index  掲示板
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック





B-11  ちょっとだけ遠い未来のこと

 それが見つかったのは、僕がまだ本当に小さくて、やっとよちよち歩き始めたくらいの頃だった。だから、世の中が何かの登場に驚き、歓喜していた当時、僕はまだ何も知らなかったんだ。そりゃあ、今も完全に知っているってわけじゃない。うん、強いて言うなら、そう、知らなくてよかったってこと。
 たとえばちょっと遠い未来のこととか、ね。

 東京駅のあふれる人並みを抜けて、ようやくホームへたどり着いた。正午ちょうど。右肩に食い込むボストンバッグを足の間に下ろして、僕ははあっと大きく息をついた。駅構内は暖房でかなり暑かったから気がつかなかったけれど、吐いた息は白かった。寒いんだ。僕はそう気づいて、それからなんとなく唇の端が上がるのを自分で感じた。笑ってる。
 同じようにバッグを下ろした貢が顔を上げて、僕らは目があって、それで今度ははっきりとわかる顔で笑った。
「一年ぶりだな、旧校」
「やっぱり寒いよね、もっとさ」
「当たり前じゃん、長野だぜ?」
 だよね、とうなずく。僕らが話していると、前の列から杉本がひょいと振り向いて、
「最高気温もマイナスだって」
 とあまりありがたくないことを教えてくれた。げえっと呟いた僕らを笑う。伝染するみたいに、僕も笑ってしまった。何笑ってるんだよって貢は言ったけど、そう言う貢だって笑っていた。確かめるように、僕はもう一度言った。
「だって一年ぶりだよ」
 うん、そうだなって貢がうなずいた。貢も杉本も、それから一緒にいるみんな――僕ら、そう、僕ら二年三組はみんな一様に、きっと昂揚していた。僕はそれを隠せないのが悔しいような恥ずかしいような心地で、マフラーの中に顔を埋める。柔らかいウールに鼻の先をこするようにすると、懐かしい冬の匂いがした。
 僕らが旧校と呼ぶそこは、避暑地として名高い土地にある。木造の山荘と古びた学舎からなる施設で、聞いた話によると五十年近く前から在るそうだ。元々その学舎が僕らの学校の昔の校舎だった、とかそういうわけではなくて、廃校になったそれを買い取ったらしい。山荘はその後に建てられたものだという。夏場の部活合宿とか、自然教室とかのための、避暑施設だ。
 でも、今は冬。それも真冬だ。東京でもちらほら雪が舞ったりしている。そんな時期にそこへ訪れる理由はといえば、旧校の天文台にあった。
 旧校には、それはもうでっかい天文台がある。五階建くらいだったかな。あれ、聞いたらそんなにないって貢に言われた。三階建てくらいだろって。まわりに高い建物がないからそう思えるのかもしれない。ともかく、旧校のまわりを囲む高い木々を突き抜けるくらい高いんだ。屋上がドーム型になっていて、これまたでかい天体望遠鏡がある。廃校になった校舎がすぐに取り壊されなかったのは、この天文台の存在が大きかったらしい。
 そりゃあ夏だって星は見える。天の川だって見えた。でも、冬でなければ見えない星がある。だから僕らは今この時期に、星見教室を行うのだ。
「貢、今ウノって言ってない!」
「あっ、ウノ! ウノウノ! 言った!」
「ブー、遅いです。七枚ね七枚」
「げーっ。もう無理じゃん俺」
 乗り込んだ新幹線の中はほっこり暖かくて、しばらくすると暑いくらいになってきた。お菓子を広げながら、時間つぶしに遊ぶ。でも僕は、どこかそわそわして居ても立ってもいられないような、むずむずするような気持ちを胸に抱えている。
 去年の星見教室はすごく、寒かった。今年もきっと寒い。耳がちぎれるくらい寒い。だから今年は、耳当てを買ってきている。去年杉本がつけていて、すごく暖かそうだったから。ださいからいやだったけど腹巻きも持ってきた。山下さんが暖かいぞっていったから。
 荷物をひとつひとつ思い返すように確認している内に、窓の外の景色がどんどん変わっていく。
「幸太、ドローツー! 4枚出てる」
「んじゃこれで守にパス」
「マジかよー!」
「あっ」
 僕は思わず声を上げる。みんなもはっと息を呑む。トンネルをひとつ抜けたら、一面が真っ白になったのだ。
「すげー! 雪だ!」
 車両がにわかに騒がしくなって、さすがに先生が怒った。でも僕らは窓にかじりついて、じっとその銀世界を見つめていた。
 旧校の最寄り駅に着く頃、太陽は僕らの真ん前にあった。駅から雪に埋もれた道へ出ると、眩しいくらいに地面がきらめいている。家から履いてきた長靴が、ここに来てようやく違和感のないものになった。
 ちょっと開けた場所で先生が点呼のために僕らを整列させる。きんと冷えた風がびょうと吹いて、僕は亀みたいに首をすくめる。
「杉本、今何度?」
「知らない。でもマイナス」
