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E-09  星の音見つけて

 6時限目の授業が終わって、みんなが自分の楽器を持って音楽室に集まってきた。バスチューバは、いつ見てもすごく重そう。ティンパニなんて大きな太鼓を3つも運ばなきゃいけないからたいへんだ。
 わたしはカウベルだから楽ちん。台形で手のひらサイズの銀色の鐘と小太鼓用のバチ1本だけだし。
「みこっち、ヤッホ〜」
 はるちゃんがツインテールを揺らしながら、スタンド付きの小太鼓を抱えてやってきた。はるちゃんの位置はわたしの隣。クラスもおうちもお隣さんだ。
「ちょっと怖い話聞いちゃったよ〜」
「えー、どんなどんな?」
 耳たぶで手のひらを広げて聞き耳のポーズ。小太鼓の皮を調節するネジをしめたりゆるめたりしてた手を止めて、はるちゃんが耳もとに顔を突きだしてきた。
「ほら、六連覇したときの顧問さぁ」
 息ばっかりのひそひそ声がくすぐったい。
「練習の後に心臓の発作起こして、ここで死んじゃったんだって〜」
「え? そうなの?」
「怖くない? チョー怖くな〜い?」
 ツインテールをふりふりするはるちゃんに、わたしはショートボブを横にふりふりした。
「ヤな感じだけど……、怖くはない、かな」
「えー? だって、幽霊出るかもしれないじゃん? 地縛霊っていうの? 怖いって〜」
「幽霊、信じられないからなぁ。見えないんだもん」
「見えないから怖いんじゃん〜」
 見えないってことは、いないってことだと思うんだけどなぁ。
「見たことない幽霊より、毎日見なきゃいけないホソマキの方が100倍怖いよ……」
 メンバーのみんなは半円形に並べられたいすに座って、楽譜を確認したり楽器のチューニングをしたりしている。ちらっと指揮台を見た。ホソマキはまだ来ていない。急にお腹こわして練習中止、とかなればいいのに。
「みこっちは〜、いつも緊張しすぎなんだよ。リラ〜ックスすれば、すぐできるよ。あ、ホソマキ、今日の音楽はゴキゲンだったよ〜」
 そっか。隣のクラス、歌もたて笛も上手にできたんだね。ホソマキは上手にできる子には優しいから。はるちゃんもしゃべるのはゆっくりだけど、小太鼓打つのはものすごく速いから、ホソマキのお気に入りだもんね。
「てか、ホソマキ、そいつにとりつかれてんじゃないの〜? だからギャーギャー優勝優勝って、あんなにヒステリーなのよ」
 幽霊のせいじゃないと思う。ホソマキが4年ぐらい前にこの学校に来てから一度も全国優勝できなくて、六連覇の先生とよく比べられちゃうからヒステリーなんだと思う。
 「あの口に魔よけのお札貼ってやりたい〜」と、はるちゃんが続けたところで、チューニングの音が止まった。みんな背筋を伸ばす。ホソマキが入ってきたからだ。
 ホソダ・マキコ。略してホソマキ。黒いパンツスーツがはちきれそうなぐらい太ってるけど、ホソマキ。ヘンデルみたいなチリチリロングヘアにベートーベンみたいなしかめっつら。うわぁ、すっごくきげん悪そうだよ。ゴツゴツ鳴るヒールから床にひびが入りそう。
 コルネットのパートリーダーから号令がかかる。練習のはじまりのあいさつが終わると、ホソマキはすぐにタクトを振り上げた。
「『ヘイヴン』、とりあえず通すよ」
 全員の目がタクトに集中した。今年最後のコンクールを1週間後にひかえた放課後の音楽室は、すぐに35人の気合で熱くなった。
 ホルンが主人公の暗い主旋律に、はるちゃんの小太鼓がクレッシェンドをかけながら迫ってくる。コルネットやトロンボーンも重なり、流れるようなメロディーから大太鼓が加わって刻むリズムに変わる。
 もうすぐわたしの出番……! バチを強くにぎりしめた。秋なのに汗びっしょりだ。カウベルを乗せる手のひらからサビっぽい臭いが漂ってくる。
 低音の2連符と高音の3連符が、ボリュームと音階を少しずつ上げながら変わりばんこに3回くり返される。心臓の音もどんどん強くなっていく。緊張する。管楽器全員と大太鼓が「ダンダン」とフォルテで2回。
 4分休符の沈黙。
 その後、私もいっしょに「ドン」とフォルテシモの4分音符。そしてクライマックスへなだれこむ……はずだったけど……。
「やめー! やめやめー!」
 顔をまっ赤にしてホソマキは大きく両腕を振った。ばらばらと音がちぎれるように止んでいく。うん……、そりゃそうだよね……。
「カウベルー!!」
 顔よりも赤いくちびるをさけるほど大きく開けて、楽器名でわたしを呼んだ。
「いっつもいっつも何やってんの! ダンダン、カン、ドン! でしょ!」
「……すみません」
 力いっぱい叩いたカウベルを持つ左手もバチを持つ右手もしびれてる。だけど、あごや足の方がたくさんふるえていた。わたし、またできなかった。また怒られた。
「管楽器のみんなはメロディー覚えて5分間吹き続けてんのよ? 小太鼓だって速い連符ばっかりなのをちゃんとやってるの! あんたは『カン』って一発叩くだけなのよ!?」
 みんながどんなにたいへんなことをできてるのか、わたしがどんなに楽ちんなことをできてないのか、ホソマキはいつも大きな声で言いふらす。管楽器のみんながつば抜きをしながら、ちらちらと振り返ってわたしを見ていた。舌打ちしたりくすくす笑ったりして、また正面を向くんだ。
「もういい! あんたみたいのがいたら優勝できない! もう帰りなさい!」
「……え、ぇ……?」
 声をもらしたのはわたしだけじゃなかった。みんなもとまどった顔でわたしとホソマキを見比べている。カミナリはいつものことだけど、今までに「帰れ」なんて言われたことなかったから。
「次はできます。できますから……」
「できてない! そう言っていつもできてない! ちゃんとできたためしが一度もない!」
 「ない」と言うたび、タクトの先っちょを突き出す。何メートルも離れてるのに、目の前で突かれてるみたいで怖い。
「できないんでしょ!」
 はっきり決めつけられてしまうと、本当にできないような気がした。声が出ない。何も言い返せない。
「帰れ!」
 ホソマキはタクトで楽譜立てを思いっきりなぐりつけた。折れなかったのがふしぎなくらい、バチンと大きな音がした。よたよたとあとずさり、わたしは指揮台を囲むバンドの半円からはずれた。
「みこっちぃ……」
 はるちゃんの泣きそうな声が聞こえたけど、無視することしかできない。顔見たら、泣いちゃいそうなんだもん。後ろの楽器棚にカウベルとバチを片付けると、ランドセルを持って音楽室を出た。
 でもやっぱり戻りたくて、ドアに手を伸ばした。けれど、すぐに合奏が始まってしまって、引っこめた。
 金管バンドに入って2年間、へたくそなりにがんばってきたけど、わたし、もうここにいちゃいけないんだ……。最後のコンクール出れないんだ……。
 胸がしめつけられて、涙と鼻水があふれだした。壁の向こう側から飛び出すフォルテは、わたしを追いはらおうとしてるみたいだった。
 横の音楽準備室の壁には「町村小学校金管バンド全国優勝六連覇の歴史」と書かれた大きなパネルがかけられていた。いろんな説明文の横に、今はもう大人になってる卒業生とスーツ姿の男の先生の集合写真が6枚貼ってある。古い写真なのに、トロフィーや楽器がぴかぴか輝いている。なるべく見ないようにして、横を通りすぎた。
 今年は優勝できるのかなぁ? わたしがいなくなったら、優勝できるのかなぁ?
 何度もしゃくりあげ、制服のそでで鼻水をぬぐいながら、わたしはうす暗くて寒い廊下を歩き続けた。
 


