※注意※ この作品には過激な暴力描写や殺人・自殺行為シーンがあります。
※作者さまの意向により、一部文章を変更しました。

A-11 リワインドの神は虚しき骸にして愚かなる人間。

 オレは一度死んだ。そして、神になった。
 考えれば考えるほどその考えは、二十年以上まとわりついて離れない。
 オレが認めない世界は前へと進まず、オレが気に入るよう世界は何度でもやり直される。毎日毎日毎日毎日……オレが妥協しなければ、世界は明日へと進めない。

 だから、今日もやり直せばいい。

「そ、そうだ……やり、やり直せば」
 我に返ったオレは革張りのソファーから起き上がり、そこにあるものを見た。
 テーブルの横に倒れた、彼女の姿を――……
 薄く開かれた瞼は白目を剥く眼球をさらし、血に染まった長い髪が頬に張りついている。後頭部から血を流した彼女がいた。死んでいた。
 放心していた間に眠ってはいなかっただろうかと心配になり時計を確認するが、文字盤にべったりと乾いた血がこびりついていた。最初思わず彼女を助けようと抱きかかえた時についたのだろう。ちくしょう、これブルガリだぞ?
 爪で血をこそぎ落として時刻を確認するが、その両手も血まみれだった。ああ、アルマーニのスーツが!
 放心していたのはほんの一瞬だったのだろう、彼女を抱きかかえ死んでいることに気が付き、ソファーに尻もちをついてから一分と経っていなかった。
「絵美……」
 彼女の名前が唇からこぼれる。
 如月絵美、キサラギコーポレーションの社長令嬢にしてオレの婚約者。三年かけて口説き落とし、ようやく式にまでこぎつけたというのに。
 彼女に今までいったいいくら貢いだと思っている。彼女と最初に出会ったあのパーティーの日など、次の約束を取り付けるために三十四回もその日をやり直したというのに!
 彼女が死ねば、すべてが水の泡になってしまう。次期社長の座が……
 最初はお高くとまった女だったが、今ではオレに入れ込み都合のいい女になってくれた。多少、いやかなり、病的なまでに思い込みが激しく気性の荒い性格ではあったが、それでも彼女の価値が下がるわけではなかった。
「知ってるんだからね! 他に女がいるんでしょう? 昨日は仕事とか言って、どこの女と会ってたのよ!」
 泣き喚きながら物を投げつけられ、頭を三針縫ったのはまだ記憶に新しい。
 今日もまたそれかと半ば呆れ果てながら、居もしない女の影に怯えて嫉妬し狂乱する姿に心底嫌気がさした。仕事で疲れていたこともあり、彼女の頭が冷えるまで少し席を外そうと投げつけられたクッションを受け止めながら扉に向かう。
「いやあ! 修ちゃん、お願いだから行かないで! 捨てないで! いいよぉ、いいからぁ……私のこと好きじゃなくてもいいから、ずっと側にいてよ!」
 泣いてすがりつく彼女の慌てように苛立つ。
「放せよ!」
 少し強く、彼女を突き飛ばしてしまった。

 倒れた彼女の後頭部が、机の角で潰れる音が重く響く。

 一度死んだオレが手に入れた力――――リワインドの力。
 小学生の時にダンプカーに轢かれて死んだはずのオレは、天国ではなく自分が死んだはずの日の朝に目覚めた。
 カセットテープを巻き戻して録音をし直すように、セーブデータをロードし直してプレイをやり直すように、オレは時間を巻き戻す力を手に入れた。
 神の力か、悪魔の力か、確かなのは自分がその奇妙な力を手に入れたということだけ。
 巻き戻す力――目覚めの時まで。

「修ちゃん」
 彼女を殺した日の朝は、彼女のその寝言で目を覚ました。
 二回目の今日が訪れ、隣で生きた彼女が穏やかに眠っている。本当はここで彼女を起こさないようにそっとベッドを抜け出し、いつもより早く出社してしまったのだが、二度目の今日は彼女の頬にキスをした。
「どうかしたの? 修ちゃん」
「なんでもないよ」
 そう言いながら、彼女のふくよかな胸に顔をすり寄せる。胸の奥で確かに刻まれる鼓動を聞いた。

