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D-06  なつやすみ

 中二の夏休みを、私はおばさんの家で過ごすことになった。
 表向きは社会経験兼ねての避暑ってことになってるらしい。けど本当は援助交際が親にバレて田舎に隠されたんだった。ウチはパパもママも学校のセンセなので、娘が十四歳でエンコーだなんてのはいわゆる「もってのほか」ってわけ。けど私は確信してる。両親が教職者の子どもが歩む道は二つに一つだってこと。つまり自分も教師になるか、反面教師に成り下がるかなんだって。

 預け先のおばさんというのはママのお姉ちゃんで、私は会ったことがなかった。正確に言えば会った記憶がなかった。小さい頃は近くに住んでたのよってママは言ったけど、自分が赤ん坊の頃の話なんて知ったこっちゃない。どうして大人は子どもが赤ん坊だった頃の話をしたがるんだろう。まぁ赤ん坊は援助交際に走ったりしないからか。ウツクシイ思い出にすがって目の前の現実を否定したくなることもあるんだろう。現にウチの大人はしょっちゅう「昔はこんなふうじゃなかったのに」ってぼやいてるし。セーラー服に吸い寄せられてくるオヤジたちだっておんなじだ。「あの頃にかえりたい症候群」なんだ。夢をかなえて教師になったって、我が子をちゃんと導けなくちゃ意味が無い。つまんない仕事に耐えて稼いだ金で昔のマボロシ買ってるオヤジを見てると、何のために大人になるのかさっぱり意味がわからない。
 なら、せめて今だけ楽しめればそれでいい。
 要するに私は、テレビで祭り上げられる「イマドキの少女」の一人なんだ。その私が大人しくおばさんの家に預けられたのは、パパに命令されたからでも、ママに泣いて頼まれたからでもない。見飽きた親よりは、見知らぬおばさんのほうが面白そうだと踏んだからに過ぎない。



 初めて会うおばさんは、ママより年上のはずなのに、明らかにママより若く見えた。黒のVネックにストーンウォッシュのジーンズ、スニーカーっていうラフなかっこう。髪が短いのと胸がないのもあって、私は(おばさんっていうか男の子っぽい)と思った。
 その男の子みたいなおばさんは、私を見て吹き出した。
「ぶっははは、いっちょまえに生意気になってるー!」
「いきなり意味わかんないんだけど」
 第一印象はわりとサイアクだ。思わず半目で睨みつけたのに、おばさんは全然動じない。
「だってーあの純真無垢を絵に描いたような赤ん坊がさあ、十年そこらでいっちょまえに髪染めてピアスして口紅塗っちゃってさあ、あたくしオトナですのよみたいな顔して立ってんだもんーあっははははは」
 うん、第一印象はハッキリ言ってサイアクだ。ついでに、大人はどうしても子どもの赤ん坊の頃の話をしたがる生き物って仮説は正しかった。おばさんは指で目じりを拭きながら、必死で笑いを飲み込んだ。
「やーしかし見事にグレましたなぁ。おばさん涙出ちゃったよ」
「笑い涙じゃん」
「笑うとこじゃん」
 ドきっぱり言い切ったおばさんは、呆れる私の頭をなでてまた笑った。
「ま、ひと夏テキトーにうまいことやりましょうや、アキちゃん」
 到着して五分で私は悟った。ヤバイ、こいつ変人だ。



 おばさんが変人なら、おばさんの家も変だった。まずド田舎。他に表現しようがないくらいド田舎。田んぼ田んぼ田んぼ、家、また田んぼ田んぼってカンジ。おばあちゃんちだってもうちょっとマシなんだけど。空を見上げても電線が一本しか目に入らないってどういうことだ。車で寝てる間にワープでもしたんじゃないだろうな。携帯を開いてみるとトーゼンのように圏外だった。人類の住む土地じゃない。けどおばさんちは本気でその土地に建っていた。昔話に出てくるようなわらぶき屋根の家が。
「ちなみに水道は井戸水が出ましてよ」
「ウソ!」
「マジです。さらにご飯はかまどで炊きましてよ」
「マジで!?」
「ウソです。本当は鍋で炊いてましてよ」
 どっちにしろガスは存在してなかった。

