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D-07  砂糖星

 春が零れ落ちるようだ。垣根の前に咲く薄紅は、広げた指のような大きな花弁をわたしに向けている。花と花の合間には黄緑の葉が隙間無く詰まっており、随分と窮屈そうだ。小さな白い花を咲かす蔓も自己を主張するべく空を目指して伸びている。庭の随所で華やかな色が重なり合い、一つ一つを曖昧にしていた。ただ漠然と両腕には持ちきれない春が、そこにある。
「お嬢ちゃん、いいものをあげよう」
 垣根の向こうには薬箱を背負っている被り笠の男が立っていた。視線の先には、小さな女童子が不思議そうな顔がある。男は笠をずらし、人懐っこい笑みを日に晒した。目尻に寄った小さな皺が、春の光をいっそう穏やかに感じさせる。
 差し出された小さな掌の中に男が落としたのは、色とりどりの金平糖だ。春を詰めたようにきらきらと輝く。女童子は両手でそれを抱え込むと、嬉しそうな声で礼を言った。

 わたしには昔、金平糖をくれる人がいた。その人を父に倣ってクスさんと呼んでいたが、本当の名前は今でも知らない。少し背の曲がったクスさんは渡りの薬売りで、一年に一、二度わたしの家にやってきた。小さな頃、体の弱かったわたしは薬を服用する機会が多く、クスさんの良いお得意様だったのだろう。
 クスさんは薬を売り来ると、わたしの手の中に星の欠片だと言って金平糖を転がした。旅の途中お空のお星様が落っこちてきたから、お嬢ちゃんにも分けてあげよう、そんな優しい声と共に。
 幼いわたしはそれを信じ込み、大切に大切にクスさんのくれる金平糖を食べていた。口の中に広がる味は特別な甘さだった。
 ある時、クスさんはいつもより多くの金平糖をわたしにくれた。その頃になると、わたしも外に遊べるほど丈夫になり、すぐ近所の子どもたちに分け与えた。クスさんと同じように、星の欠片だと言って。
 しかし、そう言ったわたしを、これはただの砂糖の塊だといって皆が大笑いした。悔しさのあまり走って家へ帰ったわたしは、父とまだ話し込んでいたクスさんの前で、泣きながら金平糖を地面にばら撒いた。星の欠片なんて嘘なんじゃない、そんなことを言ったのかもしれない。地面に散らばった金平糖が本当の星のようで、強く印象に残っている。
 父は怒ったが、クスさんは優しく笑い、すまんなぁとわたしの頭を撫でた。そして、こんな話をしてくれた。
 クスさんは旅の途中、道に迷ったら空の星を目印にして方角を知る。初めて金平糖を見たとき、クスさんは空から星が落ちてきたのだと思った。いつもクスさんを助けてくれる星が本当に落ちてきたのだとしたら、ほかの誰かも助けてくれるかもしれない。そう思ってわたしのような子どもに金平糖を配っていたのだ。
 結局その日は泣いたままクスさんを見送った。涙は、金平糖をばらまいた時のクスさんの顔を思い出して溢れたものである。その日からごめんなさいの言葉を伝えようと、金平糖を齧りながら再びクスさんが来る日を心待ちにしていた。しかし、クスさんはそれっきりわたしの家を訪れなかった。一年半ほど立って、クスさんが旅先で亡くなったという知らせが届いた。後に聞いた話では、ずっと体調が悪かったそうだ。
 わたしは謝ることが出来なかったのである。

「そちらのお嬢さんもお一ついかがですか」
 垣根の向こうからわたしに呼びかける男の目元は、クスさんにそっくりだ。クスさんには跡継ぎの息子がいない。しかし、クスさんの薬箱は一人娘の子の背にあった。自分とそう年の変わらない男を、わたしはまたクスさんと呼んでいる。
「星の落しものなんですがね」
 二代に渡ってわたしを騙そうとしているのだろうか。――それなら今度は騙されたままでいい。
「有難う。頂くわ」
 わたしは縁側から庭に降りると、懐かしい笑顔がくれる金平糖を受け取った。庭木がつけた花から蜜の香りがする。その香りに誘われたのか、蝶がクスさんと私の間を横切っていった。掌に落ちた金平糖を、女童子と同じように両手で抱え込む。クスさんは小さくお辞儀をして裏の家へと入っていった。私はまた春が咲いた庭から縁側へと戻る。口先で溶けた金平糖は、甘い砂糖の味がした。


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