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C-09  とある日、見覚えのある日常。

 いい天気。
 誰に言うともなく、彼女はそうつぶやいた。
 天空の青は見上げれば高く濃く、ほぼ均一に澄んでいる。しかし抜群の快晴とは言えない。そのほとんどに綿を限界ぎりぎりまで引き延ばしたような薄雲がかかっていて、青の一角から放たれる光を遮断している。しかし、だからといって薄暗いわけでもない。雲越しゆえに霞がかったような淡い光ではあるが、それでも日差しは柔らかくしっかりと、街を包み込んでいた。
 ときおり吹き抜ける風にも、今の季節には珍しくまったりとしていて覇気がない。ぽかぽか、と擬音をつけて表したいような空気をのんびりかきまわしてはのんびり通りすぎていく。暑くはなく、かといって肌寒いわけでもない。これ以上なく過ごしやすい、何をするにも最高の日和だ。だから彼女はもう一度つぶやく。
 いい天気、と。
 
 彼女が座っているのは、立体交差となっている歩道のほぼ真下、往来の一角にある喫茶店のテーブルだった。
 店内にあるカウンター席が五と、屋外に設置されたパラソル付きテーブルが三の小さめな個人経営店だが、お茶と軽食がおいしい。盛況具合は常に”そこそこ”だ。店を一人で切り盛りしている店主は悪質な迷惑行為をしない限り、何時間居座ろうと長話にテーブルを占拠されようと嫌な顔ひとつしないので、彼女は人と待ち合わせをする時は必ずこの店を使うようにしている。顔なじみの店主はついさっき、今日も待ち合わせかいと彼女に声をかけてから店内に消えた。あと数分まてば、背の高い容器へ注がれた赤みのお茶に氷を浮かせて戻ってくるだろう。この店に来ると彼女が必ず注文する、店の看板商品だ。
 そうやって彼女はパラソルの影の下、人ごみに、頭上の立体交差に目をやりながら、誰かを待っていた。
 が、次の瞬間慌てて立ち上がるはめとなる。
「春ちゃん!」
 往来の人ごみを押しのけて走る、一人の女性の呼びかけが原因で。

