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A-11  エトワール

 マクロウ・ド・リルの地は、遥か昔に異国の修道僧が開いたという。北海の荒波と歴史に翻弄され、その様相を変えていった。
 海に突き出した半島は、当初、敬虔な祈りの地だった。だが、利益を生むとわかれば、集まるのが人の常。人々がこの地形の利を放っておくことなく、やがて修道の場から港町へと変貌した。そして、海を挿んで敵国アングルテールと隣り合っていることから、堅固な城塞が張り巡らされた。
 さらに時代がすすむと、悪党がはびこる地と化した。海賊どもが街を占拠し、居を構えたのだ。そして、近くを航行する船を怯えさせるようになった。
 だが、その顔も、やがて時代とともに変化することになる。

 北海の風が吹き付ける城塞の上に、人々が集まっていた。
 華やかな衣装をまとった人々が、一人の男に声をかけ、賛辞していた。シャンパンが注がれたグラスがあちらこちらで持ちあげられ、「乾杯!」の声がここそこであがる。声は潮風に乗って、海を渡った。
 ルイ・シュルクッフは満足していた。人々の声に応え、自らのグラスも高々と上げた。そのグラスの背後には、建造されたばかりの彼の銅像が、威風堂々と立っていた。
 五十歳にして、いまやシュルクッフはこの都市の支配者だった。
 彼の銅像が指差す向こうは北――北極星。いや、アングルテールの方向だ。
 像はまだ三十代の猛々しいシュルクッフであり、敵国に恐れられた頃の勇者の姿である。誰もが尊敬し、崇拝する、今の穏やかな彼ではない。
 だが、この像にはほんの少しの偽りがある。誇り高い銅像の顔は、確かにそっくりそのままであったが、当時の彼の心までは表していない。彼は、傲慢で乱暴で、心根の腐った男だった。
 若かりし頃、シュルクッフは海賊だった。
 冷たい海の上で星を読み、商船を襲い、強奪の限りを尽くした。時に、対岸の村を襲い、女を奪い、火をつけた。金のためなら何でもやった。
 が、時代は、シュルクッフを英雄にしたのだ。
 北海を荒し回った海賊どもの悪行は、やがて少しずつ変わってゆく。彼らはフランス王と密約を交わし、金を取って航行の安全を保障するようになったのだ。
 そして、ついには公認の海賊・コルセールとなる。
 フランス籍の船を守り、アングルテールの船を襲う。積荷はコルセールを豊かにし、敵国を経済的に追い込んだ。すべての悪行は勇ましい戦いとすり替えられ、最も獰猛な男・シュルクッフは栄誉を得た。
 不思議なもので、栄誉を得ると、人間も地も、がらりと生まれ変わってしまう。やがて、シュルクッフは、英雄にふさわしい品位を身につけた。マクロウ・ド・リルは、フランスから自治権までもぎ取り、コルセールの都として繁栄した。かつては荒くれ者たちの巣窟であったこの街も、今やパリでも見られぬような豪奢な建物が建ち、品の良い金持ちの街と変わったのだった。

 見慣れぬ若者が流れてきたのは、つい最近のことだった。
 港街とはいえ、元々は泥棒家業に明け暮れた城塞の都市である。美貌のよそ者は目を引いた。
 二十歳そこそこ、黄金の髪と青い瞳を持ち、額に幅広の銀の環をはめていた。黒い被り物を外すことがあっても、彼は銀の環を外すことがなかった。似合うとはいえ、何か儀礼の香りがする銀の輪は妙に異質な感じがした。
 丈の短めの上着や先の尖った革靴は、彼を金持ちの商人のようにも見せた。だが、華奢な体ではあったが、腰に差した剣は飾りではなく実用的なものであり、それなりの剣士ではないか、とも思われた。
 若者は、昼間は宿に居座り、夜は酒場に入り浸り、ただ、人を観察するだけだった。仕事も何もなさそうなのに、いつもそれなりの衣装を身につけ、宿代も飲み代もつけることなく支払った。
 どのようににぎわっても、彼はたった一人で部屋の片隅で酒を飲み、誰とも口を利かなかった。からかう者がいても相手にせず、それでいて、誰かを待っているかのように、辺りを見渡したりもした。
 やがて、この若者が男娼であるという噂が、影で囁かれるようになる。
 衣装や飲み食い代を考えても、昼に働きもしない若者が支払えるものではない。誰か、パトロンがいるのだと。しかも無口な若者は、それを否定しなかったので、噂はますます真実味を帯びて広がった。
 名乗ることのない若者は、いつしか『エトワール(星)』と呼ばれていた。
 なぜなら、銀の環で隠された額に、星が輝いているという噂がたったからだ。だが、誰が最初に彼をそう呼んだのか、その額を確認したのは誰なのか、知る者はいなかった。
 おそらく、彼と寝た者だけが、その秘密を知りえたはずである。

