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A-09  流星と勇者

 柏木博子は、生き返った。六歳のときだ。腹部を刺され、大量出血で死亡したはずだった。しかし、彼女は生き返った。その代わり、彼女はもう「人間」と呼べないものになっていた。それからの彼女の生活が全て一変した。博子の力を付けねらう組織が、彼女と彼女の母を追い詰める日々が始まった。
 博子は学校を通うのを辞めた。母の手を引っ張って、忌々しい化け物染みた力を使い、組織の手から逃げ出す日々。
 平凡な日常は消え去った。
 博子は、七年の歳月が経った現在でも、忘れないことがある。意識を失う寸前まで「生きたい」と叫んでいた彼女に、誰かが囁いた。「その慟哭。叶えて差し上げましょう」と。
 悪魔のような、甘い誘惑に満ちた囁き。頬を撫でる冷たい指先。あれは、悪夢だと、博子は思っている。もう二度と見ない悪夢。しかし、今の現実こそが悪夢だということを、彼女は身を以って知っている。
 はぁ、はぁ、はぁ。肩を使って、一生懸命息を取り入れようと躍起になる。立ち上がろうとする足に力は入らない。胸のうちは絶望でぐしゃぐしゃだ。目の前に佇む男を睨み付ける。組織の幹部。名前は知らない。執拗に自分を追い詰める男としか、分からない。それ以外は知りたくもない。
「もう十分でしょう?」
 ニヤリと笑うその目は爬虫類のようだった。
「母は?」
 博子の問いに、男は面白くもないように答えた。
「逃げられましたよ。裏切り者のせいでね」
「あの人は元々こっち側さ」
 何せ、母の恋人だ。口の中に滲む血を、ぺっと吐き捨てる。ああ、もう嫌だ。
 諦める。諦めてしまえ。心の奥底から聞こえてくる自暴自棄な声。それに流れるのもいいかもしれない。
「さあ、早く。殺してしまえ」
 博子は、片手を男に差し出す。男が持つ拳銃で撃て、と促すように、手を上にしてちょいちょいと動かす。
「殺すと思っているのか? 君は貴重な実験材料だ」
「人権はないのか、私に」
「当然だろう?」
 反吐が出る。博子は目を閉じた。腹部に一発。腕に二発。足に二発。これで、まだ呼吸が出来る自分が嫌だ。自分専用に使われた弾丸は、通常の人間であれば一発で死亡できる威力を持つ。それを、合計五発貰った。まだ余裕はあるが、体力的にも精神的にも消耗している今の状況では、少しまずい。
 ――ああ駄目だ。まだだ。まだ、死ねない。まだ、生きたい――。
「そう。生きてもらわなければ困るのです。我等が勇者」
 博子は嗤った。
 ああ、悪夢が――来た。
 嬉し涙でぼやける視界で夜空を見た。蜂蜜色の流星が、何度も何度も夜空を通過し光の軌跡を残している。
 バシャッ。血飛沫が舞った。博子の顔に、服に血がべっとりとつく。
 ぽろぽろと涙を流しながら、組織の男を殺した人物を見つめた。
「お迎えにあがりました。我等が勇者」
 悪夢。博子を生き返らせた蜂蜜色の髪と目を持つ男。
「消えろ」
 ニヤリと、唇を上に上げて嗤って、言い捨てた。
「消えろ」
 もう一度、強く呟く。男はただ嗤って、博子を抱き上げた。
「躾がなってませんね。我等が勇者」
「誰が、勇者だ。この化け物め」
「何と言うお言葉。私は「流れ星」。あなたの願いを叶えた「流れ星」だというのに」
 悲しそうに、男の蜂蜜色の目が揺れた。
 博子は、嘲笑った。
「何を言ってるの?」
 男は、嬉しそうに微笑んだ。
 寒々しい光景だった。
 男は膝を折って、素早く跳躍した。
 博子は、目を閉じた。これは悪夢だと言い聞かせて。
 この男が何なのか、これからどうなるのか。そんなのは、考えたくなかった。