 震えながら杉本が答える。貢にマイナスだって、と伝えると余計寒くなるからやめろと怒られた。たしかに知ってどうなるものでもないんだけど。
 僕ら二年三組は十七人しかいないから、点呼はすぐに終わった。十七人全員いる、誰ひとり欠けていない。当然だ、星見教室なんだから。この寒さを浴びて一度は収まりかけた昂揚が、わくわくとまたわき出すのを感じた。
 先生からこれから旧校まで歩く旨説明がある。去年とだいたい一緒。夏は三十分もかからない行程も、雪道だから一時間近くかかるだろう、という説明のあとにブーイングが起きるところまで、一緒だった。それに既視感を覚えたのはどうやら僕だけではなかったようで、みんな、先生まで笑い出してしまった。お前ら成長ないなあって先生が言った。
 寒くて仕方なかったのは最初だけで、歩いている内にどんどん汗が吹き出てきた。吐く息も白さを増して、肩に食い込む荷物の重みがそのまま足の裏の痛みになる頃、ようやく旧校が見えてきた。正確にはその、頭ひとつ飛び出た天文台が。みんな気づいたみたいで、やっとだよ、とか、疲れた、とか、声がいくつも挙がる。安堵のため息と一緒に、ため息では吐ききれない何かが胸をいっぱいに満たすのを、僕は感じていた。
 もうすぐ、あの星が見える。
 山荘の管理人である山下さんに挨拶をした後、僕らは部屋に案内されて、それからすぐに風呂に入った。山荘といっても学校の施設だから、旅館みたいなお風呂とかではなくて、強いて言えば小さい銭湯みたいなお風呂だ。といっても僕は銭湯ってよく知らないんだけど。前に父さんにこういう感じだったって説明したら銭湯みたいだなって言っていたから、たぶんそういうものなんだと思う。去年もそうだったけど、途中お湯が出なくて水になったり、中のお湯が温くて暖まるどころか寒くなってきたりした。僕らは風邪を引かないように大急ぎであがって、本校舎の視聴覚室を新しくする前に旧校のガスを電気に直すべきだと真面目に話し合った。
 しばらくの自由時間があって、それからすぐに夕食の時間になった。一泊二日の星見教室は、本当に慌ただしい。時間がすぐに過ぎていってしまう。男と違って時間がかかるらしい女子は、まだほかほか湯上がりみたいな子が何人も居て、あんな寒い風呂によく長く浸かれるなって貢が言った。女子の方がいいガスなのかも、って僕が言ったら、陰謀だって怒っていた。
 ふと外を見ると、もう日が林の向こうの山へ沈もうとしていた。太陽の形は見えなくて、光だけが細く見えている。白雪がその光を捉えて、反射して、その光がまた別の雪に。真っ赤な夕焼け色にはほど遠い、それは白くて淡い、黄金色の夕焼けだった。ものの三分で終わってしまうような、短い夕焼けだった。
 山荘二階の食堂へあがると、夕飯は去年と同じでカレーだった。よく考えたら旧校に来るといつもカレーを食べている。メニュー少ないのって給仕のおばさんに聞いたら、そんなことないって笑っていた。きっと嘘だ。
 夕飯の後にやっぱり少しの自由時間があったけど短すぎて自由も何もない感じだった。それでもなんだかんだで枕投げをしていると、隣の部屋の四人が僕らを呼びに来た。
「天文台、行くって」
 僕ははっと顔を上げた。隣を見ると、貢も、守も、泰も、目がきらきらしていた。口では、これから寒いところに出るのか、とか文句を言っていたけど、僕も言ったけど、本当はすごくこれを待っていたんだ。
 外はめちゃくちゃ寒かった。靴下は二枚重ねて履いたし、腹巻きも隠れて巻いたし、耳当ても装着した。毛糸の帽子も被った。無防備な顔の前面に風が吹き付けると、冷たいというより痛い。僕はマフラーに顔を埋める。避けきれない風から、新しい冬の匂いがしていた。
 先生がこれからのことを僕らに説明をする。
「これから、山下さんと一緒に天文台へ上る。ここよりもう少し寒いかもしれないから、マフラー、手袋、それからカイロとか、ちゃんと忘れずに持っていくように。あと、トイレはちゃんと行っておくこと」
 小学生じゃないんだからあとで忘れ物は聞かないよ、と先生が冗談めかして言う。去年みたいに、ランドセルを下ろしたばっかりじゃないんだから少しはアレンジしてくればいいのに、と思ったけど、僕はやっぱり笑ってしまった。
「夜道で危ないから、三人一組。グループ一個には先生を入れてくれ。ちゃんとランタンは行き渡ったか? 何も出ないと思うけど、何か出たらすぐ大声で知らせること。ランタン落とさないように気をつけること。中に入っているのは火じゃないけど、落としたら壊れるからね」
 前の列から、結構大きめのランタンが回ってくる。後ろまで行き渡ったのを確認して受け取ると、ずっしりと重かった。つけると橙に近い明かりが、あるで本物の火みたいに見える。
「あとは山下さんから何かあれば」
 山下さんは山荘と天文台の管理人だ。ちょっと小太りのおじさんで、去年より頭は薄くなっていた。
