C-08 Deserter's 45 minutes

 部外秘/音声記録《Mobula/A548 2049/08/15 UTC-05:09》

[リセ、調子はどうだ?]
[問題ありません]
[……の割に、さっきから物言いたげじゃねぇか]
[……お聞きしてよろしいでありますか]
[言ってみろ]
[中尉殿はなぜ、自分と飛ぶことを希望されたのでありますか?]
[……約束したろ。どんなことをしても守る、って]
[昔のことです]
[………………]
[……すまない]
[俺はお前を……守ってやれなかった]
[仰る意味が分かりかねます]
[本当は一秒だってこんな下らねぇとこにいさせたくないんだ。こんなどうしようもねぇもんばっかりじゃなくて、もっとちゃんと見せてやりたいものがあるってのに……]
[そんな義務は、中尉殿にはないはずであります]
[……そうだな]
[………………]
[そういや、覚えてるか? もう一つあっただろ? 約束]
[………………]
[なあ、リセ]
[この作戦が終わったら、]

 ――――――

 レイ中尉と言えば、俺らにとっては神様みたいなもんだった。まだ三十にも手が届かない若造が近くを通りかかるだけで、基地中の連中が初デートに出かける娘ッ子みたいに頬を染めたもんだ……ホントだぜ。
 長いこと独りで飛んできたレイ中尉が、若いのと組まされて複座型に乗り込むって噂が流れた日にゃ、それこそ基地中が騒然となった。しかもその相手がまだ年端もいかねぇ小娘だってんだから、ホント、目も当てられなかったな。何日間かはいつ暴動が起きてもおかしくないような雰囲気で、みんな殺気立ってた。
 娘ッ子が俺たちの基地にやって来たのは、忘れもしない二〇四八年の三月二五日。近くの海で海水浴ができそうなくらい陽気な日だった。
 まぁ、いわゆる天才少女って奴だ。噂が流れるちょっと前に基地に運び込まれてきやがった、イトマキエイみたいな新型の戦闘機を操縦できるのはその女だけだって話。上の話じゃイトマキエイが娘ッ子に合わせてカスタマイズされてるってことだったが、口さがない連中は娘ッ子の方がイトマキエイに合わせてカスタマイズされてるんだろうなんて言ってた。今となっては推測するだけ無駄ってもんだが……まぁ、奴らの言うことも、半分くらいは正しかったんだろうな。
 イカれた飛びっぷりだったぜ。地べたッから見上げてるだけで、背中や腹がぞわぞわしてくるんだ。地面に激突するんじゃねぇかって超低空で宙返りするわ、きりもみ降下するわ……それにあのイトマキエイもどうかしてる。地上からでも時々目で追えなくなっちまうようなスピードが出るんだ。あんな調子じゃ、中のパイロットなんて車に轢かれたヒキガエルよろしくぺしゃんこになっちまうんじゃねぇかと思うんだが、娘ッ子もレイ中尉もいつも平気な顔して降りてきてた。元は同じ人間だなんて思えねぇよな、ホント。
 イトマキエイと組んでの輸送任務は悪くなかった。先の大戦の遺物なんじゃ、ってくらい使い込まれた黒イルカ――翼と胴体のつなぎ目に段差ができない上翼式の四発機を、俺たちゃ愛情込めてそう呼んでたんだが、そいつで大事なもの(なんだったのかは俺みたいな下っ端は知る必要もねぇってんで教えてもらえなかった)を運んだ時の話だ。敵の斥候部隊に見つかっちまって、俺は生きた心地もしなかったんだが、イトマキエイの奴が寄ってくるハエどもを次々撃ち落としていくんだ。機銃制御は後部座席のレイ中尉が受け持っていたはずなんだが……ホントに大した男だぜ。あんなスピードで飛び回ってたんじゃ、周りのもの全部光の束にしか見えなかったろうに、連中の撃墜率と来たら公式記録でさえ神がかってた。人の噂は……ま、言うまでもねぇよな。なんせ、レイ中尉は神様だ。
 極秘任務とやらで、イトマキエイが一機で出撃することもあった。連中がどんな任務をこなしてたかなんて勿論俺は知らない。俺らが一時代前の輸送機に乗ってあちこちの町や土手や原っぱにちんたら荷物を落っことしてる間に、雲の上じゃ新型兵器同士がどんぱちやってたんだろう。文字通り、雲の上の話ってこった。
 娘ッ子の姿を見る機会もほとんどなかった。上の連中の用心深さときたら、ホント、小さい頃の姉貴そっくりだったぜ。遊び終わった途端に大事なお人形さんを布でくるんでオモチャ箱の中にしまいこんじまうんだ。娘ッ子が戦闘機から降りて来るなり護送車に詰め込んで、どっかに連れて行っちまうってわけさ。娘ッ子がどんな声で鳴くのかも、基地中で知ってるのはレイ中尉ただお一人ってこった。

