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B-05  星を握る

 細い路地を抜けると、半分さび付いたシャッターが見える。
 そこから聞こえてくるのは途切れ途切れの金属音。どちらかといえばその場から足早に立ち去りたいと思える耳障りな音だ。
 金属研磨工場、といえばわかるだろうか。
 一口に金属を言っても素材はさまざまだ。
 アルミ、亜鉛、ステンレス、鉄、銅、ジュラルミン、チタン。
 そういう金属を研磨する工場に大きな規模の工場はそうそうない。総じて機械による流れ作業ではなく、職人による手作業がメインだからだ。だから、それなりの技術者を探そうと思えば、こうした小さな町工場を訪ね歩くほうが早いのだと聞いた。
 まあ、それを聞いた相手も同じような町工場の親父だったのだが、とにかく、新製品のために必要な技術をもつ職人を探し、一刻も早く契約を取り付けるのが今のオレの仕事だ。
 だが、やっと教えてもらった数少ない職人は、頑固親父そのものの人で、愛想もなければ妥協もない。
 この数ヶ月通いつめて、顔は何とか覚えてもらったようだが、契約の話となると耳障りな金属音を工場いっぱいに響かせてオレを退散させる名人だった。
 上司に頑張れといわれているうちは、まだ良かった。
 一週間たち、一ヶ月たち、そうして三ヶ月を終える今、オレに対する周囲の風当たりは冷たい。
 一度、上司を連れてきたことがあった。
 オレの説明で納得できないところがあるなら、いっそ上司の口から直に聞いてもらったほうが頑固親父も納得してくれるのかと思ったからだ。
 ところが、いざ連れてくると上司のほうが親父に負けた。というよりも、あの金属を研磨する音に負けたのだ。だからというわけでもないのだろうが、その上司だけがなんとか今の社内でオレをかばってくれる唯一の防波堤になってくれている。
「こんにちは、お邪魔します」
 金属独特の鼻をつくようなにおいのする工場に足を入れる。
 きれいに磨かれた研磨機、埃ひとつない作業台、そして、火花を散らせて仕事に励む工場長が、来客に反応もせず己の作業に没頭していた。まあ、オレの場合は来客というような立場でもないから当たり前だ。
 無反応は請け負っている仕事が忙しいときだ。通った三ヶ月で多少の学習はしていた。
 この頑固親父な工場長、腕は仲間からも一目置かれるほどに確かなのだという。熟練というより芸術の域だと教えてくれた人は言っていた。だが、オレにはどこらへんが職人技で、どこらへんから芸術なのかがさっぱりわからない。
「あら、吉田さん。今日もご苦労様ですね」
 工場長の奥さんが笑顔で迎えてくれる。
 オレが何とかくじけずに通ってこられたのも、この奥さんのとりなしがあったからだ。
 還暦は過ぎているといっていたが、オレの母とそう変わらずに見える容姿に、どこかで郷里の母を重ねていたのかもしれない。
「仕事ですから」
 苦笑しながら答えると、「気長につきあてやってちょうだいね」とのんきなことを言う。
 気長に付き合えるほど猶予はないのだが、そんなことは言えるはずもない。
 契約というものが煩わしいのだろうか。
 長年の取引先は、電話一本で仕事を頼み、納期を決める。正式な契約書など取り交わすこともないので逃げられたことなど数え切れないほどあるという。
 バブル崩壊後のしわ寄せはこうした零細企業を直撃し、町工場と呼ばれる小さな工場の閉鎖を加速した。景気の回復はバブルの傷跡は癒せても、町工場の復興には程遠い。職人としての技が衰退するは仕方のない現状なのかもしれない、と、ここに通うようになってからはじめて思った。
 簡単に見える平面と曲線の連なり。それが工場の流れ作業ではなしえないものだと気づいたのは、新製品を製造ラインに送ってからのことだった。洗練されたボディにこだわりを持つ新製品だからこそ、外観は譲れない。だから研磨の職人技が必要になる。