 シュルクッフは、別に男色趣味があったわけではない。
 彼をここまでのし上げた貴族の妻との間には、すでに三人の子を持っていた。さらに孫すらいた。剣ひとつで女子供の命を奪ってきた男も、今や家族を愛する男に変わっていたのだ。
 品格のなかった彼に、金と栄誉が、音楽や美術をたしなむことをおぼえさせた。かつて海図と睨んで過ごした彼も、今や多くの有識者と交流を結び、時に茶会やパーティーを開いて、日々を過ごしていた。日曜日には、街中の大聖堂に足を運び、若き日々の悪行を悔い、神に祈った。恵まれない者には施しもした。
 過去を海峡に捨て去ったように、善人となっていたのである。
 そんな彼が『エトワール』に興味を抱いたのは、額の星に興味を抱いたからかも知れない。酒場で彼を見かけてから、あの環の下にあるものが何なのか、気になって仕方がなかった。
 若者の瞳は青く、シュルクッフが若い頃に挑んだ海を思わせた。黄金の髪は、異国の血を思わせ、かつて陵辱の限りを尽くした美貌の女を思い出させた。
 そして、若者はまるでその気持ちを知っているかのように、時に熱く、時に冷たい視線で、シュルクッフをじっと見つめるのだった。それは、他の者を見るのとは全く違ったのだ。
 誘惑されている……と言ってよかった。
 シュルクッフの胸は、奇妙な不安とともに抑えがたい興味が湧きあがり、激しい鼓動となって上下した。
 ――星とは、いったいどのような物なのだろう?
 かつて潮風に乗って船を渡り、欲しい物をすべて手にしたように、彼は若者の星を欲した。
 日に日にその想いは募った。
 ついに彼は耐えきれなくなり、酒場から出てきた若者を石畳の細い路地に引き込んだ。それぐらいの遊びならば許されるだろうと、自身にいいわけして。
 月の光のない夜。
 やや白い花崗岩でできた壁は、青白く星明りで浮き上がっていた。だが、若者の表情を見るには暗すぎた。誘う女のように妖しげにも見え、また、清楚な少女のようにも見えた。
 シュルクッフは、無我夢中で若者の唇を奪い、額の環に手を掛けた。若き頃の猛々しい血が騒ぎ、一気にそれを奪おうとした。
 だが、若者の手がそれを押しとどめた。
「金」
 男娼である若者は、初めて口をきいた。

 安宿の木を組んだ天井に、蝋燭の光が揺れた。
 かつてはそこに女を何人も連れ込み、朝まで情事をむさぼったシュルクッフも、もはやその若さを失っていた。だが、さらに若い少年時代のようなときめきをもって、ベッドの上の若者を見つめていた。
 すっと通った鼻筋の影が、青白い顔を無表情に見せた。男娼にしては、清廉な美しさ。触れるのが恐ろしいほどだった。
 エトワールは、真っ赤なヴァンのグラスをとり、まずは飲むようにすすめた。一口飲めば上着をとり、もう一口飲めば靴を抜いた。そして、シュルクッフが三口目を飲むと、やっと環に手を掛けた。
 銀色の星が輝いた。
「おお……」
 と、シュルクッフは声を上げた。そして、恐る恐る手を伸ばした。
 美しいというよりも痛々しかった。
 額に刺さったその球体は、既に皮膚と一体になり、触れるとややひんやりとした。額には引き攣ったような傷が走り、まるで星の煌めきのようだった。
 何者かが、彼の額をかち割って、そこに銀の玉を埋め込んだに違いない。
「いったいなぜ、そのような……」
 エトワールの上に体を乗せながらも、シュルクッフは、その体以上に星の理由に興味を引かれた。
「知りたいですか?」
 海の青い目が、シュルクッフの心を荒波のように逆立てた。
「知りたい」
「……それは、長い話になります」
 エトワールは、シュルクッフを引き寄せるようにして抱きしめ、耳元で話し始めた。