 さっきから同じパートが何度もくりかえされている。風といっしょに吹き上がってくるメロディーは頭の上でぷっつりとぎれて、星をかくす雲にまでは届かない。
 屋上のくすんだ白い柵の前にしゃがんで、すき間からのぞきこむ。右ななめ下で光る窓がぽっかり浮かんでいた。タクトといっしょに振り回されてるチリチリ頭が見える。ホソマキが大きく腕を振ると、音がやんだ。まっ赤な顔でホルンに何かさけんでいる。
「へくちっ!」
 冷たい風が吹いて、くしゃみが出た。このままじゃカゼひいちゃう。
 でも、まだおうちには帰りたくない。泣いたのばれたらお母さんに何があったのか問いつめられるし、はるちゃんといっしょに帰ってないのばれたらやっぱり問いつめられるし。練習から追い出されたなんて言いたくない。ただでさえ「はるちゃんは上手なのに、おまえは……」ってバカにされてるのに。ここで時間つぶして、練習終わったら、はるちゃんといっしょに帰るんだ。
 演奏が再開された。ホルンの2連符とコルネットの3連符が交互に3回くり返される。管楽器全員と大太鼓のフォルテが2回。4分休符の後、ドンと大きな4分音符。
「一音たりないなぁ」
 後ろからの声の正体は、青いジャージを着た30代後半ぐらいの細いおじさんだった。右に七三分けの前髪がなびいている。その髪型にジャージは合わないなぁ。それにしてもどっかで見たことがあるような、ないような……。他の学年の先生かな?
「ダンダンとドンの間に、カウベルのカンが入るよね? みこっちがやるんじゃないの?」
 わたしの楽器もあだなも知ってるってことは、やっぱりうちの学校の先生だよね。夜の7時に屋上にしのびこんでる6年生を注意しなくてもいいのかなぁ。ま、いいかぁ。
「明日からちがう子がやると思う。わたし、ダメな子なんだもん。1回叩くだけなのに、何回やってもできないの」
 はるちゃんに誘われてバンドに入ったけど、わたしだけオンチで失敗ばっかり。だから今回の曲『ヘイヴン』では、5分の演奏時間の中で出番が1回こっきりのカウベルしかやらせてもらえなかった。
「タイミングがずれて怒られて、音が小さいって怒られて。すごく緊張して怖くてしかたなくなって、またまちがえて怒られて」
 その1回こっきりすら、まともにできないんだもん。みんなに迷惑かけちゃうんだもん。
「……絶対できないんだもん……」
 ふう、と後ろで大きなため息が聞こえた。
「自分で自分をがんじがらめにしちゃってるなぁ。『絶対できない』なんて言ってるからできないんだ。『できる』って信じなきゃ」
 はるちゃんにも似たようなこと言われたけど、でも、できないんだもん……。もう一度、音楽室を見下ろした。窓がとてもまぶしい。目が痛い。胸も痛いよ。
「大丈夫。みこっちはダメな子なんかじゃないぞ。ちょっとオンチで、ちょっとのみこみが悪くて、ちょっとあがり症で、ちょっと気が弱いだけだ」
 なぐさめてくれてるつもりなんだろうけど、「ちょっと」がいっぱいありすぎるよね……。ちりも積もれば山となるよね……。それってぜんぜんダメってことだよね……。
 カン、とさわやかな金属音が響いた。それは、4分休符の間にわたしが出さなきゃいけない音。弾かれたように振り返った。
「なぁ、みこっち。先生なら、本当にダメな子にはこの曲のカウベルは任せないぞ」
 先生の手にはわたしがいつも使っているカウベルと小太鼓のバチがにぎられていた。え? え? さっき持ってたっけ?
 「星の音」とつぶやいて、先生はもう一度軽くカウベルを叩いた。星の音? よくわからないけど、たしかに星が跳ねたような、硬くてくっきりしとした音だった。わたしが叩くと、くぐもった変な音にしかならないのに。
「みこっちに問題。『ヘイヴン』はどんな曲で、カウベルは何を表してるのかな?」
「え? 天国で神様と悪魔が戦ってる曲?」
「天国はヘヴンだよ。これはヘイヴン。ぜんぜん違う意味の言葉だよ。古い英語で『港』って意味なんだけど、教えてもらってない?」
 教えてもらってない、とうなずいた。ホソマキが教えてくれるのは、おたまじゃくしを正しく読んで上手に演奏する方法だけ。
「ホソダ先生はいつも音ばかり見て曲を見ないんだよな。そこが足りないんだよなぁ」
 この先生、話の間にわけのわからないひとりごとを言うのがクセみたい。
「いいか、みこっち。これは航海の曲なんだ。帆船が大海原にこぎ出して次の港をめざす曲」
 船が、航海……? そう言われてみれば、天国より海の方が曲にぴったり。というよりも「うまく叩かなきゃ」ってそればっかり考えてて、どんな曲かなんてイメージしたことなかったかも。
「カウベルの出番は1回しかないけど、そのとき他はだれも音を出さない。ソロの中のソロ、みこっちのドソロなんだ。こんなパート、他にないぞ」
 うん。だから、失敗がめだって怒られるの。
「この曲でひとつの音、ひとつのリズムしか出さないのもカウベルだけだ。これは長い航海の中にあって、変わらないものを表してる」
「それ、何? 波でも風でもないよね?」
 先生はほほえむだけで答えてくれなかった。そのかわり、わたしに差し出した。おずおずと受け取る。台形で手のひらサイズの銀色の鐘と、傷だらけの木の棒を。
「通し練習が始まる。さぁ、音楽室を見て」
 窓の中でホソマキがタクトを振った。『ヘイヴン』の出だしのフォルテだ。すると、いきなり目の前に真っ青な海が広がった。
 なに? どうして? 曲が、見える……。

