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C-04  星の砂漠

 ほらごらんよ、砂漠が光っている。きっとまた、星の花が咲いているんだろうね。母さんが子供の時はまだ星の砂漠に行けてね、星の花の滴を飲んだことがあった。すると、悪かった体がたちまち良くなったんだ。あの滴は、どんな病も治してくれる力がある。
 お前も、まだ子供なら行けるかもしれないね。とは言っても、星の砂漠は子供が好きだから、一度入れたらけして帰してはくれないだろう。行こうなんて思ってはいけないよ。まあ、あの御者に会ったのなら、母さんみたいに戻ってこられるかもしれないけれど。

「星の砂漠? あんなところ、行って帰ってなんか来られるものか」
 道中、そう笑う人間がいた。でも、行かなくてはならないんだ。アシュトンは口を固く結び、小さな鞄一つ持って、思い切りその地を踏みしめた。
 星の砂漠は、広大な星々の墓場だ。流れ星の行き着く場所であり、その細かな砂の一粒一粒が、全て星のかけらである。このどこかに、星の花が咲いており、その滴は万病を治す薬と聞いた。
 しかし、手に入れるなんて簡単にできない。星の砂漠は大人嫌いで、大人をけして入れようとはしないし、子供は入れるけれども、帰すのが惜しくなって、戻ってくることが出来ない。なので、大人たちは子供たちにきつく言いつける。あの砂漠、それを囲む森には絶対に近寄るな、と。
 だけど、母さんはよく砂漠の話をしてくれた。母は、生まれつき体が弱く、大人になるまで生きられないと言われていた。死ぬ前に憧れの地に行きたかったのか、どうせ死ぬのならと自棄になったのかはわからないが、母は弱い体で無理をして、星の砂漠へきた。
「星の花はとても小さくて、細長い花びらの底に、ほんの少し、滴が溜まっていてね。母さんはそれに呼ばれたんじゃないか、と思うんだよ。頭で考えるよりも先に手が伸びた」
 そして、その滴を飲み干した。すると、たちまち体がよくなった。アシュトンが星の砂漠を見ていると、母は決まってそう語る。それなのに、行ってはいけない、なんて。
「どうやって帰ればいいのかわからなかった。帰って来られたのは、運がよかったんだよ。おかげで、今は父さんとお前に出会うことが出来た」
 そう言って微笑む母が、大好きだった。けれども、運命は意地の悪いことをする。再び、母の体は別の病気に苦しめられるようになった。次第に、母は、星の砂漠の話をしてくれなくなった。
「子供は向こうへ行ってなさい」
アシュトンは、大人たちからそんな言葉をかけられるしかなく、母に何も出来なかった。大好きな母、いつも優しい母。離れたくない、ずっと一緒にいたい。このまま黙って、母の容態の変化を見ているなんて嫌だ。母のために何も出来ない自分なんて嫌だ。母のために、自分に出来ることがあるなら、何だってしてやる。
アシュトンは、誰にも――母にさえ告げず、星の砂漠へ向かった。深い森に願い、砂漠への道を目指した。道中、通りかかった連中には鼻で笑われたが、きっと行けるはずだ。自分だって、まだ子供だ。
森を抜けるのは意外と早かった。まるで導かれているかのように、気の向いた方角へと進んだら、すぐに出た。少々紫がかった空に、無数の星が輝いている。
「流れ星だ……」
 見たこともないほどの数の流星が、砂漠に落ち、ガラスの砕けるような音をたてて散っている。その光は、青白くて美しかった。アシュトンはしばらく立ち止まっていたが、意を決し、足を踏み入れた。
 流星は、この広い砂漠のどこかに、絶えず落ち続けていた。それを目で追いながら、アシュトンは進んだ。靴越しに感じる砂は、どこか異質で、これの元が天に輝く星であっても不思議ではないような気がした。
 おいで、こっちだよ。見渡す限り、アシュトンの他には誰もいない。それなのに、地平線の全てが、彼に呼びかけるような感覚があった。アシュトンは、とにかく前へと進んだ。砂漠は歩きなれていない。彼の小さな体はあっという間に動きが鈍くなり、呼吸も荒くなった。
