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A-03  ここで私は生きていく

 人類が始めて宇宙に進出したのは西暦1926年のことだったという。生物を乗せずにロケットが発射されたのだ。それから犬が乗せられ人が乗せられ、1969年にアメリカ合衆国のロケット、アポロ十一号が月面着陸を果たす。その後、宇宙ステーション案が出されたり、火星探査の無人ロボットが打ち上げられたりしたが、人類の宇宙進出という点においてはなかなか進歩がなされなかった。科学が進歩しても、人類にとって大気圏という壁は大きなものだったのである。
「で、その壁をアメリカの何とかさんが破って、人類初の宇宙居住者が宇宙ステーションに住みはじめたってわけでしょ?」
「カーティス=フォスター。宇宙科学の権威のMr.Fosterだ。名前ぐらい覚えろ。フォスター氏は素晴らしい業績を成し遂げた人なのだぞ。この方がいたからこそ、現在の世界があると言っても過言ではない。フォスター氏は人類の宇宙進出の最大の壁であった──」
「あーわかったわかった。わかったから止めて。頭が痛くなる」
「なんだその態度は。本当に素晴らしいことだとわかっていない。いいか、フォスター氏はなぁ──」
「はいはい」
 宇宙について熱っぽく語っているのは私の友人であり、幼馴染である金岡 夏月である。黒目の大きい、くりくりとした瞳を輝かせ、私の制止も聞かずに語り続けている。鼻筋は整っており、顔の輪郭は美しい弧を描いていて、女の私ですらはっとするような美人だ。思いを寄せている同級生の男子も多い。母親が今最先端のファッションデザイナーということもあり、母親に進められた服を着、それに似合うメイクだのをしている。本人曰く邪魔だということで少々女の子にしては短く切られている髪も服にとてもあっていた。だが性格はさばさばしていて裏表がなく、嫌味っぽくもない。思いを寄せてくる異性と同じぐらい、同性の友人も多いのだ。
 そんな彼女がふたを開ければ“宇宙狂”であることを知っているのは、友人では私と、異性では今まで付き合って破局した元恋人ぐらいだろう。彼女は別に隠しているわけではないのだが、どうにも語る対象がある程度親しくなった相手、ということなのだから仕方がない。
 彼女の口調と宇宙狂の原点は父親である。幼いころ母親が忙しかったため、夏月は幼児期を父親に育てられた。その父親というのが宇宙科学局に勤めている科学者で、ちょうど夏月と同じようなぶっきらぼう口調だったという。それが完全に彼女にはトレースされてしまったのだ。母親がそのことに気づき、今でこそ夏月はかなりセンスのいい服装をしているものの、小学生頃までは服装など何の興味もなく、暇さえあれば宇宙の話をしたり、星をみていたものだ。私と彼女の付き合いは、それ以前、幼稚園のころからなので、よく知っている。
「夏月、語るのはいいけどさ。宇宙学の勉強、しなくていいの? そのために私んちに来て、こうして勉強してるんでしょ? 宇宙学のテスト、明日だよ」
「私は宇宙学の勉強など当に済ませている。君に語るほうが大事だ。君はフォスター氏のフルネームも覚えていなかったではないか。そのままだと宇宙学のテストは赤点だぞ。いいか、宇宙学というものは一朝一夕に学べるようなものではなく、もっと奥の深い──」
「あー、はいはい」
 やぶへびだったようだ。ますます語りがヒートアップしてしまった。私は夏月の言葉を適当に聞き流しつつ、テーブルの上に開いた教科書に目を落とす。
 宇宙学が学校で教えられるようになったのは最近のことだと聞く。そう、夏月の言う偉業をなしとげたカーなんとかが人類の宇宙進出のきっかけを作り、人類が宇宙ステーションに住むようになって十数年、元は科学に含まれていた宇宙の誕生の仕組みやら天体のこと、それにうっすら含まれていた程度だった人類の宇宙進出の歴史やらをまとめたのが始まりだ。時代は宇宙だ。時代に乗り遅れないためには宇宙についてもっと学ばなければならない、などという文部科学省の決定で、いまや日本でも学校で教えられる教科の一つになっている。
