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E-04  こうして、星はおちた

 黒煙が天井の色硝子を曇らせ、炎が血と泥で汚れた絨毯を蝕んでいく。一刻ほど前まで響いていた怒号や銃撃音は途絶え、炎が爆ぜる音が王宮を支配していた。
「王と王妃は斬首を受け入れたぞ! 王子たちは捕らえてある! 武器を捨てて投降しろっ。早く脱出するんだっ!」
 変声期途中の不安定な高音が、空気を裂くような勢いで響く。ハダルは、尚も責務を全うしようとする王宮兵たちに呼びかけながら、紅の波が揺らめく廊下を駆けた。足取りは決して軽くはない。糖蜜色の柔らかな髪は、側頭部からの出血で赤黒く固まっている。ハダルの傍らでは、銃を持つ手を血で染めた革命の仲間が、怪我を負った王宮兵に肩を貸していた。
 革命軍の殿を務める者たちは、ハダルを含めて全員が満身創痍だった。だが、指揮官を失って混乱する王宮兵を残し、自分たちだけで脱出しようとする不埒な輩はいなかった。
「おい、どこ行くんだ?」
 ハダルは仲間の一人が一団から離れていくのを見咎めた。
「オリト、そっちは奥だ! 出口じゃねぇぞっ!」
 声をかけた相手が、背中に時代遅れの大剣を背負った黒髪の青年だったため、大いに慌てる。王の逃亡を防ぐため、隠し通路の類をはじめとした出口は、すべて塞いであった。正規の通用門以外に出入口はない。いつ炎に退路を断たれてもおかしくない状況下で、奥に進むのは自殺行為に等しかった。だが、誰よりも王宮に精通しているはずの男は、制止の声に歩みを止めなかった。
「悪いな。このまま皆のところには行けない。おまえたちは先に脱出してくれ」
 オリトは申し訳なさそうに言って、長い上着の裾をひるがえした。人々を導いてきた大きな背中が、見た目に似つかわしくない素早さで廊下の奥へと駆けていく。
「どこ行くんだよっ。おい!」
 ハダルは遠ざかる背中に舌打ちし、ざっと周囲を見回す。比較的怪我の軽い者たちと目配せをし、オリトを追って王宮の奥へと走った。
 武器を手に革命に参加した者たちは、本来なら鍬で畑を耕しているはずの者たちだった。慣れない荒事続きで疲労の色が濃かったが、今は誰もが晴れやかな顔をしている。それは、長年続いた苦痛の終焉を感じ取っているからだった。
 長年の干ばつと度重なる戦争の出費で、国は疲弊していた。しかし、王をはじめとした貴族たちは、大陸の覇権の奪取を理由に戦争を続け、王宮は国の困窮を他国に悟られないために浪費を繰り返した。その皺寄せは民衆に向かった。特権階級の贅沢を改めず、民衆からの度重なる搾取を選んだ王に対して、人々が決起したのは約半年前。その最前線に立ったのが、かつて守衛兵として王に仕えた経歴をもつ者――その人柄と牽引力から、いつのまにか『革命の星』と呼ばれるようになった青年。それがオリトだった。
「『星』になんかあったら、皆に合わせる顔がねぇ」
 ハダルは目を凝らし、濃さを増す黒煙のなかにオリトを探す。求める姿は、すぐに見つかった。五線星型のレリーフが掲げられた戸口の奥。まだ火の手が届いていない、妙に静まり返った部屋にオリトはいた。
「早く脱出しないと丸焼きになっちまうぞ! ここになにがあるん――」
 戸口に背を向けて立つオリトに駆け寄ったハダルは、青年が相対している小さな影を見て絶句した。遅れてやってきた仲間たちも、ハダルと同様に驚いて立ち止まる。オリトの前には、長い銀色の髪を肩にたらし、同じ色のドレスに身を包んだ、やや中性的な体躯の少女が、背筋を伸ばして立っていた。
 曇りのない鏡を連想させる冷めた碧眼が、ハダルたちに向けられる。
「そなたたち、なにゆえ王宮に踏み入り、私の前で許しもなく頭をあげるか」
 か細い、しかし芯のある凛とした声に打たれ、ハダルは身を竦める。反射的に膝を折りそうになるのを思い留まらせたのは、若干の緊張を孕んだ、オリトの良く通る低音だった。
「第三王女ですね?」
 紡がれた言葉に、ハダルはあっ、と声をあげた。王位継承権を持つ五人の王の子のうち、逃亡先の地下庭園に一人だけ姿がなかった第三王女。王を『太陽』、王妃を『月』と呼ぶ流れで、『王国の星』と言われる王の子たちのなかにあって、その容貌と立ち振る舞いから、他の子らとは別に『孤高の星』という二つ名を持つ王女が、そこにいた。