 * * *


 博子は目の前にいる得体の知れない男を見上げて、ズゴゴと上品らしくない音をたてて、ストローで飲み物を口に含む。甘いような苦いような。グレープフルーツの味に似たフルーツジュース。尖った味を、博子はよく好む。
 よくヤスリをかけた木のテーブルに頬杖をして、大きな窓から臨める宇宙空間を見やる。重い溜め息を吐く。本当に宇宙だ。そして、この建物は宇宙空間を漂うレストランだ。なぜ、金持ちしか来れそうにもない宇宙レストランなんかに庶民の自分が入れるのだろうか。いや、このドリンクは極上に美味しいけれど。しかし、目の前にいる男の戯言に付き合えるほど暇ではない。
「そろそろ説明してくれる?」
「ああ、そうでしたね」
 にべもなく淡々と言う男に、博子は堪忍袋の緒が切れそうだった。殴ったろうか、この男。青筋がピキピキと切れそうな音をたてるのを、博子は抑えようとしなかった。このまま切れて、この男を殴っても後悔しない。
「申し送れました。私「流れ星666」でございます。名前は……えーと、じゃあ、サタンとかで」
「随分とアバウト」
「それが私なので」
 しかも666って。しかもサタンって。突っ込みのし甲斐がある自己紹介に、博子は頭痛がしてきた。ほぅと長い溜め息をついて、ふと片眉を上げる。
「流れ星って」
「おお流石聡明でございますね。我等が勇者」
「勇者って何よ」
「おお流石無知でございますね。我等が勇者」
「……殴って良い?」
「ドメティックバイオレンスですか? 我等が勇者」
「あんたは私の夫?」
「あなたがそれを望むのなら叶えて差し上げますよ。我等が勇者」
 殴るよりも、この場から逃げたくなってくる会話に、博子はテーブルに頭を突っ伏した。
「お加減でも悪いのですか?」
 心配しているような嘲笑っているようなふざけた声に、博子は堪忍袋の緒をちょきんと切ってやった。
 博子は男の目と鼻の先に、一瞬にして拳を突きつけ、首筋に手を添えた。いつでも、締められるように。拳の中には、小さなカッターの刃の欠片が握られている。
「あんま、私を蔑まないでくれる? いい加減切れ掛かってるのよ。ふざけたこと抜かすあんたにも、この状況にも、それに易々と流された私自身にもね?」
 いやらしく口の端を上げて笑う博子に、男はこれでもかと言わんばかりの輝いた笑顔を浮かべた。
「流石、我等が勇者」
 その声音には、暗い喜びがあった。
「貴方様は、私にこう願った!」
「は?」
「力が欲しい。誰よりも何よりも強い力を」
「……後のが意図的に削られてるわよ」
「ほほお。お察しがよろしい。しかし、後のほうが我々は求めておりませんので割愛させていただきます」
「ふざけんじゃねえわよ。それに、私はあんたにいつ…………」
 途切れた言葉に、男はひっそりと嗤った。
 博子は、顔が見る見るうちに青ざめていく。狼狽しているのが傍目で分かるように、首を横に振った。男は、優しく微笑んだ。
「まさか……あんただっていうの? 私を化け物にしたのは!」
「落ち着いてくださいまし。我等が勇者」
「それで? それで……私は、生き返ったってわけっ?」
「だからこその、今のあなたがおります」
 全てが壊れた。博子は唇を噛み締め、目の前で憎たらしいほど爽やかな笑顔を崩さない男の首に添えた手に力を込めた。
「言っておくけどね。私が言った強さってのは、こんなじゃない。私が言う強さは、私自身の手で作る強さを言ったのよ。なのに!」
「お気に召されませんか?」
「当たり前よ! こんな化け物じみた力!」
 博子は床を蹴ってテーブルに乗る。そのまま力の流れに身を任せ、男の首を締める手をぐいっと押す。床に倒れ、テーブルも倒れた。けたたましい音が鳴り響く。レストランは騒然とし、一瞬にして沈黙した。博子と男の二人に視線が注目する。しかし、博子は気にも留めなかった。気にする余裕がなかった。
「今、ここで化け物じみた力を使えば、死刑確実です。我等が勇者」
 見下すように、博子は呟いた。
「クーリング・オフはもう有効ではないの?」
「残念ながら。あれから、七年は経っておりますから。芽が出てしまえば、無効でございます。我等が勇者」
 男は目を細めて、狐のような顔をして囁いた。鬼畜め。博子は心の中で吐き捨てた。
 力なく肩を竦め、博子は立ち上がった。
「あんた、流れ星だったけ」
「ええそうです」
「じゃあ、私の願いを叶えろ」
「……命令形ですか」
「叶えろ」
 男は笑みを完全に消して、天井から降り注ぐ照明に照らされた博子の顔を見上げた。逆光となって、博子の表情は視認できなかったが、きっと苦渋に彩られているだろう。
「殺して。私を殺せ。お前等の勇者を殺せ」
「――必ずや、叶えましょう。我等が勇者」
 子を慈しむ親のような顔で、男は博子を優しく抱き締めた。
 この腕が、この手が、本当に私を殺してくれればいい。叶えると言ったこの男は、必ず殺してくれるだろう。
 死ぬ間際に願った思いを、歪んだ形で叶えれてくれた「流れ星」。
「一つ、聞かせて」
 レストランに駆けつけた警察を誤魔化している男の後ろに声をかけた。男は、渋い顔をする警察に手を振りながら振り向く。
「何でしょう? 我等が勇者」
「何で、私だったの」
「それは……あなたが、強く生きたいと願ったからです。幼き命。太陽のごとく輝く命。それが生きたいと強く願った。いや、あれは願いではなく。誰にも届かない慟哭だった。――神は誰も救わない」
 だから、と男は囁く。博子を抱き上げ、レストランから出て行く。
「だから、「流れ星」が救ったのです」
 博子は悟った。上を仰ぐ。地球が見える。ここは月。月に建築されたポリス。ドーム状の特殊な物質で作られた壁に守られた人類にとっての唯一の聖域。
 私は遠くまで来てしまった。きっと、もう後戻りは出来ない。地球での、平凡な生活も無理だ。
 なぜなら、ここは――私の世界じゃない。
「行きましょうか。我等が勇者」
「勇者じゃないでしょ。私は――化け物でしょ」
「いいえ。あなたの「力」は、勇者のものですよ。今は魔王となられましたが」
「……そう」
 上を見つめたまま、博子は頷いた。男の体温は、暖かかった。冷たそうに見える風貌なのに。少し意外に思えた。
 宙に星が流れた。それを目の端で見ていた。クックックックッ、と男が嗤った。憎々しげに、男の唇が歪む。
「参りましょう。我等が勇者」


 ――男は「流星」
 ――博子は「勇者」

 ――叶えるのは勇者の全て。
 ――果たすのは魔王の断罪。


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