 家に入ると、知らないにおいが鼻についた。カラオケとか喫茶店は気にならないのに、人んちのにおいって何で気になるんだろう。なんか居心地悪くなるんだ。
「さて、おばさん仕事に戻るから、テキトーにくつろいでて」
「くつろいでっつってもさぁ」
 見渡す限り何もないんだけど。テレビがないのが気のせいじゃなかったらどうしよう。文明の利器っぽいものはとりあえず冷蔵庫と電話しか見当たらない。て言うか部屋の真ん中に囲炉裏があるんだけど。しかも使ってるっぽい。日本昔話か。足元これ土間ってヤツじゃないの。トイレが水洗じゃなかったら死ねる。
「こんなとこで何の仕事してんの?」
「ん? お母さんに聞かなかった? 言わないか、ミキちゃん嫌いだもんなぁ」
 質問しておいて自分で納得するなよ。おばさんは囲炉裏の脇の古臭い机から紙を一枚取り上げて私に見せた。
「こういうの知ってる?」
 知ってるも何も。
「漫画じゃん」
「漫画家なんですよ」
 おばさんはあっさりと言い切った。
「正確には少女漫画家ね。一応生計立てて、ついでに姪っ子一人預かれるくらいには稼いでるから安心していいよー」
「心配してねーよ! つうか何で漫画家がこんなとこ住んでんだよ! アシスタントとかどうすんだよ!」
「漫画家だからに決まってるじゃん。原稿さえ締め切りに提出すればどこに住んでようがオールオッケー。月刊誌で描いてるから一人でも何とか間に合うしー」
 だからってガスもない田舎に住むか普通。
 おばさんは私の白い目も気にしないで、さっさと机に座った。確かに漫画家らしく、慣れた手つきでペンを走らせ始める。
「アキちゃんが来るっていうから、ほんとはちょっと期待したんだけどなあ」
「なにが」
「そりゃ現役思春期の輝きをですわよ」
 はは、と何がおかしいのかおばさんはまた笑い出した。手の中でくるっとペンを回して、ちょっと私の顔を見る。
「しかしイマドキの都会っ子に育っちゃダメだぁねー。目が死んでる」

 カチン。
 頭の中で怒りスイッチが入る音がした。

「……あんたさぁ、初対面の人間に失礼じゃない?」
「ん? なにが」
 限りなくマイペースな返事。ちょっと脅かしてやっといたほうがいいみたいだ。私は靴のまま部屋に上がると、おばさんの真横の床を思いっきり踏みつけた。
「中坊だと思ってナメてんじゃねーよ。ババア一人くらいぶっ殺せんだよ」
「おお、援助交際だけじゃなくてオヤジ狩りとかもやってんの?」
「ふざけてんじゃねーよ!」
「いや真剣。次の悪役のモデルにさせてもらうわ」
「……っ」
 ふざけんな、ともう一度言いかけて声が出なくなった。私の顔を見つめる目がカンペキに激マジだ。むしろ早くスゴんでくれみたいな顔にしか見えない。どうしよう変人だ。こいつ確実に変人だ。
「あーそうだアキちゃん」
「なんだよ」
「ここでおばさんを殺しちゃうと町まで徒歩じゃん?」
 怒るだけ損かも知んないと、ちょっと思った。



 結局、私は負けを認めることにした。と言うか深く考えないことに決めた。変人相手に怒ってもムダだ。うん、勝ち負け以前に勝負にならないじゃない。だって相手は変人なんだから。
 しばらく観察した感じでは、おばさんは私に興味が無いらしい。ご飯は出してくれるけど、あとはこっちから話しかけない限り特に干渉してこない。勝手に仕事して勝手に出かけて勝手に帰ってきて勝手に寝る。だから私も勝手にすることにした。とりあえず家の中を探検することから始める。テレビは本当に無かった。ちゃちいラジオが戸棚の奥から出てきたけど、面白そうな番組はやってない。携帯も相変わらず繋がらない。トイレは一応水洗だった。居間の隣に本棚五個と、入りきらない本の山を見つけた。でも字が小さくて意味不明な本とか、ロシア語? みたいな辞書とか、なんだかわかんない建物が載ってるのとかばっかり。私が読んで面白そうな本なんて一冊も無い。仕方ないから外に出てみても、見渡す限り田んぼしかない。
 要するに、ここにあるのは退屈だけってことだ。
 最初の三日はそれでも家の中をあさってヒマをつぶした。四日目はちょっと外を歩いてみた。五日目は夕方に雨が降った。六日目は寝て過ごした。七日目、一週間。
 私は仕事中のおばさんの脇に座った。
「おばさん」
「んー?」
 おばさんの返事は相変わらずスローだ。こっちはけっこうな勇気を出して話しかけたってのに。でも何とか気を取り直して本題に入る。
「……あのさあ、漫画」
「はい、まんがー」
 ひらがなで繰り返すなっつーの。全然聞いてねーなこのババア。でも怒りスイッチまでは入らなかった。何かブレーカー落ちてるみたいな感じだ。正直もうヒマさえつぶせりゃなんでもいい。
「漫画、見てもいい?」
 自分でもキモチワルいくらい大人しい声で尋ねる。
 おばさんが初めて手を止めた。
「漫画?」
 お、顔上げた。
「だから、漫画。見てもいいでしょ」
 そう、私はおばさんの漫画をヒマつぶしの最終手段に選んだわけだ。おばさんに頼みごとするのはちょっと悔しい気がしたけど、これ以上ヒマしてたら確実に死ねる。ヒマ死ねる。
 おばさんは原稿と私の顔を見比べた。それからくちびるの右側だけ持ち上げてニッと笑った。
「良きに計らいたまえ」
 態度デカいんだよババア。ってセリフは何とか飲み込んだ。

