index  掲示板
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック





A-12  ミルフィオリの夜に

 ルイス・ルグランが、自分が誰とも仲良く出来ないことに気付いたのは、まだ十にもならない時分だった。
 彼はひどく利発だった。非常に鋭く、豊かな感性を持っていた。ひとつのことに対して普通の人がひとつしか考えないのに対し、彼は百も考えた。だが本来ならば得がたき資質であるはずのそれは、ここトルガァナではたいした価値を認められなかった。ここでは本を百冊読むよりも、ガラス切りを覚え、靴型を削り、杖をつくるほうがはるかに尊ばれるギルドの町だ。学問など誰も必要以上にはしていなかった。彼はこんな田舎に生まれてくるべきではなかったのに、神様の気まぐれか手違いか、ごく一般的な俗世の男女の間に生まれてきてしまったのだ。ルイスはいつもどこか冷めたような、水底から揺れる水面を眺めているような目をして世間を見ていた。その目付きもまた、彼を人から遠ざけ、人が彼から遠ざかるひとつの原因だった。
 誰かと話をしたい、理解しあいたいという気持ちはもっていたが、周りにいる同年代の子供たちと話して彼らの理解の遅さや感性の鈍さに失望するぐらいなら、ルイスはひとりでいることを好んだ。ただ、寂しくないわけではなかった。
 ルイス・ルグランは孤独だった。町を歩けば、みな彼を遠巻きに眺めた。同い年の子供たちはもう見習いとして働き始めている者も少なくなく、少し年上になるとすでに給料をもらっていた。仕事をするに才覚が足りないものは、力仕事を任されたりした。ブドウの季節にはブドウを踏み、リンゴの季節には木に登ってリンゴをもいだ。
 やがて冬が来た。ルイスは秋の誕生日で十二歳になっていた。相変わらず本ばかりの毎日だった。彼の心は日に日に澱み、麻痺してゆき、本の中の素晴らしい文句には心酔したが、現実の他者の言葉には価値を見出せなくなり始めていた。両親は、彼のこういった性根がもはや治らないと悟り、時おり言い争った。ルイスが排斥されているのか、ルイスがすべてを排斥しているのか、もはやわからなかった。
 ――そしてそんな中、トルガァナの町に、誰もが待ち焦がれた星ふりの夜がきた。

*********

 知らない子がいるよ、と子供たちが噂するのを、ルイスは川のほとりで聞いた。すぐ頭の上の橋を駈けていく数人の子供たちが嬉しそうにはしゃぎながら、「都会から来たんだって」「片足がないんだって」と大声で言うのを聞いたのだった。  
 その想像は、ひさしく麻痺していたルイスの頭と心に何かをもたらした。すぐに興味を惹かれた。その子は今夜の星ふりの祭りに来るだろうか?
 ルイスは起き上がり、しばらく子供たちが去った方向を見つめていた。長らくひとところに留まって澱んでいた水がやっと流れ始めたような、奇妙な予感があった。
 すぐ目の前の小沢の水はきらきらと、太陽に反射して輝いていた。

 食事のとき、母親はルイスの皿にポテトを盛りながら、「あんたは今年も来ないんだろうね?」と言った。父親は黙ってビールを飲んでいた。ルイスは少しためらった後、「今年は行くよ」と答えた。彼が星ふりの夜に祭りに行くと言ったのは、これが初めてのことだった。両親は案の定ひどく驚いて、いったいどうした心境の変化かと、うんざりするほどわかりやすく、こちらの顔色を探ろうとしてきた。
 ルイスは少し苛立った。
「別にいいだろう。なんだい、いつもは出て来いって言うくせに」
「そりゃあ、そうだけど――」母親は口ごもった。「どうしたんだい」
「どうもしやしない。ただ、都会から来たって子を見てみたいだけさ」
 ルイスは肉にフォークを刺しながら、なし崩しに白状していた。「来るんだろう、その子」
「おまえ、その子が片足だから、それで興味を持ったのか」
 いつになく厳しい口調で、父親がじっとルイスを見た。「答えなさい、ルイス」
「違うよ」
 ルイスは即座に首を振った。「別に、そんな理由じゃない。都会から来た子ってどんなかなと思うだけさ。ものめずらしがっているわけじゃないよ、ほんとうだ」
 父親はなおも厳しい顔をしていたが、やがて目をそらし、そんならいい、と言った。
 食事は薄暗いロウソクに照らされて、静かに続いた。息子がほんのちょっと変化を見せたからとて、もう長いことこんなふうな食事を続けてきた彼らには、まだ気詰まりさが勝っていた。ルグランの家の夕食は、いつもこんなふうだ。