 眠い……

 幾度となく日々をやり直し、完璧な人生を演じてきた。
 リワインドの力は、目覚めの瞬間まで時間を巻き戻す力――目覚める前にはもう戻れない力。ベッドに入る前は、いつも不安に駆られる。今日は本当にこれでよかったのだろうか? 何か間違いを犯してはいないだろうか? 眠ってしまえばもうやり直せなくなる。本当にこれでいいのか?
 やり直せない事があるのは当たり前なのに、やり直せなくなることが恐ろしかった。
 力を手に入れてから、安心して眠れた日などない。
 幾度となくやり直される毎日、完璧な人生の下にはやり直し捨て去った日々が転がっている。実年齢の何倍もの日々を過ごし、疲弊して年老いていく。
 ようやく気がついた。

 なんだ、オレ……スゲー疲れてるんだ。

 温かな彼女の胸の中で再び眠りにつき、いつもの時刻に鳴る目覚ましで目を覚ました。二回目の今日を始めよう。
 仕事をこなし、帰宅したオレに彼女は同じように詰め寄り、物を投げつけてきた。けれどオレはそれを全て受け止め、彼女を置いて部屋を出ようとはしない。根気良く彼女をなだめ落ち着かせ、彼女の扱いに細心の注意を払う。
 彼女を殺さないために。
「オレが愛してるのは絵美だけだよ。他に女なんていない」
「本当? 修ちゃん……」
 溢れる涙に瞳を揺らす彼女を抱いて、その夜は眠りについた。

 ――そして、夜中。
「ぐぶふっ」
 胸に冷たい衝撃と喉をせり上がってくる熱い液体に目を覚ました。
「がっ、ぐ……ぇみ……」
 限界まで見開いた瞳に映ったのは、オレの腹の上にまたがる彼女の姿と、彼女がオレの胸から引き抜いた包丁だった。
「ごめんね、修ちゃん」
 再び振り下ろされた包丁はオレの喉を突き刺し、痛みや苦しさに頭の中が真っ白になる。それでも五感は全てを感じ取っていた。
 彼女が流す涙、自分が刺される音、気管に流れ込む血液、自分の血の臭い、吐き気がする味。
「修ちゃんは、私だけのものよ。誰にもあげないんだから。私だけを見て、私だけのものになって、修ちゃん!」
 彼女がここまでオレを愛し思いつめていたとは……また振り下ろされる包丁を眺めながら、思う。
 ダンプカーの次は、婚約者か――――そして、夜中。
「ぐぶふっ」
 胸に冷たい衝撃と喉をせり上がってくる熱い液体に目を覚ました。
「がっ、ぐ……」
 目を覚ますと同時に彼女の姿を捉え、オレへの謝罪を口にしながらも包丁を振り下ろそうとする彼女の凶刃を受け止めようと手を持ち上げる。が、胸に穴が開いた体は思うように動かず、彼女の刃は腕を掠めて予定通りオレの喉へ――――そして、夜中。
「ぐぶふっ」
 胸に冷たい衝撃と喉をせり上がってくる熱い液体に目を覚ました。
「がっ、ぐ……待」
「ごめんね、修ちゃん」
 彼女はオレの声を無視して予定通り――――そして、夜中。
「ぐぶふっ」
 胸に冷たい衝撃と喉をせり上がってくる熱い液体に目を覚ました。
「がっ、ぐ……」
 目を覚ますと同時に彼女の姿を捉え、オレへの謝罪を口にしながらも包丁を振り下ろそうとする彼女の凶刃を受け止めようと手を持ち上げる。今度は上手いこと凶刃を受け止めるが、刃はすぐに引き抜かれ、今度は腹に――――そして、夜中。
 彼女はオレを殺す。何度も何度も包丁を突き刺し、オレを殺す。オレの目を真っ直ぐに見て、涙を流し、オレへの謝罪と愛を囁きながら、何度も何度も何度やり直しても繰り返してもオレを殺し続けた。
「ごめんね、修ちゃん。修ちゃんは、私だけのものよ。誰にもあげないんだから。私だけを見て、私だけのものになって、修ちゃん! 愛してる! 大好きだよ、修ちゃん! 修ちゃん! 愛してる愛してる愛してるめちゃめちゃ大好き超愛してる!」

