index  掲示板
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック





E-06  レディ・ホログラムの歌声は

 一昨日から降り続く雨の音に慣れた耳へ、久しく聞いていないドアベルの繊細な音が滑り込んだ。
 こんな雨の日に、街外れの寂れた古道具屋へ来客とは珍しい。私は読んでいた古典のミステリから顔を上げて店の入り口を見やった。客はくたびれたコートの端から雨の雫を落としていて、ドアを閉める間にも滴り落ちた雫が床に水溜りをつくる。
 まだ微かに響いているベルの余韻の中、ゆっくりとカウンターまでやってきた客に私は声をかけた。
「いらっしゃい。探しものかね」
 言いながらついでに小さくしていたランプの明かりを大きくしてやると相手の顔がぼんやりと浮かび上がる。見たところ二十代後半くらいの、若い男だった。歓楽街付近の骨董店ならまだしも、こんなしがない老人の店では来客自体貴重だというのに、その客が若者とは、珍しいことは重なるものなのだろうか。ただの冷やかしかとも思ったが、若者の言葉がそれを打ち消した。
「古銭は扱ってないのかい」
 ポケットに両手を突っ込んだまま店内を見回す青年はしっかりした体躯をしていて、肌も浅黒く日に焼けている。風体からして土地のものではないようだが、観光都市と名高いこの街へ遊びにきた観光客という風でもなさそうだ。
「ないねぇ。前は沢山あったんだが。いつ頃のを探してるんだい?」
「コインならなんでもいいんだ。今じゃあもうどこ行ってもカードだろ」
「ほう。その口ぶりからすると、お前さん開拓惑星育ちかね」
「まあね」
 雨に濡れた髪を掻き上げる青年の言い方にぴんと来て、少しだけ私の頬が緩んだ。子供の駄賃ですらカード払いになって久しい現代で、旧世代の円い金属片の使い方を知っている若者など限られている。
「そうかい。今はこんな店をやっているけどね、私も昔は開拓民だったんだ」
「他の星へ流れなかったのか」
「足を傷めてね、労働はできなくなったんだ……この星もね、私らが一から耕したんだよ。店にあるもののほとんどは仲間たちが移動する時に置いていったものさ」
「ふうん。それもかい?」
 青年はカウンターの隅に乗せられた、分厚い円盤型の装置を指差した。私は目を細めて、その黒い金属の塊を引き寄せる。
「こいつは売りもんじゃないよ、うちの看板娘だ。元は酒場のシンガーだったがね」
 装置の側面に並んだ幾つかのスイッチを入れると上面からプロジェクターの大きなレンズが顔を出し、ライトグリーンの光を天井に向かって照射した。そしてその光のカーテンの中にホログラムの女が一人浮かび上がる。
 クラシカルなぴたりとした詰襟の上着と緩やかな襞が幾重にも重なった黒いドレスを身に纏い、艶やかな長い黒髪を結い上げた女は一度深くお辞儀をすると、息を吸い込んで唇を開いた。広がった袖口の先から伸びた白い手が虚空に向かって差し伸べられ、彼女は恍惚とした表情で咽喉を振るわせる。けれど、歌声は聞こえなかった。
「声が出ないな。壊れてるのかい?」
「いいや、音声データがないだけさ。彼女を貰い受けるときにデータチップだけ忘れてしまってね。銅貨とそっくりだったから前の主人は間違えて財布に入れてしまったのかもしれないな」
「へえ……なあ、そうだ、その話を買うよ」
 そう言って男はポケットからコインを一枚取り出し、カウンターにぱちりと置いた。私は思わず彼とカウンターのコインを交互に見やった。
「なんだって? この話?」
「ああ、話してくれよ。ついでにあったまらせてくれ」
 青年は手を擦り合わせて、近くにあった古い電熱ヒーターに近寄る。なんだそういうことかと私は苦笑した。
「まあいいか、そこの椅子へお座りよ」
 私が指差した古い丸椅子を引き寄せて跨ぐように腰を下ろした青年は、濡れたコートで熱を遮らないように注意しながら膝に肘を着いて前のめりになった。微かに振動しているヒーターが発する赤い光に照らされた横顔にはどことなく見覚えがあるように感じる。同じ開拓民であるという共通点がそう思わせるのだろうか。すぐにただの感傷だろうと首を振り、古い記憶を手繰り寄せることに専念した。
「どこから話したもんかな……そうだねえ、この星の開拓が始まったのは私がお前さんより少し若いくらいの歳の頃だったかな。あれからもう四十年近くも経つかねえ。テラフォーミングが終わった直後のなんにもない荒野に私たちはやってきて、本当に一から、自分の足元から始めたんだ。最初に自分たちの寝床を設えて、次に井戸、そして畑……そんな風に長いことやって、気がつくと港町がひとつ出来上がっていたよ」
