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A-08  孤島のI and(アイアンド)

 石油枯渇問題が一般に取りざたされ始めたのは、今から僅か百年ほど前、二十世紀も終りに近づいた頃である。
 地下に膨大に眠る地下資源がなくなるなど、それまでは架空の物語と考えられていた。だが二十世紀末になってようやく先進国がこの事実を自覚し、エネルギーを石油から天然ガス、自然エネルギーへと代替していく。
 しかし各種工業製品の製造にはやはり石油が不可欠であり、石油消費量は予測より減らなかった。
 二〇三〇年。国連が、地下に眠る石油はあと二十七年分であると発表。これを聞いた世界中の政府がパニックに陥ったのは無理もない。続けて国連はこう述べた。
 《火星の地下には石油によく似たエネルギーが眠っている。現在火星開発は大詰めを迎えており、各国が協力して火星開発に尽力すれば、百年以内に人類は全員火星に移住することが出来る》
 NASAがこの計画に全面協力をすることを述べ、先進国各国の宇宙開発機構も相次いで同意。世界的な少子化の波の中で、いまだ人口増加中である発展途上国が計画の協力を渋ったが、先進国は彼らの反対を無視して火星移住計画を進めた。
 もちろん日本も積極的に計画に参加した。
 学校教育は基本的に義務教育までとし、一部の高ランクの高校のみを残し、すべての私立高等と大学を強制閉鎖させた。そして十五歳以上の男女を、すべて労働者とする。
 私利目的の会社もすべて国が安い金額で買い取り、必要な一部の飲食店や工務店等以外はすべてが宇宙開発の企業へと変わった。ほとんどのビルは宇宙船製作工場となった。最初の十年はそれらの工場を立てることに労力が使われ、それ以降はひたすら生産ラインを回していた。都会以外に住むものは食糧生産を課せられ、まるで社会主義国の態を呈す。
 二〇六二年。宇宙開発関係者以外で最初のグループが火星に向かって旅立つ。その後も相次いで各国の基地から宇宙船が飛び立ち、二〇九八年現在、先進国の人口は二十一世紀初頭に比べ、三分の二ほどに減っていた。


 伊藤陽充は二〇六二年生まれである。
 彼は順調に義務教育を卒業後、試験に通って高校、大学へと進み、周りが望むまま宇宙機械工学の技術者になる。実地研修、小規模な工場監督を経て、二ヶ月ほど前、この町で一番大きな工場へ技術者および監督として赴任してきた。
 体型もやや小柄で弱冠二十六歳の伊藤は、三十歳以上の工員も少なくないこの工場では、着任当初こそ無礼られていたが、今では一目置かれている。伊藤が、常に粗捜しをするように見張っているのではなく、工員と適度な距離を保っているのも人気の一因らしい。たとえそれが、面倒だという理由であっても。
 今日も朝早くから工場を見回るのが面倒だったので、会議室にしばらく残って、全く急ぎではない資料を眺めていた。だが気楽な時間は長くは続かない。
「監督! すいません! 機械が止まっちゃったんですけど!」
 年若い工員が慌しく駆け込んで来て、彼は隅の机に座っていた伊藤の前で頭を下げる。それは敬意というよりは息切れしたために項垂れたものだったが、伊藤はまったく頓着せず、「そうか」とだけ答えて立ち上がった。
 内心では、怪我ではなくて機械の故障でよかったと思っている伊藤だが、それも人の心配というよりは、自分の責任が、機械の故障ならば少ないというだけのことである。
 会議室のドアを閉める時、壁に大きく貼られた標語が目に留まった。
 《贅沢は敵だ!》
 《欲しがりません、発つまでは!》
 馬鹿じゃねぇの、と伊藤は小さく舌打ちした。
 すぐ前を歩いていた少年がビクッと肩を縮める。誤解されたことには気づいたが、敢えて放っておいた。
 こんな百年以上も前の標語なんかパクってどうなるというのだろう。どうせ地球を発って火星に行ったところで、贅沢などできやしないのに。
 自力ではどうしようもないこととわかってるからこそ苛ついて、伊藤はわざと大きな音を立ててドアを閉めた。


