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C-10  秋空の約束

 父は星座管理人だった。
 星座の形は、世界各地の支部責任者が集まって年毎に決める。それには関係しない下っ端。父は現場の人間だった。
 小学校の社会見学。南東支部の投射盤に星を配置する父は、とても誇らしそうだった。星の配置は重要だから、やってみたいとせがむ子供に体験させるわけにはいかないのだが、おどけて断る姿は、自分の大事な仕事を横取りされぬよう張り合う子供のようにも見えた。
 それが、もう十年も前になる。
 今年の春先、父は星になってしまった。いや、それだと移動してしまうんだけれども。とにかく本人のような暖かい日、父は逝った。
 薄手のストールを巻き付けて、俺は自転車に跨った。ペダルを漕げば、すぐに坂道を滑り始める。ここをずっと降り、海沿いの町の中央を通過してもう一度登れば、星座管理協会南東支部に到着する。自宅とは同じような海抜なので、坂を下りるまでは常に見えている。高く晴れた青空と薄く引かれた雲を背景に、ドーム状の建物にはラッパ型の星座投射装置が付いていた。いつ見てもこの形は奇妙だ。それが、傾斜で視界から掻き消えた。
 ストールを乗せた風はやや肌寒いが、今日は見事な秋晴れだ。まるで春を思わせるような陽光の質に、俺は一瞬眠気を覚えて――
「――っ!」
 ブレーキを忘れた。
 嫌な摩擦音と焦げ臭さが鼻につく。飛び出してきた子供を辛うじて避け、そのまま自転車で転げ落ちた。俺は景気良くひっくり返り、子供は盛大に肩掛け鞄をぶちまける。
「いっつ……」
 うなじをさすりながら地面に手をつき、何とか半身を起こした。関節はじんと痛むが、ジャンパーのおかげで大した怪我は無いようだ。自転車の籠は……いつからへこんでいたか解らない。それよりも、と気になって、俺は子供に駆け寄った。
「大丈夫か? 痛いとことか――」
「どうしてくれるのよぉ!」
 が。屈みこんだ瞬間、凄まじい罵声に面食らう。それはキャスケット帽の少女だった。真っ直ぐの髪は長く、今時のお姉さんと差程変わらないワンピースとブーツを身に着けている。子供服はここまで進化しているのかと感心していると、激怒する彼女は唐突に薄いプラスチック板を突き出した。
「割れちゃったじゃない! ほら!」
 それは両手を合わせた大きさをした、漆黒の円盤。一枚一枚違う場所に、凄まじく小さい穴を数多開けた三層で出来ており、投射装置に掛ければ別々に回転する。それで等星の段階付けや瞬きを調整し――
「って、投射盤!」
「遅い!」
 二層目が真っ二つになっているが、紛れもない投射盤である。この円盤が星座の図面を担っているのだ。と、そこまで考えて、ざっと青褪める。今日は月の変わり目。もしや俺は、今晩から映すであろうこの図面をぶち壊しにしてしまったのだろうか。
「今日だけだったのに!」
「え、今日? 一日限定?」
 思わず問い返す。すると彼女は、ぱたりと口を閉じて気まずそうに目を逸らした。するすると視線をずらした先に、この辺りでは馴染みの横綱ゴウリュウを見つけたのか、「あ、猫ー」とわざとらしく呟く。
 ……よくよく考えれば、正規の投射盤をこんな子供が持ってるはずがない。あの温厚な父親でさえ、見るだけならともかく、触らせてもくれなかったのだ。
「あのう、ちょっとそこのお嬢さん?」
 少女の肩がぴくりと動き、活路を探るような半笑いのまま振り返った。地面に二人して座り込んだまま、じりじりと視線で探り合う。
「……ちょっとコレについて吐いちゃみませんかね。実は俺、関係者の息子なんだけど」
 すると彼女はにやりと笑んだ。それだけでクロなのだが、無邪気にも思い切り挙手する。
「私も! エジマです!」
「エジマは俺。」
 静かに嗤うと、少女はそのまま凍りついた。思わず、こめかみに僅かな頭痛を感じて苦笑う。……きっとあの投射盤は父の作だ。父が生前、約束でもしたのだろう。だが、業務だけには厳格だったはずだけど……?
