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F-03  モトラタトラット (ハナモゲトラッタッタ語で「目が覚めたなら」とい う意味)

 目が覚めたなら。
 目が覚めたなら、
 モトラタトラット(訳:目が覚めたなら)


 そこは、異世界だった。


 木陰に隠れて立ち尽くす俺の前にたくさんの人間が通り過ぎていく。
 どすんどすん、と人が行きかうたびに地面がもうムリ勘弁してと悲鳴をあげている。
 ふしゅーっと人は言葉ではなく蒸気を吐き出す。
 ぐにょむにょとありあまって垂れ下がる乳やら尻やらほっぺの肉の隙間から汗がじわじわじわじわじわと湧き上がっている。
 それが蒸発して辺りに白い霧のように立ち込める。汗の蒸気が蒸気が蒸気が蒸気がもわもわもわっと寄せてきて、いや、そりゃこれはネタになるだろうけど。凄いけど、ちょっと行き過ぎようわー生温かいよおと思う俺の顔にかかる。
 目が覚めたならば、俺は力士の世界にいた。


 部屋を飛び出し廊下を駆け抜け靴を履くのを省略してドアを開けると同時に足を踏みかえキキイとブレーキをかけてすぐお隣のインターホンに飛びついてかきならす。五度目の連打のときにツ…と通じた。俺はそれを合図にチューでもかましそうな熱烈な近さでインターホンに顔を近づけ
「こんぺいくううううううううん!!」
 渾身の力をこめて叫んだところ、一拍の沈黙の後に冷静な金平の声が聞こえた。
「このインターホンは、現在使われておりません」
 俺は一瞬ほっとして次の瞬間、猛烈にチャイムを連打しながら
「意味がわからねえよこんぺーこんぺい! こんぺええええ! ここ開けてええええ! プリーズ、ヘルプ、ミィィィィィっ!」
「ワタシ、エイゴ、ワッカリマセーン」
「何語ならOK!?」
「ハナモゲトラッタッタ語なら」
「え、えーと! ラッタタモゲラッタタ(訳:ここを開けて――」
「うちは宗教の勧誘はお断りです」
「あれこうじゃなかったかハナモゲトラッタッタ語! 俺の三ヶ月留学があ! あ、いやインタきるな、ああ、うわあ、ああああこんちゃんこんちゃんこんぺいくううううん! 君の大事な幼馴染の大ピンチなんだよさあ急いでこのドアを開けて助けにいきたいよねもちろんだよねんなこと世界が始まる前から決まっていたよねさあ一ミクロンも遠慮せずに大事な幼馴染はごのドアの向こうだぞ☆ ぼくらの間に遠慮なんてないさきてよこんちゃんぼくのところにーっ!!!」
「一生懸命この家を捜索しましたが、君の大事な幼馴染という不可思議な人物は今のところ発見されていません」
「じゃあもう大事じゃない幼馴染でいい君に決めたよ君でいいよ今このインタに出ているちょっとクールなこんぺい君でいいよレッツオープンここのドアーーーっ!!!」
「えーワタシはこの家の制御コンピューターですのでお取次ぎしかねます」
「築二十年のボロマンションにそんなものがあるかああああっ!」
「あれ? お客さん、ご存知ない? もぐりですね。ここは地球のピンチのためにハナモゲラッタッタ隊員が密かに集まっている秘密基地ですよー」
「モモモゲラッタッターっ!!!(訳:開けてよー!)」
「うちは宗教の勧誘はお断りです」