 コルネットのファンファーレに祝福されて、白い帆をかけた大きな船が出航した。入道雲が浮かぶ青い空の下、コバルトブルーの波をきって沖へ進む。さざ波が船の底をノックするウッドブロックの音がここちいい。
 やがて日が暮れて木琴が夜を運んできた。バスチューバといっしょに厚い雲が押しよせてきて、まっ暗やみに。とどろくティンパニ、船に体当たりしてくだける高波のシンバル。
 トロンボーンの音が不安定に伸び縮みする。羅針盤が壊れた!? 針がぐるぐる回ってる!
 ここはどこ? 甲板でホルンが困っている。このままじゃ遭難してみんな死んじゃう!
 空……、そうだ、空を見れば!
 見上げたけど、雲しかない。でも、だんだん薄くなってちぎれてきた。小太鼓の連打はみんなの鼓動。雲の切れ間から星がのぞく。ああ、でも、ちがう。あれじゃない……!
 ホルンの2連符とコルネットの3連符はみんなの焦り。もうすぐ。もうすぐ見えるはずなのに! 見つけなきゃ! どこなの!?
「信じて。見つけられるよ、みこっちになら」
 低いささやきが胸の奥にしみこんできて、そして管楽器と大太鼓の二度のフォルテの向こうに、わたしはそれを見つけた。
 右腕を振り上げる。ただひとつの音が、わたしの手の中から夜空に響きわたる。

