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C-06  My Dear Starlet

 湖の周囲には、色とりどりの紫陽花が見事に大輪の花を咲かせていた。
 その花の群れに埋もれるようにして、制服姿の髪の長い女の子がひとり、湖の湖面をながめている。
 引き寄せられるように、颯太は彼女の方へ近づいていった。
 靴音が思いのほか大きく響き、彼女がゆっくりとこちらへふり向いた。月の淡い光を背にした彼女はとても美しい。
 ――そう、この世のものとは思えないほどに
 颯太は思わず息をのむ。
 突然、月の光とはあきらかに違う人工的なまばゆい光が、彼女を包み込みその姿を消し去った。
 それと同時に颯太の意識も遠のいていった。

「朝だよ、お兄ちゃん!! 転校そうそう遅れちゃうぞ」
 サラサラの髪をツインテールにした中学生くらいの女の子が、颯太の顔をのぞきこんでいる。
「ほらほら、起きた、起きた。今日から新しい学校に行くんでしょ」
「うう〜ん。あ、あれ……、あんた誰?」
 颯太は上半身を起こすと、目をこすりながら寝ぼけ声でいった。
「嫌だなぁ。ついこのあいだ家庭の事情ってヤツで、美月とお兄ちゃんは兄妹になったじゃない」
 パッチリとした目をさらにまん丸にして、鼻にかかったような甲高い声で女の子がそういった。
 颯太は新しい家族と共に、幼い頃住んでいたこの町に戻ってきたのだ。そして今日から高校三年生の一学期が始まる。
「お兄ちゃん、もうこんな時間! 急がないと」
 ちょっと怒ったような顔をした妹の美月が、目覚まし時計を片手に颯太をせかす。
「ホントだっ!」
 颯太は寝床から飛び起きた。
 
 あともう少し、ポストのある角を曲がれば正門がみえる――
 坂道を駆け上がった颯太の視界が一瞬ぐらりと揺れた。同時に甘い果物のような香りが鼻先をかすめる。
「いったぁーい」
 ショートカットの女の子が尻餅をついた。ぶつかった拍子にバランスを崩した颯太がそのうえに覆いかぶさる。
「ちょっとぉ。早くどきなさいよっ」 
「ご、ごめんよ」
 いいながら起き上がろうとする颯太の視線は、スカートからすらりと伸びた女の子の脚に釘付けだ。
 それに気づいたのか、彼女はあわててスカートの裾を引っ張ると颯太を押しのけるようにして起き上がった。そしてそのまますごい勢いで学校へ向かって走り出す。
 あ、あの子にちゃんとあやまるの忘れた……。
 同じ学校だから、きっとまたすぐに会えるに違いない。そんな妙な確信が、颯太にはあった。

 颯太は夕べ湖で出会った美少女――保科花音と同じクラスになった。そのうえクラス委員長でもある彼女が、しばらくは転校生の颯太の面倒をみてくれるというのだ。
 うらやましげな男どもの声を聞きながら、颯太は空いていた彼女の隣の席に座った。
 あっというまに時間は過ぎて、いまはもう放課後。颯太は花音に学校の中を案内してもらっていた。
「あの、佐々木くん。昨日の夜のこと……」
 ずっと話そうとタイミングをうかがっていたのだろう。ふたりきりになったとたん、花音がいった。
「お願い、あの湖でみたことは誰にもいわないで!」
 光につつまれて、彼女が消えたのはやはり夢や幻ではなかったのだ。
 黙ってうなずいた颯太に、「ありがとう」といった花音の声は、ガラスが派手に割れる音にかき消された。
 しゃがみこんだ花音が、手で右足のふくらはぎのあたりを押さえた。足元をみると血のあとがついた大きなガラスの破片が転がっている。
 ぴったり傷に密着させた花音の指の間から、血がにじみ出てきている。ひどい傷だ。
 混乱した颯太はとっさになにをしていいかわからず、ただ花音のそばに突っ立っているだけだった。
「佐々木くん、お願いだから急いで保健室まで連れて行って!」
 花音は痛みを堪えているようにはとてもみえない。その声もいたって冷静だった。
 不思議に思って花音の足の傷の状態を確認する。さっきまで大量に出血していた傷口が、颯太の目の前でみるみるうちにふさがっていく。
「誰も近くに来ないうちに、早く」
 我に返った颯太は花音を抱きかかえるようにして、保健室へと向かった。早くしないと彼女の正体が他の生徒たちにばれてしまう。