 そんなこんなのすったもんだの末に、俺の大事じゃない幼馴染がドアを開けたのは実に俺がインターホンをかきならしてから十五分も後だった。


「今度は力士の世界」
 通してもらった金平の部屋で、またちょっと痩せたように見える金平はげっとした顔で呟くと、次にしなりと手首を左頬の近くで返して
「寄らないで、汗臭いわ」
「汗から蒸気が立ち上って蒸発した汗の世界で汗臭かったのは俺だーーーっ!!!」
 わっと泣きそうになりながら叫んだ俺の前で、金平は呆れたように
「どんどんろくでもないな異世界。初めのハナモゲーの方がずいぶん可愛く思える」
「いくらなんでも力士はねえだろうこの夏にい」
 ひたすら涙を噴き出させて金平のクッションを胸で潰しながら俺は嘆いた。ちらっと密かに見上げた金平の様子が、目元に少々隈が出来ていたが平静で、さらに同情よりも迷惑そうでむかついた分、嘆きを追加した。
 俺の名前は可哀想な少年A。実名は出せない。病院にもテレビ局にも行く気はないので。目の前の奴のフルネームは金平恒星。おおよそ人の名前とも思えない字面だが本名だ。かなだいらこうせい、と読んで苗字を音読みでこんぺい。
「力士は嫌だ相撲はいやだデブ専じゃないんだちゃんちゃんこはもういい…」
 俺は言っちゃあなんだかちょっと顔がいいのをのぞいて平凡な美少年である。成績普通、性格善良、幼馴染微妙で生きていた俺の人生の中で非凡なんて呼ばれるのは一つだけ。
 異世界放浪癖がある。
 異世界放浪癖というのは金平に言わせれば異世界限定夢遊病だ。ともかく寝てるとふらふらーと起きてうろつく人がいるじゃないか。俺もそれに近い。寝ている間にふらふらーと俺の部屋に夜あく次元の穴に突入して、目覚めると異世界に行ってるんだ。
 俺の異世界放浪記は俺の思春期と共に到来を告げた。忘れもしないあれは俺が十四歳の春。目が覚めるとハナモゲラッタッタ星にいた。ハナモゲラッタッタというのはー、えー、ハナモゲラーって感じの星の人々だハナモゲラー。
 みんな見た目、血とか髪とか肌とかショッキングピンクでちょっと美意識のすれ違いあるかなー、と思ったけど、不幸中の幸いに、ここはだれ私はどこアイ○ルで金借りてとぷるぷる震えるいたいけな美少年にたいして、ハナモゲラッタッタ星人はみんなそろってマザーテレサ。その口癖はモゲモゲタッタ(訳:愛こそすべて) 可哀想な迷子にたいして、ああ気の毒な、震えないで泣かないで、あなたを救いたいの私達にできることがあれば全力を尽くすわ、というノリだった。
 たった三ヶ月(ぐらい)だったが、ハナモゲラッタッタ星人たちの親切は忘れられない。
 俺は郷にいっては郷に従えで、ラッタッタッターモゲラッターハナモゲラッターモゲラッター♪ とか国家も元気に歌いながら必死にハナモゲトラッタッタ語を覚え習慣を覚えそして帰れる手段を知り取得し、ついに俺の住む世界へと帰還を果たした。ハナモゲラー、と手を振る奴らは本当にいい奴だった。俺も泣きながらハナモゲラーと言ったなあ。そしてそのシーンの後、自分のベッドの上で目が覚めれば、はははーおかしな夢―。ハナモゲラーだってさあはははー。
 で、すんだんだが。
 現実はそうはすまさなかった。次元空間のアクセスは微妙だからね君の世界でたどり着く場所は君の来た場所とはアウンロッタハナモゲ周波のロッターモゲッモゲッ現象の影響で少々ずれるかもしれないよ、と言われても、帰れんなら全然構わないと喜びいさんで飛び込んだ次元の空中。俺自ら苦心の末開いたどろどろの黒い穴が通じていたのは、言われたとおりちょっとずれていた俺のお隣だった。
 ごそごそ空中に黒々開いた穴から這い出てきた俺は、そこでばっちりとベッドの上で今まさに寝ようとしていたパジャマ姿の金平と目があうことになる。
 金平の顔を見たとき、俺は正直、嬉しかった。なにしろ隣の幼馴染の顔だ。ここはまごうことなく俺の世界。俺の現実。こんぺーいっ! と飛び出して抱きついてもいいくらい感動した。が、金平の顔は凍りつき、硬直し、目が見開き、蒼白だった。考えてみれば当たり前である。ずっと行方不明だった幼馴染が夜中に自分の部屋に現れ空中から上半身だけ飛び出させているのだ。
 次の瞬間、金平はギャッと叫んだが、幸か不幸か気絶とかはできなかった。そしたらこいつも夢だと思えたのかもしれない。
 俺は金平の置かれていた精神状態にようやく気づき、微妙な格好で空中でとりあえず場をつくろうかと笑いかけてみたが、あれが一番怖かった、と後に金平は語る。
 這い出しておーい金平くんしっかりしてーと揺さぶって、それでも口をきかないのでとりあえず、俺の三ヶ月を語ってみたりもした。ハナモゲラーのあたりでふざけるなと金平が蹴りをかましてきてそれからようやく我を取り戻したのかツッコミ通しだったが、とりあえず金平はネーミングセンスが最悪なところを抜かせばこいつの言うことは案外整然としているぞ、と嫌々ながら気づいたらしい。そりゃそうだ。あれを全部創作できるような頭など、悪いが顔だけしかとりえのない俺にはない。
 以上が、この世界では二週間も行方不明だった可哀想な美少年Aが無事に生還を果たした顛末。ここまでなら話しても、あら大変だったのね、余計なお世話かもしれないけどゲームはもう少しひかえた方がいいよ、と親切に諭されるくらいの出来事ですむ。
 なんだかんだと周囲は騒いだが、俺は思い切ってその体験をあまり役に立つ言葉を覚えられなかった海外留学、ホームステイみたいなもんと自分に言い聞かせて、うんとうなずいた後は何事もなかったかのように日々を続けていこうとした。した。したんだけど……。
 困った問題が発生した。
 ほら、一度捻挫すると癖になってその場所をまた捻挫しやすくなるというじゃないか。どうもあれ、俺もあれみたいなんだ。
 そう。
 異世界トリップが俺の身体にとってどうやら癖になってしまったようなんだ。