 ――北極星!

 みんなも見つけた。理科で習った、動かないただひとつの星。目印の星。
 アレグロ。アレグラメンテ。あとは突き進むだけ。風にあおられても、波になぶられても、羅針盤が壊れても、めざす場所へ向かっていさましく。
 気がついたら朝日が上っていて、グロッケンシュピールが海を金色に光らせていた。遠くに黒い影が見える。大太鼓のリズムに合わせてどんどん大きくなっていく。島だ。目的地の港だ。お迎えのファンファーレが海風に乗って流れてくる。船の上ではみんながステップを踏みながら大合唱だ。

 そして、大喜びのフォルティッシモで音の航海は終わった。
 頭の芯でまだ余韻が鳴り響いている。両手も痛いほどしびれていた。すごい。こんな音初めて出た。
「先生! ちゃんとできたよ! 先生のおかげ――」
 お礼を言おうと振り返ったけど、そこに先生はいなかった。
 ただ、小さな青白い光が浮かんでいる。やがてそれはふわりと舞い上がると、いつの間にか雲が消えた夜空へ溶けていった。
「……先生……?」
 空いっぱいの星をぼうぜんと眺めていると、ふと、だれかに呼ばれたような気がした。
「みこっち〜!」
 気のせいじゃなかった。はるちゃんだ。はるちゃんだけじゃない。光る窓にみんなが押し寄せている。見たこともないような笑顔でホソマキが手まねきしている。うなずいて、入口に向かって地面を蹴った。
 ホソマキが呼んでる! 戻っていいんだ。わたし、音楽室に戻っていいんだ!
 階段をかけ下りて音楽室へ走った。ゴム底の内ばきズックがキュッキュと鳴る。さっきとぼとぼ歩いた廊下が短く感じる。音楽室までもう少し。
 もう少し、のところで急ブレーキをかけた。かかっちゃったんだ。何かが気になって。
 気になる何かは、視界のすみにひっかかっていた。おそるおそる、正面から向き直る。音楽準備室の壁のパネルに。
 6枚の集合写真に写るバンドメンバーは年ごとに変わってるけど、一番前の真ん中に座っている男の先生の顔は全部同じだった。集合写真だから小さくて、あんまり細かいところまではよくわからないけど、だけど、同じだった。少なくとも右側に七三分けの髪型は。
 急に手と足がぶるぶるふるえ始めた。体じゅうが熱い。バチを持ったまま、ふるえる右のひとさし指で前髪をなぞった。この髪型、ジャージよりもスーツの方が似合ってる。
「……ありがとうございました!」
 さっき伝えそこねたお礼をちゃんと言って、頭を下げた。今度はうれしくてたまらなくなって、また泣きそうになったけど、必死にがまんした。今からみんなと練習なんだもん。泣き顔なんて見せられないよね。
 もう一度おじぎして、わたしはパネルの前から走りだした。そのまま、メロディーがあふれる音楽室のドアノブに飛びついた。
 はっきり言って、ホソマキも失敗もまだ怖いけど、でも、がんばる。わたしはオンチで、のみこみ悪くて、あがり症で、気が弱い子だけど、やろうと思えばできる子なんだ。わたしの中にだって光る星はあるんだ。そう信じることにした。
 もちろん、幽霊も信じることにした。


(参考曲『HAVENDANCE』David R. Holsinger)


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