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D-08  掌の中の星

 ドアチャイムを鳴らして応答を待つ間、その場で小さく足踏みを繰り返す。寒くてとてもじっとなんかしていられない。この寒さで、紙袋の中のタッパーの中身も、すっかり冷めてしまった。
 明るい声と共に玄関のドアが開き、みづきちゃんのあたたかい笑顔が目に飛びこんできた瞬間、私は心底ほっとする。
「佐登子ちゃん、いらっしゃい。寒かったでしょう? さ、入って」
 その言葉に素直に従って、そそくさと部屋の中に入る。一秒でも早く室内に逃れないと、体が凍えてしまう。そう思うくらい、今日は冷え込んでいた。

 みづきちゃんは、四つ年上の従姉妹で、大学一年生。大学入学を機に、実家を離れてうちの近所のワンルームマンションで一人暮らしを始めた。志望大学にすんなりと進学を決めたみづきちゃんは、私にとって憧れの存在だ。
「どうせ近所に住むんだったら、うちに下宿すれば良かったのに」
 私がそう言うたびに、みづきちゃんは困ったように笑って首を横に振る。
「そこまで甘えるわけにはいかないわ。そうでなくても、叔母さんや佐登子ちゃんにはお世話になっているのに」
 お世話と言ったって、私たちがしたのはせいぜい引っ越しの手伝いくらいだ。あとは、たまにこうしてお母さんの手料理をお裾分けに来る程度。もっと頼ってくれてもいいのにねって、お母さんもいつも言っている。

 キッチンでお湯を沸かすみづきちゃんのそばに行き、持ってきた紙袋を手渡す。
「はい、これ。容器を返すのはいつでもいいからって」
 お礼を言いながら受け取ったみづきちゃんは、袋の中をのぞくと嬉しそうな声をあげた。
「あ、肉じゃが。叔母さんの肉じゃが、美味しいよね」
「そう? 普通だと思うけど」
 どうせあげるのならもっと洒落た料理にすればいいのにと私なんかは思うんだけど、こういう家庭料理の方が嬉しいものなのよとお母さんは言う。実際、みづきちゃんも結構喜んでいるみたい。
 みづきちゃんにお裾分けする日はちゃんとしたおかずが食卓に並ぶことになるので、実は私としてもありがたかったりする。

「今お茶を入れるから、座って」
 みづきちゃんに促されるまま部屋に入る。あまり広くない室内は、ベッドと一人用のこたつがその面積のほとんどを占めている。
 嬉々としてこたつに潜り込むと、ため息がこぼれた。
「はー……こたつっていいよね。日本人に生まれて良かったって思っちゃう」
 キッチンから、みづきちゃんのくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「どうして笑うの?」
 口を尖らせる私に、みづきちゃんが楽しそうに答える。
「佐登子ちゃんは本当に寒いのが苦手なんだなって思って。たぶん、ロシアに生まれてたら『ペチカ最高、ロシア人で良かった』って言ってるわよ」
「そうかなあ」
「きっとそう」
 と、やかんが音をたて、お湯が沸いたことを知らせた。
「日本茶と紅茶、どっちにする?」
「こたつには当然日本茶でしょ」
 即答すると間もなく、みづきちゃんがお盆を持ってやって来た。お盆には、急須と湯呑み、それにみかんが載せられている。
「それと、みかんよね?」
「もちろん! あとは、猫がいたら完璧」
「さすがにそこまでは……」
 お茶を淹れながら、みづきちゃんが苦笑する。
「わかってるって。ここ、ペット禁止だしね。ちょっと言ってみただけだよ」
 さっそくみかんに手をのばす。家ではあんまり食べないんだけど、こたつに入るとなぜだか無性に食べたくなるから不思議だよね。