 紐解いてみると今なお鮮やかな過去が目に浮かぶようだ。蘇える光景を思いのほかするすると言葉に変えて語る私に、青年は時々相づちを打ってくれる。なかなかの聞き上手だ。
「港ができればもう、その後は早いもんさ。大きな建設機械を積んだ船が引っ切り無しにやってきては、あっという間に荒野には都市ができ、空には立派なステーションが広がって……そして私はいつの間にかこんな爺さんになっていたわけさ」
「フン、茶化すなよ。昔は町ひとつ作るにも大変だったんだろう? ……ところで、彼女、名前は?」
 言われて、そういえば自分のことばかりで話の核心に触れていないことに気づき、頭を掻いた。
「そうそう、彼女についての話だったっけね。彼女の名前はマデリーンさ。流浪の子羊亭って酒場の売れっ子シンガーで、私らはさっきのお前さんと同じようにして彼女の歌を買ったもんだ」
 言って、青年の出したコインの隣を指で軽く叩いた。黒ずんだ金属の縁が、ランプの落とす光の輪と重なって鈍く光る。こんな光景が何度もあった。瞼を閉じずとも、脳裏にはまざまざと浮かび上がる。
 開拓民の男たちは日々の僅かな給料から銅貨を三枚抜き取り、酒場にやってくる。一枚で一杯の酒を、一枚で一本の煙草を、そして最後の一枚でマデリーンの歌を買うのだ。
 マデリーンの立つ装置(ステージ)に銅貨を入れると彼女は深々とお辞儀をし、恭しく両手を広げてもったいぶって歌いだす。だが歌声はホログラムの彼女の喉からではなく、装置の両側面についた小さなスピーカーから流れた。マデリーンは歌に会わせて唇を動かすだけ。
 彼女の歌は古い歌をチップにコピーしたものだったが、それでも彼女はうっとりと目を細めて、男たちの為に歌を歌う。伸ばした腕で、歌を乞う男たちをあやすように哀れむように、愛しむように抱きしめる。
 一曲が終われば男たちはまた銅貨を落とし、次の曲をねだる。酒場から彼女の声が途絶えることはなかった。
「開拓が終わると、雇い主からは莫大な報奨金が支払われたよ。その金で私はこの店を持って、次の惑星へ流れていく仲間たちを見送ったんだ。歳をとっていたし、労働ができないんじゃあついて行っても邪魔者だからね」
「そんなことないだろ。年寄りは労働より経験と知恵を期待されるんだから。こんな都会じゃともかく、開拓惑星ならなおさらだ」
「嬉しいこと言ってくれるね。でもま、いいんだよ。私はこうしてマデリーンと二人、余生を楽しんでいるんだから」
 肩を竦める青年に笑いかけ、一曲歌い終わったマデリーンに次の歌を促すボタンを押した。連動するデータがないせいで、いくら曲のリクエストを入力しても彼女はいつも同じ動作を繰り返すばかり。慈愛と哀愁の滲む瞳でどこか遠くを見つめて、チップの中に刻印された歌声をひたすらに恋しがる。そんな風に見えてしまうのは、私の中にも少なからず似たような感情があるからなのかもしれない。
 青年にはああ言ったものの、正直を言えば寂しく思う夜もある。仲間たちと原生の星を渡る旅は苦しくとも、それはそれは愉快なものだった。遠い空に輝く星を見上げては、今どこにいるのだろうと思いを馳せ、傷めた足を擦る。叶うことなら、今からでも追いかけて未開の地の太陽の下でまた一緒に苦楽を共にしたいと思い、しかしそれも他愛もない年寄りの懐古だなと独り虚しく笑うのだ。
「酒場の主人がこの星を離れる時、どうしてもと頼み込んでマデリーンを譲ってもらったんだ。あいつは報奨金で新しいシンガーを買っていたからね。最新式のエキシヴィジョン、ホログラムのようにノイズの走らない、夢見る瞳のクリアな歌姫だって言っていたな」
 物思いに黙り込んでしまったことに気づいて、私は咄嗟に話を変えた。青年が思いのほか真面目に話を聞いてくれていたからだ。聞くともなしにといった風を装ってはいたが、こちらにじっと耳を傾けていてくれるのが気配で判る。そのせいか私はなぜかひどく懐かしい気分になった。そう、まるでマデリーンが歌っていた頃の酒場で、主人を話相手に疲れた体へと酒を染み渡らせていた、あの時のような。
「そうしてマデリーンを貰い受けたんだけど、あいつも私もチップが装置に入っていないことに気づいていなかった」
「入れっぱなしじゃなかったのか」
「そうだったんだろう……ああ、もしかしたらスイッチを切っている間に店主の息子が抜いてしまったのかもしれない。あの小さな子はきらきら光るものが好きだったから」
 酒場の主人の遅くにできた息子がいつも綺麗なぼたんや古びた眼鏡のレンズを大事そうに持っていた姿を思い出す。父親がマデリーンのステージから彼女の稼ぎを取り出すときはいつも側にいて、比較的綺麗な銅貨や彼女の鈍く光るデータチップに手を伸ばそうとしていたのを憶えている。それも話すと、青年は口の端を歪めて笑った。