「ええと、ええとですね、エジマさんが今日それを映してくれるって……」
 しどろもどろになりながら、今や俺に確保された投射盤へ目を向ける。「残念だけど」、そう呟いて、俺は投射盤を返却した。
「父は今年の春先に亡くなりまして」
「えっ」
 彼女は言葉を失う。子供のこういう顔は酷だ。俺は小さく苦笑した。
「だから何か約束してても、ちょっと果たせない。御免な」
 すると彼女は小さく頷いて、そろそろと立ち上がる――はずだったのに。彼女はその予想を見事に裏切って、少女らしからぬ凄まじい力で俺の両肩を掴み肉迫する。
「じゃああんた手伝って」
 何を。聞こうとして、咄嗟に口を噤んだ。彼女の目的は、明らか過ぎるほど明らかだ。あの割れた円盤を、現場の皆様の隙を窺って台に設置して投射する。彼女は言外に、二層目を壊した責任を取れと脅迫していた。
「関係者だったなら、何とかなるでしょ?」
「いや、関係者の関係者なんだけど……!」
「ねぇ、十分で良いんだから、お願い!」
 断れば呪われそうな勢いで、彼女は俺を拝む。……とはいえ、この仕事の重要さは身に染みている。精確な仕事をしなければ南東支部の面目を潰すことになるし、何よりも……キザキさんが怖い。父の長い友人だが、子供の頃よく怒られた記憶は健在だ。
「……そもそも、何のために?」
 困り果てて、俺は投射盤を眺める。光の強弱を現す三層が同時に空へ映されて初めて、図案が判明するのだ。現段階では何の形かさっぱり解らない。
「……今日で、時効なの」
 もごもごと、彼女は呟いた。目を向けるが、俯いたせいで表情はよく見えない。
「今日いっぱいでお父さんが帰らなかったら、死んだことになっちゃうの」
 もしかしたら、父の約束は最後の砦だったのかもしれない。失踪中という意味か俺は尋ねたが、彼女は首を振る。長い髪がさらさらと揺れた。
「去年海難で船が沈んだから……今年で」
「……それで、これには何が?」
 もしや、連絡先が記されているのでは。けど、生きていれば連絡は来るはずだ。まさか住所を忘れてはいないだろうし、そういう状況で連絡先を夜空に投射しても、自宅とは認識できない。だから無駄だとそう思っていたのだが、彼女は再度首を振った。そして何も言わずに、じっと俺を見上げる……かと思うと、勢い良く俺の腕を引っ張り上げた。
「だからね、秋の日は釣瓶落とし。急ぐ!」
 俺のささやかな拒否は完全に退けられる。彼女はちょこまかと動き、いつの間にか自転車を起こしていた。やれやれとサドルに跨り、ふと思い出して振り向いた。
「ところでお嬢さんのお名前は?」
 彼女は車輪の軸に両足を、俺の両肩に手を掛けて、不敵に笑う。
「ハルミ。出発だ、エジマ隊員!」
 ……当然のように、部下に任命されていた。



 当然すぎて忘れていたが、星座管理協会南東支部は坂の上にある。馬車馬のように俺を責め立てるミニ上司を降ろすことも出来ず、夕方の駐輪場に到着すると、脚は半ば棒だった。しかし、無鉄砲に突き進む彼女を放置することは出来ない。何かあれば容赦無く共犯にされそうな気がして必死に追う。
「あら、ミツ君。お久し振り。見学?」
 早速、受付で知り合いに気付かれた。ここの受付さん方は、デパートのお姉さん並に美人である――とか、この際は良い。観念して、真正面から切り込むことにした。俺は半ば本気の困り顔を浮かべながら、見学者名簿にペンを走らせる。
「従兄弟の子なんですよ。小学校の社会見学で来て、また見たくなったらしくて」
「ハルミ」は……片仮名で良いや。従兄弟の子の漢字なんて、詳細に思い出せるものでもない。
「キザキさんに挨拶でも行くのかな? バッジ、こっちにしておくね」
 知人ということもあり、俺達は差程疑われずに来賓用バッジを手に入れた。これなら見学者と違って、研究室まで入ることが出来る。成功率は格段に上がった。
 挨拶してハルミを呼び、研究室直通エレベーターにバッジをかざして乗り込んだ。重く閉じるドアに、気分までもが重くなる。階数ランプを見上げるハルミの顔はどこかわくわくとしていて、そういえば何故俺は協力しているのか、真剣に回想しそうになった。こっちはキザキさんに見つからないよう、心底から祈っているって言うのに。
「あぁ……」
 きりきりと胃が痛い、ような気がする。呻き声にハルミが振り返ると同時、エレベーターは三階に到着した。ドーム状の建造物最上階、東端にはラッパのような星座投射装置が唐突にくっついている。目的地は、ここだ。