 私は、といえばどうも無理やり学ばされているような気がしてならない。私の少し上の世代では学ばなかったことを何故私達が学ばなければいけないのか。教科書を見るだけでうんざりして、勉強する気になれない。ところが流行というものは恐ろしいもので、宇宙学は学ぶべきことだ、なんて流行があるのか私の周りの生徒は結構嬉々として宇宙学を勉強している。
 夏月もその一人で、その中でもかなり狂信的に宇宙を愛している者だ。彼女ほどではないものの、他の友人も多少、宇宙については語ることができる。親も先生も、テレビに映っているタレントも、だ。宇宙について語らない人は居ないとばかりに語る。私は宇宙について語れといわれれば頭が痛くなるというのに。
 そして素晴らしさを語りつくした後に、決まって人々はこう言う。
「早く宇宙に住みたいものだ」
 うっとりとした目で、そう言って、夏月の宇宙語りが終わった。その目には現在ではなく、輝かしい未来への希望をたたえている。
「そうだねー」
 軽くうなずいて同意した。ここで同意しなければまた宇宙の誕生から語られて、エンドレスになってしまう。すると夏月はそうだろう、と満足げに笑ってノートに向かった。最後の復習をするのだろう。語ったことで満足したのか、躍起になって私に宇宙学を教えようとしてこないことにほっとする。
 私も同じようにノートに向き直って目を凝らした。ノートには授業中、先生が宇宙について熱く語りながら黒板に書いた内容が板書されている。それを見るだけでまた頭が痛くなって、夏月にばれないよう、そっと額を押さえた。
 世間は宇宙を熱狂的に見つめている。宇宙へと向かっている。私にはその気持ちがわかりそうにない。

 数日後、夏月と共に勉強した宇宙学のテストが返ってきた。平均点はというと八十点オーバーで、他のテストもこうだと良いのになぁとよく担当教師が笑っている。最高点はというと百点で、クラスに四五人いる。いつものことだ。その中に夏月が含まれていることもいつものことだ。彼女の成績がいいのは宇宙学に限ったことではなく、うらやましくてならない。
 私はといえば四十点だった。普段赤点ギリギリか、一二点足らずに赤点な私にとってはいい点数である。まぁこんなところだろう。
「川原は他のテストの点はいいのになぁ。何で宇宙学だけ悪いんだ?」
 というのが前の進路希望についてのガイダンスで担任に言われた言葉だ。その場ではさぁ何ででしょうね、と笑ってごまかしたものの理由は明確にわかっている。そこまで宇宙に興味が持てないのだ。むしろ周りの宇宙への情熱に引き気味と言ってもいいのかもしれない。全部のテストが悪い生徒はいるが、宇宙学だけ落としてる生徒も少ないのだろう。ガイダンスでは毎回同じことを聞かれてきた。いろいろとアドバイスもされるが、勉強する気が無いのだからどうしようもない、と自分では思っている。
 今、宇宙ステーションに住んでいるのは地球上の人口の一パーセントにも満たない人数だ。私が大学を出るころには先進国からもっと多くの居住者が出るだろうといわれている。
 だからだろう。宇宙での職業につくことを望む人が増えているのは。直接宇宙に関わるものではなくても、きまって宇宙を視野に入れた活動をしている。世界中でブレイク、ではなくいまや宇宙中でブレイクすることが目標だ。夢は大きく宇宙に、が今の風潮である。
 しかし私はそんな気にもなれず、ガイダンスで宇宙に興味ないのか? と担任に聞かれるほど宇宙に興味がない。
 宇宙学のテストを親に見せるのを憂鬱に思いつつ、夏月と共に帰路に着く。近頃物騒だから──この近頃がいつ頃からずっとそうなのか、いつも疑問だ──家が近所の人と一緒に帰るようにと言われている。夏月とは家も近く、登下校は特に何もない限りは一緒だ。そして毎日、夏月の宇宙語りを聞く羽目になる。何を話していても最終的に宇宙の話になってしまうあたり、もう仕方ないな、とあきらめた。
 宇宙に興味はない上、聞かされるのもあまり好きではないが、夏月が楽しそうに話しているとそれでいい気がするから不思議だ。
「明日辺り夜空を見上げてみるといいぞ。きっと素晴らしいものが見られる」
「んーじゃあ部屋から見てみようかな」
「それがいい」
 紺色の制服のスカートを翻し、夏月は手振り身振りを交えて語ってくれる。