「だから、」

 ――そして、夜中。――そして、夜中。――そして、――そして、――そして、――そして、――夜中。――夜中。――夜中。――夜中。――。――。――。

 ああ、オーケー。諦めようじゃないか。もう未来は変わらない。変えられない。過去には戻れない戻らない。受け入れよう、過去を未来を今を全てを。
 多くの人間がそうであるように、そうしよう。
 何度目覚めても、オレの胸に突き刺さった包丁は変わらない。目覚める前に刺さってしまったのだから。
 彼女が死ぬはずだった未来はオレの望み通り消え去り、代わりにオレが死ぬ未来になった。
 女に刺されて死ぬなんて、完璧だと思える人生を築き上げてきた者の最後としてはあまりにも滑稽で、それ故に相応しい。
 かわいそうな彼女。社長令嬢として恵まれた人生を歩んできたはずなのに、オレみたいなのと婚約したせいで刑務所に行くことになってしまうのだから。
 でも、生きてればきっといいことあるさ。ちゃんと罪を償って、辛いこともあるだろうけど、ちゃんと生きろよ? 間違っても、後追い自殺して無理心中とかにするんじゃねえよ? せっかくオレが時間を巻き戻して生かしてやったんだから。
 オレの代わりに、オレの分も……生きなくていいかな。何回も毎日をやり直してきたから、たぶん平均寿命ぐらいの時間は過ごしてきた気がするし。まあ、実際には三十年ぐらいしか時間は経ってないんだけど。
 自分の人生を生きてください。

 リワインドの神はここで死ぬ。
 文字通り殺しちゃいたいぐらい愛してくれた女の手にかかり、死ぬ。
 神を気取り、自分が気に入るよう毎日をやり直し、手に入れた人生……まあ、たった一度しかない人生ならばこんな人生歩むのもまた一興か。
 奇妙な力に振り回されて、利用して、分かりやすい成功を手に入れ続けた華やかな人生。半ば、自暴自棄に。
 だって、そうじゃないか。そうしなければ、こんな妙な力と共に生きる気になんてなれない。

「大好きだよ、修ちゃん……愛してる。私を見て、修ちゃん。私を……絵美を見て」
 穴だらけになった体は、もう痛いんだか苦しいんだか寒いんだか熱いんだか。いろんな物がぐちゃぐちゃになって何がなんだかわからない。ついでに頭の中もぐちゃぐちゃになって、それでも彼女の泣き顔だけは妙に鮮明で……

「お父さんじゃなくて、私を見て」

 涙と共に彼女が零した言葉。その言葉に、ようやくオレは彼女を見れた気がした。
 キサラギコーポレーションの社長令嬢。その分かりやすい肩書きと、分かりやすい社長の椅子という成功を求めて、オレは彼女に近づいた。三十四回も彼女との出会いをやり直し、求めたのは彼女ではない。それに気づかないほど彼女が愚かであるはずもなく……きっと、彼女の周囲はそんな人間ばかりだ。
 お高くとまった彼女は……
「ずっと、側にいて」

 嗚呼――――



 眠る決心をしてしまったオレは、目尻から流れ落ちる熱い液体に気づいていた。もし、リワインドの力が好きなように時間を巻き戻す力であったのなら――オレは、彼女と





リワインドの神は虚しき骸にして愚かなる人間。了

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