 アングルテールの小さな村に、かつて黄金の髪を持つ美しい女がいた。海を映したような青い瞳で、多くの男を魅了した。
 だが、彼女が不幸だったのは、南からやってきた盗賊の首領に、その美貌を気に入られてしまったことだ。もしも、興味が薄ければ、男はその場で女を犯し、打ち捨てるか、殺すかして、去っただろう。
 男は船で渡ってきた。そして船で女を連れ去り、小さな島に幽閉した。やはり気まぐれで連れてきた中年女に世話をさせ、時々思い出したように島にやってきては、好き勝手放題にもてあそんだ。
 男がずっと海で生きたなら、風のように渡って行き、何に執着することもなく、その日のままに生きたのだろう。女も適当に生かしておいたかも知れない。
 だが、男はやがて公の権力を身につけ始めた。すると金や女への欲よりも栄誉のほうが惜しくなり、盗んだ物を恥じるようになった。
 女に子供ができると、その存在が世に知られるのを恐れた。そして、女が出産を間近にした頃、妻にすべてが知られる恐怖から、拳銃で女を撃ち殺した。
 結局、それが男の最後の悪事となった。
 男はその後、島に行く事も、船に乗る事もなくなり、マクロウ・ド・リルの良き人間として、現在に至っている。

「その子供が私なのです」

 そして、その男こそ……。
 シュルクッフは、耳元の吐息のような声に、震えた。
 思えば、このエトワールは、あまりにアングルテールの女に似ていた。だから、惹かれたとも言えたのだが……。
 慌てて体を起こそうとしたが、エトワールの白い腕が首に絡み付き、離れなかった。いくら老いたとはいえ、この細腕を振り払えないほどではないのに。
 悪寒をおぼえて、シュルクッフは呟いた。
「だが、女は死んだ」
「ええ、女は死にました。でも、子供は生き残ったのです」
 世話役は、腹に一発の銃弾を受けて苦しんでいる女の姿に気が動転した。どういうわけか、弾さえ腹から抜けば女が生き返ると信じ、ナイフで女の腹を裂いた。
 すると、腹の中から子供が産声を上げて出てきたという。
 神の奇跡か、悪魔の業か――。
 世話役の女も他の者も、その奇跡に驚き、思わず神に祈ったのだった。
「あなたが撃ち込んだ弾は、私の額に食い込んで止まりました。このような奇跡がありましょうか?」
 最後の悪事の証拠が、白い滑らかな額を割って、目の前で輝いている。
 青い瞳は、今や荒れ狂う波のように、シュルクッフを飲み込もうとしていた。
 心臓が止まるような衝撃。シュルクッフの体は震え、重たくなって、エトワールの上で硬くなっていた。額からは冷たい汗が滴り落ち、呼吸は激しく、苦しくなった。
「毒のせいです」
 エトワールは冷たく言うと、硬くなりつつあるシュルクッフの体を弾き飛ばし、立ち上がった。
 ヴァンを三口。息子は父親の邪な愛の餌食になるつもりはなかった。殺される側の父親は、息子への愛を感じる間も与えられなかった。
「悪魔だ。……そんな、奇跡が起きるわけ……な」
 死んだ母親から生まれるのも、額を撃たれて生きているのも、ありえない話。それぞ、悪魔との取引で命をつないだにちがいない。
「悪魔の仕業? あなたのような悪人が、この世で平穏な晩年を迎えること、それがはたして神のご意志でしょうか?」
 エトワールは服を整えながら、ベッドの上でのたうち回るシュルクッフを窓硝子に映し見た。
 悪に正義の刃を与えるために……。
「私が生き残ったのは、神の思し召しです」
 ベッドがガタガタと揺れる。痙攣し、泡を吹きながら、シュルクッフはもだえ続けた。
 そして、エトワールが靴を履き終わる頃、ベッドの揺れは静かになった。
 目をむき、口を大きく広げ、土色になった父親の顔を、エトワールは最後に下目で見つめた。
 そして、剣をとり、悪人の額に正義の十字の星を刻んだ。