 そんなわけで冒頭の力士の国のアリスならぬ俺と、金平の家に押しかけている今現在の俺が繋がる。さらに記憶を辿ればピンクパンダの世界だの食虫植物だけの世界だのこの世界絶対デッサン狂ってるよ……世界だとかもう滅茶苦茶なのが繋がっている。
 幸いなのか知れないが、俺にはハナモゲラッタッタ星のときに習得した次元の緩みの見分け方(俺が来た以上、その次元には必ず歪みが発生している)とそのこじ開け方と開けた先を俺の世界へと接続する方法があるので、いつもほうほうの態で舞い戻ってこれる。俺は金平の肩をがっくんがっくん揺すりながら
「聞いてくれよ金平。悪夢だあああああ悪夢だK‐1でもないのに力士の挨拶は張り手でそれで友情を確かめあうんだぜうっすどすこいで両手つきだした張り手をばちんとあわせて行き交う挨拶を」
 金平の顔がわずかに引きつった。
「玄関の前に立ったら足踏みだインターホンのかわりにハアーッ! どすどすどすっで中の人が気づいてドア開けるんだ」
 なにかをとりこぼしそうになったように、金平がはっしと口元を抑える。それでも抑えるのが苦しかったらしく「ちょっ、たんま――」と紡ぎかけるが容赦はしない。
「必死で街駆けてると偶然運動会見ちゃったんだけど「宣誓!」が「ウッス!」でみんなマゲ組で玉ころがしは自分が転がっていって借り物競争のブツはみんな誰かのマワシかちゃんちゃんこ――」
 ぶふっ。
 金平がついに噴き出した。馬鹿言うな、とげらげら笑い始める。
「笑うな怖いぞマジコワイぞ俺あの世界もういやだからなお前泊めろよ今日ここ泊めろよもう二度と行ってたまるか晩飯はちゃんちゃんこだけは却下――!!」


 パジャマを借りてピザをとって二人で食って俺はまだ力士星の恐怖を散々喚いて訴えて、飯どきにやめろとまわし蹴りをくらってとりあえず歯も磨いた。布団は仕方なく自分でしいて、洗ったばかりの髪をぷるぷると震わせていると水を飛ばすなと後ろ蹴りがきた。
「しかし、力士の異世界ってのも変だよな。日本の国技だろ、あれ。まったく別の異世界と自分の世界の国技が似ている、なんてありうるのか」
「しんねーよ俺だって行きたくて行ってんじゃねえもん」
 まあ、髷とかはしてなかったな、とドライヤーの熱い風をあてながら思い返してみると思う。最初に見たときに力士!と思い込んでからは何を見ても相撲と結び付けてしまったが。ほんとのところは、多分、ただ単に太っていて半裸が常識の世界なんだろう。地球人と同じ人型だし危険も少なく実はまだマシレベルの異世界ではあったんだが、精神的ショックは大きい。思い出すと派手なため息がでて、俺はドライヤーのスイッチをきりクッションを胸で潰して
「なあああ、金平。なんかもうちょっとマシな異世界に行く方法ねえのかよお。どうせ行くならちょっとエッチなお姉さんがたくさんいるハワイ風異世界とかさー!」
「そういう異世界は大人になって万札を財布に入れていくもんだ」
 金平が何か悟ったようなことを言った。しかしその悟りはブッタ並みに説得力があったので、ちくしょうと俺はふてくされてクッションをさらに潰すために胸に押し付けた。そんなことをしていると、ジコジコと目覚ましをセットしていた金平があれ、と顔をあげて
「そういやお前、前から思っていたが最近トリップしない方法とか言わなくなったな。行く世界マシにしろいうだけで」
 そこは諦めたのか、と意外そうに言う金平に俺はあーとうなり
「ま、思春期の揺れやすい繊細な少年の心にね、そんなこと言っても無理かなとうすうす俺も気づいたわけよ」
「ずいぶん、悠長だな」
「いやこりゃ気長にいかなきゃなんねえよ」ベッドの上で肩をすくめた金平を、一段下の床に敷いた小さな布団の上で、俺は肩をまるめて見上げて「ま、こんぺい君がドア開けてくんなくなったら考えなきゃいけないだろーけどさ」
「……大事じゃないが、幼馴染だ。見捨てると寝覚めが悪い」
 案の定、嫌そうな顔をした金平は、もう寝るぞ、と電気を消した。なので、ハイハイとつぶれたクッションを放り出して、布団にもぐりこんで、寝つきのいい俺はすかっと眠りかけたが、あまり寝つきのよくない金平がぽつっともらした呟きが聞こえた。
「なんでおきんのかね、そんな非常識なこと――……」
 そして俺は夢を見た。異世界じゃなかったよかった。それはハナモゲラッタッタ星人との別れの場面だった。俺は次元の歪みを見つけだす。こじあける。ついに帰路が開いた! 帰れないかも、と俺が落ち込むたびに懸命に慰めてくれたハナモゲラッタッタ星人はほんとに喜んでくれて、そして悲しそうに別れを言う、そのシーン。元の世界に戻ることにかけては特にお世話になった、ハナモゲラッタッタ星人のナモさんが最後にこっそり俺に耳打ちした。

