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C-01  魚の泳ぐ場所

 確かに、星が落ちてきたのを見たんだ。
 天のてっぺんで、たくさんの仲間に囲まれて、その中でも一番きらきらと強く輝いていた星が、ぼくの目の前でひゅうと音をたてて落ちてきたんだ。
 ぼくはその時、ぼくの部屋の中で、眠れなくて、ぐるぐると寝返りを打ってばかりいた。
 村のはずれの丘の上にある家の、一番天に近い部屋がぼくの部屋。だから部屋の窓からは村の景色をぐるりと見渡す事ができたし、夜も朝も昼も、村の、一番高い場所から天を眺めることができる。
 だからかもしれない。そのとき星が落ちてきたのを見たのは、どうやらぼくだけのようだった。

 村のまんなかには大きな湖が広がっている。
 とてもきれいな、澄んだ水をたたえた湖だ。どのぐらい大きいのかというと、実はあんまり大きくもないみたいなんだけど(図鑑とか本とかで調べるかぎりでは、世界中にはもっともっと、それこそ想像もつかないほどの大きな湖だってあるようだ。なんでも湖よりもさらに大きな、海というものもあるらしい)、それでもぼくらにとっては、充分すぎるほどに大きい。
 天気のいい日なんかには弁当を持って湖の周りを散歩する。
 ゆっくりと歩けば一時間ぐらい。急いでまわれば半時ぐらいで一周できるほどの広さをもった湖は、今は薄い雪で囲まれている。
 
 ともかく、その夜、ぼくはこの目で確かに見たんだ。
 天で光っていた星が、湖の、多分、端の方に落ちたのを。

 朝早く、ぼくはテディを連れて湖まで散歩にでかける事にした。
 雪はぼんやりと降っていたけれど、天は青々としていて、お日様が歌をうたっていた。
 村まで続くゆるやかな坂道をくだりながら、テディは雪の隙間から伸びる草のにおいを嗅いでいる。
 ぼくはマフラーに顔の半分までつっこんで、白い息を吐きながら、夕べ星が落ちてきたはずの場所を確める。
 湖の水は透き通っていて、今は薄い氷を張っていた。氷の下にはゆったりと泳ぐ魚がいる。
 テディが鼻をふんふんいわせて、湖の端に顔を近づけていた。
 覗いてみると、そこには一匹の魚の姿があった。
 青藍色の、図鑑なんかでも見た事のない魚だ。
 魚は氷の下で、身を震わせるように泳いでいる。
 手の中におさまりそうなほどの大きさ。獲って帰ったところで、こんな小魚といわれるのがオチだろう。ママの作るパイは世界一だけど、こんな大きさの魚では、パイの材料にも使えそうにない。
 指先で氷をつつく。と、薄い氷は簡単に割れて、その下にいる魚の鱗がお日様を浴びて眩く光った。
 ぼくは天を見上げて首をかしげる。
 夕べ星が落ちてきたのは、確かにこの辺りだったはずだ。でも、その場所には、星ではなくて魚が一匹いるだけだ。
 魚が落ちてきたんだろうか。
 テディが甘えたような声でぼくを急かす。お腹がすいたらしい。
 そういえばと思い出して、ぼくもお腹に手をあてた。
 朝ご飯がまだだった。
 ひとまず一度帰ろうと考えて、ぼくは魚に背を向ける。すると、魚は、まるでぼくを(ぼくたちを?)引き止めるように、水の上を小さく跳ねた。
 テディがくしゃみをする。
 ぼくは少しだけ考えて、テディが用を足したときのためにと持ってきたビニール袋に目を落とす。
 お日様をうけて、魚はまるで星のようにきらきらと輝いていた。