 探し始めてまず、その技術を持つ人間の少なさに驚かされた。
 そして、請け負ってくれる可能のなさにも衝撃を受けた。
 オレの所属する一部上場の企業名は、日本国内ならどこでも一度は耳にした事のある程度には有名なところだ。町工場へ依頼に行って断られたことはない。そもそも、依頼に行かずとも請け負わせて欲しいという嘆願のほうが多いくらいだ。これほど難航した契約先などオレが入社して以来聞いたことがない。
 だからこそ、なかなか契約をまとめられずにいるオレは社内で冷たい視線を浴びせられているわけだ。
 陰口も聞いた。それとなく伝えられる不満や不安の声も聞いた。
 だったらお前らがやってみろ、と言い返したいところだが、いまさらこの契約を誰かに取って代わられるのは癪でしようがない。
 半分は意地になって通いつめて口説いているわけだが、いまもって相手の頑固さに負けている。
 工場の奥で電話が音を立てる。
 奥さんが急いで電話に出ている姿が見えた。
 いまどき黒電話なんて骨董物だ。最初に見たときは驚いた。一度、私用の携帯電話を忘れてあの電話を借りたことがある。扱い方もわからず、ダイヤルを回すことすら知らずにうろたえているオレを見て、いつもは無愛想な工場長が口の端を緩めたほどだ。
 電話をきった奥さんが工場長のところへ急いで駆け寄った。
「お父さん、大変ですよ」
 途切れ途切れに聞こえる夫婦の会話ではおぼろげにしかわからなかったが、同業者の請け負った仕事が期日までに間に合わず、手伝って欲しいという依頼の電話だったようだ。
 毛嫌いしているオレに反応しないほど忙しいはずなのに、ライバル工場の手伝いなんてしている暇なんてないだろうに。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、、工場長が研磨機を止めてオレの前に立った。
「背広を脱げ」
「はい?」
「こんな所で毎日暇そうに座っているなら手伝ってみろと言っているんだ。そんなちゃらちゃらした服を脱いで作業着に着替えろ」
「あのですね……」
「やるのか、やらんのか」
 無愛想な親父の後ろで奥さんが俺を拝むように頭を下げる。ああ、結局ライバルの仕事、手伝うんだ。
 ここは一つ、恩を売ることで契約にこぎつけるという手もありだろうか。
「わかりました。でも、オレ素人ですよ」
「そんなことはわかっとる」
 頬が引きつるような親父の返答に答える前に、オレは奥さんに更衣室まで引っ張られていった。



 オレが作業着に着替えているわずかな間に、近所のライバル工場から商品は届けられていた。業者が搬入につかう容器、これをここではゲージと呼ぶらしいが、それに積まれた何千もの数に目眩すら覚える。
 これを手伝うのか? 素人のオレが。
 だが、オレに任された作業はいたって簡単だった。
 工場長の親父と奥さんが流れ作業で仕上げた商品を作業場のすみにある流し台に運び、一度水に浸して救い上げることだ。
 素材も用途もわからないが、言われたことをただ黙々とこなす。
 研磨したものを水洗いするなどと聞いたことがなかったが、この商品は一度水を通したほうが余計なものが取り除けるというほかに、形がほんの少しだけ引き締まるので具合がいいらしい。
 工場長は研磨機の前で一つ一つ流すように当て、奥さんはそれを工場長とは違う大きな機械の前で微調整しているようだった。
 オレは奥さんの足元のかごに積まれていくそれを流し台に運ぶ。
 何時間かその作業が続き、気がつくと工場内が暗くなっていた。
 オレはすでに見知った工場の電気をつける。研磨工場を営む夫婦はそれにすら気付かず作業に没頭していた。
 ああそうか、急ぐんだったな。
 流し台に一度つけた商品を開いたゲージに並べていく。随分と狭くなった足元にあるゲージを工場のシャッターのところへ積み上げようと運んでいたときだった。
「ちょっと待て。なんだ、その並べ方は」