「……それはそうとして、新しいチップを買わなかったのかい。旧式とはいえ手に入らなくはないだろう?」
「うん、私もね、何度も買おうと思ったんだよ。だけどどうしてかな、その度になんだか残念な気がしてね。新しいチップを入れたら、それはもうマデリーンじゃないような気がしてしまって、いまいち買う気にならなかったんだ。まるで初恋の思い出を大事にとっておいている気分だよ」
 そう言うと青年がなんともいえない呆れ顔を浮かべるのが大層おかしかった。私も苦笑いで同意を示した。
「こんな爺さんにもなっておかしいなあと思うんだけど、こればかりはなんだかね」
「まあ、平和な趣味だと思うよ」
「ありがとう」
 それからお互いに笑い合ったあと、青年はほとんど乾いた髪を掻き上げて立ち上がった。雨の音はまだ聞こえていたが、彼はもう行くようだ。
「さあて、そろそろ行こうかな」
「あったまったかい? 外はまだ雨のようだから気をつけてお行きよ」
「ああ、ありがとさん。あとそれ、今の話の代金……と、ヒーター代な」
 まだ濡れているコートの襟を直しながら、青年は顎先でカウンターのコインを指した。そして私がえっとなっているのを差し置いて、さっさとドアの方へ歩いて行ってしまう。私は慌ててコインを拾うと、青年の後を追おうと立ち上がった。その拍子に椅子の足が電熱ヒーターのコードに引っかかって倒れる。
「大丈夫かい? 見送りはいいから座ってなよ」
ドアノブに手をかけた青年が笑う。私は倒れた椅子を避け、カウンターを回り込みながらコインを持った手を彼の方に突き出して振った。
「いやいや、とんでもない、受け取れないよ。こんな昔話に御代なんて」
「いいんだよ、今の話にぴったりの代金なんだからさ。大事にしてくれよ。それじゃあ爺さん、元気でな」
 開いたドアの隙間から外灯の冷たい灯りが差し込んで、青年の横顔を一瞬照らす。先ほど見覚えを感じた、だが覚えのあるそれより幾らか若く精悍な顔つきに、頭の中で閃きのようなものが過ぎった。
 呆けていたのは一瞬のことだったようで、ドアの閉まる音で私は我に返った。思わず辺りを見回したが何があるわけでもなく、仕方なくカウンターのランプの灯りの輪の中へ覚束ない足取りで戻る。青年が去った店内はひっそりと静まり、ひどく寂しいもののように見えて、私はついため息をついた。
 思えば昔の話を誰かに語って聞かせたのは初めてのことだ。聞きたいという人間がいなかったというのもあるが、聞かせる相手がいなかったというのもある。我ながら寂しい老後じゃないかと、歌い続けているマデリーンに頷きかけ、そこで手の中のコインを思い出した。折角だからこれは今日の記念に取っておこうかと思いかけて、ふと違和感に気づく。
 手のひらのコインは通貨として発行されているものと大きさは良く似ているが、表面に刻まれた模様が違っている。いや、模様だと思っていたものは、記録媒体であることを示す刻印だ。
 私は倒れた椅子を戻して腰を下ろすとランプに手を近づけてコインだと思っていたものを観察しようとして、その前に気がついた。すっかり黒ずんではいたものの、確かに見覚えがある。これは紛れもなくマデリーンのデータチップだ。
 ああ、と知らずの内に声がもれた。
「まさか、あの小さな子が……ああ、親父によく似て……」
 青年の横顔に感じた見覚えや仕草に思い出した懐かしさは、確かに記憶を揺さぶって現れたものだったのだ。喜びなのか思慕なのか判然としない感情に圧迫され、何故だか目の奥が熱くなる。
 やがて私は鼻をすすって息を吐き出すと、持ったままだったデータチップをマデリーンのステージに落とし込んだ。それから次の歌を促すボタンを押す。すると彼女はいつものお辞儀をし、唇を開く。長いこと微動だにしなかったスピーカーが身震いし、微かな雑音の混じった低くも甘い女の歌声を紡ぎ出した。彼女が選んだのは望郷を思う若者の歌だった。
 久しぶりに聴くマデリーンの歌声は記憶の中と寸分も違わず、少しの色褪せもない。私は満足し、瞼を閉じた。
 今歌う彼女は腕を伸ばすのではなく、両手を胸に重ねていた。物悲しげな微笑みを浮かべてはいたが、どこか幸せそうな眼差しをして。
 待ち焦がれていたものが今ようやくここに戻ってきたとでもいうように、いつまでもいつまでも歌い続けていた。


E-06  レディ・ホログラムの歌声は
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック
index  掲示板




inserted by FC2 system