 魚を家に連れて帰って、去年まで飼っていた金魚が泳いでいたガラスの鉢に移しいれる。
 鉢の底にはビー玉を敷いてある。妹が金魚にとプレゼントしてやったものだった。
 ビー玉は水をいれてやると、きらきらと、とてもきれいに輝いた。その上で、青藍色の魚は居心地よさそうにすいすいと泳ぐ。
 ぼくはベッドの上に転がって、ほおづえをついて魚を見る。
 窓の外、雪はもうとっくにやんでいた。青々と広がる空と、のんびりと泳ぐ白い雲。お日様はいよいよ天のてっぺんまでのぼりつめていて、村は揚々とした活気で満たされていた。
 ママと妹が坂道を降りていく。買い物に行ったんだ。
 テディが雪の中に鼻をつっこんで遊んでいる。雪の下になにかを見つけたのかもしれない。
 魚は金魚鉢の中で好き勝手に泳ぐ。なにを喋るわけでもない(当然だけど)。だから、ぼくはそのうちに退屈になってきて、気がつくとうとうとと眠りにおちてしまっていた。

 ぼくは、その中で、ふわふわと浮き上がっては沈むというのを繰り返していた。
 視線を下に向ければ、そこにはきらきらと輝く無数の星の光があった。光はどこからともなく射しこんでくるお日様の光を受けて、存分に、気持ち良さそうに輝いている。
 そこが水の中だというのに気がつくまで、思ったよりも長くはかからなかった。
 ぼくは水の中にいた。心地良い水だった。まるで光の中を泳いでいるような感じがした。
 すいと漕げば、ぼくのからだはぼくの好きな方を向いて流れていく。
 色とりどりの星の光がきれいだった。
 ふらりと顔を向ければ、水の向こうに広がっている懐かしい風景が目に映りこんだ。
 青々とした色をたたえた、懐かしい天が見える。
 ぼくは両手をいっぱいに伸ばしてお日様に語りかけた。
 違う。
 ぼくは、ベッドの上で眠っているぼくに向けて語りかけていたのだ。

 目を覚ますと、窓の外はもう夕暮れの色を滲ませていた。
 橙と藍とで染まりつつある天を見上げ、ぼくはふわりとうなずいた。

 星を天に返してやろう。

 
 その晩は雪も降らず、まんまるの月が天のまんなかにあって、やけに明るい夜となった。
 窓の下に広がっている村は、もう眠りの中にあるようだ。ママも妹も、もうとっくに眠ったらしい。
 物音ひとつしないその中で、ぼくは金魚鉢を抱えて、凍りついている窓をやっとの事で押し開けた。
 湖から吹きあがってくる夜の風は、さすがにとても冷たい。
 でもぼくは気持ちをしっかりと持って、青藍色の魚を手の中に大事に持って、それを天に向けて高々と持ち上げた。
 魚の鱗が月の光を浴びてふるりと震える。
 魚の目は、月が放つ光と同じ色をしていた。その目が夜の天を映し、ひらひらときれいにきらめいた。
 
 ひゅうと風が吹いて、ぼくは思わず目を閉じた。だから、魚が飛び上がったその瞬間を、ぼくはうっかりと見逃してしまったのだ。
 尾びれが水を叩く音がした。
 目を開けると、魚はもうぼくの手の中にはいなかった。
 魚は、夜の空気の中を好き勝手に泳いでいく。
 天には色とりどりの星がきらきらと輝いている。魚はそこに向かってゆうゆうと泳ぎ進んでいく。

 ぼくは金魚鉢を窓の傍に置いて、急いで大きく手を振った。
 テディが起き出してきて、ふんふんと鼻を鳴らしている。
 魚は振り返らない。好きなように泳いで、そうしてやがてたくさんの星の中へと姿を消した。
 魚が消えた後も、ぼんやりと天を見上げていたぼくの目に、星のひとつがひらひらと大きく輝いたのが見えた。
 ぼくはもう一度大きく手を振って、それからようやく窓を閉める。

 今夜、ぼくは、夢の中で、広い広い水の中を泳いでいくのに違いない。
 あの魚が泳ぐ、広い広い水の中を、あの魚といっしょに。


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