 偶然にも保健室に校医がきていた。その校医――沙耶はどうみても颯太より年下のかわいらしい女の子で、その白衣姿はまるで理科の授業で実験中のという感じだ。
 沙耶に勧められベッドに横になった花音は、安心したのかすぐに意識を失った。足の傷はすでにふさがり、周りに乾いた血のあとがあるだけだ。
 颯太は眠っている花音の顔をじっとみつめた。不思議な女の子、一体彼女は……。
「あんまり驚いてないところをみると、彼女のことは多少理解しているみたいね。もしも……、彼女がこの星の人間じゃないっていったらどうする?」
「そ、そんなこと、急に……ど、どうするっていわれても」
 沙耶はニコニコと、いかにもなにか裏がありそうな笑顔をうかべている。颯太をいやおうなしに巻き込むつもりなのだ。
「いつも気を張りつめていているのよ、彼女。いまは安心して眠っちゃったけど」
 眠っている花音の頬をそっとなでながら「キミがそばにいると安心するみたいね」といって、沙耶がクスリと笑った。
「お願いよ。彼女のそばにいて、守ってあげて」
 そういって颯太をまっすぐにみつめる目は、まるでわが子を心配する母のようだった。
「わかりました。たいしたことはできないかもしれないけど」
 いつもにこやかで人気があるのに、どこか近づきがたい雰囲気をもっている花音。そんな彼女が少しでも安心できる存在になれれば、と颯太は思った。

 花音が目を覚ますのを待って、ふたりは一緒に下校した。花音と別れたあと、颯太は自宅の近くで今朝ぶつかった女の子と再会した。
「颯ちゃんだよね? 今朝はゴメンね。ほら、小学校のとき一緒のクラスだった藤村凛よっ! 覚えてないの?」
 そういって、凛が颯太の顔をのぞきこんでくる。颯太の頭の中に、幼い頃の凛の姿が鮮やかに蘇ってきた。だが不思議なことに、それ以外のことはなにひとつ思い出せなかった。
 それにしてもあんなに可愛い子が幼馴染なんて! 新しい高校生活、楽しくなるぞぉ!
 こうして颯太の転校一日目は過ぎていった。

 夏休みの間、花音と颯太は海へ花火大会へと、いろいろなところへ一緒に出かけた。そんな中で少しずつ、花音は自分とその一族のことを颯太に話して聞かせた。
 男たちが始めた戦争のせいで汚染された母星を捨て、花音たちは女性ばかりでここまで旅してきた。男性がひとりもいないため一族の存続が危機的状況に陥り、それを解決するため、花音たちはこの町へやってきたのだという。
 彼女たちがどういう未来を思い描いているのかはわからない。ただ花音がここにいる限り、ずっと一緒にいようと颯太は心に決めた。

 紅葉の季節が過ぎて木枯らし一番が吹いても、湖の紫陽花は枯れる気配をみせない。一年中花を咲かせる紫陽花は、花音たちの宇宙船の影響を受けているに違いないと颯太は考えていた。
「もうすぐ二学期も終わりだね、そしたらあっという間に卒業か」
 途切れた会話の合間になにげなく颯太がいった言葉が、花音の表情を一瞬曇らせた。
「保科さんは卒業したらどうするの? やっぱり大学は――」
「わたしは……」
 その声と重なるようにして、鳥の羽ばたきと鳴き声が湖の上空に高く響く。
「あ、みて!」
 花音が暮れはじめた空を見上げた。
「渡り鳥たちは旅の途中、ほんのひとときここへとどまって、もっと遠くの自分の生まれた故郷へ帰っていくんだね……」
 上手く話をそらされてしまったため、颯太が花音の答えを聞くことはできなかった。