 ほどなくやってきた彼女は、行きかう人々の何事だろうという視線も、目の前で硬直している彼女の視線にもかまわず、まず大きく息を吐きだした。
 年はおそらく、待っていた彼女とそう変わらない。どことなく幼い印象をうけるのは行動と服装のせいだろう。しかも対面しているのは大人びた印象が先に立つ相手なので、余計に幼さが際立って見えるのかもしれない。後ろの高い位置でひとつにまとめられた長い黒髪が、息を整える動きに合わせてゆれていた。
 それを見つめる表情にぴったりの、うめき声ににた苦い声がこぼれる。
「……あんた、何やってるのよ……仮にも大通りを。それにその格好、まさか駅からずっと走ってきたんじゃないでしょうね?」
「走ってきちゃった」
 きちゃったってあんたね、と今度は呆れ顔を作る彼女と、だって、と嬉しそうな笑みを浮かべる彼女。
「久しぶり、春ちゃん」
「……ん。久しぶり」
 待ち人、来たる。
 おりよく看板商品を手にやってきた店主に同じものお願いします、と注文してから彼女達はそろって席に着いた。向き合って座るとなおさら性質の違いが引き立つが、そんな二人が十年来の親友同士なのだからおもしろいものだ。
 話しかけたのは、お茶で渋い表情ごと言葉を飲み込んだらしい彼女からだった。
「久しぶりはいいんだけど。そろそろその春ちゃんって中途半端な呼び方やめてくれない?」
 訂正。彼女は言葉も表情も吐き出すタイプらしい。
 だがしかしさすがというべきなのか。それとも抜けているのか。
 愛称の変更を求められた彼女は、きょとんとして答える。
「春ちゃんだめ? ……じゃあ……バネちゃん?」
「……あたし、たまーにあんたが何を考えているのかわからなくなるわ。バネって何よバネって。素直に名前で呼ぼうって考えはないの?」
 うーん、と真剣に考え込む声。その間にお茶を一口含む彼女。
 ややあって、真剣な表情が再び口を開く。
「わかった。じゃあ、ちっちゃい時みたいにお姉ちゃん」
 その瞬間の彼女の表情は、たった今彼女が口に含んだお茶は実はお茶ではなく天つゆだったのだろうか、と思えるぐらいに引きつっていた。
「……やめて。まだ春ちゃんの方がマシだわ」
「春は理緒に勝とうと思わないことだ。おまたせいたしました」
 絶妙の間で会話に参加した店主が、理緒と呼びかけられた彼女の前に天つゆ、ではなく香り高い赤を置いた。
 走って喉が渇いたのか嬉しそうにそれを口に運ぶ親友の一方で、「お前は理緒に勝てない」と言われたも同然の彼女は露骨に嫌そうな表情を作る。
「何よそれ……。というか、店長までそう呼ぶの?」
「私は人の顔と名前を忘れないが、かわりに一度覚えると訂正ができなくてね。ごゆっくり」
 涼しい顔でさっていく後姿をいまいましそうに見送ってから、彼女は元凶に向き直る。
「……で? どうしたのよ、いきなり話したい事があるって。たまたま予定が空いたからよかったけど、調整が失敗したら話せなかったわよ」
 うん、と頷く仕草。少し間を溜めて、それから話し出す声。
「春ちゃんも知ってるよね? この間新しく発見された、超古代文明解明の手がかり」
 しばらく視線を中空にただよわせ、あれも違うこれでもないと記憶を掘り起こす彼女だったが最終的にはどうにか思い当たったようだ。
「あぁ……。そういえばずっと騒いでるわね、奇跡だの全ての歴史を覆すだのと大げさに」
「そう言わないで。本当にすごい事なんだよ?」
「すごい事だってのはなんとなくわかるんだけど。そこまで騒ぐ事なのかってどうしても考えちゃうわけ。あたしひねくれものだし、あんたみたいに専門的に研究しているわけでもないから尚更ね。はい続き」
 相手の反応に若干不安そうな表情を見せたものの、慣れているのかすぐ立ち直る彼女。
 この程度で戸惑っていては、彼女とは付き合えないらしい。
「……うん。それでね、ともかくそこへ調査団を編成して派遣しようって決まってね、理緒もその一人に加えてもらえる事になったの」
「へぇ? すごいじゃない。その調査団って、誰でも入れるわけじゃないんでしょ?」
「うん。申請書を出して、入れなかった人が世界中にいっぱいいる」
 それならなおさらすごいわ、と、彼女は言う。その表情が声の調子が、何よりも雄弁に彼女が感心していることを、喜んでいることを語っていた。
「おめでとう。良かったね。これで小さい頃からの夢が叶ったじゃない」
「……うん。ありがとう」
 はにかんだように微笑む理緒から視線を外し、春は静かに言葉をつむぐ。
「それで? もう一つの話は何?」
「え?」
 カラリ、と氷が容器にぶつかる涼しい音がした。
「それだけじゃないんでしょ。何かあったの」
 そう問いかける表情はどこまでも柔らかく。受け止める表情は困っているのか驚いているのか、はたまたその両方なのか、一言で判断するには複雑すぎる。
 沈黙は一瞬だった。
「……どうして、いつも言う前にわかっちゃうの?」
 苦笑いがこぼれた。
「細かい事は気にしないの。はい、さっさと話す」
 ごまかした、と小さく不満そうにこぼすものの、それでもやはり彼女は話し始める。どうやら今日の話はこちらが本題のようだ。
「春ちゃん、修一のこと覚えてるよね?」
「覚えてるわよ。あんたの彼氏でしょ? へなちょこではっきりしなくて冴えないうえにいつもオロオロしててドジで意気地なしでそれから」
「春ちゃん。……間違ってないけど、言いすぎ」
 指折り欠点をあげつらねる親友にさすがの彼女も声に険をにじませた。
 容赦なき批評家も自覚はあったようで、素直に降参の意を示す。
「で? あの人の良さと一生懸命さだけがとりえの不器用男がどうかした?」
「うん。あのね、実は修一も選ばれたの。調査団に。それで……研究室の人が昨日、みんなで壮行会をしてくれて」
 とりあえす彼女は話の行き先を待った。
 それはこのまま聞いていたほうが良さそうだと判断したからでもあるし、どうにも親友の様子に違和感を感じたからでもある。
「その……それで、壮行会のあと、修一が家まで送ってくれて」
「え?」
 もっとも次の一言で、その判断は後悔に変わったが。
 彼女の話は止まらない。
 春の”まさか”という推察が、そのまま理緒の口から飛び出した。
「……その、時に…………。
 ………………結婚、しないかって……言われた、の……」
 批評家の表情がこれまでで一番大きく崩れた。
 その場に静止した二人の耳へその場へ、喧騒がはっきりと流れ込んでくる。
 長い長い硬直のあと、先に復活したのは春だった。
「……一応、確認するけど。そう言ったのはあの、……へなちょこ?」
「……うん」
 追って、理緒もあいづちをうてる程度には復活する。
「……あいつが、……あのウジ男が、あんたに直接?」
「……うん。……びっくりした」
 そう語る彼女の顔はいまや耳まで赤い。あっけにとられつつも意識のどこかで、その反応が当たり前だ、と春は呟いた。彼女の目から見た修一、親友の彼氏は、傍目にもそれとわかるほど気持ちが態度に表情に出るのだが、甘い言葉にはもっとも縁遠いと断言できる人物だった。だからこそ先に彼女は彼をへなちょこだのはっきりしないだの冴えないだの不器用だのと酷評したわけだが。
 現在の付き合いだって、やめた方がいいと春が繰り返すなか、修一は度胸が足りないだけで本当に何もできない人なんかじゃないと理緒から切り出したものだし、(理緒だって最初から期待などしていなかっただろうが)その後彼が変わったという話もまったく聞かなかった。むしろ輪をかけてドジっぷりが増したとばかり聞く。
 しかし今回、そんな彼が正面きって行動に出たと理緒は言う。それがここまでありきたりな状況であるところに彼の限界が見えるものの、行動したことは確かだ。
 彼女にしてみれば予想外もいいところ、驚くしかできない。
 当然のように詳細を求めた彼女へ、理緒が話した経緯はかいつまんで言えば次のようなものだった。