 午後六時。日没と同時に工場の一日は終る。
 思い思いに帰っていく工員たちを見送ると、いったん最上階の自宅へ戻り、普段着に着替えてすぐに一階へ下りる。もちろん住宅街の食堂へ夕食を食べに行くためだ。
 街中は夜になるとまったく人通りもなく、あるのは闇ばかりだ。街灯というものが昔は道を照らしていたらしいが、少なくとも伊藤はこの金属の棒の先が光っているところなど見たことがない。
 だがこの暗闇というものが、伊藤は嫌いではない。暗闇ならば、昔々に聴いた歌を呑気に歌っていたって、誰に聞かれることもない。今では歌は娯楽としてあまりいい目で見られないが、伊藤は歌が好きだった。

 We are all lonely But "We" is "I and I"
 Somebody be singing behind if I turn around me by all means

「ね、イトーさんじゃない!?」
 歌を口ずさんでいると、突然後ろから声をかけられた。直後に、ギィッ、というあのエレベーターが静止するときに良く似た、金属の擦れる音。
「ほら、やっぱイトーさんだ」
 立ち止まってゆっくりと横を振り向くと、大柄な少年が立っていた。否、何かに跨っている。下から上まで睨めると、それは自転車であった。もう何年も前に生産中止になり、金属は回収されていたと思ったが、まだ乗っている子どもがいたのか。
「ちょっとイトーさん、何か言ってよ」
「……あ、あぁ」
「ね、今イトーさん歌ってなかった?」
「う、歌?」
「歌ってたでしょ! やっぱりね! ねぇ伊藤さん、これから暇?」
 急展開する話に付いていけない。
「ちょっと待て。お前何だ」
 動揺のあまり、変な質問になった。しまったと伊藤は思ったが、少年は頓着しない様子で、「俺、ジローだけど」と名を名乗った。
「イトーさんトコの工場にいるよ。でさ、イトーさん今、歌ってたでしょ? 俺たち、歌える人探してたんだよね。来て?」
「ちょっと待て。その意味がわかんねぇ」
「とりあえず乗ってよ、後ろ。連れてくから」
 ジローは親指で自分の背中を指さした。見ると自転車の後ろには荷台がついている。
「……ここにか?」
 ジローはニッコリ笑った。伊藤よりもデカい男がやってもちっとも可愛いくないのだが、気が付いたらなぜか荷台を跨いでいた。
 動き出した自転車はタイヤが一回転するごとにギィッと音を立てる。明らかに潤滑油不足だ。伊藤が後ろに乗っていることを差し引いても、速度が出ないのはその所為だろう。
「ね、さっきのアレ、もう一回歌って」
 ペダルを漕ぎながら、ジローが言う。伊藤は少し迷って、周りを見回した。てっきり住宅街へ向かうと思ったのだが、街灯どころか民家の明かりも遠くにしか見えないような街道を、星明りだけを頼りに走っている。
 ここなら誰も聞いていないだろうと、伊藤はさっきの歌を口ずさんだ。
 一曲終わると、ジローが「パチパチパチ」と子どもみたいに声で拍手して笑った。
「ね、その詞ってどういう意味?」
「……皆孤独だけど、皆っていうのは孤独の集まりさ、みたいな歌だな」
「へー、それいいね」
 ジローはうきうきとペダルを回している。
「これから行くトコでも歌ってくれる?」
「それはまぁ構わねぇが。どこ行くんだ?」
「《孤独の集まり》」
 ふふ、とジローは笑った。ジローが途中で何か歌を歌いだし、伊藤は黙ってジローの背中でその歌を聞いていた。
