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B-10  歌う星

 セーラは物心ついた時から、伯爵様のお屋敷で、下働きをしている。
 朝は日の昇る前に起き出して、夜は誰もが寝静まるまで眠ることは許されなかった。
 親はいない。母親は、王様からも絶賛された歌姫だったというが、父親のことは誰も彼女に話してくれなかった。いや、母親についてもセーラには、よくわからない。
 そもそも、歌姫ってなんだろう?
 不思議に思ったセーラは、周りの自分よりも物事をよく知っていそうな大人たちに訊いてみた。
「歌姫って何?」
 だが、誰もが首を捻るばかりで、明確な答えは返って来ない。
 それもそのはず、この国には歌が、いや音楽がないのだ。
 音楽だけではない。絵画も文学も芝居も、およそ「芸術」と呼ばれる類のものは、全て存在しない。
 セーラが生まれるより前、先の王様が死んで新しい王様がこの国の支配者となった時、全ての芸術を禁じ、魔法使いたちに命じて国と民の意識の中から、それらに関することを完全に消去させたためだ。
 なので、この国の民は、たとえば嬉しい時に調子っぱずれの鼻歌を歌う、などということがない。また、子供でも壁や床に絵をらくがきしないし、祭の日に歌や踊り、芝居が神々に奉納されることもない。もちろん、セーラもそうだ。らくがきなんてしている暇がないのも事実だが、天気のいい日に洗濯しながら歌をうたうなんてことは、したためしがなかった。

 そんなある時、伯爵様のお屋敷に、よその国から客がやって来た。
 客は、伯爵様の父、つまり先代の伯爵様の友人だというたいそう高齢の老人で、しばらくの間、お屋敷に滞在することになった。その間は、粗相のないようにもてなすようにとのお達しが、セーラのような下働きにまで回って来た。
 とはいっても、セーラの身分では、その客人の食事の席に侍ったり、身の回りの世話をしたりするようなことはあり得ない。せいぜいが、部屋の掃除をするぐらいのことだ。
 ところが客人は、自分が持ち込んだあるものが、とても珍しいものなので、是非にもお屋敷の人間全てにそれを披露したいと言い出した。かくして、伯爵様の家族と使用人全てが、お屋敷の一番大きな広間に集められた。
 もちろん、その中にはセーラもいた。
 セーラはまず、広間の真ん中に作られた小さな舞台に姿を現した老人に、目を見張った。髪も長い髭も真っ白で、ずいぶんと小柄だったからだ。だが次に彼女は、老人が手にしているものを見て、目を丸くする。
 それは、弓に何本もの蔓を張ったような奇妙なもので、ひとかかえはありそうだった。
 老人は、それを手にしたまま、舞台の上に用意された椅子に腰を降ろすと、やがてその弓に張られた蔓を両手で撫でるようにして、はじき始めた。
 はじかれるたびに、その奇妙なものは音を鳴らし、それがえもいわれぬ心地よさを、広間に集まった者たちの間にかき立てた。老人は更に、蔓を鳴らしながら、声を張って何事かを話し始めた。異国の言葉だったので、言っている意味はよくわからないが、その声にも言葉にも、やはり何か心地良い響きがあった。
(これはいったい、なんなの?)
 セーラは夢中でそれに聞き入りながら、胸に呟いた。そして、ふと思い出す。
(そういえば私、昔これと似たようなものを、聞いたことがある気がする……)
 そう。たしかそれは、彼女が今よりも小さかったころのことだ。何か失敗をして、女中頭からひどく叱られ、ぶたれて納戸に押し込められたことがあった。冬の寒い夜のことで、女中頭の怒りはなかなかおさまらず、彼女は結局、一晩をひもじいまま、そこで過ごしたのだった。だが、彼女は不思議と辛くなかった。というのも、納戸の高い位置に小さく開いた換気用の窓から、空を埋め尽くす星々が覗いていたからだ。星々からは、一晩中、何か心の安らぐ音と声が響いて来て、セーラはまるで星に慰められているような気がしたものだった。
 そんなことを思い出していた彼女の脳裏に、ふと「音楽」という言葉が閃いた。
(音楽? これは、音楽というの?)
 彼女が思わず胸の中で呟くと、誰ともわからない何かが、「そうだ」とうなずく気配があった。

 その日から、セーラの中にこれまでなかった感覚が芽生えた。
 彼女は、さまざまな音の中に、音楽を聞くようになったのだ。
 たとえば、外を吹き過ぎて行く風の音に、窓を打つ雨の音に。小鳥のさえずりや、子供たちの笑い声に。そして、星々の輝きにもまた。
 どうしてそんな感覚が生まれたのか、セーラ自身にも不思議だった。
 あの老人の鳴らした音のせいかとも思ったが、一緒にあの音を聞いた他の者たちにはなんの変化もなかったようだ。
「ねぇ。風が歌っているように聞こえない?」
 セーラが時おり漏らす呟きに、誰もが首をかしげて問い返す。
「歌うってなんだ?」
 だがセーラにも、それを相手に説明するだけの知識と言葉はなかった。歌は歌だ。
 今では彼女は、あの時老人が鳴らしたのが、「竪琴」と呼ばれる楽器だったことを知っている。誰かから教わったわけではなく、あの日のことを思い返す時、自然とその言葉が脳裏に湧き出したのだ。
 それから月日が経つうちに、セーラは一人歌をくちずさむようになっていた。無意識に口から出てしまっていることもあったが、昼間の人のいる時間はなるべく歌わないように気をつけてはいた。他の者に聞かれると、不審がられてしまうからだ。
 しかし夜になり、一人で誰もいない廊下や調理場の床を掃除する時、彼女は存分に歌をくちずさんだ。歌は、まるで泉の水が湧き出すように、彼女の口からあふれ出し、夜のしじまに溶けて行った。
 一緒に歌うのは、夜空に輝く星の群れだ。掃除をする時には、それがいつであっても窓を開けろとうるさく女中頭から言われている。それでセーラは、夜更けであってもかならず窓を開けていたが、そこからは輝く星々がかいま見えるのだった。