*********

 広場にはもういくつも長机が組まれ、たくさん人が出ていた。星ふりの夜は、この町の最大の祭りだった。女の子は白い衣装と花の飾りでおめかしし、男の子もしゃれ込んで、大人はひたすらビールの杯を傾ける。腹の底からみな笑い、とことん楽しむ、祭りの夜だ。
 時計の針が十一時を示すころ、文字通りに星が降り、人々は喝采する。毎年この時期に起こる流星群のことを、トルガァナの人々は星ふりと呼んで喜んできた。一年まじめに働いてきたご褒美に、神が見せてくださるのだといって尊ぶのだ。
 ルイスはひとり、普段着のままうろついていた。話しかけてくるものはなかった。
 関心は例の子だけだった。自分でもなんでこんなに気になるのかわからないまま、ただ目で探し続けた。きっと車輪椅子だろう。その背を優しそうなお母さんが押しているだろう。よほど垢抜けた様子をしているのだろうから、すぐわかるはずだ。
 いったん広場の外に出、やぐらの明かりが半分ほどしか届かない草むらにまで離れたとき、ふいに後ろから、「すまないが、肩につかまってもいいかい」という声がした。
 驚いて振り返ると、自分よりいくらか背の低い、黒髪の男の子がはにかんだように微笑んでいた。見ない顔だった。ルイスが答えないでいるうちに、少年は無断でこちらの肩につかまってきた。体重をかける重みがした。
「すまないね――」
 ルイスはとっさに腕を伸ばし、背中を支えてやりながら、見下ろした草むらに足が三本しかないことを見た。――この子だ!
「お母さんが椅子を押してくれると言ったんだけどさ、断ったんだ。おかげで移動がしんどくてかなわない。よかったら君、一緒に行動してくれないかい」
「ずっと?」
「困る?」
 ルイスは、その少年を見たらすぐ帰るつもりだった。こんなのは予定になかった。けれど少年があんまり鮮やかにこちらの心の中に入ってきたものだから、ルイスは自分でも知らない間に「困りはしないよ」と答えていた。少年は笑った。
「エルマー・キケロだ。といってももう知っているかな」
 せりふの後半でちょっといたずらっぽいような顔をする。それがなんだか好ましく思え、ルイスは「ルイス・ルグラン」と言いながら、上手にバランスを取っているエルマーの手をそっと握った。
「これで僕らは友達だね」
 エルマーは軽やかに言い、たったその一言で、本来ならばルイス・ルグランの周りに幾重にも張り巡らされているはずの壁をあっさりと突破してしまった。「ここまでケンケンで頑張ってきたのだけど、疲れてね」と、屈託なく笑いもした。ルイスは困惑していた。今まで誰が、僕と友達になろうとしただろうか。僕には縁ない言葉ではなかったのか。友達!
「ケンケンで来たって?」
「そうさ。死ぬほど骨が折れたけどね。でもどうしても、ひとりで来たかったんだ」
「都会から来たんだろう、君――――」
 エルマーはうなずいた。目を伏せ、「お母さんは僕のご機嫌取りに必死なのさ。流れ星がどうしても見たいって言ったら、この町のことを聞いてきたんだよ」
「いいお母さんだね」
「父さんが死んじまったからね。もう僕だけなのさ。僕のことが特別好きってわけじゃないんだろうけどね、どうしても独りでいられないたちなんだよ。弱い人なんだ」
「お母さんだろう。君のことが特別好きなのに決まっているさ」
 瞬間、エルマーの顔に影が差した。「そうだね」と言った声は沈んでいた。それが、不幸だと思われたい人間がよくやってみせるような薄っぺらい伏目ではなかったので、一瞬ルイスはどきりとした。
「その……」
「――ねえルイス・ルグラン、星が降るのはいつごろだい?」
 ルイスが言おうとしたのを遮るように、エルマーはいきなりそう言った。ルイスは間を逃し、新しい話題に従って、「十一時ごろさ。まだ時間があるよ」と答えるほかなかった。
「そうか、確かに時間があるね」
「まず君が楽にしていられる場所に移ったほうがいいんじゃないかい」
「君につかまりっ放しも具合が悪いね。――それじゃ、どこか人の邪魔にならないところに寝転んでしまおうか。そのほうがきっと、星が降る様子が見事なんじゃないかなあ」
 それは非常にいい考えと思われたので、ルイスはすぐに賛同した。寝転んで星ふりの夜空を見上げるなんてことは、一度も経験がなかった。さぞかし素晴らしいだろうと思った。
「いいね。どうせ広場はやかましくて、ぼくらは話も出来ないさ。離れよう」