「僕から話すことは、そんなにありません。今日見る星はみんなにとって大切なものになると思うから、眠いかもしれないけど、しっかり見ていってね。東京よりきっとずっと綺麗に見えるから」
 おっとりした山下さんの説明に、眠いわけないじゃん、まだ七時半だよって守が反論していた。本当だよ。その後ろで泰が眠そうに欠伸をしていたのは、見なかったことにした。
 天文台は山荘からそんなに離れていなかった。久しぶりに見上げるそれはやっぱり大きくて、僕は隣の貢をつついて、絶対五階くらいある、と言った。貢はあるかも、と神妙にうなずいた。
「中にある階段は細いので、ひとりずつあがってください。中間にみんなで広がれる場所があるから、そこまでは止まらないで進んで。そこまでいったら、一通り僕からまた説明します。そのあとはみんなで、自由に星を見てください」
 階段は本当に細くて、でも記憶よりずっと安定していた。去年はすごく怖いと思っていたからかな。ランタンをかざすと、壁にはいくつもの落書きがあって、色々な人の筆跡で名前とかメッセージが刻まれているのがわかる。五十年分、ううん、それ以上だ。この天文台を持っていた学校がまだちゃんと生徒を持っていた頃からの、落書きだ。僕は前を行く貢をつんつんと突いた。
「やっぱり、書く?」
「当然。マジック持ってきた?」
「もちろん」
 僕らは、ここに落書きを残すって去年から決めていた。だって来年は受験でもうこれないから。これで最後だから、ここに名前を残していくって決めていたんだ。
 やがて山下さんの言っていた中間地点に着く。そこには、あのでっかい天体望遠鏡が、ずっしりと黒い体で鎮座していた。
「望遠鏡は位置が合わせてあるので、ずらさないように注意して見てください。もし見えなくなったらすぐ私に言ってくださいね。喧嘩しないで覗いてください。今日はよく晴れているので、肉眼でもちゃんと見えますよ」
 山下さんが言って、何か操作すると、天井のドーム型の部分が動いて、一面が夜空になった。そこはまわりを取り囲む木々の上で、風がびょうと吹いて、星がばらまいたみたいに、そこら中に散らばっていた。わあっと感嘆の声を上げながら、足が一瞬すくんだ。宇宙に放り出されたみたいだったから。ひときわ輝く赤い星を見つけて、僕は思わず声を上げた。
「パンテオン!」
 どれ、どの星、とすぐにみんなが集まってくる。僕はまっすぐその星を指さす。あの真っ赤な星!
「よく見つけたね、そうだよ。あれがパンテオンだ。もしかしたら君たちがこれから、行くかもしれない星だよ」
 山下さんの声にみんなが、しん、となった。
「君たちが本当に小さい頃に見つかった星だ。地球に環境が似ている。もうすぐ募集が始まるね、パンテオン初期住民の」
「あれって、本当なの?」
 怯えたような声を出したのは杉本だ。山下さんはやっぱりおっとりした声で、本当だよ、という。コーラの宣伝じゃなかったんだ、と泰が言う。紛らわしいよなコーラ、と守が賛同して、カップ麺も紛らわしいと貢が言っていた。
「まず行くのに三年かかる。遠いね。それだけでも移住だ。そこからテラフォーミングっていう大変な作業が待ってる。最初はパラテラフォーミングっていってドーム状の、っていっても難しいかな。パンテオンという星を地球みたいにしていくっていうことだけど、それにもどのくらいかかるかわからない」
 山下さんは赤い星を眺める。
「もちろん行くまでにも、宇宙飛行士になるのと同じか、それ以上つらい訓練が必要だ。だからパンテオン初期住民は、すでに宇宙飛行士の資格を持っている人か、君たちくらいの若い人しか受け入れない」
「いつか、地球が滅びるって本当?」
 僕の質問に、山下さんは本当だよ、と言った。先生が少し慌てたみたいだった。それで余計に、山下さんの言葉の信憑性が増す。でも、と山下さんは言った。
「君たちと、君たちの子ども、孫もかな。そのくらいまでは大丈夫」
「玄孫は?」
「そのくらいになると、ちょっと遠い未来だからね。大丈夫かもしれないし、そうじゃないかも。予想がつかない」
 僕たちの子ども、その子ども、そしてその子ども。それって何年くらいだろう。五十年くらいだろうか。この天文台が建った頃、パンテオンはまだ見つかっていなかっただろう。でも地球が滅びるかもしれないって、誰かは知っていたのかな。
 私たちは平気なんだって、安堵の声がするのに、山下さんが少しだけはっきりした声で言った。
「でもそれは、意外と近い未来だよ。そんなに遠くない」
 山下さんは宇宙飛行士の資格を持っている、そういう噂を僕は聞いたことがあった。あの星に行きたいのだろうか。
 ちょっと遠くて、でも意外と近い未来。それってどのくらいの長さだろう。
 僕は先生がもう帰るぞって言うまで、ずっとパンテオンを見ていた。