 がこり、と大きな音がして、二重のドアが開く。一歩踏み出したその眼前に、廊下を横切るキザキさんの眼鏡越しの視線が俺達をお約束のように捉えた。
「……ミ」
「あははキザキさん今日はァ!」
 反射的に俺は声を張り上げた。おまけに裏返っている。全てはここで終わりを告げた。計画は潰えたり。一瞬でも、彼が非正規の投射盤を許すわけがない。わけがないのだ。
 すぐに帰還すべしとハルミの腕を取ると、彼女はそれを容赦無く振り払い、満面の笑みで子供らしく頭を下げた。
「見学にお邪魔してます、今日は!」
 全身からすっぽりと猫を被り倒した初対面の少女には、キザキさんとて目元を綻ばせる。父と同い年だが、その雰囲気は地球と月の表面温度ほどに違う。厳格で厳粛なキザキさんは常に冷静で、子供が作業場を駆け回ろうものなら、誰であっても容赦無く一喝していた。……恥ずかしい話だが、うちの父親ごと。
 短く整えた灰色の髪を掻き回し、彼は怪訝そうに俺を眺めた。
「……近所の子です。皆さんへのご挨拶もしとうかと思っ、たんですけど……」
 ハルミを紹介しながらそろそろとお伺いを立てる。今や目線は殆ど変わらないが、それでも幼少期の恐怖心は根強く、キザキさんは厳冬の木立のように大きく見える。
 彼は暫しの沈黙の後に、一言だけ呟いた。
「……業務の邪魔をしなければ、見学していっても良いぞ」
「わあい! 有難う御座います!」
 俺の気も知らず、猫が跳ねた。そして仕事場のドアへと消える彼に手を振って見送り――気迫を伴ってぐるりと振り向く。
「どっち」
 タイミングは今しか無い。投射室は廊下の突き当たり、先程キザキさんが消えた部屋よりも先にある。素人なりに足音を消しながら、俺達はドームの東端、無人の投射室へ侵入した。硝子張りの天井が、青紫に暮れかけた秋空を全面に映し出す。
 見学は許されているのでここまでは了承済みだと開き直り、部屋の明かりを点けた。ここはドームの端に当たるため、天井は一方的なカーブを描いて下降する。部屋の中央にはブロックのような機材が積み上げられ、埋もれるように投射装置があった。それは大きな顕微鏡にも似て、ブロック内部の配線から外のラッパのような投射機と連結している。
 操作台に一脚だけある椅子に飛びついて、ハルミはあの投射盤を取り出した。
「使い方は顕微鏡と一緒で良いの? ここにセット?」
 しかし、ここにきて俺は躊躇する。俺に、仕事の邪魔をしてはならないと厳しく教えたのは父だが、彼女に約束をしたのも父なのだ。が、ここにはキザキさん始め、現場の星座管理人さん方がいらっしゃる。
 彼女の目的がよく解らない以上、それを邪魔するのは――
「嫌な予感がすると思ったら」
 重い嘆息が部屋に響き、俺の背は反射的に凍りついた。固定された視界で、ハルミまでもが目を見開いている。跳ね上がる心臓とぎしぎし軋む首で必死に振り向くと、そこにいたのは当然のようにキザキさんだった。
「餓鬼共、今度は何の悪さだ?」
「ヒイイすいませ……!」
「悪さじゃありません!」
 恐慌に陥りそうになった俺を、ハルミが押し退けた。ここに来て抗う気かと振り向くと、黙れ役立たずと鬼気を伴う視線で一喝される。
「これで、お父さんを送るんです」
 キザキさんは怪訝に目を細め、俺は反対に瞠目した。
「失踪者探しじゃ……?」
「……海難だもん、多分、もう」
 小さく俯き、ハルミは投射盤を取り出した。漆黒の円盤を、大事そうに。
「それをエジマさんに話したら、じゃあ、来年の今日なら当番だから、送ってあげようって言ってくれたんです。これもエジマさんが作ってくれたんです、今年の三月に届いて」
 険しい顔をしたキザキさんに、ハルミは頭を下げた。キャスケット帽がぱたりと落ちる。
「お願いします! 十分、五分でも良いんです! お願いします!」
 毅然とした声で、ハルミは頼む。……上司が頑張るなら、付き合っても良いか。そう思い、俺も一緒に頭を下げた。
「お願いします、キザキさん」
 それに、俺にも理由が出来た。
「三月なら、それは父の遺作です。や、遺作ってほど凄くはないかもですけど。それに、通常業務を邪魔する重大さも……知ってるつもりです」