 一本道を進み、一度だけ右折した。その辺りから、磯の香りが吹き上げてきた。さほど暑くない季節の、よく晴れて乾いた夜の、海の匂い。もう何年も遠ざかっていた潮風だ。
 少し走った木立のあたりで、ジローが「イトーさん、下りて」と声をかけた。
「着いたよ。ここからは歩いていくから」
 言いながらジローはいきなり屈んだ。伊藤が何だろうと思っているうちに、ジローは履いていたスニーカーを掲げてみせる。
「イトーさん、脱いだ方がいいよソレ」
「何でだ?」
「これから砂浜に下りるから」
 ジローは白い歯を見せて笑った。
「はあ? この夜中にか?」
 さすがに夜に海へ入れるほど暖かい季節ではないし、ろくな明かりもなしに砂浜に下りていくなんて馬鹿馬鹿しすぎる。
「まーいいから付いて来てって」
 言われたとおり革靴と靴下を脱ぎ、伊藤は後ろを付いていく。最初は僅かに夜露に濡れた草むらだったが、じきに砂が混じり、木立を抜けると完璧に砂地になった。
 波の音がひときわ大きく聞こえ、見渡すと星が反射して海が光っている。――否、反射しているのは星の光だけではない。開かれたビーチで、焚き火をしている人たちがいた。火の前にある影は二つ。
 目の前のジローがその人影に向かって、
「お待たせーッ!」
と叫んだ。
「遅せぇぞジロー!」
「遅せぇぞー!」
 彼らからも声が返ってくる。二つ目の叫びは女性のものだ。伊藤はやや呆気に取られ、ジローを見上げる。だがジローは全く頓着せずに伊藤の手首を引っぱった。
「いい人連れて来たから!」
 走りながらジローは叫ぶ。伊藤は前のめりになりながら、不安定な砂浜を走らされた。
「これ、ウチの工場長」
 これ、という紹介はどうだろうと思いながら伊藤は顔を上げる。正面の若い女性と視線がぶつかり、小さく頭を下げると、彼女は可愛らしい顔立ちに思いっきり笑顔を浮かべた。
「カッコイイじゃん」
「……」
 コメントできずに、もう一人の方に視線を移すと、そちらはジローにも負けない筋肉質で大柄な男だった。ここにいる四人の中では最年長、三十代後半といったところだろうか。
「こ、こんばんは」
「おう、礼儀正しい奴だな」
「そりゃー工場長だもん」
 伊藤の代わりに、ジローが胸を張る。
「お前は少し彼を見習え」
「うっさいなー、タツヒコさん」
 口答えしながらも、ジローはニコニコ笑っている。焚き火の傍に転がしてあった丸太に、座れと勧められ伊藤はゆっくり腰を下ろした。
「どうせジローが無理行って連れてきたんでしょ? ごめんねぇ」
「いいえ、別に」
「んでジロー、この方は?」
「あー」
「伊藤陽充です」
 ジローに言われる前に、伊藤はフルネームで名乗った。女性が大きく頷く。
「アッキーね」
「そうだな、アッキーだな」
 伊藤が反論する前に、女性と男は頷きあってしまった。ジローも後ろから伊藤の首に腕を回してくる。
「ね、アッキー、アレ歌って」
「あ?」
「ホラ、《独りぼっちの集まり》」
「わかったわかった。歌うから、そのアッキーとかいうのヤメロ」
「無理だよ、もう決まっちゃったもん。あ、ユリ、俺のギター」
「はい」
 ユリと呼ばれた女性が、さっと背中から大きなものを取り出す。本物のギターだ。
 ギターなど、十年以上ぶりで見た。ギターも贅沢品として何年も前に販売中止になったはずだが、金属ではないので回収命令はかかっていない。だが、古いことは確かだろう。「じゃ、アッキー、どうぞ」
「お前がギターやるんじゃねぇのか?」
「俺は伴奏」
 さっき一度聞いたばかりだろう、と伊藤は思ったが、ジローの目を見た瞬間に言うのをやめた。代わりに大きく息を吸う。

