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C-03 星になるよ
ママはよく言っていました。
「いいことをして死んだら、お空の星になれるのよ」
まだケータもクルミも小さかったけれども、その言葉は短い童話のように心に響いたものでした。
最後にそれを聞いたのは、やっぱり大好きだったおばあちゃんが死んだときでした。
緑と風のきれいな公園墓地で、ママはお兄ちゃんと妹を抱きしめながら。
「お兄ちゃんはお星様をちゃんと守るのよ」
「うん!」
ケータもまだ幼かったが、元気よくうなずいたものでした。
真冬のリトルトーキョー。
茶色いレンガ塀と灰色の地面の街。
気のいい浮浪者のおじさん達の歌声と、くしゃくしゃの新聞紙が風に飛ばされる音がBGMの街。
西公園の裏の空き家のガレージは、小さな二人の隠れ家でした。
小さな本当の家は通りの向こう。
ママは、昼間は仕事でいません。
うちはあまり裕福ではありませんでした。こ遣いが欲しければ自分で稼ぐしかありませんでした。
そんな厳しさを教えた街。
幸いケータはゲームが得意で、賭けゲームでお菓子代を稼ぐには困らなかったのです。
今日もガレージで3ラウンドをこなし、ショートケーキ4個と缶紅茶4本分を稼ぎ出していました。
その間クルミが何をしていたかというと、お気に入りの青いドレスに白いエプロンをかけて、ケーキと紅茶を買ってきたり、ダンボールのテーブルに出したりしていました。
ゲームは前金制で、場代としてケーキとお茶代をみんなが人数分出し合うのです。
最後に勝った者が負けた者から自分のケーキとお茶代を回収するという良心的な仕組みでした。
ケータは無敵でしたが、負けがこんできた者は誘わないようにしましたし、お金持ちであっても特定の者からタカるようなことはしませんでした。たまにリベンジに燃えて挑んでくる者もありましたが、クルミがお釣りをヘソクリしてあるのを計算済みでたまに負けてやったりもしたのでいさかいが起こることもありませんでした。
二人はうまくやっていたので、子供たちの間では、ちょっとルールの厳しいぐらいの楽しい遊び場として浸透していました。
ゲーム喫茶ケータは、ほほえましく繁盛していたのです。
ただし、ママには内緒の。
夕暮れ、二人は公園のセントラルタワーから街を見晴らすのが大好きで、特にクルミがそうでした。
「今日は曇ってるよ」
ケータが言います。クルミの肩を抱きながら。
「お星様、見えないかなぁ?」
クルミが両手に息を吹きかけながら兄に問うと、兄は残念そうな感情をこめながら、
「無理じゃないかなぁ」と言いました。
「むぅ」
クルミは丸い頬をぷっと膨らませます。兄はそんな頬にぷすりと指を差しながら、笑うのでした。
二人にとって冬の夕暮れ時は、決められた帰宅時間までに星を見れるかどうかの時間との勝負であり、運試しともいえる緊張の瞬間でした。それは日の長い夏では無理なことでした。
冬は寒いけれども、兄妹で寄り添っていると心まで暖まりました。
二人とも去年よりは大きくなりましたが、小さい頃からこうしてきたし、これからもこうしていくつもりです。
ケータにとってのゲームと星と妹。クルミにとっては兄。
それは大事な3つの宝物でした。
いつかみんな、キレいなお星様になれますように…
最初に大人への階段につまずくのは年上の兄のほうでした。
ケータの心を揺るがしたのは、学校の教科書と先生の言葉でした。
先生はいつも通りのよれっとしたスーツに曲がったネクタイを締め、人懐こい笑顔で、
「夜空に輝く星は、恒星と言います。太陽も恒星の1つです。
大ーきなガスの塊が燃えているのです。
どのくらい大きいかと言うと、地球の100個ぶんくらい、この街の100万個ぶんより大きくて、どんなガスかというと、キッチンのガスコンロのようなものなのです」
ケータは理科は得意でしたが、
「ママが、いい人が死んだら星になるって言ってました」
先生はくすくす笑い、
「それは嘘じゃないけど、科学的ではありません。
先生も星にも心はあると思うし、占いの世界では守護星という考え方もあります。
ご先祖様がみんなを守ってくれるのと同じで、亡くなった人を星になぞらえるのは、間違ってないと先生も思います」
「じゃあ、どの星がぼくのおばあちゃんなのか、わかる?」
先生はにっこりと微笑み、まさしく子供に諭すように、
「星は、亡くなった人からできているわけではありません。水素とヘリウムの塊です。