 皮をむいていたら、ヘタがころりと手の中に転げ落ちた。ゴミ箱に捨てようとしてつまみ上げたけど、すぐに思いとどまる。みかんのヘタが小さな星に見えて、なんだか捨てるに忍びなくなってしまったからだ。
 手のひらの上でヘタを転がしつつみかんを口に運んでいると、みづきちゃんが湯呑みを私の前に置いてくれた。
「ありがと」
 ヘタをこたつの上に置き、冷えた手を湯呑みで暖めながら、少しずつお茶を飲む。熱いお茶が、体の中から暖めてくれるみたい。
 同じように静かにお茶を飲んでいたみづきちゃんが、不意に顔を上げた。
「そういえば、高校受験までもう二ヶ月もないよね。佐登子ちゃん、勉強ははかどってる?」
 湯呑みを持つ手が思わず止まる。受験生の私にとって、今一番触れられたくない話題だったから。
「……うう。考えないようにしてたのにー」
「その口振りだと、順調とは言えないみたいね。どうしたの?」
「駄目なの。参考書を開いても全然頭に入らないし、問題集をやってても覚えてたはずのことが思い出せないし」
 この間受けた模擬試験の結果も、実に惨憺たるものだった。本番の試験まで時間もあまりないというのに、こんな状況じゃ、先が思いやられてしまう。
 今日ここに来たのだって、気分転換のためだ。家で机に向かっていても勉強は手につかないし、落ちこむ一方だから。みづきちゃんの顔を見て和もうと思ってたのに、結局この話題になっちゃうのか。
「そういう時期もあるわよ。それに、本番までに調子を取り戻せばいいんだしね。佐登子ちゃんは本番に強いタイプだから、きっと大丈夫よ」
 みづきちゃんのそんな励ましの言葉も、ネガティブな気分になっている私には、素直に受けとめることができない。
「無理。絶対無理。だって、私は幸運をつかみそこねる星の下に生まれてきちゃったんだから」
「……何の話?」
 みづきちゃんが不思議そうに首を傾げる。
 つまらない愚痴を言っているなと自分でも思う。自分がみづきちゃんに甘えていることも分かってる。でも、こんなこと他の人には言えないもの。友だちにもお母さんにも、こんな弱音なんて吐けない。
 だから、私は優しい従姉妹に不安な気持ちをぶつけてしまう。
「みづきちゃん、手、見せて」
「手? いいけど……何?」
 怪訝そうに広げたみづきちゃんの両手を食い入るように見つめる。左の手のひらに小さなほくろを発見して、私はやっぱりねと息をつく。
「手のひらにほくろのある人は、『星をつかむ』って言って、生まれながらの強運の持ち主なんだって。志望校に余裕で合格したみづきちゃんの手にも、ちゃん
と星がある。でも、私には」
 自分の右手に目を落とす。右手中指の根元近くにある、薄いほくろ。
「こんな所にしかほくろがない。きっと、生まれて来るときに星をつかみそこねちゃったんだ。こんな私が頑張ったって、無駄に決まってる。だって、生まれつき運に見放されてるんだもの」
 みづきちゃんが小さくため息をついた。
 自分でも、馬鹿なことを言っているのは分かってる。受験勉強がうまくいかないのを、ほくろのせいにして言い訳してる。みづきちゃんがあきれるのも当然だ。
 でも、みづきちゃんはそんな私を突き放すことなく、穏やかに微笑みかけてきた。
「佐登子ちゃん、ちょっと目を瞑っててくれる?」
「え、目を? 何で?」
「いいからいいから。で、右手を出して」
 わけがわからないまま、言われたとおり目を閉じて手を開く。ごそごそと動く気配を感じた直後、右手に何かを握らされた。
「はい、もういいわよ」
 みづきちゃんの言葉を合図に、そっと目を開ける。右手に目をやると、そこには──色とりどりの小さな星。白、黄色、水色、ピンク、オレンジ、グリーン……。手のひらいっぱいに積まれた、カラフルな星たち。

「……コンペイトウ?」
 顔を上げると、笑顔のみづきちゃんと目が合った。
「あのね、私も最初から手にほくろがあったわけじゃないのよ」
「え……そうなの?」
「うん。ほくろなんて、知らない間に増えたり減ったりするものよ。生まれた時に星を握っていてもいつの間にかなくしてしまう人もいれば、生まれてから星をつかむ人だっているの」
「そうなんだ……」
 再び手の中に視線を落とす。みづきちゃんの言いたいことは、なんとなく分かった気がする。手の中のほくろなんて、所詮は迷信。ほくろがあるかどうかと運がいいかどうかは、まったく別の問題。
 それは分かったけど、そのこととこのコンペイトウに、いったい何の関係があるの?
 私の疑問を察したのか、みづきちゃんがふふと笑みをもらした。
「だからね、佐登子ちゃんもこれから自分の力でいくらでも星をつかめるってこと。そして……どうせつかむのなら、食べることのできる星の方がいいと思わない?」

 手の中のコンペイトウをまじまじと見る。確かに、星の形をしてはいるけど、それとこれとは全然話が違うんじゃないかなあ。なんだか私、子供扱いされてない? 食べ物でごまかされてるような気がすごくするんだけど。
 釈然としないまま、コンペイトウをひとつまみ口に放りこむ。小さな星は舌の上で甘く溶けて、焦って尖る私の気持ちも、少しずつほどけていくような気がした。


D-08  掌の中の星
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