 颯太が家へ帰ると、慌てた様子で妹の美月が玄関で待ち構えていた。凛が突然倒れて病院へ運ばれたというのだ。
「お兄ちゃん! すぐに一緒に行こう」
 美月の声を聞きながら、そういえばここのところ凛の顔をみていなかったな……と颯太は思っていた。
 その日から颯太は凛の病室へ通った。
「颯ちゃんが毎日きてくれるから、元気になれるんだよ。これからもずっとそばにいてくれるよね?」
といって、凛はうっすらと微笑んだ。
 凛が運び込まれた日、病室で久しぶりにみた彼女の顔はやつれ、生気がなく目ばかりが大きくみえた。もしも自分がここへ来なくなったら、彼女はどうなってしまうのだろう。凛のことを放っては置けないという颯太の思いは強くなる一方だった。

 それからしばらくして、颯太は生徒たちの間で「花音と颯太が大ゲンカした」と噂になっていることを知った。
 騎士のようにぴったりと花音にくっついていた颯太の姿が急にみえなくなったのだから当然のことだ。けれど自分を必要としている凛のことを、いまさら見捨てることなんて颯太にはできなかった。
 とにかく花音に会わなければならない。彼女ならきっとわかってくれる。凛も一緒にこの学校を卒業したいという颯太の気持ちを――
 街灯の灯りに照らされた湖面がきらきらと輝き、葉を落とした広葉樹が枯れ木のようにひっそりと息をひそめて立っている。その足元には満開の紫陽花と真っ白いコートに黒髪が映える花音の後姿、それはまるで一枚の絵のようだった。いま声をかけたら、花音が消えてしまいそうで、颯太は一瞬躊躇した。
「保科さん……」
 颯太は花音の後姿に語りかけた。
「いまは保科さんのそばにいられない。藤村のことほっとくなんて、ボクにはできないんだ!」
 そう凛が退院さえすれば、花音とずっといっしょに過ごすことだってできるのだから……。
「未来のことなんてどうだっていいのっ!」
 振り返りざま、花音がヒステリックな声で叫んだ。
 颯太は呆然と立ち尽くす。その表情には戸惑いと警戒が入り混じっていた。
 いま自分が考えていたことを、花音は知っていた。
「ごめん。ホントにごめん……」
 この場にとどまることに耐え切れなくなった颯太は、それだけいうと花音に背を向けた。
「今この瞬間の颯太くんと過ごす時間を大切にしたいのに」
 泣きだしそうな花音の声が聞こえた気がした……

 今日は卒業式、思えばあっという間に過ぎていった一年だった。どうしても式に出席するという美月と一緒に、颯太は湖のほとりを学校へ向かって歩いていた。
「凛お姉ちゃんもみんなと一緒に卒業できてよかったね!」
 凛のことを救うことができて本当によかった。けれど、一方で颯太は花音にはひどい態度をとってしまったのだ。
「ねえ、お兄ちゃん。もうすぐさくらの花が咲く季節なのに、ここの紫陽花って不思議だよね」
 その花びらに軽く触れながら凛が続ける。
「製薬会社が老化防止の薬を開発するために、湖の水と土を研究しようとしてるんだって。アンチエイジングっていうのかな? そしたらずっと若いままでいられるもんね」
「それって、女の人の夢なんじゃないの? ずっと十七歳でいられたりするんだろ?」
「うーん、美月はうらやましくなんかないな。もしも自分だけが若いままで、周りの人たちがどんどん歳を取っていく姿をみるなんてことになったら……そんなの哀しいもん」
 花音はずっと若い姿のまま、故郷から何万光年と旅をしてきた。異なる時間の流れを生きる彼女にとって、十七歳の颯太と過ごす一瞬はどれほどかけがえのないものだったろう。あのときの花音の言葉――颯太はそれをようやく理解することができたのだった。