「そういえばソラの母が帰ってくるのは明日か?」
「まぁね。夏月のお父さんは?」
「私の父はこの間返ってきたから大分先だな。宇宙科学局日本支部は忙しいからな」
「そうだね」
 夏月と幼馴染で仲が良い理由の二つ目は親同士が同じ職場だということだ。私の母親も夏月の父親と同じ宇宙科学局に勤めている。よく家を空ける母親に代わり、私の家では父親が家事一般を取り仕切っていた。父親も母親も宇宙好きである。私の両親も“宇宙狂”だろう。だから私にソラなんて名前をつけた。
 宇宙の宇と書いて、ソラ。宇宙に興味を持たない私の名としてはなんという皮肉だろう。
「ではまた明日な」
「うん、じゃあねー」
 夏月と別れて家に入る。今日はいつも家に居る父親も仕事で、家には私一人だ。二階にある自分の部屋に上がって、制服を脱ぐ。そして私服に着替えると静かに階段を下りた。庭の隅にある物置へと極力音を立てないように近づく。ドアを開けた。
 自分の心臓の音が聞こえる。悪いことをしている気分だ。
 物置には曽祖父が生きていたころの物がしまいこまれている。曽祖父は私の小さいころに老衰で死んだ。元々この家は曽祖父の家で、今は私達の家族が住んでいる。
 私は埃のかぶった品々の中から薄汚れた小さな地球儀を取り出した。
 夏月が父親に影響を受けたとすると、私は曽祖父に影響を受けたのかもしれない。地球儀を自室まで持ってきて、思う。
 曽祖父についての記憶は私の中にはあまりないが、父方の祖父母に聞いたところによると曽祖父は宇宙をあまり好きではなかったのだという。進歩し続ける科学を批判し、懐古主義のごとく、昔のほうがよかったと繰り返していたらしい。その曽祖父の性格を現すように、一人に一台パソコン、家の気温管理は機械一台で、の現代において、この家にはそういう機械がまったくなかった。テレビと冷蔵庫とストーブと扇風機といった今はほとんど使われていないものだけがあった。曽祖父が存命していたころ、この家に来て、私は子供ながらにほっとした覚えがある。それも昔の良さだったのかもしれない。
 曽祖父が死に、私達が住むようになって最新機器が家に運び込まれ、そのほっとする感覚は消えてしまった。曽祖父が使っていたものの多くは捨てられ、少数が家族の思い出と共にこの物置にしまわれたのだ。
 小学生のころこの物置に入り込んで怒られて以来、私はこの物置に近づいたことはなかった。何となく宇宙狂の親の前で、宇宙批判をしていた曽祖父の話題は出しづらく、自然と口に出さない話題になっていた。曽祖父は私の両親、また祖父母、親戚にとっては過去の人物なのである。
 机上に置いた地球儀を回す。埃が飛び散って、あまりスムーズに回らなかった。色鮮やかで綺麗だったように思われるそれは、長い月日のうちに薄汚れてしまっている。私は雑巾をとりに立ち上がった。
 地球儀は私と曽祖父との唯一の思い出の品である。私が来たとき、曽祖父はこの地球儀を見せてくれた。目に映った美しい青と共に、曽祖父の穏やかな声音を思い起こされる。
「昔、宇宙に行った何とかという宇宙飛行士が言ったそうだ。“地球は青かった”とな。シンプルでいい言葉じゃないか」
 地球儀は曽祖父が持っているただ一つの宇宙に関するものだった。
 今だからこそ思うが、曽祖父は宇宙というものを否定していたわけではないのかもしれない。懐古主義だと聞いていたが、それを言ったのは祖父母であって、私のおぼろげな記憶の中で曽祖父がそう言った言葉を吐いたことはない。彼はただ、私のように全員が宇宙へと向かう、宇宙こそ希望だ、といわんばかりの風潮に戸惑っていただけではないだろうか。そうして、それに危機感を覚えていたのではないだろうか。
 私は持ってきた雑巾で地球儀の埃を拭いた。地球儀は美しい青と緑の大地を見せてくれた。広がっている砂漠も、湖も、細かく描かれている。
 これは昔の地球だ。今の地球は温暖化が進み、砂漠が広がって森が減っている。植林が行われてもいるが、それより宇宙に、火星に、月に、植物を植えるにはどうすればいいだろうという研究のほうが強く行われている。温暖化の原因になっている二酸化炭素の排出量は減らない。自然を大切に、と叫ぶ人々がいる一方で、自然を破壊し続けている人々がいる。それを私は知っている。私達は授業で習い、テレビで見て、それを知っている。