 正直に話そう。
 俺ァあの娘ッ子の声を聞いたんだ。終戦から二日後の、夜のことだった。基地中が浮き立ってた。俺のいた隊もご多分に漏れず、浮かれすぎて他の隊との殴り合いは二十回を下らず、酒も浴びるように呑んで……実際、浴びてる馬鹿もいたな。まあ、そんな感じで気が大きくなってたんだ。
 どっかの馬鹿が肝試しをやろうなんて馬鹿なことを言い出して、売り言葉に買い言葉を繰り返すうちに我がチームが真っ先に任務に就くことになっちまった。場所は第三駐機場――イトマキエイの残骸が放置されてるランナップエプロン。おあつらえ向きなことに、できたてほやほやの怪談つきだ。
 大体予想がついてるだろうが、その怪談ってのは、イトマキエイのパイロット二人にまつわる話だった。
 内容はこうだ。イトマキエイの奴は終戦が決まる一ヶ月前に最後の任務に出発した。世界中の神様と化け物が一堂に会したとかいう、伝説的で神話的な任務だった。勿論、雲の上でどんな常識外れな戦闘が行われたかなんて俺は知らねぇし、そん時この世界中で何人の神様(もしくは化け物)が生き残ってたかなんてのも知らねえ。とにかく俺たちの国は大勝して、別の雲の上で行われる終戦交渉を有利に運べるようになった。
 イトマキエイは戦闘の三日後に基地に帰ってきた。自動操縦、バッテリー残量ゼロなんて奇跡的な帰還だったが、あまりに損傷が激しいってんで、結局奴が飛び立つことはもう二度となかった。偉いさんたちは必要な物品だけさっさと回収しちまって、残されたのは魚の食い残しみたいなみじめな残骸だけだった。パイロット二人の無事は確認されなかった――当然さ。シートはどっちも空っぽだったんだからな。脱出した形跡はなかった。消えちまったんだよ、二人とも。空気みたいに跡形もなく、な。
 MIA。俺らに直接伝えられた情報なんざたったの三文字だ。あっさりしたもんさ。そしてこれはあくまでもただの噂なんだが、前部座席の娘ッ子が確実におっ死んじまうような被弾の仕方をした直後から自動操縦に切り替わるまで、なぜか四十五分も空白の時間があって、その間ブラックボックスに残されてたはずの記録さえも全部カラだったって話。