でも星を亡くなった人になぞらえるのは、間違ったことではありません。
ケータ君が一番好きな星がおばあちゃんでしょう。それはどれか言えるかい?」
と言って、黒板に星図を張り出しました。
言葉につまったケータはくらくらとめまいがして、黙り込むしかありませんでした。
「うむ、まだ難しかったかな。では、星の名前を1つ1つ覚えていきましょう」
先生は星図の星を指し棒で示しながら、
「これが天の川。その両側にあるこの星が七夕で有名な織姫、ベガ。こっちが、彦星アルタイル。
冬の空では、有名なオリオン」
先生はケータに気遣い、
「愛し合う二人や勇者を神様が星にしてくれたのです」
と付け加えてくれましたが、砕かれたケータの心にはもう届かないのでした。
その夕方、ケータはクルミと一緒に星を眺めながら、涙を流しました。
それは初めての、痛いとかお腹すいたとかとは違う、大人の涙でした。
「お兄ちゃん、どうしたの? どっか痛いの?」
「違う。なんでもない」
それは初めての隠し事でした。
「今日はお星様がいっぱい見えるよ。みんな幸せなのかなぁ?」
その時初めて小さな妹が愚かに見え、それを押し殺す自分がいて、意図的に妹を慈しもうとする自分にも気づき、さらに涙があふれたのです。
自分がなにか別の汚いものになってしまったようでした。
家に帰ると、テーブルの上に暖かいシチューが載っていましたが、ママはいませんでした。
「ママ? ママ!」
ママは奥の寝室のリビングのソファに横たわっていました。
「大丈夫よ、ちょっと風邪をひいたみたいで休んでいたの」
ケータはそれで安心しましたが、クルミは違ったようで、小声で
「ママもお星様になっちゃうの?」
と兄に尋ねてきます。
ケータは無性に腹がたち、
「なるもんか!」と吐き捨ててテーブルに駆け寄り、立ったまま獣のようにシチューをかきこみ始めました。
驚いたクルミは、しかし泣いたりはせずにおとなしくテーブルに付き、シチューを食べ始めました。
やがて母もテーブルにつきましたが、珍しく寂しい食事でした。
夜、川の字に並んだ布団の中でケータは今日の授業を思い返しました。
もう激しい感情は収まり、冷静になっていました。
まるで、熱い星が冷めて萎んで散っていくように。
科学と言うヤツは人の心を踏みにじるみたいだと。
でもその科学が今の社会やゲームを生んだのだ、ということももうわかっていました。
心はもう散り散りで、考えはまとまりません。
今日嫌いになった先生の笑顔が浮かびます。
大人はみんなウソつきだ。
大人なんかになりたくない。
でもみんないつか大人になってしまうことも、もうわかっていました。
枕を濡らしながら、眠りの闇に落ちていきました。
次の日から、ゲーム喫茶ケータのやり方が変わりました。
ケータが場代を少しだけ値上げしたのです。
それでもしばらくは不満もあがりませんでした。
そのうち、ケータはクルミにもっと安いケーキを買ってくるように言いつけました。
クルミは最初は文句を言いましたが、やがて安いシュークリームが気に入ったらしく、喜んで従うようになりました。
でも、そのうちに近所の大人たちが冷たい視線を投げるようになってきました。
また、お客も少し年上の学生ばかりになっていきました。
ある晴れた冬の日、公園でクルミが泣いていました。
それを見つけたのはケータの先生でした。
「君はケータ君の妹さんだね? いったいどうしたの、どこか痛いの?」
泣き叫ぶクルミはしゃべることができないまま、ガレージを指差しました。
先生が恐る恐る覗き込むと、暗い中にケータがうずくまっていました。
「ケータ君! 何があったの!」
ケータの顔と腕には殴られた跡があり、ケータは歯を食いしばりながら声を上げずに涙をこらえていました。
「…」
先生は察したようですが、黙って二人を家まで送り届け、それから3日ほど何も言いませんでした。
ケータは一日だけ休み、次の日からまた学校に行くようになりました。
先生としては生徒の非行化が心配でしたが、特別扱いもできないので放っておく様子でした。
その日の授業は「星雲」についてでした。
星が寿命を全うして死ぬともとのガスに戻り、散り散りになるのだと。
ケータは暗い目で星図を眺めています。
先生はまだ年端もいかない少年のぞっとする視線を感じながら、終業のベルを迎えます。
日直が立ち上がり、
「起りーつ、先生さよ…」
号令をかけようとしましたが、先生はにっこり笑ってさえぎり、
「さて、今日は皆さんに渡すものがあります」
えーっ、なにぃ?