「あのあたりがいい」
 エルマーが指差したのは、ほど近い丘だった。広場から少し離れ、ほんの少しだけ地面が盛り上がっている。ルイスは二つ返事で了解し、エルマーの移動を手伝った。エルマーはルイスにつかまりながら、器用に小石をよけ、短い杖と合わせてじょうずに進んだ。
 草っ原の上に二人して仰向けに寝転がると、夜空は満点の星だった。これがもうすぐ美しい星降りの空に変わるのだ。ルイスはわくわくしてきた。去年も一昨年も、祭りなぞつまらないと決め付けて部屋にこもって本を読んでいたが、実際にこうしてみると、想像してたのよりずっと素敵だった。
「――頭で想像するのと、実際にそれを見るのとは、思いのほか違うんだね」
「何だい?」
 ルイスは空を見上げたまま吹き出した。「祭りなんてつまらないと思っていた。でも、こんなふうになるなら悪くない。それに君、もっと四苦八苦して歩くのかと思ったら、案外じょうずなんで驚いた」
 今度はエルマーが吹き出した。
「慣れちまったからね。こうなったのは一年も昔のことさ」
「痛くはないのかい」
「それも慣れた」
と、エルマーは静かに返事した。
「不便かい」
「そりゃあね」
「……僕だったら、家から出ないだろうな」
「無理にも出たくなるだろうさ」
 ルイスは、首だけエルマーのほうに向けた。そうすることで問いかけると、エルマーもこちらを向いて、にっと白い歯を見せた。魅力的な笑みだった。
「好きに動けるときは、何日でも部屋にこもっていられる。ところがいざ動けなくなると、五分だってじっとしていられない。それは恐怖なんだ。そういうもんだよ」 
「僕はどうだろうな」
 ルイスはまた夜空に視線を戻した。「僕には、本を読むことぐらいしかないんだ。誰とも理解しあえない。僕は結局、どうなってもひとりで本を読むしかないんだと思う」
「君は風変わりなんだね」
「そう思う?」
「少し僕と似ている」
 会話はそこでいったん途切れた。そのまましばし、少年二人は黙って夜空を見上げていた。もしもルイス・ルグランを知るものがこの光景を見たならば、腰を抜かすほど驚いたろう。ルイス・ルグランがこれまで、決してただ意味もなく傲慢であったわけではないことの一端ぐらいは知るだろう。今のルイスは、これまで誰にも見せたことのない穏やかな顔をしているのだった。
 やがてそろそろ十一時というころ、エルマーがまたぽつりと話し出した。
「僕は流れ星を見つけたいのさ」
 意味が分からず、ルイスは笑った。
「これから見られるよ」
「そうじゃないんだ」
 エルマーは、どこか間延びした口調で呟いた。
「見つけたいのさ。たくさん降ってくるんだもの、このあたりをよく探せばひとつくらいは見つかるだろう。そしたらそれに乗ってね、空に上がろうと思うんだよ」
 とても冗談のようには思えなかった。ルイスは思わず口をあんぐり開けたが、エルマーはいたって本気のようだった。流れ星が地上に落ちてくると思っているのだ、彼は。
 エルマーは続ける。
「いい考えだろう。そうして空にのぼったらね、今度はお父さんを探すんだ。僕と代わって、もういっぺん地上に戻っておくれって言うのさ」
「何だって?」
 ルイスはもう素っ頓狂な声をあげずにはいられなかった。ところがエルマーは次の瞬間、まるでルイスこそが無知であるかのように、あっさりと言い放ったのだ。
「なんだ、君は知らないのかい、ルイス・ルグラン。死んだ人は星になるのだよ。誰だって知っていることじゃないか!」
 そのとき、ルイスはこれまでそこにあるとも知らなかった扉がいきなり開いたのを見た。その向こうから流れ込んできた光を見た。なんの準備も身構えもなく、その扉は外側から開いたのだった。
 ルイスは高揚した。生まれてはじめてのことだった。エルマー・キケロ。自分がずっと探していたのは彼だったかもしれない。心臓が高鳴るのを、もう止めたいとも思わなかった。
 そのとき、最初の星が流れた。二人は同時に歓声を上げ、ルイスは「ミルフィオリ!」と叫んだ。
「なんだい?」
「星ふりの夜のことを、ミルフィオリとも言うのさ。千の花という意味だ。夜空に花がいっぱい咲いたようだから、そう云うんだ!」
「気に入った」と、エルマーは嬉しそうに笑った。
 そして星が降り始めた。二人は寝転がったまま、数え切れぬほど降ってくる星々を浴び、高揚に任せて声をあげ続けた。
 素晴らしい夜だった。