 第三駐機場に着いた時、正直俺は来るんじゃなかったと思ったね。数年ぶりに灯火管制を解かれて浮かれきった連中が、狂ったように明かりをつけまくったせいで、基地の上空は夕焼けみたいに赤く照らされてた。離れた場所から色だけ見てると、空襲を受けて燃えちまってるように見えるんだ。しかも第三駐機場だけは忘れ去られたように真っ暗でさ。まるでそこでだけ戦争が続いてるみたいだった。
 例の戦闘機は本物の死骸みたいにぐったりと横たわってた。悪趣味な肉食獣に内臓だけ食い散らかされたイトマキエイみたいにさ……ホント、嫌な光景だったぜ。
「取って来るったって、一体何を取って来るんだ?」
 我が隊一の巨漢のヘラクレス殿が、困惑しきった調子で言った。
「さァな」
 いつだって冷静なヴィネの奴だ。
「なんでもいいに決まってるだろ。要は行って来たってことが証明できりゃいいんだ」
 機長のディーが結論を出した。
「さっさと行って、帰って一杯やるぞ。ったく、早くしないと酔いが醒めちまう」
 そういうわけで俺らは、のこのこイトマキエイの残骸によじ登って行ったんだ。キャノピーが取っ外されてむき出しになっちまった前部座席には、めぼしいものはなーんも残っちゃいなかった。原形もとどめないくらいぶっ壊れたコンソールと計器板の一部、赤黒く染まったシート。残るは骨と皮ばかり……実際、なんで上の連中が機体ごと持って行っちまわなかったのか、未だに理由が分からねえ。どんなエンジンを積んでらっしゃったのやら、油の臭いも一切残っちゃいなかった。こいつがほんの一ヶ月前までは大空を自由自在に飛び回ってたなんて、そんときゃ悪い冗談だとしか思えなかったぜ。
「おお寒。さっさと終わらせるぞ。なんでもいいから引っ剥がして……」
 機長様のお言葉は途中で消えちまった。別の声がしゃべったからだ。
[……セ、リセ、生きてるか?]
 くぐもった声はとてつもなく原始的な伝声管の、管の中から聞こえてきた。俺たちはぞっとして顔を見合わせた。全員雁首揃えて前部座席を覗きこんでたんだ。そんなとこから声が聞こえてくるのはどう考えたっておかしい。しかし次の瞬間に起こったことといえば、ぞっとしたなんて表現じゃ生ぬるいもいいとこだった。俺たちはお互いの顔を見て、全員が同じ声を聞いたのを知った。
「きっ、聞いたか?」
 ヘラクレスが言わずもがなのことを言った。誰も肯かなかったが、答えは火を見るよりも明らかだった。
 その時俺たちが聞いたのは、女のあえぎ声だ。すぐ耳元で聞こえたんだ。思わずシートを確認しちまったが、もちろん前部座席には誰も座っちゃいなかった。だが声が聞こえたのは確かにそこからで……そんな色っぽいもんじゃなかったさ。言ったろ? 通信記録が途絶えたのは、前部座席の娘ッ子が確実におっ死んじまうような被弾の仕方をした直後からだって。
[レイ、レイ、……敵は? どこ?]
 初めて聞いた娘ッ子の声だ。完全に理性が飛んじまってた。
[見えない……見えない……空が……見えない]
 聞いてるだけで血反吐の匂いがしてきそうな感じでさ。あれは胃に来たね。ヘラクレスは実際必死で吐き気を堪えてるみたいだった。
[リセ、自動操縦に切り替えろ! 基地に帰還する。これ以上は無理だ]
 伝声管から聞こえてきたのは、当然レイ中尉の声だったんだろう。えらく焦って、うろたえてた。俺たちにとっちゃ神様みたいな存在だったが、その声を聞いたら、あの男もやっぱりただの若造だったんだと思えたよ。
[レイ、熱い……熱いのに、寒い。どこ? 見えない、レイ……見えない……空……見えない]
 神様が舌打ちするのが聞こえた。
[リセ、加速を止めるんだ。もういい。もう敵機は振り切った。自動操縦に切り替えて、基地に帰還するんだ]
 娘ッ子にゃ聞こえちゃいなかった。娘ッ子はしばらく熱いだの寒いだの呟き続けてたが、だんだん弱っていってるのが、声だけでも嫌ってほどよく分かった。レイ中尉は娘ッ子がうなされてる間中ずっと、自動操縦に切り替えろと何度も何度も何度も繰り返してた。繰り返すたびにその声は震えてって、娘ッ子のうわごとがただのあえぎ声に変わっちまった頃に、中尉も黙った。いたたまれねぇ沈黙だったが、俺たちは凍り付いたみたいにそこから逃げ出せなかった。伝声管の向こうで、神様は泣いているみたいだった。
[……リセ、東に進路を取れ]
 しばらく後に発せられた神様の声は、だけど震えちゃいなかった。
[予定変更だ。基地には戻らない。このまま帰ろう]
 むしろ笑ってるみたいだった。
[昔約束したろ? 俺たちの故郷を見せてやるって。今からだったらちょうどいい時間に着く。ちょうどあれが見える時間だ。俺が知ってる中じゃ、この世で一番綺麗なもんだ。お前にも見せてやるよ。簡単だ。今まで何度も練習してきたろ? 東に進路を取れ。まずはこの、けったくそ悪ィ森を飛び越えるんだ]
「おい、見ろ」
 ヴィネの奴があからさまにうろたえた声を出したのは、後にも先にもその時っきりだったな。でも、そんときゃそんなこと考える余裕もなかった。ヴィネが指差した計器板で、HISが動いてやがったんだ。
「東に向かってる……」
 ディーが呆然と呟いた。
[高度を上げろ。お次は山の天辺を乗り越えなきゃならねえ]
 俺たちは反射的に高度計を探したが、ぶっ壊れた計器板にはそれほど計器は残っちゃいなかった。娘ッ子のあえぎ声はもう聞こえない。なのにレイ中尉は、ずっと同じ調子で指示を出し続けるんだ。山も川も谷もあッという間だった。
[見ろよ、リセ。海だ]
 海に子供連れてきて、自分の方がはしゃいじまう親っているだろ? その時のレイ中尉の声は、ちょうどそんな調子だった。
[少し進路がずれてるな。南に八度]
 HISは神様の声に従った。イトマキエイは固定されてるはずの翼を羽ばたくように動かして向きを変えた。足下が浮き上がるような感じがして、俺たちゃ反射的に外に飛び出そうとして――でも、結局誰もその場を動かなかった。動けなかったんだ。ぶっ壊れたキャノピーの向こうにゃ、基地も滑走路も見えなかったんだから。
 そこにあったのは海と空だ。まさにその瞬間、燃え上がろうとしている、夜明けの海と空だった。
 そうだ。その時俺たちは確かに見たんだ。コックピットに雪崩れ込んでくる光を。黄金色の、太陽が初めて世界に姿を見せるその瞬間の、強烈な光を。