 これほど悲惨な死に方だったのに、シュルクッフは病死とされ、英雄扱いで葬られた。
 大聖堂の鐘が鳴り、石畳の細い道を黒を纏った人々が重い足を引きずって歩いた。彼の墓には『アングルテールとの戦いで栄光を得、その後、マクロウ・ド・リルのために貢献した』と刻まれた。
 かつてこの地は、修道僧が開いた祈りの地。彼は天に召されるであろう、と人々は彼の死を悼み、口々に言った。
 城塞の上のシュルクッフの銅像には、白い花が掛けられた。その像が指差した北に向け、何発も弔砲が撃たれた。
 ちょうどその頃、像が指差した海の上、エトワールは潮風を受けていた。アングルテールへ向かう船旅の途中だった。
 空に響く音は、大砲ではなく雷だ。嵐が迫っている。
 だが、彼はしばらく甲板に留まり、雨が落ちるまでそこにいた。
 ――星を読まなくなったコルセールの死は、神の思し召しか、悪魔の仕業か?
 エトワールにもわからない。
 極悪人の死と英雄の死が、あまり変わらないように、違いはないのかも知れない。
 銀の環を外し、額の星に触れると、ひんやりとした。
「愚かなだな。この星が……鉛の弾丸であるはずがない」
 エトワールは呟いた。
 彼を取り上げた養母は狂っていた。彼女は、死者から生まれた赤子を恐れ、額に魔除けの銀の玉を埋め込んだのだ。
 だが、エトワールは、それを長年、本当に父が撃ち込んだ銃弾だと信じた。そして、父を憎み続け、復讐を誓って大人になった。
 長じて彼が真っ先に殺したのは、養母だった。
 真実を知ったとたん、エトワールは剣を抜いた。そして、たったの一突きで彼女の命を奪うと、ふくれた白い腹の上に、正義の十字の星を描いた。
 彼女が狂ってさえいなければ、母は死なずに済んだだろう。エトワールも死者からは生まれなかった。
 シュルクッフは、女を撃ち殺すには、すでに善人過ぎたのだ。
 あれほど悪行を重ね、人の命を何とも思わなかった男が……である。震える手で撃った銃弾は、女の脇腹をかすめて壁に食い込み、彼は悲鳴を上げてその場を逃げ出した。
 その鉛の弾は、つぶれて星の形となり、今はエトワールの手の中にある。
 ――真実なんてどうでもいい。
 人は誰しも、死によってしかあがなえない罪を犯して生きているのだから。
 そして、ただ……正義のために、死の星を刻むこと。それだけが、死者から生まれた自身の使命――命の奇跡だと。
 アングルテールの刺客となった今、エトワールの向かう先には、常に死の星が煌めいている。


 マクロウ・ド・リルは、その後もアングルテールの国を脅かした。そして、フランスとアングルテールの間で条約が結ばれてからは、東方貿易に手を伸ばし、富を蓄積した。
 さて、我々がブルターニュの地を行けば、今もマクロウ・ド・リル繁栄の面影を見る事ができる。北の海に面した城塞には、英雄シュルクッフの像が北を指差して立ち続けている。
 だが、その指の先――エトワールと呼ばれた若者が、その後、どのような人生を歩んだのか、誰も知らない。

 =fin=

*このお話は全くのフィクションであり、歴史上の裏付けはありません。


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