 卒業式が終わった校舎で、颯太は必死で花音をさがした。教室、廊下、校庭、花音の姿はどこにもなかった。
 突然、誰かに強く腕をつかまれ引き寄せられる。
「保科さん?」
 颯太は期待をこめて振り返った。
「颯ちゃん。これからもずっと、わたしと一緒にいてくれるよね?」
 そこにいたのは頬をほんのりと紅潮させた凛だった。颯太は腕に絡みついてくる凛を半ば強引にふりはらった。
「ごめん。藤村とは一緒にはいられない」
「え、なに? 颯ちゃん、なにいってるの?」
「ほかに好きな人がいるんだ……」
 凛がうわぁっと声をあげて泣き出した。そんな凛のことを置き去りにして颯太は走り出した。
 自分の中途半端な態度が凛をひどく傷つけてしまった。
 だからこそ、今度こそ――
 高校生活最後の日、もう遅いかもしれないけれど本当に好きな人に告白しよう。これ以上後悔しないためにも……颯太はそう思っていた。

「ひどいよ。いまさら……」
 耳鳴りのように花音の声が頭の中で響く。
 気がつくとまばゆいばかりの光があふれるだだっ広い部屋の中に立っていた。妹の美月、校医の沙耶や会ったことのない女の子たちが颯太の周りを取り囲んでいる。
「もうコイツの精魂をいただくしかないよ。一応サムライとやらの子孫らしいし、また新しいプレイヤー探すのだって大変だしさぁ」
 可愛い妹の美月がこんなセリフをいうなんて信じられない。
「病弱ネタは絶対いけると思ったのにぃ〜」
 この声はまさか……、なんで凛がここにいるんだ?
 彼女たちはさっきからワケのわからないことを話し合っている。
 活きがよさそうとか、これで一生分とか、頭からまるごとって一体なんのことだ? 
 オロオロと不安げに視線を動かすこと以外、颯太にはなにもできなかった。
「それよりちょっと! わたし出番なかっただけどっ」
 そう誰かがいうと、美月の周りにいた女の子たちが口々に不平をもらしはじめた。
「あなた達、いい子だから文句いわないの。つぎの紳士の国で主演女優を狙えばいいじゃないですか」
 沙耶がうんざりしたようにいうと、あれだけ騒いでいた女の子たちが「はい、お母さま」といって口を閉ざした。
 シンと静まり返った空間に「あなたの優しさが悪いのよ」という花音の声が響く。すると颯太を取り囲んでいた女の子たちが一斉に身を引いた。
 バージンロードを歩く花嫁のように、ゆっくりと花音が颯太に近づいてくる。
「ほんのひととき一緒に過ごして、少しだけ精魂をわけてもらって別れればそれでいいと思っていたのに……わたしはあなたを独占したくなってしまった」
 おろおろしている颯太の両肩を押さえ込んだ花音が無言で迫ってきた。
 これは、もしかして……キ、キス? 人前でなんて大胆なんだ! 
 そう思いながらも、颯太はそっと目を閉じた。
 なにか生暖かいものが頬を伝う。これは涙? まさか、ね……。それよりも頭が割れるように痛い。
「わたしの中であなたの精魂は生き続けるの。これからはずっと一緒よ」
 薄れていく意識の中で、花音の声を遥か遠くに聞いた。

 ◇

 二階の颯太の部屋でものすごい叫び声がした。
 最近の颯太は学校へも行かず、部屋に閉じこもってゲームばかりしていた。
 もしかして以前のようにまた暴れているのだろうか? そう思った両親は、恐ろしくて身を潜めるようにじっとしていた。
 しばらくして、しんと静まり返った颯太の部屋の様子がどうしても気になった両親は恐る恐るその扉を開けた。
 だがそこに颯太の姿はなく、赤く染まったパソコンのモニタに「My Dear Starlet」というゲームのエンディングが流れているだけだった。


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