がある。ここは一つ、この雷神が二人の願いを大神さまに訴えてみようじゃないか。私が戻ってくるまで雷獣とここで待っていられるかい?」
 雨降小僧と雪童子は、喜んで雷神さまの申し出を受けることにしました。
 しばらく待つと、先ほどの雷神さまが戻ってきました。でも、二人の話を聞いたときよりも、もっと困った顔をしています。
 二人は、天を照らす大神さまの返事が良くないものだったのかと思い、泣き出しそうになりました。
「二人とも、泣かなくていい。大神さまはこう仰ったのだ」
 雷神さまは二人を落ち着かせてから、話を聞かせてくれました。
 大神さまの姿を見るのには今のままでは無理なこと、そして、叶えたいのなら条件があること。その条件が整えば、二人の願いは叶えられるということを教えてくれました。
「で、その条件とはどのようなことでしょうか?」
「二人のうちのどちらかが、神の末席にある銀狐を嫁に迎えること、なのだそうだ」
 雪童子は女の子です。銀狐をお嫁に迎えることはできません。
 雨降小僧は雷神さまの言葉をきくやいなや、答えました。
「今すぐじゃなくて大きくなってからになりますが、ぼくのお嫁さんに、でよければ喜んで迎えます」
「そういうことならば、私は急いで大神さまに伝えてこよう」
 雷神さまは安心したように笑うと、再び急いで天に向かいました。
 天を照らす大神さまは約束どおり、二人の願いを叶えてくれることになりました。でも、急いでいたためでしょうか。原っぱに残っていた雨降小僧と雪童子のほかに、眠っていた雷獣にも同じ願いを叶えてしまったのです。
 このときより、天気が良いのに降る雨を『狐の嫁入り』と、晴れた日に降る雪を『風花』と、青天に落ちる雷を『青天の霹靂』と呼ぶようになりました。
 そして『狐の嫁入り』の日に、よく綺麗な虹が見られるのは、空から地へ、地から空へ、自在に渉ることを許された銀狐の足跡であると言われています。

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