 おばさんの漫画は確かに少女漫画だった。しかも一昔前風っていうか、なんか背景に花とかキラキラとか飛んでるやつ。少女漫画なんかあんまり読まないけど、最近のってもっとマットな絵柄がはやってるんじゃないの?
「おばさんセンス古くない?」
 まあウチのママより年上なんだからこんなもんか。なんて軽く思ってたら、おばさんはナゼかまじめな顔で否定した。
「わかってないなーアキちゃん」
 言いながらおばさんは、描いてた原稿を持ち上げる。
「少女漫画の真髄は麗しいツヤベタと飛び交う花びらキラキラトーン。そして何よりこの瞳!」
 ペンのおしりで指し示すのは、顔の半分はありそうなヒロインの瞳だ。
「わかるかなー、わかんねえだろうなー、若い子にはわかんないギャグだわなー」
「ギャグかよ」
「いや瞳が命なのはマジですよ」
 どこまでマジだかわかりにくいっつーの。
 おばさんは実際マジだった。
「昔はもっとペタッとした絵で描いてたんだけどね。背景は現実的な風景だけで、瞳ももっと小さくて」
 言いながら原稿を見つめるおばさんの目は、なんとなく懐かしそうに見える。
「じゃあなんで絵ぇ変えたの?」
 流行りと逆じゃん。私の素朴なギモンに、おばさんはちょっと苦笑いした。
「原因の人がそれを聞くかなー」
「は?」
 何言っちゃってんだこのババア。
 でもやっぱりおばさんはマジ本気だった。
「アキちゃんが生まれたからだよ」

 マジ本気で意味不明なことを言う。

 おばさんはペンを置いた。それから描きかけの原稿の端を指でなぞる。子どもの頭でもなでるみたいに、そっと。
「昔はさあ、キラキラおめめを描くのが恥ずかしくってさあ。なんせ思春期長くてねえ、しかもけっこうドロドロだったしねえ」
 わりと深刻そうな話なのに笑って言う。
「ドロドロのはけ口が欲しくて漫画描くようになったんだけど、少女漫画っぽいキラキラした絵がどーしても描けなかった。だって自分がドロドロなのに、漫画の中のやつらだけキラキラしてたら悔しいでしょー。もうね、これでもかってくらい漫画もドロドロにしてやったわけですよ」
 それは心が狭いんじゃないのか。つっこむかと思ったけど、おばさんも自分でわかってるみたいだから、やめてあげることにする。
 おばさんは、ふっと小さく息を吐いた。
「そうやってドロドロしたまま大人になって、ドロドロした漫画ばっかり描いてた頃、アキちゃんが生まれた」
 その時を思い浮かべるように目を閉じる。
「赤ん坊の目ってきれいなんだよー。なにしろまだイイも悪いもなんにも知らないんだからさあ。何を見ても好奇心で目がキラキラしてるんだ。星が浮かんでるみたいに」
 閉じていたまぶたがゆっくりと開く。
「あー、こういうのが描きたいーって思った。それからなんだな、漫画で瞳に星を入れるようになったのは」
 おばさんは私の顔を見つめる。きれいな星が浮かぶ瞳で。

 私は目をそらした。

 ほっぺたが熱いのはきっと気のせいだ。心臓とか別にドキドキしてないし。
「赤ん坊の頃の話なんか知らないよ」
 カタ、とペンを取り上げる音。
「そうだねー。残念」
 ぐさ、と何かが心臓に刺さる音。
 少しくらいフォローしろよババア。
「……おばさんさぁ」
「んー?」
 相変わらずマイペースな返事。
「なんで引っ越したの」
 小さい頃は近所に住んでたってママが言ってた。仮にも私のおかげでドロドロから立ち直ったって言うんなら、なんで置いて行っちゃったんだ。
 おばさんはやっぱりマイペースに答えてくれた。
「いやー、おばさん自分はマイペースだからさあ。ミキちゃんの神経質な子育て見てらんなくてさあー。アキちゃんを誘拐するか自分が引っ込むかと言う究極の選択になっちゃってねえ」
 何がおかしいのか、おばさんは笑う。
「実は今もグレたアキちゃんを見るのが辛かったりしましてよ」
 笑って言うことじゃねーだろ。
 くそう、こんなの安っぽ過ぎる。二時間ドラマ並に安っぽい。純真無垢な赤ん坊に触れてドロドロ人生から立ち直りました、ありがち過ぎて有り得ない。そんな話でグレたヒロインが改心しましたなんて、ご都合主義にもほどがある。
「誘拐してくれれば良かったのに」
 ぼそっとつぶやくと、一瞬ペンの音が止まった。
「んー」
 やっぱりマイペースなおばさんの返事。
「とりあえず、ひと夏お試し誘拐キャンペーンてことでどうよ」
 今更かよ。
 だけど悪くないかも知んないな。だって元々ひと夏過ごす予定だし。どうせ町まで歩く体力は現代人には無いんだし。ヒマつぶしだって見つかったし。悪くない。うん、悪くは無い。全然。だからツッコミは見逃してあげよう。

 おばさんのペンが走る音に蝉の声が重なる。
 田舎の夏はまだこれからだ。


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