 昔は、私も宇宙が好きだった。周りの人々と同じようなテンションで、宇宙について少しは語ることが出来た。だが今は出来ない。気のせいかもしれない。両親からは考えすぎだと言われるだろう。夏月からも。しかし私は気づいてしまった。そう思ってしまった。
 目の前の地球儀をそっと回した。今度はスムーズに回転する美しい、青。
 この星から目がそらされ始めている。宇宙に行けば全て解決するかのように言われている。ロケットは発射される。宇宙に人類は出て行く。だが昔のように地球が映されることはない。地球は昔のようではないのだろう。人類がどの程度であれ、地球を破壊してきた。だから、この地球儀と同じ姿を今の地球はしていない。
 回る地球儀を手で止める。曽祖父が同じように止めていたのを思い出した。ちらちらと曽祖父の微笑みが記憶の中で点滅している。曽祖父について思い出すとき、いつも思い出す笑み。その口が開かれて言葉をつむぐが、その言葉が思い出せないのだ。そこに私の悩みの答えがある気がして、宇宙学のテストが返されるたび、宇宙に興味がないのかと聞かれるたび、繰り返し思い出す。
 この地球儀と今の地球が違う姿だからといって、それについて私が何をしたいのかがわからないのだ。宇宙に行かないと決めたからといって、私が何をしたいのかがわからない。答えはすぐそこにある気がする。だがわからない。もうすぐまたガイダンスがある。今回は母親と担任と私の三人だ。進路をある程度決めることを求められる。これ以上親や先生から宇宙についての興味を聞かれるのは嫌だ。流されるように宇宙に関係する仕事につかされそうな気がして。
 答えを求めて、私は曽祖父の地球儀を持ち出した。だが簡単に答えは出ない。あの時、曽祖父が言った時に一緒にあった地球儀を見れば、何かを思い出すかと期待したのだが。私は机に頬をつけて、真横から地球儀を見た。あの時も居間のテーブルの上でこうやって、この地球儀を見ていた。その隣に曽祖父が座っていた。彼は私に宇宙飛行士の話をして微笑んで、そして。
「あ」
 そして言った。地球が──。
「地球を忘れて、今を忘れて、未来を、宇宙を見ているだけじゃ、だめなんだ……」
 思い出せたような気がした。気だけかもしれない。実際よく思い出せていない。ただ、あの時曽祖父が伝えたかったことは、わかったような気がする。私がしたかったことも。顔を起こして、私は地球儀を見つめた。そこに当たり前のようにある地球。
「忘れられるのが、嫌だったのかなぁ、私」
 独り言が思わず漏れる。この地球儀を綺麗だと思った。地球がこんなに綺麗なら、好きだと思った。宇宙だ宇宙だと言って、地球のことを、自分達が住んでいるこの星のことを捨ててしまうようで、嫌だったのだ。宇宙が嫌いなわけではなかった。ただ、地球が忘れられてるようで、まさに地球から目をそらされているようで、嫌だったのだ。大切なことを、忘れているのではないかと問いかけたかった。
 宇宙にあこがれてもいい。宇宙を目指してもいい。未来への希望を、夢を語るのは良いことだ。だけど、今をないがしろにして、未来は来ない。地球を捨てて、宇宙に出られるなんて、おかしい。
「そっか」
 自分の結論に納得のいった気がして、私は椅子の背もたれに体重をかけた。天井を見上げる。明日は良い夜空が見られるだろう。
 なんてことはない。私は地球が好きだったのだ。そして、そこから離れたくなかった。それだけだ。
 できることを考えよう。地球のために。宇宙へと希望を見出す人々の分も、地球へと希望を見出せるように。そうして生きていくのだ。

「地球が青いことを忘れてはいけないぞ、ソラ。宇宙がどんなにいいものかわかる前に私は死ぬだろう。だけど、地球がいいものかってことはよーくわかってるんだ。それを忘れてはいけない。……ソラには少し、難しすぎるか。じゃあもっと簡単に言おう。私はここで生きていきたいんだよ、宇」

 この、青い星で。


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