 こんな心細い経験は、初めてだ。誰もいない。誰も守ってくれない。誰も手を取ってくれない。それは、病床の母を目の前にしても、役に立たない時の気持ちと一緒だ。
「星の花なんて、どこに咲いているのだろう」
 母の話によると、白く光っているそうだが、砂漠は全体的に白い。どこまで行っても、砂の一つ一つが、光に包まれている白さだ。これは、星が砕けて砂になっているからなのだろうか。アシュトンが指先で砂をつまみながら考え込んでいると、急に彼の周囲が暗くなった。影。とっさに振り返って見上げた。
「うわぁ!」
 一つの星が、アシュトンめがけて降ってくる。熱い。目を閉じたくても、誰かが命令するかのように閉じられない。動けない。視界の中央で、星が大きくなる。
アシュトンは、とっさに避けようとした。その瞬間、砂に足を取られて、無様に転んだ。坂を転げながら下り、砂まみれになって、仰向けの姿勢で何とか止まった。その上を、星が通り抜けて、落ちた。熱と風が頬を撫で、その後には再び静寂が訪れた。
 起き上がって元の場所まで上がると、青い炎に包まれた星。呆然とアシュトンが立ち尽くしていると、みるみるうちに星は崩れ、砂漠の一部となった。何もなかったかのように。
 その場にしゃがみむと、膝をついた地はまだ温度が残っていた。歯が震える。寒いわけでもないのに、全身がガタガタと音をたてる。恐ろしい。母は、自分よりもまだ幼い体で、自分よりもずっと弱い体で、こんなところに一人で来たのか。
 今度は、そこから立てなくなってしまった。手足に力を入れても、全くびくともしない。また一つ、どこかで星の落ちる音がしたが、今度は見ることが出来なかった。星が落ちたときの衝撃が、いまだに頬に残っていた。
 こんなところで、星の花なんて見つけられるのだろうか。こんな自分が、見つけられるわけがない。自分の無力が情けなくて、涙が流れた。白い砂に染みこんでいく。そこだけ色が濃くなって、光がなくなったようだった。
それを見つめていると、アシュトンの周りにまた影が出来た。今度こそ、振り向けない。身を強張らせていると、いきなり声が聞こえた。
「おや。泣き声が聞こえると思ったら」
それは、あちこちから聞こえる囁く声なんかではなく、はっきりとした存在であった。呪縛が解けたように体が動いて振り向くと、奇妙な光景がそこにはあった。
ぼろぼろの荷車を、大きな二頭の馬が引いている。一頭は、金色の獅子のような馬で、もう一頭は、銀の鳥のような馬。それらの手綱を手に持っている御者は、やはりぼろぼろのマントを羽織っていて、同じ素材の帽子を深くかぶっていた。
御者の手はとても小さく、こんなに大きな獣を操れるようには見えなかった。まじまじと見ていると、金の獣が見返してきた。
「なんだい、口もきけないのかい」
「やだわ、アルスったら。いきなり話しかけるから驚いているのよ」
 銀の獣が、アシュトンと同じ高さまで視線を持っていき、優しい口調で語りかける。
「驚かせてごめんなさいね。あなた、どうしてここに?」
「決まっているだろう? 還るためさ」
「アルス。黙っていて」
 銀の獣は、自愛に満ちた表情を浮かべる。どこか、母に似ていた。アシュトンの口から、ゆっくりと言葉が蘇って流れ出した。
「母さんが、病気なんだ。……星の花の滴を飲めば治るって」
 アシュトンは、鞄から小さな瓶を取り出した。これに星の花を入れて持って帰るつもりだった。金の獣、アルスが笑う。
「星の花。そんなもの、誰に聞いたんだ。ここのことは、俺たちしか知らないというのに」
「母さんから」
 獣二頭は、目を丸くした。それに対して、御者はまるで反応がなかったが。
「母さん、ねえ。その母さんというのは」
「母さんは昔、砂漠に来て、星の花の滴を飲んだ。そして戻ってきたんだ」
「戻ってきた?」
「まあ、そういえば、一人だけ私たちが拾ったわね」
 アルスが更に驚いていると、銀の獣が、にこやかに言った。アシュトンの口調は、勢いに乗ってきた。
「母さん言ってた! 御者が助けてくれたって!」
「ああ、あの子。もう大人になったのね。時が経つのは早いわ」
「ミュリン、何のことだい」
