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A-04  逆さまの星たちとお母様の夢

私が物心ついたころにはもう下に小さな妹が二人いた。
だからお母さまが、一緒に寝てくださっていた時のことは全く覚えていない。
けれどお母さまは一週間に一度、必ず私の部屋で私が寝る前に本を読んでくださることになっていてそれが本当に楽しみだった。


最後にお母さまが読んでくださった本は忘れもしない。


私は十歳になっていて、もうお母さまに本を読んでもらわなくても一人で眠れるようになっていた。
それにお母様はご病気になっておられたから、普段でもあまりお母様に会うことは出来なかった。
だからその夜、眠ろうとしたときにお母様がランプと本を持ってそっと部屋に入ってこられたときはびっくりした。
けれど私が何かを尋ねる前にお母様は、しぃっと人差し指を唇にあてたので何もいうことは出来なかった。


お母様はそっと私のベッドの隣に腰をかけると、ランプを置いてからお膝の上に本をお広げになった。
「何のご本?」
声をひそめて尋ねると、秘密よと答えられた。


それはこれまで見たどんな本よりも美しい本だった。
濃い緑の草が風になびいている小さな丘の上に、小さな女の子がその子のお母様と一緒に立って上を見上げている。
二人が見上げている夜の空はまた素晴らしい色をしていて、星がたくさん並んでいた。


その星たちは私が、見慣れている夜空の星の並び方とはまったく違っていてどこかがおかしい、と思った。
私がおかしい、と思ったことにお母様はすぐ気が付かれたようで可笑しそうに笑いなさった。


「この本、どうしてこんなお星様の並び方なの?」
顔をあげてそう尋ねるとお母様は優しく私の頭をなでられてから私をぎゅっと抱きしめた。
「お母様が生まれた所ではね、お星様はこの国とは逆さまの形で並んでいるのよ」


お母様の生まれた所、の話はそれまで一度も聞いたことがなかった。
そして私はそれまで当然お母様はこの国の人なのだと思っていた。
驚いた私はいろいろ質問しようとしたのだが、お母様がまた本を読み始めたので結局なにも尋ねることができなかった。


女の子がどこかに行ってしまう前の晩にお母様に手をひかれて星を見に丘に登る。
それがその本が描く物語だった。

『アルシア、遠くへ行っても必ずこのお星様たちの形を覚えておくのですよ』


その一文をお母様が声に出して読んだ瞬間、私は思わずそれをさえぎって叫んでいた。


「お母様、この女の子は私と同じ名前なの?どうして?」


お母様は今まで見たこともないようなお顔をなさって私をじっと見つめておられた。


「そうね・・・お母様は小さな頃からこの本が大好きだったの。だからこの国にやって来るときもこの本だけは手放さずにしっかりと持ってきたわ。そしてここにやって来て、お父様と結婚したときに決めたの」


私に女の子ができたらきっとアルシア、という名前にしようって。
お母様の国の言葉で『故郷』という意味を持つ名前にしようって。








お母様はその半年後にお亡くなりになった。
あの時、読んでいただいた本は私が今も大切に持っている。
『アルシア』が自分のお母様と手をつないで星を見上げている頁の紙は、もうすっかりすりきれてしまった。

お母様がなぜこの国に来たのかをお父様に聞いたことがある。
けれどお父様はただ一言、「私のために来てくれたのだ」としか答えなさらなかった。
そう答えたときのお父様はお母様が亡くなった時と同じくらい悲しいお顔をなさったのでそれ以上は聞かなかった。


お父様のためにこの国にやって来たお母様。
この国。
お母様の生まれた国にあるはずの緑の丘など、どこにも見当たらないこの国。
そしてお母様に、この宮殿は窮屈すぎたのかしら。

お父様と一緒におられるときのお母様は他の誰よりも幸せそうなお顔をされていたから。
だから、お父様のためにこの国にやってきたことをお母様は後悔なさっていたのではないのだろう。


それでも・・・
夢を見ることをやめさせることは誰にもできない。
きっとお母様ですらできなかった。


いつかもう一度、あの丘にのぼって逆さまに並んだ星たちを眺める夢。
あの本に出てくるお母様みたいに『アルシア、丘にお星様を数えに行きましょう』と言う夢。


でも、お母様がこの国に来られてからその夢は叶うことはなかった。
お母様がたとえ今、生きていらっしゃったとしてもその夢はかなわない。


お母様がこの国にやってきてからすぐ、お母様の故郷は大きな国に滅ぼされてしまっている――。
美しい緑の丘は踏み荒らされてただの荒地になってしまったかもしれない。
『アルシア』という言葉すらこの世界からは消えてしまったかもしれない。


それでも逆さまに並んだ星たちは、私の夢の中の夜空に出てきては物悲しげに光っている。。
お母様と一緒に緑の丘に手をつないで登る夢をみる度、私は生まれ育ったはずのこの国の夜空に少しばかり違和感を感じてしまう。


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