「その背中の大剣……。そなた、『革命の星』か」
 王女は冴え冴えとした双眸でオリトを見上げていた。この期に及んで、問いかけに対して否定も肯定もしない横柄な振る舞いは、命取りになりかねないというのに、臆した様子はまったくない。王宮の者たちに憎しみを持つハダルが、状況を忘れて感心してしまうほど、堂々とした態度だった。
「『星』の二つ名は王女のものです。失礼ながら、民衆を率いて王宮を攻め落とさせて頂いた」
 オリトが王女を見据えながら片膝をついた。なにをする気だ、と不思議がるハダルの声を無視し、青年は王女に手を差しのべた。
「投降を」
 ハダルはオリトの紳士的な振る舞いに困惑した。戦いの先頭に立つオリトは、支配階級に深い憎悪を抱いているものとばかり思っていたからだ。実際、他の王の子には冷徹に接していた。だが、王女に対するこの態度は、どうだろう。
 ハダルは二人の関係を邪推した。オリトが王宮に勤めていたさい、二人のあいだに何かあったのではないか。オリトは、ここに王女がいることを知っていて、置き去りにすることができず、危険を顧みず助けに来たのではないか、と。しかし、その思考は、王女が発した短い応えによって遮られる。
「断る。王殺しの罪人の施しは受けぬ」
 きっぱり言い放った王女に、オリトの背後に控えていた中年の男が激昂した。
「こいつ、下手に出れば付け上がりやがって!」
 男は手にしていた短銃を床に投げ捨て、短剣を抜いた。左右にいた仲間が止めなければ、短剣は間違いなく王女の柔肌を傷つけていただろう。テオという名のその男は、両腕を抑えられてなお、王女に襲い掛かろうと暴れた。
「罪人は王の方だ! 奴は餓死しそうになってる俺らに増税を命じて、命まで搾り取った殺人者だ!」
「税の徴収は王の権利だ。国を治める者が、その見返りを求めてなにが悪い」
 憎悪を言葉に込め、唾を撒き散らしながら叫ぶテオとは逆に、王女は細い声で淡々と返す。無責任とも思える冷静な態度は、ハダルを硬直させ、テオの怒りを煽った。
「ふざけるなっ、王なんて一人じゃ何もできねぇだろっ。俺たちがいなけりゃ飯も食えねぇくせに、偉そうにしやがって!」
「一人では何もできないのは、そなたたちも同じだろう。一時的とはいえ雇用促進に一役買った国営事業も、豊かな土地を有する国外への移住計画も、王でなければ成し得なかったことだ。これらの対策が国を立て直すまでに至らず、苦肉の策の増税で民に多くの死者が出たのは残念なことだが、それが王の罪に直結するわけでは」
「うるせぇ、王に俺たちの苦労がわかってたまるかっ。鍬を持ったこともないくせに! 金が欲しいなら、自分で畑を耕しやがれ!」
 おまえたちが悪いから現状が好転しないのだ、ともとれる王女の物言いに、テオが鼻息を荒くした。ハダルも怒りを覚えて王女を睨む。しかし、ハダルは王女が嘲笑を浮かべるのを見て恐ろしいものを感じ、一瞬で視線をそらした。
「民と同じように田畑を耕せ、と?」
 それまでとは違う、嘲りを含んだ声が響く。
「鍬を持ち、汗をかき、泥まみれになった者に誰が従うのだ? こけた頬で麦を頬張り、あばらを浮かせた者を誰が王と呼ぶのだ? よしんばおまえたちが王と認めたとしても、他国はそうはいくまい。あのみすぼらしい者が王だなど、笑わせる、と。あるいは同じ王族という立場に、不快を感じる王もいるかもしれない。どちらにしろ、侮られて蹂躙されるのがおちよ」
 そんなこともわからぬのか、と。くつり、と喉を鳴らし、王女は少女らしからぬ笑みを浮かべる。
「そんなこと知るかっ!」
 テオが再び吠えた。
「偉そうにしやがって。俺は、おまえのことも許せねぇんだ! 俺には、おまえと同じ名前の娘がいた。ぼろを着てガリガリに痩せて餓死しちまったな! でも、おまえは綺麗なドレスを着て、のうのうと生きている。なんでだ、ちくしょうっ」
「私は王女だ。国の女の代表として恥ずかしくないように着飾り、教養を磨き、優雅に振舞うのが仕事だ。この格好は私の仕事着。私は、おまえたちが畑を耕すのと同様に、与えられた仕事をこなしているだけにすぎない」
 少しも取り乱すことのない淡白な言葉に、テオが顔を歪める。ハダルは迷った。この清々しいまでに自分勝手な王女に襲いかかろうとしている仲間を抑えるのが、本当に正しいのか否か――。