「ハナモゲラッタタタラゲハナナナナナタラッタタ」

 (あのね君がこの星に来てしまったのは――)


 夜の中で俺は目が覚めた。家はしいんとしていた。月明かりか星明かりが差し込んでいるのか、あたりのものがうっすらと見て取れる暗がりだった。もう少しぼーっとしてから、俺は首をめぐらせてベッドの上を見た。金平が本当に疲れた人のようにぐっすり寝ていた。
 金平が寝ている姿はこういう時しか見れない。俺は異世界から戻るときは必ず自分の部屋に繋がるように、細心の注意を払っているからだ。最初は気にしなかった。金平がどんだけいってもカチッと接続したらこの部屋にごそごそ這い出してきた、おかまいなしに。ある日、次元の穴から顔を出した俺が、うなされる金平を見下ろしたときまで。
 ――あのね君がこの星に来てしまったのはもしかしたら君のせいじゃないのかもしれない。誰かごく近くにとても力の強いそして心が不安定な者がいなかったかい。心の揺れは自分よりむしろすぐ近くに影響を及ぼしやすいんだ。
 この家の静かさは空っぽの静かさだ。金平の家には今日も誰もいない。俺の思春期と共に始まった金平の思春期で、どちらかと言えば太り気味だった奴の身体はごそっと痩せて、どちらかと言えばげらげら馬鹿笑いを連発させていた奴の口は言葉少なくなって、どちらかと言えばよく眠っていた奴の目が充血して濃い隈ができるようになって――そしてどちらかと言えばいつも誰かがいた奴の家から金平以外の人間を見ることが極端に減った。
 俺の部屋には次元の穴があく。
 身勝手な大人が馬鹿なことをするたびに。逃げたくて逃げられない誰かが壁の向こうでうなされるたびに。
 だからちょっと顔がいいだけで他には何もできない俺は、かわりに異世界に行ってかわりにその世界を見て金平のところに駆け込んでその先の世界を話す話す話す。その時だけは思春期前に戻ってげらげら笑う、高くて脆いプライドを持つ誰かがこの世界をひと時忘れるために。行ってしまえばもう二度と戻ってこないだろうから、行かせられないどこかの誰かのために。どうしようもない心が次元をまたあけたとき、無意識でも意識的でも、そこを通って俺はまた行くだろう。傷つきやすい、この思春期が終わるまで。
 なんでそこまでするってか? そりゃ金平が答えを持っている。大事じゃないが、幼馴染だ。見捨てちゃ寝覚めが悪いだろう。モゲモゲタッタ。ハナモゲラッタッタ星人の言うことはとても正しい。
 金平がぐっすり眠ってるのをもう一度確かめて、まだまだ明けない夜は寒かったんで、俺はまた布団にもぐった。布団の中は俺自身のぬくもりでまだ温かかった。目を閉じたら何も見えなくなった。そこで自分に言い聞かせてうんとうなずいて寝た。
 思春期も異世界も、夢みたいなもん。
 いつか終わるさ。悪夢だって終わるさ。
 夜明けと言う意味もあるんだよこの言葉には、と帰れないと落ち込む俺にハナモゲラッタッタ星人は言った。


 モトラタトラット


 目が覚めたなら。



 <了>


F-03  モトラタトラット (ハナモゲトラッタッタ語で「目が覚めたなら」とい う意味)
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