 それまで黙々と研磨作業だけをしていた親父がオレをみて怒鳴った。
「水につけたものを倒して並べるな。立てるように並べろ。水がきれんだろうが。そのくらいのことも一々教えられなきゃわからんのか」
 言われてから気付く。
 ゲージは底が小さな網目状になっている。立てて並べたら水切りは自然に行える。
 恥ずかしいのと気まずいので思わず反論したかった。だが、なにも言えなかった。
「お父さん、手伝ってくださっている吉田さんにそんな口調で言わなくてもいいじゃありませんか。私も十分な説明をしなかったのですから……」
 顔を上げてこちらをみた奥さんが制止に入ったが、それをさえぎってオレは頭を下げた。
「すいませんでした」
 手伝うといった以上、これはオレの仕事だ。自分の不注意で足を引っ張ったことは事実だ。悔しいと思いながらも頭を下げる。
 頑固親父はそれ以降、口を開くことなく研磨作業に戻った。
 奥さんがすれ違いざまに小さく「ごめんなさいね、無遠慮で」と言ってくれたが、それがかえって己の不甲斐なさを改めて思い知らされる。
 ねている商品を立てなおしたゲージをまた出口のところへ運ぶ。
 こんなに一生懸命に仕事をしている人をオレはこれまで知らなかった。
 営業なんて会社の名前が一番の看板だ。それほどあくせくしなくても契約は纏まっていた。他人のためにこんな時間になるまで働くこともない。
 仕事をしている二人の背中を見て思う。
 きっと時間の感覚も失っている。今が深夜と呼ばれる時間帯だなんて気付いてもいない。
 ゲージに積まれた商品はまだ半分くらい残っていた。
 徹夜になるだろうか。
 足元に転がるゲージの商品を並べなおしながら、オレはぼんやりとそんなことを考えていた。



 最後のゲージを出口に運び終えたとき、空が薄く水色に変わっていた。
 本当に徹夜になった。
 神経は不思議とさえていて、眠気もまったく感じていない。
「お疲れ様。ほんとうにありがとう」
 奥さんは笑顔で言うと、「あら、もうこんな時間。お風呂とご飯の支度してくるわね」と言い残して工場奥の居室に向かっていった。
 オレはその場に腰を下ろし、深くゆっくりと息を吐き出した。
 背後で何かが動く気配がした。視線を向けると工場長が立っていた。
「俺はお前が好かん」
 その第一声に反論する気はなぜか微塵もおきなかった。
「色の薄い髪の毛も、無駄に高い身長も、貼り付けたような愛想笑いも気に入らん。だが、何よりも一番気に入らんのは手がきれいなことだ」
 髪を染めている人間はいまどき珍しくもないし、身長なんて自分で決めたわけじゃないから丸っきりの言いがかりだ。愛想笑いも職業柄必要だろう。だから、最後の一言が新鮮に感じた。
「……手、ですか」
 言われて自分の手を見てみた。指先は水でふやけて白く、金属を持っていたせいかあちこちが黒く汚れていた。細かく研磨された削りかすの金属片がしわの間に埋まり、背後からさす蛍光灯のあかりか、ほのかに上る朝日に光を反射させてその存在を主張している。
 まるで小さな星をつかんでいるような気がした。
 両手で払っても作業服のすそでこすっても完全に落ちることはなかった。
「手のきれいな人間は怠け者の証拠だ。お前の手は仕事をしている奴の手じゃなかった」
 書類を持って、相手の要求と自社の要求を折衷して、契約書に判子貰って、社内で報告書書いて。
 まあ、この親父から見れば到底仕事とは言えないものがオレの仕事なわけだから仕方がない。
 昔気質の職人なんだから、そういうところが気になるんだろうな。気付かなかった。
 ぼんやりと手を見ながら考えていると、工場長の言葉はさらに続いた。
「だが、今の手をしたお前となら契約してやってもいいかもしれんな」
 驚いて振り返る。頑固親父の背中はもう、工場の半分くらいまで遠ざかっていた。


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