もしか昨日のテスト?
教室はざわめきだしましたが、先生は笑い、
「お父さんお母さんに渡すお手紙です」
えーっ
子供たちは一斉に叫びました。
だって、先生からの手紙なんてだいたいろくなことが書いてないものですから。
「安心して。お説教ではありませんよ。それにほら、みんなにも読めます」
そう言って封筒詰めされていない1枚のプリントをひらひらと示しました。
なぁんだぁ…
先生はチラリとケータを見やります。
あの別人になってしまったようなくらい瞳。それは瞼がまだ晴れているせいばかりではない。
「明日の放課後、暗くなるまで屋上で星の鑑賞会をやります。お父さんかお母さんと一緒に来るように。
兄妹もつれてきていいですよ。弟や」
そこでケータに視線を投げ、
「妹も連れておいで」
ケータは目をそらします。
嫌われたもんだな、と先生は苦笑したものでした。
その日、ゲーム喫茶ケータは休業しました。
その次の日も。
でもその日はどうせ星の鑑賞会でしたから、営業できなくてもよかったのです。
先生は毛布をだらしなくガウンのように羽織り、
「これが木星まで見えるという望遠鏡です。先生個人のものですから、くれぐれも壊さないように」
屋上の真ん中に、中くらいの、でも子供には一抱えもありそうな白い望遠鏡が立派な三脚に支えられてそびえ立っていました。
空を指差すように突き立っています。
沈むにはまだ間がある日差しに後ろから照らされ、厳かに輝いています。
子供たちは初めて見る高価な機材に見とれ、息を呑んでいます。
ケータも例外ではありませんでした。
「科学は時に冷酷ですが、このように美しく強いものであることのほうが多いものです」
わざと冷たい笑みを浮かべ、
「ちっぽけな子供の心を打ち砕いてしまうこともあります」
わざとケータには視線を向けずに見回し、
「でもそれは、初めて友達の家に行ったとき玄関で靴を脱ぐくらい最初のことで、その奥には大きな大きな驚きと楽しさがあります。
お星様には、手は届きません。行くのも大変です。でも、この望遠鏡で見ることはできます。
それは本物の姿です」
そこで初めてケータを見据え、
「本物の姿を知った上で見る夢は、嘘をつきません」
ひとしきり望遠鏡の仕組みや使い方の説明があり、それからみんなで順番に星を眺めました。
クルミの順番。
ママに抱きかかえられながら、空を指差して小さなクルミが叫びます。
「お兄ちゃん、あれがおばあちゃんの星!」
はっとして見やると、クルミの顔には星のような笑顔。
クルミに引き寄せられて覗き込むレンズの中には、知らない星が輝いています。
その向こうには白鳥だか蟹座だかの美しいガス雲も浮かんでいます。
ケータはそこに自分の散っていく心を重ねます。
「まだ教えていないことがあるんだよ」
いつの間にか先生が傍らに立ち、ケータの耳にささやきかけています。
「星が死んでガスみたいに散り散りになっても、そこからはまた、新しい星が生まれるんだ」
そしてにっこり微笑み、
「カッコイイだろう?」
「うん!」
ケータの顔にも星が生まれました。
「うん」
先生の顔にも星が生まれました。
こうして星と星の心がつながったのでした。
おしまい。
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