 ふいに、片膝をついたまま黙っていたオリトが動いた。ゆっくりと立ち上がり、数歩移動して落ち着いた場所は、王女とテオを隔てる壁の役目を果たす位置だった。
「確かに、それがあなたの仕事かもしれない。国の威信を守るための」
 静かに流れる低い声。それを発するオリトの顔は、不自然ほど穏やかだ。ハダルは妙なものを感じて、無意識に両腕を抱いていた。いつのまにかパチパチと爆ぜる音が確認できるほど、炎の気配が迫っているというのに、なぜか薄ら寒い。仲間たちも、おかしな空気を感じ取ったのか、息を詰めて顔を見合わせている。うるさく暴れていたテオすらも押し黙った。
「だが、王族には、民を守るという仕事があったはずだ」
 あなたたちはそれを怠った。故に、王は罪人として裁かれたのだ、と。オリトは語りかける。
「わかっている。仕事を怠った罰は甘んじて受けよう」
 王女の声は、相変わらず冴え冴えと澄んでいた。
「投降を。王族としての……特権階級としての利権を、一切放棄するという書類に署名を」
「断る」
 再度差しのべた手をあっさり退けられて、オリトの顔が歪む。それを見て、ハダルは目を見張った。オリトが見せたのが、温情を無碍にされたことに対する怒りでも、王女を説得できない自分に対するやるせなさでもなく、満足気な笑みだったからだ。
「……では」
 オリトは素早く短銃を構えた。銃口を王女の眉間に定める。ハダルは迷いのない一連の動作を眺めながら、オリトが弾の残数を数え間違えていればいいと思った。自分たちをここまで導いてくれた『星』と、覚悟を決めている小さな『星』との間に、『なにか』があるのが明白だったからだ。
 引き金に指をかける『星』と、銃口をひたと見つめる『星』。その間に流れる時がぴたり、と止まる。オリトは引き金を引かない。王女も銃口から逃げることはない。二人を交互に見やって、ハダルはそれを確信した。そして実際、その確信は正解だった。
 いつのまにか、炎が絨毯を伝って室内への侵入を果たし、黒煙が頭上を覆っていた。炎は壁を駆けあがり、天井から垂れ下がる飾り布にまで達している。しかし、二人は一向に動きを見せなかった。
 沈黙が続くなか、誰かが煙を吸って咳き込んだのが合図となった。
 テオが床に転がった。手には、両脇の仲間の腰から奪った二丁の短銃を握っていた。ぱん、ぱん、と乾いた音が二つ。最初の一つは、黒煙まみれの天井へ。あとの一つは――。
 ハダルは駆け出していた。その直後、天井の飾り布が焼け落ちてくる。巨大な布は、オリトと王女に駆け寄ったハダルと、仲間たちとを隔てる炎の壁となった。
 退路が断たれた。だが、いまは退路のことなど、どうでも良かった。ハダルは床にうずくまる『星』に走りより、裾の長い上着を震える手で力いっぱい引いた。視界に広がる鮮血に顔を歪め、青ざめたオリトの耳元で、ぐずりながら叫ぶ。
「なにやってんだよ! 腹に穴開けやがって!」
「頭を割ったおまえに言われたくない。でもおまえ、なんでこんなに柔らかい――」
 無理やり仰向けにされたオリトは、呂律の回らない口調でぼやき、定まらない視線を彷徨わせる。のろのろと後頭部まで手を持っていき、言葉を飲み込んだ。焦点を合わせた目を軽く瞬かせる。つられて、ハダルも目の前の光景に改めて目を見張った。
 仰向けのオリトは、座り込んだ王女に体を預けていた。頭が王女の両膝に乗っている。ありえない状況に言葉を失うハダルの傍らで、オリトが咳き込んだ。低い声が漏れる。声を上げて笑おうとしたのかもしれない、とハダルは思った。
「本当は、俺が『星』を手にするつもりだったのに、逆とはな」
 それはどういう意味だ、と身を乗り出すハダルを、血まみれの白い手が制する。冴え冴えと煌く宝石のような双眸が、部屋の奥を見よ、とハダルを促した。視線の先には、太陽と月、そして小さな星が描かれた壁があった。
「あの壁の裏側に、地下庭園へ通じる道がある。五連星が描かれている部分を打ち砕くと、隠し扉が作動する仕掛けだ」
「そんなこと、なんでオレに……」
「王国の太陽も月も、ほかの星も落ちたのだろう? 今後は『革命の星』が国を率いるのだ。『孤高の星』であることに縋った私に情けをかけた、慈悲深い『星』が」
 暗に二人で脱出しろ、と命じる王女に応えたのは、かすれた低い声だった。
