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E-07 夜になったら会いに行こう
高一の冬のことだった。
終わりのHRを終えた生徒達は友人と楽しく喋りながら教室を去っていく。
「ねえ、日高君! 」
「あ? ……何だよ太田」
俺はクラス委員の太田を軽く睨む。中学から腐れ縁の太田は俺の睨みをものともせず歩み寄ってきた。
「今日の和美ちゃんのお見舞い、一緒に来て欲しいんだけど」
「和美? ……ああ、大沢か。何で俺が」
大沢と言えば、確か太田と仲がよくて、今病気で入院してるらしかった。太田が見舞いに行くのは分かるが、同じクラスになって一年が経とうとしているのに数えるほどしか話したことがない俺が、見舞いに行かなくては行けないのか。
「何で、って。決まってるでしょ。荷物運び」
「……俺がそれを快く引き受けるとでも? 」
冗談じゃない。が、太田は口元に笑みを浮かべながら、卑怯な手に出てきた。
「ええ。だって、先生の言いつけだもの」
「……太田……汚ねえぞ……」
「男なんだから、か弱い女の子の手助けぐらい当然でしょ? はい、これ持って」
太田の指し示す所には、プリントやら教科書やらがたんまり入った紙袋2つが、偉そうに居座っていた。
「和美ちゃん、お見舞いに来たよー」
「あ、優子ちゃん……え、日高君? 」
「……よっす」
「ああ、日高はね、荷物持ちで来たの。ほら、この間言ってた、プリントの山をね」
太田が得意げに言うと、大沢の顔が少し引きつった。
「え、荷物持ちで? ご、ごめんね日高君、……ありがとう」
「いや、悪いのは太田だし、大沢は、早く良くなれよ」
「……ありがとう……」
何よ! 男を使って何が悪いの! と日高を小突く太田を尻目に、大沢は日高に向かって微笑んだ。
その微笑みは、入院しているとは思えない、生気の宿った人間の微笑みだった。
今日は大沢の2回目の見舞いだ。この間のようにまた荷物持ちが理由だ。しかし隣に太田はいない。今日は「習字」で来られないらしい。何故言い出しっぺのお前が来ないんだ、と頼まれたときに詰め寄ったが、先生厳しいから、とさらりとかわされた。少し悔しい。
そう言うわけで、俺は今一人で病院に向かっている。
がらり、と扉を開けると、大沢は一人で英語の教科書と格闘していた。ご苦労な事だ。
「一人でお勉強か」
「えっ、……ひ、日高君」
「この間渡し忘れた教科書渡しに来た。でもこれで最後だ」
俺は早口で言い終わると、さっさと帰る支度をし始める。普段話さない女子と病室で二人きりという雰囲気ほど気まずいものもなかったからだ。大沢はそんな俺の様子を見てか、気まずそうにおずおずと喋り出す。
「その、……二回も来てくれて、ありがとう……」
「先生に言いつけられたからな」
俺は支度をしながら答える。
「その、……今日、優子ちゃんは……? 」
「お習字、だそうだ」
「ああ、……そっか、今日もう水曜日か……昨日の美術楽しみだったのにな……」
俺はその言葉に少し引きつけられた。二週間ほど前から入院している大沢にとっては、早く学校に復帰したいだろう。少し同情の念が湧く。
「……自習だった」
「え? 」
「昨日は美術の先生が休みで自習だったから、数学二時間やらされた」
「嘘……行かなくてよかったかも」
大沢がくすりと笑いを零す。
「……その代わり来週は火曜と水曜に美術二時間ずつやるから」
……その時までに退院しろよ。
と、までは言わなかったが、大沢にはちゃんと全部分かったようで、ありがとう、と一言感謝された。
その顔には、先日よりは少し元気のない、だがちゃんと力のある笑顔が浮かんでいた。
大沢の容態が悪くなったらしい。
と、俺は太田から聞いた。この間の見舞いから結構な時間が経った。あの美術の振り替えの時間も、そういえば大沢は欠席だった。もう荷物持ちを頼まれることもなかったので、自然と見舞いをしていなかったが、二回も見舞いに行った俺としては、大沢の病状というのは少し
気になっていた所だった。それが太田に聞けば悪くなったというので、はあそうですかと終わらせるわけにもいかなくなり、今病院への道を再び辿っている。今日は水曜日。太田はいつものお習字でいない。
「失礼します……」
こうしたところで何の意味もないのだが、静かに引きドアを開ける。大沢はこの間と同じようにベッドに寝ていた。
しかし、大沢の近くによるにつれてこの間より容態が悪いことが分かってくる。顔は青白さが増し、酷く怠そうだった。
「おい、大沢」
「えっ、……日高君? お久しぶり……元気だった? 」
病人に健康を聞かれるとは少し複雑な気持ちになる。こちらに顔を向けた大沢は、やはり元気がない。
「おう。……容態が悪くなった、って太田から聞いて」
「ああ、……優子ちゃんは、心配性だから……」
と、大沢は力無く微笑んだが、決して太田が心配性だからというだけでこの問題は解決できるはずがなかった。
「でもお前、この間より顔色悪いぞ」
「本当に? ……優子ちゃんの言うこともあながち嘘じゃあないのかな」
「そんなに太田が信用できないのか? 」
「いや、そういうわけじゃないよ。優子ちゃんは、とても優しいから、私が少し怪我したぐらいでもすぐ心配するの、……だから」
「そうか。……じゃあ俺はこれで」
「……もう帰っちゃうの?」
大沢の瞳が揺れた。
確かに帰るには少し早すぎる気がするが、他に大沢と話す話題がないのも事実だった。見舞い品やらを持ってくれば良かったのだが、生憎ここに来る前の俺はそこまで気を利かすことが出来なかったのだから仕方がない。