 ミュリンと呼ばれた銀の獣は、尾でアルスを叩いた。アルスが顔をしかめて抗議しようとするが、ミュリンは気にせずにアシュトンへ話しかける。
「覚えてないの? ほら、フォルドが見つけて拾った子よ。確かに、あの子は星の花を持っていたわね。フォルド、フォルドは覚えているわよね」
 ミュリンは御者を振り返る。御者は何も答えない。ため息をついて、アルスは笑う。
「悪いね。こいつは、特別無口なんだ」
「乗りなさい」
 知らぬ声がして驚いたが、見渡すと、帽子の中から微かに目がのぞいていた。どう反応していいのかわからずに困っていると、二頭の獣が屈んで、車に乗りやすいようにしてくれた。迷ったが、アシュトンは荷車に乗り込むことにした。
 星の砂漠は、流れ星と星の砂以外の何もなかった。少し高くなった視界は、遠くまで見渡せるようになったが、同じ光景が続いているだけだ。
「何の気まぐれだか」
 アルスが、からかうようにフォルドという御者を見たが、フォルドは黙ったままだった。首をかしげて、アルスはアシュトンへ話しかける。
「おい、坊や。帰り道はこっちでいいのか? 川の近くの町だろう?」
「まだ帰れない。星の花を見つけていない」
「星の花……そんなものが欲しいのか」
 アシュトンは大きく頷いた。母の病気を治すために、と。
「悪いことは言わない。やめなさい」
「嫌だ。母さんを元気にするんだ」
「母さんの体が良くなるのに、星の花は必要なのか」
「僕が母さんに出来るのは、それしかない」
 自分はまだ子供だ。何にも出来ない存在。いつも優しい母がこんなにも好きなのに、自分は母に好きになってもらうほどのことはまだ何もしていない。
「僕は、母さんが僕にしてくれる分だけ、母さんに優しくしたいんだ」
 車の向きが急に変わった。車の端から端まで転がる。アルスがフォルドに抗議した。
「おいおい、急に向きを変えさせるなよ。ひっくり返るだろう?」
「フォルド、まさか」
「君、名前は?」
 フォルドは、アシュトンのほうを向かずに問うた。アシュトンはあっけにとられながら、自分の名前を告げた。
「アシュトン、君が望むなら、星の花のところまで連れて行ってあげるよ」
 アシュトンの瞳が輝いた。星の花に会える。まるで夜空に輝く星のように、その言葉はアシュトンの心を照らした。
「本当?」
「ただし、ここで起こったことは、誰にも話さないこと」
 わかった、とアシュトンが朗らかに言うと、フォルドはそのまま車を走らせた。
「フォルド、俺たちはお前の言うとおりに走るが、やはり」
「アルス、僕は彼を助けることにした」
 それきり、アルスは黙り込んでしまった。
「フォルド、さん? 星の花ってどういう花なの?」
「元は星だね。それがある日突然、花になる」
 規則的な車の揺れが続き、会話は途切れる。アシュトンは続けて質問をした。
「どうして、花になるの?」
「色々あるけど、僕もつぼみは見たことないから、詳しくはわからない」
「……どうして、星の花の滴が体を良くするの?」
 フォルドは再び沈黙した。そして、ゆっくりと振り返ってアシュトンを見た。表情は伺えない。背の高い帽子と前髪が、深く彼の顔を隠してしまっている。
「人は皆、星だったんだよ」
 いきなりの言葉に、アシュトンは言葉が詰まった。フォルドは前を向いてしまい、背中しか彼に見せてくれない。
「星という完全な存在から、不完全な存在の人間が生まれる。星が落ちるときに、色んなものを落っことすのかもしれないね。ここみたいに、星が落ちてきて、そのときに星の魂が人間に生まれ変わるのさ」
「僕も、昔は星だった?」
「きっとね。人間というのは、常に何かが欠けている状態なのさ。体も心もね。それを補うことの出来るのが、星の滴さ。それで、欠けを埋める」
 母は、星の滴を飲んで、体が治った。それは、病気という欠けを、滴で補ったということか。
「普通は飲み干してしまうと、星に戻ってしまうけれど、君のお母さんはよほど具合が悪かったようだね。飲み干しても、まだ人間でいられた。不完全だったから、また具合は悪くなった」
「……星になると、どうなるの?」
 恐る恐る尋ねると、笑う気配がして、フォルドは空を見上げた。