「堕ちたのは、俺のほうだ。もっとも、俺は最初から『星』なんて大層なものじゃなかったが。『革命の星』なんて、誰が言い出したのかは知らないが、とんだ見込み違いだったな」
 オリトは目を細めた。傍らには、目をかけていたハダルがいるというのに、視界には王女しか映っていないようだった。
「跪けばいいと思った。あなたの兄弟たちがしたように、無様に俺の足にしがみついて命乞いをすればいいと思った。そうして地に堕ちた『星』なら、俺だって手にすることができると思った。そのために、柄にもなく『星』を名乗ったのだから」
 正義の使者である『革命の星』の俗な本心を聞いた二人は、異なった反応を示した。ハダルは戸惑い、王女は目を細めて勢い良く立ち上がった。細い膝からオリトの頭が滑り落ちる。下にぶつかる寸前で頭を抱きかかえたハダルは、反射的に声を荒げた。
「庇ってもらったのに、なんだよ、その態度!」
「誰が庇えと頼んだ!? 身勝手な男のすることなど知らぬっ」
 返ってきた声にハダルは狼狽した。それまでとは異なる、感情がむき出しになった金切り声だったからだ。王女は肩を震わせて怒っていた。
「人に『星』になるよう仕向けておいて、なにも言わずにいなくなって! しばらくして急に現れたかと思えば、『星』を落としに来ただと!?」
 拗ねて唇を尖らせる王女は、ませた生意気な子供の顔をしていた。先程までの神々しい雰囲気はどこにいったのだろう、と呆然とするハダルの腕のなかから、くぐもった呟きが発せられる。
「……覚えておいでだったか」
 オリトが苦悶の表情で笑っていた。それを見た王女が鼻を鳴らす。
「ふんっ。たかが守衛兵の分際で、王族を慰めるなどという身の程知らずな輩は、後にも先にも、そなただけだったからな。それにその剣、あのとき私が気紛れに与えたものだろう? そんなものを背負って王宮に攻め入るとは、嫌味か?」
 オリトが首を振り、覚えているとは思わなかった、と言った。
「あなたは随分変わられた。あの頃は、王の子のなかで自分だけ母親が違うことを憂い、自信なさげで、仲間外れにされたくない、と兄弟の顔色を気にしてばかりいたというのに」
「そなたが変われと言ったのだろうが。不本意だが、あのときのそなたの望み通り、兄弟すらも手の届かぬ『孤高の星』になってやったぞ。おかげで一人、こうして最後まで王族でいるはめになった」
 王女はため息混じりに言い、得意気に唇を歪めた。碧玉が天井を覆う炎に向けられる。だが、ハダルは、王女が別の場所を眺めているのを感じ取っていた。――その場所は、今より幼くて気弱な王女と、その王女を元気付ける黒髪の少年兵の姿が在った、まだ平和だった頃の王宮。
「後悔をしておいでか?」
「呆れているだけだ。自ら遠ざけたものを再び手にしようする馬鹿者と、それに付き合ってやる酔狂な自分に」
 王女は呟いて、オリトの土気色の顔を見つめた。二つの視線が絡み合い、オリトが頷いたのが合図となった。
 ハダルはオリトを抱えていた腕が軽くなったのを知覚すると同時に、痩せた背中を壁に向かって押し出されていた。驚いて振り返ったハダルが目にしたのは、渦を巻いた炎が、ハダルと二人の『星』を永遠に隔ててしまう瞬間だった。
「オリト!?」
 炎の間に見え隠れする人影に手を伸ばす。しかし、影はただ一言「行け」と別離を告げるだけだった。どちらの『星』の言葉かは、わからない。ただ、ハダルが未練を断ち切る寸前、二つだった影が、折り重なって一つになったことは確かだった。
 オリトは――『星』は、最初からこうするつもりだったのだ。だからオリトは「皆のところに戻れない」ではなく「行けない」と言い、王女は隠れ処だった地下庭園から王宮に戻ったのだ。ぞれぞれの『星』とおち合うために。
「はっ、とんだ『星』だぜっ」
 ハダルは除け者にされた悔しさを噛み殺し、仕方ないなぁ、と苦笑した。
 炎が勢いを増したようだった。ハダルは出血で朦朧とする意識のなか、頬を伝う涙がすぐに乾いていくのを寂しく感じながら、腰に下げていた短銃を構える。懸命に目を見開き、王女が示した壁の一画に銃口を向けた。
 パンという銃声が響いて、革命は一つの段階を終えた。このとき、王宮とともに『星』が『おちた』と言われているが、それがどの『星』で、どう『おちた』のかを正確に語る者はいない。


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