 仕事だけは、唯一父が譲らなかった部分だ。星座の配置は世界規模で決まること、投射盤の精密さ、投射時間の厳密さ、緻密な計算に沿って業務をこなさねばならないこと、昔からずっと聞かされている。
「でも、俺も……出来るならそれで父を送ってやりたいです」
 ハルミと俺の希望が一致した。二層目を割った責任じゃなくて、俺もこれに記された星座を仰いでみたい。だってこれは、恐らく協会で決定した図案ではなく、父が唯一自由に描いたであろう、星々の絵なのだ。
「……俺に二度も送らせるのか」
 キザキさんがうんざりと呟いていた。はっと顔を上げると、氷柱のような視線が突き刺さる。思わず竦めた首を通り越し、ぶっきらぼうな横顔で彼は呟いた。
「十分だけだぞ」
 許可が出た。咄嗟に俺とハルミは視線を交わし、喜色満面で同時に絶叫する。
「……あ、有難う御座います!!」
 それに応えることも無く、キザキさんはハルミの投射盤を取り上げた。
「……何だこれは、壊れてるじゃないか」
「うっ、お、俺が……」
 懺悔しようとした俺を押し退けて、ハルミが駆け寄る。
「直せますか!?」
「これでも技術者だ。――それより、時間が無い。ミツヒロ、機材を立ち上げてくれ」
 キザキさんが作業台へ向かう。ハルミが俺を振り仰ぐ。秋空は急激に暮れていく。早鐘のような心臓は、いつしかその意味を変えていた。
「は……はい!」
 電源を全て入れる。ラッパのレンズカバーを遠隔操作で上げ、今日から使うはずだっただろう投射盤をそっと外した。西の空を写すモニターからは沈む太陽が見える。……そろそろ、時間だ。
「準備出来ました!」
 修理した投射盤を組み立て直し、キザキさんは操作台の椅子に腰掛けた。左右にそれぞれハルミと俺が詰め掛ける。設置された投射盤はボックスの機材へ吸い込まれ、キザキさんは顕微鏡を覗き込んだ。それぞれの盤の回転速度を設定し、最後に室内の明かりを落とし、装置に強烈な光を通すスイッチを入れる。
 その夜、南東支部の空は大海原に変化した。
 漆黒の夜だというのに、眩い波が満ちている。ちらちら煌く狭間に見え隠れするのは優美な魚群。生息地域などまるで無視し、先頭を行くタツノオトシゴを筆頭に、イルカやシャチや、鯨やマンボウまでもが星の深海を回遊する。馬鹿みたいに巨大なヒトデは赤や青に閃き、まるでパレードのようにも見えた。
 その上を、彗星が尾を引いて消えていく。瞬く間にそれは流星群へと変化して、銀のシャワーはきらきらと緩やかなカーブを描きながら大地へ還った。
 たった十分。その間に映し出されたのは、光の群れが目茶目茶にざわめく絶景。
 ハルミはただ、じっとそれを眺めていた。全て同時に掻き抱くような目で、じっと。そして多分、俺も同じような顔をしていたのだろう。作り手の父そのものが表されたような、この星座の群れに圧倒されながら。だって俺は見事に、穏やかな溜息しか出なかったのだ。
 思い起こさずとも、父はそういう人だった。



 数日後、俺は再び自転車で坂を下っている。
 冷え始めた秋の夜は澄み渡り、星座の輝きは良く冴えた。そろそろ責任者が集まって、冬の星座配置を討議し始める頃だ。
 キザキさんはあれから本部に始末書を提出する破目になったらしい。罪悪感の塊から献上した菓子折りと平謝りで、何とか先程大目に見てもらったところだ。
 ハルミの父親はやはり帰らず、特別失踪が適用されて死亡と見なされたらしい。随分気丈な顔をして報告に来た、と渋い顔、ではなく、複雑な顔をして教えてくれた。父の「約束」は彼女が区切りをつける機会だったのだろう、とも。それは結果的に、諦念のような区切りをつけていた俺には逆の効果を与えた。
「あー、きっつ」
 太腿が、寒さと家路への上り坂に悲鳴を上げたので、自転車を転がすことにする。アサダ邸の塀から見下ろすゴウリュウに、揶揄するように鳴かれたが……お前だけには言われたくない。
 振り返るとずっと向こう、同じ海抜に南東支部が見える。そこからは綺麗に並んだ星座の群れがいつも通りに投射されていた。
 ハルミもきっと、あの海を思い出しながら見ているだろう。そこに星があるのなら、顔を上げずにはいられない。そのために現場の皆さん方はいるんじゃなかろうか、とかロマンティックなことを考えていたら。
 ……見透かしたような猫に、低い声で嗤われた。


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