 まず、理緒を自宅に送るという行動は修一が言い出したのではなく、研究員の一人が彼をちゃかして言ったのが発端で、なのにそれを真に受け花占いさえしそうな勢いで本気で悩んでいる彼を見かねた理緒が、自宅まで送ってくれと頼んだのが真相である。
 また、理緒の自宅に向かう道中も、彼は理緒の振る話題にとんちんかんな返答をしては謝るを繰り返してばかりでまともな会話は一度も成立せず、事故に遭わなかったのが不思議だと語られるほどに注意力散漫な状態だった。
 まぁどうにか何事もなく理緒の自宅へ到着したのだが、そこからが更に一騒動で、まがりなりにも一応理緒の話題に返答をしていた彼が、彼女の自宅に到着したとたんまったく喋らなくなった。何を話しかけても反応せず、そもそも聞いているのかさえ怪しい状態だったらしい。
 これにはさすがに理緒も様子がおかしいと感じたらしく、どこか具合でも悪いのか、と尋ねたところいきなり抱きしめられ、その状態で求婚された。以上。
 ……理緒の話を聞いている間、春はずっとカエルを丸呑みさせられたような表情をしていたことを追記しておこう。

 それでも話を聞き終わって、春が最初に発した一言は、彼女の性格を考えればかなり大人しいものだった。
「……それで、返事は?」
 うつむき、しどろもどろになりながらの、彼女の返答。
「へ、返事はって言われても、そんなの…………。その、だって、あんなことされたこともなかったのに、そこでそんなこと言われたら、頷くしか……」
「…………なるほど。それで、その時答えたはいいけど、今後悔していると」
 理緒はさらにうつむく。
「そうじゃ、ないんだけど……」
 はぁ、と春は大きく息を吐いた。
「……わかってるわよ。今まで行動力のこの字もなかったあのバカ男がいきなりそんなこと言うから、不安になったんでしょ」
 申し訳なさそうに頷く理緒。それを見ながら彼女は、さらに大きく息を吐く。
「大丈夫よ。昨日言われたのは偶然だったかもしれないけど、恋人を自宅に送っていく程度で悩むぐらいの意気地なしが、勢いでそんな台詞吐けると思う? 賭けてもいい。ここ一年は確実に言う言わないで死ぬほど悩んだに決まってるわ。それに」
 顔をあげた彼女に、春は噛み締めるように告げる。
「あんた、あたしに言ったじゃない。あいつは度胸がないだけで、本当に何もできないわけじゃないって。……はっきりしないって言った事だけは、訂正しとく」
「……春ちゃん」
 呼びかけには答えず、かわりに彼女はわざとらしく話を切り出した。
「あのバカのせいで、最初に聞いた話忘れちゃったわ。あんたとスイ、どこに行くんだっけ」
 ようやく、理緒の表情に笑顔が戻った。
「…………スイじゃなくて、修一だよ」
「細かい事つっこまないで。いちいち発音が面倒なのよあんた達の名前は。とくにあいつは最悪。あたしが皮肉言っても文句言ってもいっつもオドオドしながらバカ正直に本気にするからなおっさら最悪。しかもついにあんたを持っていくし。もう最低」
 どこまでが照れ隠しなのか八つ当たりなのかわからない言い方をする彼女に、理緒は笑みを隠せなかった。彼女は、いつもこうなのだ。
 言葉に容赦はないけれど、人一番優しくて世話焼きだから相談を持ちかけられれば絶対に断らない。でも、誰かに感謝されるのが大の苦手だから、話が終わればすぐに逃げてしまう。
 文字通り逃げる時もあるし、忘れているはずのないことをわざと質問する時もある。
 それがわかっているから、理緒も彼女に”ありがとう”とは言わない。
 かわりに、極めて丁寧に、彼女の質問に答える。
「……辺境の、星だよ。この前新しく発見された、ものすごく発展途上の星。たしか、その星の主要言語ではアースって呼ばれてた。いつか、遊びに来てくれるよね? ……ルルー」
 嫌そうな表情が彼女に向けられた。
「……なんでいきなり本名で呼ぶのよ」
「なんとなく。これでいいんだよね? ルルー・スプリングナさん」
「……勘弁して。もういいわよ。春ちゃんでもバネちゃんでも好きなように呼べばいいでしょ。……あんたに本名で呼ばれると、落ち着かないわ」



 ――ここではない、どこかの星。
 アストローゼ自治州主要都市、ウィングヒルズ。
 どれだけ文化や生活が変化しようと、そこに根ざす人々だけは変わらない。
 とある日。
 見覚えのある日常は、今日もどこかで繰り広げられている。


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