 一泊二日の強行軍だったせいか、消灯すぎるとみんな早く寝てしまった。僕と貢は示し合わせて起き出すと、パジャマの上からさっきみたいに防寒具を着込んだ。懐中電灯、落書き用のマジックをポケットに入れる。それから、布団の中に枕とバスタオルを詰めてカモフラージュした。
 そっと抜け出して、天文台の前まできたら何故か杉本と出くわした。
「あれ、杉本も落書き?」
「違うよ! そんなことしないよ。ただ、写真取り忘れたから」
「そっか。んじゃ書こうぜ幸太」
 貢は何処に書こうかと天文台の壁を眺め始める。僕は手持ちぶさたでいる杉本に、マジックを差し出した。
「杉本も書かない?」
「いいの? 幸太のペンでしょ」
「僕はね、これ」
 カッターを取り出すと、貢がめざとく見つけて言った。
「幸太大胆! いいなそれ」
 へへっと僕は笑って、貢と同じように落書きにふさわしい壁を物色した。杉本もすごく、すごくすごく悩んだみたいだけど、同じようにしてきょろきょろ壁を見回していた。
 ここに、残るんだ。
 僕の名前。僕の気持ち。思い出はこの胸以外にも、残る。
「まだかー? 書けたか? 早くしないと見つかりそう」
「僕は書けたよ!」
「あ、待って、もうちょっと!」
 杉本は結構長い文章を書き込んでいるようで、僕らは顔を見合わせて笑った。
「笑わないでよ! どうせなら書きたいこと全部書こうかなって思って……できたっ!」
「なに? 何書いたのさ」
 覗き込もうとする貢を、見ないでよ、と杉本がぺしぺしと叩いて追いやる。僕も覗いてみたけど、残念ながら杉本がなんて書いたのか見えなかった。
「貢はなんて書いたのさ」
「『貢様見参!』って書いてきた」
「えー嘘だー!」
 けらけらと笑う貢からは、それが本当か嘘かはわからない。
「幸太は?」
「『ばいばい』って書いてきたよ」
「嘘、なんで? そんなこと書いたの?」
 いつの間にか隣に来ていた杉本が、眉間にしわ寄せて言う。僕はただ笑ってみせた。貢がそうしたみたいに。
 本当になんて書いたのかは、みんなにはまだ内緒にしておく。やがて僕の夢が叶うなら、その頃に誰かが見つければいいと思う。
 だから今は、誰も知らなくていいんだ。
 僕の夢も、星の未来も、僕がそこに、何を残していったかも。


「ばいばい、青い地球。僕はきっと赤い地球へ行く    幸太」


B-11  ちょっとだけ遠い未来のこと
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック
index  掲示板




inserted by FC2 system