*********

 翌朝の朝食が済んだころ、エルマー・キケロがルイスの家にやってきた。美しい母親に付き添われ、外套を着て車輪椅子に乗っていた。思いがけない訪問にルイスの両親は驚いた。
 ルイスが出て行くと、エルマーは「やあ」と言った。「帰るの」と尋ねると、うなずいた。
「まだ時間があるんだ。少し、付き合ってくれないかい」
 ルイスは、エルマーが何を言っているのかすぐに分かった。「いいとも」と答え、上品そうなエルマーの母親から、彼の乗っている車輪椅子の手押し棒を受け取った。ぽかんとしている両親のほうは見もせずに、ルイスはエルマーの椅子を押して歩き出した。行き場所は、分かっていた。

 昨夜は何かとても特別な場所のように感じられた広場のはずれの小丘だが、一日経って朝の光の中で見ると、ただの草っ原だった。広場には、祭りの名残がちょっとだけ残っていた。甘ったるい果実酒やお菓子の香りが残っていた。
「星を探すんだね」
 ルイスは背中越しに声をかけた。
「どういう形をしてるんだい。大きさは? やっぱり光っている? ねえ、エルマー」
 ルイスはどうしても気になっていたことをもう一度だけ尋ねることにした。
「君がお父さんに会いたいというのは、その――」
 寂しがりのお母さんのためか、と続ける前に、ルイスはぎくりとして言葉を呑んだ。すぐ目の下のエルマーの後ろ頭がごく静かに震えていることに気がついたのだ。
「エルマー?」
「あの人は怖かったんだ。僕がそのうち大人になって、ひとりで何でも出来るようになって、どこかへ去るかもしれないことがね。あの人は独りじゃいられないんだ。かわいそうな人なんだ。だから僕の足がなくなった」
 ルイスは思わず手を離した。エルマーは、気付いてもいないように続けた。
「ねえ、ルイス・ルグラン。僕は流れ星が欲しいんだよ。空に上がるんだ。そしたら僕は、あのへんでこっそり光る星になる」
 彼は結局、動こうとしなかった。
 やがて彼の母親が呼びに来るまで、二人はずっとそうしていた。ほっそりした手に車輪椅子の背を譲るとき、エルマーがちらと自分を見たのに、ルイスは気付いた。
 エルマー・キケロは、一度も振り返らずに行ってしまった。

********

 草原の中にひとり立ち、ルイスは風に吹かれながら、一夜の友人を想った。
 やがて決心するようにひとつ息をついて顔を上げると、足元の草を踏み分けて、草原のなかを歩き出した。ただがむしゃらに歩き回った。
 通りがかった父親が「何をしてる」と声をかけてきたとき、ルイスは「探してる!」と叫び返した。父親は怪訝な顔をした。ルイスはかまわなかった。右手で空を、左手で地面を指差して、そうして地面にしっかりと立ち、顔いっぱいで叫んだ。
「昨日の流れ星は、どのあたりに落ちただろうかと思ってね!」


A-12  ミルフィオリの夜に
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック
index  掲示板




inserted by FC2 system