 何年かが過ぎた。
 セーラはすっかり大人になり、一人前の娘になったが、相変わらず伯爵様のお屋敷で下働きとしてこき使われていた。
 ある冬の日、お屋敷に王様の兵士たちがやって来た。王様が病に倒れ、魔法使いが占ったところ、病は魔女が呪いをかけているせいだと判明したのだそうだ。そして、その魔女が、伯爵様のお屋敷にいると。
 王様の兵士らが示した魔女は、セーラだった。
「私は魔女なんかじゃありません」
 彼女は必死に兵士らに訴えたが、誰も取り合ってもくれない。また、伯爵様も今まで一緒に働いて来た使用人たちも、かばうことさえしてくれなかった。
 実は、伯爵様もお屋敷の他の使用人たちも、彼女のことを気味悪く思っていたのだ。
 いくら誰もが寝静まってからのこととはいえ、歌声は夜のしじまの中に響き、夜毎彼らの枕辺にも流れて行く。音楽を知らず、歌を知らない人々の耳には、それは言われてみれば呪いの言葉とも聞こえ、そんな言葉を毎晩たった一人で呟いているセーラは不気味な存在に感じられていたのだ。むしろ、魔女と言われて納得した部分さえ、あったかもしれない。
 セーラは捕らわれ、お城の牢へと閉じ込められた。そして、その翌日には火あぶりにされることが決まった。
 魔法使いが、魔女が更なる災いをふりまく前に、処刑するべきだと言い立てたのだ。普通の罪人ならば、裁判ぐらいはしてもらえる。しかし、王様の命がかかっていることとて、大臣たちも魔法使いの言葉を聞き入れ、彼女を即座に火あぶりにすることを決めたのだ。
 処刑の日、彼女は囚人に着せられる灰色の服を着せられ、両手を後ろで縛られて、荷車に乗せられた。それで都の一番大きな広場まで、まるで見世物のように連れて行かれたのだ。
 処刑は、日が落ちてから始められることになっていた。広場に着くと、その中央には大きな台が据えられていて、台の足元には薪がいくつも積み上げられていた。
 それを見て、セーラは恐ろしくなった。
 あたりには、魔女の処刑を見ようと、大勢の人々が詰め掛けている。
 その人々の怒りと憎しみの目に、セーラはますます恐怖を募らせた。逃げ出したい気分になったが、そんなことなどできるはずもない。
 やがて荷車は台のすぐ傍で止まり、彼女は兵士たちに両側から腕をつかまれ、荷車から下ろされた。台の上の太い木に縛りつけられ、更に彼女の周りにも薪が積み上げられる。兵士たちが薪の上に油を撒いた。一人が、火打ち石を取り出すのが見える。
(誰か、助けて……!)
 セーラは、恐怖のあまり目を閉じて、思わず胸に叫んだ。
 その時だ。どこかで竪琴の弦をかき鳴らすような音がした気がして、彼女は息を飲む。開いた目に、空一面を埋める星々が飛び込んで来た。
 彼女の処刑を見ようと、広場に集まって来た人々にも、その音は聞こえたようだ。誰もが怪訝な顔で、あたりを見回している。
 と、また弦をかき鳴らす音が響いた。それはたちまち、一つの音のつらなりとなり、気づけば音楽へと変わっていた。そして、その楽の音を伴奏に、空を埋める星たちが歌っていた。やわらかな、優しい声音で。
――心からあふれ出す、情熱の泉を忘れた人々よ。思い出すがいい。その魂の奥底にあるものを。
――心を、魂をふるわせる数多のもの。神への捧げものであり、神と一つになるための唯一のすべ。
――思い出せ、心を潤す水のことを。思い出せ、明日を照らす希望の光を。
 次々と落ちて来るその歌に、最初は驚きざわめいていた人々も、次第に穏やかな顔で聞き入るようになっていた。
 セーラはそれらを、目を丸くして見入っていたが、やがて兵士らが薪に火をつけるのをすっかり忘れていることに勇気を得て、星たちと一緒になって、歌い始めた。
 彼女の歌声は美しく澄んで朗々と響き、広場を渡り、都の隅々にまで流れて行く。そしてその歌声を聞いた人々は、例外なく空を見上げ、星々の歌に耳をかたむけると共に、忘れていた芸術全般に関する概念を思い出したのだった。

 一夜が明けて、セーラは歌姫となった。
 それと時を同じくして、王様は病の床に亡くなり、新しい王様が即位した。新しい王様は、先の王様の出した命令を撤回すると共に、民と国から芸術を取り上げた魔法使いたちを国から追放した。
 セーラはやがて、新しい王様から城に召し出され、その歌を披露して絶賛された。
 後にわかったことだが、伯爵様のお屋敷にかつて訪れた客の老人は、王様の代替わりと共に国を追われた、歌と楽の音で魔法を行う呪歌謡いであったという。
 ともあれ、この国ではそれから五百年が過ぎた今でも、歌姫セーラの名と共に、この不思議な夜の出来事は語り継がれているということだ。


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