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B-02  求めるトクベツは

「キミはトクベツなんだよ」
 聞き慣れた言葉は耳を右から左。ためらいもひっかかりもなく通り過ぎる。
 残るものはただ、虚しさだけだ。
「トクベツ?」
 吐き捨てるように繰り返す。そんなことくらいで目の前の笑顔は動じない。
「……どこがよ」



 私はトクベツだ。
 幼い日は盲目的にそんなことを信じていた。確証があったわけでもないのに、ただひたすら。
 あこがれたのはふわりと波打つドレス。
 きゅっと腰をリボンで結んで、にっこり笑う自分を夢想した。
 それには、地味な名字に似合わない派手な名前をつけた両親の影響があるのかもしれない。
 オヒメサマなんてガラじゃない。自らそれに気付いたけれど、何故か自分は「トクベツなソンザイ」なのだとその後も信じ続けていた。
 オヒメサマへのあこがれは、きらびやかに見える世界へのそれへ変化した。テレビの中でスポットライトを浴びるスターがトクベツだと思った。
 あこがれが現実に変化してのち、トクベツなんてそう滅多にないという事実を悟ってしまったけど。
 キラキラ光る世界なんて虚構。裏はドロドロとしたものだ。カワイイやキレイでさえ、今は簡単に作れてしまう。
 国民的アイドルなんて存在は、過去の遺物だ。個人の趣味嗜好は細分化していて、誰もがこれという存在なんて現れにくくなっている。
 いや――そんな存在なんて、この先二度と現れないと断言してもいい。
 悟ったのは十七の夏。ちっとも芽のでない自分に嫌気が差して、すべてを放り出したくなったとき。
 よりによってそんなとき現れたのが、高岡裕真だ。
 高岡は二十代半ば、さわやかな笑顔の青年に見える。
 誠実な人柄を想像させる柔らかい笑顔は、実際のところ笑顔の仮面のようなものだ。私は高岡が笑っていないところを、五年に及ぶ付き合いの中でほとんど見たことがないと言っていい。
 そりゃあ高岡だって人間だ。笑っていないこともないわけではない。五年間、ほとんど毎日顔を合わせているのにそれが両手の指で足りそうだってことだけ付け加えれば、高岡が感情を制御していることぐらい想像がつく。
 私の言葉なんか高岡は全く気にしない。若く見えるくせに実年齢は三十路を越えている。
 その分それなりの人生経験を積んでいるんだろう。十歳近く年下の私の言ってることなんて気にとめる価値もないくらい馬鹿なことばかりに思えるのかもしれない。
 でも、仮面のような笑顔で軽くあしらうのは止めて欲しかった。
「ライカ」
 常にほほえみを絶やさない高岡の、その笑顔が作り物だとすぐに気づけなかったのは私のミスだ。
 よりによってその笑顔にときめいてしまったのも。
「キミはトクベツなんだよ。僕にはわかる」
 優しい言葉に舞い上がって、バカみたいに頑張った。ほんとにもう、バカみたいに。
 高岡は優秀な男なんだと思う。
 前のマネージャーとは比べものにならないくらいに。
 最初は小さな仕事を少しずつ。そしてレッスンをたっぷり。小さな仕事の積み重ねの後には、笑顔であっさりと全国ネットの深夜番組の主題歌の仕事を取ってきた。
 それが、今の私につながる。
 その番組は真夜中開始の割に結構な視聴率を手に入れることに成功した。
 当時売れ始めた芸人のスパイスが効いたトークが売りだった。深夜帯にしてはなかなかの視聴率が一年ちょっと続いて、結果ゴールデンに進出。私にはその番組のどこが面白いかさっぱりだったけど、ゴールデン進出後の新しい主題歌も引き続き歌えるようになった。
 さらに、番組のレギュラーとしても出演決定。それは転機ではあった。
 それまでテレビなんてほとんど出たことがなく、緊張していたのもあって最初素直に自分を出せなかったのが敗因。
 結果世間が認知する私と現実の私にはズレが生じて、上っ面だけの軽いことしかその中では言えない。
 私でなく作り物の「ライカ」が、勝手に一人歩きを始める。録画された放送を見るたびに、アレは誰だと思う。
 だけど高岡は、それを見て変わらぬ笑顔で私にささやく。「キミはトクベツなんだよ」重ねれば重ねるほどにうさんくささが増す言葉を。
 それで商品に――つまり私に不信感を抱かせる辺り、優秀な男でもミスはするものなんだろう。
 高岡も仕事の仮面を脱ぎ捨ててしまえば、ただの若い男だ。判断ミスだって時にはするはずだ。
「私のどこがトクベツだって言うの?」
 私の言葉にそれなりの熱を持って高岡は反論をする。
 曰く、君の歌声に皆癒されるのだ、とか。歯が浮いて逃げ出すようなあれこれを、仮面付きの笑顔で。
 信用なんて出来るわけもなく、だから諸手を挙げてうれしいわけでもない。
 私が欲しいのは、そんな上滑りする言葉じゃない。
 それでもほんの少しだけときめくのは、やはり惚れた弱み。でも心底ときめかないのは、高岡の言葉が心に響かないから。
 仕事でそんなこと言われても、本気で喜べない。
 確かに私はトクベツだと思ってた。最初から私の担当が高岡なら、今も馬鹿みたいに無邪気にその言葉を信じていたかもしれない。
 でも、虚しさに気付いてしまったのだ。
 誰しもが認める「トクベツなソンザイ」なんていない、そう悟ったのはもはや過去の話。
 「トクベツなソンザイ」の世界に片足を突っ込んだ今は、それ以上のことがわかった。
 大勢のトクベツになんて意味がないと、悟ってしまったのだ。
 そうして求めるようになったのは、高岡のトクベツ。
 大事な商品としての「ライカ」じゃなく、馬鹿な世界にあこがれて幻滅してしまったあともその中でもがいてる「山田莱華」のことを見て欲しい。
 虚しさを覚えながら歌い続けるのは、もはやそのためでしかない。
「ライカ」
「わかってる」
 わずかな声色の変化で時間が押していることを悟れるのは、愛があるからだと思う。高岡は気付かないけど、きっとそう。
 私と高岡の間にあるのはアイドルとマネージャーの関係。きらびやかで危うい世界に立ち続けないとその関係はすぐに消え去ってしまう。
 いつまでもわがままなんて言えるわけがなかった。そんなことを言っていられるのは、本当に一握りのトクベツなひとだけだから。
 私は一つうなずいて立ち上がった。今日もきちんと仕事をこなして、明日につなげなきゃならない。
 いつか高岡のトクベツになれるまで、彼に少しでも近いところに居続けなければ。
 私はメイクが崩れていないか鏡で確認して、よしと気合いを入れて控え室から出た。


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