「ああ。元々来る理由もなかったし。……じゃあな」
「うん、……あの、来てくれてありがとう。あたし、すごい嬉しかった」
「そうか」
……そうだ、いっそのこと、あのことを今言ってしまっても。
「あのさ大沢、」
「なに? 」
「俺、……引っ越すんだ」
「あ……、そ、そうなの、じゃあ忙しいんだね、本当に、来てくれてありがとう」
「おう。じゃあな」
「じゃ、じゃあ……あ、ね、日高君、ちょっと待って! 」
「? 大沢……どうした?」
「あのさ、……日高君は、死んだら何になりたい? 」
「えっ……? 」
突然の質問に俺は参ってしまった。しかも病人から「死」という言葉が出てきた時点で縁起が悪い。俺は焦りながらしどろもどろした。
「お前、そんな、死んだらだなんて……考えるなよ、マイナス思考は良くない、今は退院することだけを」
「そうだけど、別にそんな深刻に考えないで……、日高君は何になりたい? 」
ここまで押されるともう後には引けない。俺は少しの間考えた。
「俺は……生まれ変わらないで静かに眠っていたい」
その答えを聞くと、大沢は拍子抜けしたのか暫く返事をしなかったが、やがて「あはは、日高君らしいかも。ありがとう」と、今日初めて俺に笑顔を見せた。
大沢に先ほど言ったことは本当だ。俺は県外へ引越することになった。父親の仕事の関係だ。国外につれていかれなかったことだけが幸いだ、と思う。ここでの友達と離れるのと、この高校を卒業できないことが心残りだが、そんなことを今更言っても何も変わらなかった。
そして、俺が県外へ引越をしてから、まもなく一年が経とうとしている。
「日高ー! 明日は8時にグラウンドだぜー! 遅刻すんなよー! 」
「おーう! お前こそなー! 遅刻したらなんか奢れよー! 」
「じゃあなー! 」
一年も経てば友達も自然と出来る。そして俺はあっちに住んでいたときと大して変わらない、充実した日々を送っていた。
「ただいまー」
「ああ、お帰り洋介。太田さんから手紙来てたわよ」
「……太田から? 」
暫くその名前を聞いていなかったから懐かしい。というか、何故太田から手紙が来たのだろうか。部屋に返って、白い封筒を開けてみると、そこには一枚の便せんと、一つの封筒が入っていた。その封筒の差出人は、……大沢 和美。何故大沢から手紙がこんな形で来たのか
、俺には全く分からなかった。仕方がないので、まずは便せんから読んでみることにする。その内容は、あまりにも衝撃的だった。
「……嘘、だろ」
……大沢 和美が、……死んだ。
《日高君へ
突然手紙を送ってごめんなさい。でも日高君には知っておいて欲しかったので書きました。
先週の水曜日、和美ちゃんが死にました。
理由は私たちにもまだ知らされていません。でも事故じゃなくて、一年前からの入院生活もその病気のせいだってことはわかっています。
あの時は日高君もまだこっちにいて、荷物持ちとか手伝って貰ったよね。ありがとう。
お葬式は金曜日に行われました。日高君にも教えてあげられれば良かったんだけど、ごめんなさい、私、和美が死んだってよく実感できなくて、電話できませんでした。本当にごめんね。
どうか和美の事忘れないであげてください。
太田 優子
PS:和美の病室から日高君宛の手紙があったから同封しました。中身は読んでないから分からないけど、大体察しはつきます。……お願いします。和美を忘れないであげてください。》
便せんの所々に涙の跡がわかる。恐らく太田のものだろう。
俺はもう一つの封筒、……つまり大沢からの手紙を手に取った。ゆっくりと慎重に、その封を切る。
《日高君へ
この手紙を日高君が読んでいる頃には、もう私はいないでしょう。
多分優子ちゃんが伝えてくれたはずです。今回の優子ちゃんの心配性は現実のものだったけど、今更わかっても仕方がありません。
日高君が引越して一年、私はずっとあの病室で過ごしました。日高君が一人で来てくれたあの日を私は忘れませんでした。とても嬉しかった。あまり話したことがない私の所に、お見舞いに来てくれるなんて思ってもいませんでした。
もう日高君に直接言えることはないでしょうから、この手紙で伝えます。日高君に、前から伝えたかったことがあります。
私、日高君が好きでした。
もう言うことはありません。私はあの日を忘れません。大切なあの日を。
そうだ。まだ言うことがありました。あの日、最後に変なこと聞いてごめんなさい。日高君は眠っていたいと言いました。私はその時は軽く考えていましたが、一年がたつ間に、真面目に考えるようになりました。
日高君がいうように、私も静かに眠るのも良いと思います。
でも私は、死んだら星になりたいです。
夜になったら、私はどの星よりも輝いて、旅人の道しるべになることができます。夜の間中、みんなのことを見守ることができます。こんなに良いことは他にないと思います。
そして、昼の間は、静かに眠っていたいです。
ここまで読んでくれてありがとうございました。私を忘れないで、なんて、我が侭なことは言いません。あの日来てくれて、本当にありがとうございました。私はそれだけで十分です。引越先でも身体に気を付けてください。
大沢 和美》
俺はきっと、彼女のことを忘れないだろう。
そして俺は、今日の夜、きっと星空を見上げるだろう……。
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