「空に還るのさ。そして、また新しい星として生きる」
「そんなの、嫌だ!」
「だろうね。だから、飲ませすぎてはいけないよ」
 母さんが星になって空に還るなんて。アシュトンは膝を抱えて、顔をうずめた。それでは、意味がない。
「何も、飲ませるなって言っているわけではない。ただ、飲みすぎると危険なだけ」
「ふふふ、随分饒舌ね、フォルド。珍しい」
 今まで黙って聞いていたミュリンが、耐え切れないように笑う。フォルドは手綱を握りなおし、速度を速める。
「今頃、滴が一番溜まっているころだろう。きっと皆心配しているだろうから、早めにお帰り」
 いつの間にか、空の色が少しずつ変化しているように思えた。夜明けの直前の空。
 眩しい光が、一方から差してきた。朝日かと思ってその方向を見ると、砂漠の一点が明るい。まさか。アシュトンは身を乗り出した。
「そら、着いたぞ、坊や。星の花だ」
 車はあっという間に光の下に着き、軽やかにアシュトンを下ろした。躊躇いながら近寄ると、本当に小さな花が咲いていた。アシュトンの手より小さく、上から覗くと星型の花。
 アシュトンが茎を握ると、ミュリンが慌てて声をかける。乱暴にしては、滴が全部こぼれてしまうと。アシュトンはそれを聞き、根がはっている砂ごと瓶に収めた。蓋を閉めると、瓶の中に光が満ちた。
「これでいいの?」
「ああ。さ、帰ろう。母親が待っているならな」
 アルスが、最初と同じように身を屈めてくれる。アシュトンは、意気揚々と車に乗り込んだ。これで、母の命が続く。
「じゃあ、もう少し早く走ろうか」
 アルスは咆哮をあげ、さきほどよりも倍以上の速度で砂漠を駆けた。それでも走りは安定していて、花の滴がこぼれるどころか、全く花びらが揺れもしなかった。
「ファルドさん、星の花は人間になるの?」
「どうしてそんなことを?」
 ファルドは、アルスとミュリンの手綱を操作しながら尋ね返す。
「星は人間になるし、人間は星になるんでしょ? 星の花は?」
「そうだな。その中間かな」
 丘を上り、アシュトンが入ってきた森が見えてきた。アシュトンは、胸の高まりを感じつつ、ファルドの言葉を考えた。
「中間っていうことは……?」
「どっちにもなれる可能性を持っているのさ。ある意味、空の星よりも地上に下りた星の花のほうが万能かもしれない」
「星の花が一番完全?」
 ファルドは少し首を傾げた。
「どうだろう。でも、地上に下りた星の花は、それがかつて星であった唯一の証として、滴を抱いているような気がするね、僕は。でも、人間と同じで、不完全だよ。人間の素は、星というより星の花だといってもいいかもしれない」
 アシュトンは、手の中の瓶を見つめた。光のせいか、少し温かい気がする。それが、命の温もりのような気がした。
「アシュトン、母さんは大事にしなさい。こんなに想うことのできる存在なのだから。星の花を探してまで」
 アシュトンは返事こそしなかったが、ぎゅっと瓶を握り締めた。
「さ、坊や。降りなさい。ここまで来ればもういいだろう?」
 いつの間にか、森の入り口まで来ていた。アシュトンは瓶を持ったまま降り、礼を言った。
「アシュトン、いつもこうとは限らない。君と、君の母さんと出会えたのは、偶然、運命とか奇跡とかそういうものだ」
 アシュトンは見上げる。やはりファルドの顔は見えなかったが、目が合ったような気がした。ファルドは続ける。
「君がもう一度砂漠に入っても、もう会えないだろう。だから、僕らの存在は誰にも言ってはいけない。戻ってこられると思われるのは困る。家に帰れない子供たちは不幸だ」
 アシュトンは、もう一度頷いて頭を下げた。そして、彼らに背を向け、帰路についた。母は、あの滴を飲んで快復した。命の源。まさにその通りだと、彼は実感した。
 あれからアシュトンは幸せに暮らしたが、もう二度とあの砂漠へは行かなかった。そして、いつの間にか、あの砂漠への入り口もわからなくなり、彼は大人になった。


C-04  星の砂漠
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