 The man who succeeds if I look at the right
 Family of somebody in the left
 《右を見れば成功した男がいて 左を見れば誰かの家族がいる》
 I can not see a way before I must yet walk
 I do not have a person walking the neighbor I am lonely
 《前方に歩くべき道も見えず 隣を歩く人もおらず 私は孤独だ》
 We are all lonely But "We" is "I and I"
 Somebody be singing behind if I turn around me by all means
 《私たちは皆孤独だ だが私たちは孤独と孤独の集まりで
  振り返れば必ず 後ろで誰かが歌っている》

 伊藤が歌い終わると、今度は手のひらでの拍手が静かな浜辺に響いた。二人分の拍手にしては多いのは、波の音が拍手しているからだろうか。否、実際に離れたところから、人の手が打つ音がする。
 呆然と伊藤が周りを見回したところで、どこにも人の気配はなかったが。
「みんな聞いてたーぁ!?」
 突然ユリが叫んだ。続けて歌の日本語訳を詠み上げていく。一曲分の日本語詞は決して短くないし、伊藤はすべて英語で歌ったのに。
「ユリ、高校の英文科まで行ったんだ」
 隣に座ったジローが小声で耳打ちしてくれた。「でも大学は行かなかったんだって」
 どうして、と聞こうとは思わなかった。さっきジローが《独りぼっちの集い》と言ったのは、もしかするとそういうことなのかもしれない。
「アッキー、何も聞かないんだ」
 心の中を読んだように、ジローが呟いた。
「聞いてどうすんだ」
「アッキーは優しいなーと思って」
 それには伊藤は首を振った。優しいわけではない。関わりたくないだけだ、おそらくは。
「ねぇ、もう一度歌ってよ」
 顔を寄せて小声で話していた伊藤とジローの間に、ユリがギター片手に割り込んでくる。
 ユリはニッコリ笑って、コードをひとつギターで弾いた。それにギターを抱えなおしたジローが合わせる。向かいではタツヒコがベースを握っている。
 ビートを刻むのは波の音。
 そして、新しい歌声は――。



「なぁ、変なこと聞くけど」
 歌が終って、ユリが出してくれたおにぎりを食べながら、伊藤は先程から思っていたことを口にした。
「お前ら、この先どうすんだ」
 その問いは主に、ユリとジローに向けられたものだった。タツヒコはとっくに独りで生きていく覚悟など決めているだろうが、彼らはまだ十代、二十に手が届いたくらいだ。
「どうもしないよ」
 というのがジローの返事だった。
「ここで歌いながら、あの工場で働いて、時期が来たら火星に行くだけ」
 それは先ほどまで情熱的に歌っていた少年の口から発せられたにしては、随分と無気力に感じられた。
「あたしもどうもしないかな。この浜辺が地球温暖化で無くなるまではここで歌うだろうし、その後もどっか場所があれば歌うし、火星に行っても歌うと思う」
「ユリは歌が好きなんだよな」
 黙って聞いていたタツヒコが口を挟んだ。
「うん、好きだよ。あたし歌手になりたいんだ」
「へぇ、夢か」
「夢だよ。でも一応現実」
 現実? と首を傾げる伊藤にユリは笑う。
「だってこうして、顔は見せないけどお客さんが来てくれてるでしょ? 贅沢は敵だって言われてるけど、あたし、歌ってちっとも贅沢じゃないと思うんだ。きっとそう思ってる人ってたくさんいると思う。そういう人たちに、歌をあげられる人になりたいの」
 ユリは目を輝かせて語った。――今の時代にまだ、夢なんていう馬鹿げたものを持った大人がいたとは。伊藤はいささか呆気に取られながらユリの話を聞く。
「ユリは、歌は贅沢じゃない、と」
「アッキーはちがうの?」
「俺はそもそも、贅沢自体ホントに敵なのかって思ってる」
 タツヒコの目が鋭くなった。
「だって本当に火星で生きていける保障があるか? 三分の一の人間が移住しました、って言ったって、それは先進国の三分の一だろ? 全世界だったらまだ五十分の一まで達してないんだ。俺たちが死ぬまでに火星に発って、その後贅沢できる保障がどこにある?」
「でもアッキー、政府はこうやって計画的に」
「否、その通りだ」
 タツヒコが両膝を掴んで前身を乗り出した。
「保障はない。それは事実だぜ。でもそう決めた政府に逆らえるほど俺たちに力はねぇ。だからこの浜で歌ってんじゃねぇか」
 そうだろ、とタツヒコはジローに同意を求める。ジローは大きく頷き、「俺、ここ好きなんだよね」と、歯を見せて笑った。
「仕事は仕事でやりながらも、自分のしたいことはしたい、欲しいものは欲しい、って俺らはやってる。お前さんもそうならねぇか?」
 タツヒコは軽く上目遣いで、俯き加減の伊藤を覗き込んだ。
 伊藤は唇で薄く笑う。
 タツヒコも口の端を持ち上げる。
 二人の視線がかち合った瞬間、タツヒコが伊藤の手を握りしめ、固い握手が交わされた。
 ユリがおもむろに立ち上がって拍手する。ジローが二人の肩に腕を回し、焚き火に触れそうになって「アチチ」と叫び、ユリが大笑いしながら反対側で二人の腰に腕を回した。

 《僕らはみんな独りぼっちだけど 独りと独りが集まって“僕ら”なんだ
  誰かと一緒に笑えることほど 贅沢なことはない
  だから今日も笑おう 歌おう 分かち合おう》


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