 ……ひかりがみえる……

 娘ッ子が呟いた。その声はもう、なんて言うかな、血の匂いのする生身の人間の声じゃなかった。もう魂だけになっちまった奴の、この世のものじゃありえねぇ声だった。

 随分後になってからだが、とある訓練施設の卒業者名簿を見る機会があった。特殊ナントカってクラスに、レイ中尉と娘ッ子の名前が並んで載ってた。
 実の所、俺が知ってるお二人さんの繋がりなんてそれ一つッきりだ。確かな情報はな。そりゃ、噂なら山ほど聞いたさ。レイ中尉と娘ッ子は同じ島の出身だったらしいとか、二人揃って超能力者だったとか、実は改造人間だとか、だからお二人さんが組まされることになったんだとか。それとは真逆に、上層部はお二人さんをバラけさせときたかったんだが、レイ中尉がどうしてもってゴリ押ししたんだって噂もあった。
 お二人さんの関係だってそうさ。兄妹、従兄妹、又従兄妹、遠い親戚、親子に夫婦、恩人の娘、恋人、愛人……想像が許す限りの男女の関係をとにかく片ッ端から並べ立てとけってわけだ。噂なんだから何でもアリってこったな。何が真実かなんて、どうせ誰にも分かりっこねえ。
 そういや、俺たちが幽霊の声を聞いたって噂を聞きつけてやって来た、イトマキエイの元整備士なんて胡散臭ぇ奴もいたな。訓練を嫌がる娘ッ子に、レイ中尉が脱走計画を話してやってるのを聞いたことがあるとか言ってやがった。無許可でイトマキエイを離陸させて、二人で故郷の島に帰っちまおうって計画。荒唐無稽なお伽噺さ。カタパルトなしで二人だけの力で奴を離陸させるなんざ、土台無理な相談なんだ。そんくらいは、整備士なんかじゃなくたって奴の離陸を見たことがありゃ分かる。
 それでもそんな発想が出てくること自体けしからんってんで、それを問題視する声も当然あったんだそうだが――まぁ、実際問題だったわけだよな。お二人さんと来たら、国家の命運をかけた任務の真ッ最中に脱走計画を実現させちまったんだから。

 続きを話そう。
 イトマキエイは光に向かって飛び続けてた。本物のイトマキエイが海の中を泳ぐみたいに、静寂に包まれて羽ばたきながら、ゆったりとさ。俺たちはアホ面下げて口を半開きにして、前部座席のシートにかじりつくようにして壮大な夜明けを見てた。お天道様が昇って来るに連れて、海も空もみるみるうちに色鮮やかになっていくんだ。赤道直下の、宝石みてぇな珊瑚礁の海……。
[そうだ、リセ]
 神様はまだ話し続けてた。娘ッ子に中尉の話が聞こえてたのかなんて、俺らに分かるはずもねえ。神様にだって分からなかったはずだ。それでもレイ中尉は娘ッ子を故郷に連れて帰らなきゃならなかったんだ。分かるだろ? 約束ってのはそういうもんだ。
[その光の先に、俺たちの故郷があるんだ]
 レイ中尉は話し続ける。被弾から四十分ちょっと。お二人さんの故郷の空は、この世で一番綺麗な夜明けを迎えている。
[だから飛んで行くんだ。お前なら行けるさ]
 中尉の声が弾んだ。水平線上に浮かび上がったでっかい火の玉のど真ン中目指して、イトマキエイは真っ直ぐに飛んでいく。
[お前なら迷わずに、進んで行けるはずだ]
 歓喜と確信に満ちたレイ中尉の声はやっぱりただの若造なんかじゃなくて、神様の声だった。
 ああそうさ。レイ中尉と娘ッ子なら、きっとどこまでも飛んで行けただろう。最新鋭の戦闘機なんて冷たい代物じゃない、本物の、生きてる空飛ぶイトマキエイに乗って。

 俺ァ時々思うんだ。空気が澄み切った夜明けに雲の上を飛んでる時なんかは特にさ。
 奴さんたちは、光の先の故郷とやらで今も平和に暮らしてるに違いない。
 めでたしめでたし、ってな。

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