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F-05  夢売りの話

「夢を買いませんか?」
 夜の街角で急に声をかけられて、ぼくはとっさに答えていました。
「北海道の原野なら要りませんよ。火星の土地もね」
 普段なら、こんな怪しい勧誘など相手にしないところですが、その時、ぼくは、会社帰りに同僚と一杯やって別れたところで、つまり、ちょっとばかり酔っ払っていたのです。
 答えながら、声をかけてきた相手の姿にちらりと目をやって、ぎょっとしました。ずんぐりした身体を黒いコートに包んだその小男は、くたびれた中折れ帽を顔が隠れるほど目深に被り、コートの襟を立て、濃灰色のマフラーに顔の下半分を埋め、両手に黒い手袋まではめているのです。
「いえいえ、星といえば星ですが、火星ではありませんよ。ほら……」
 怪しい小男は、ぼくの警戒の視線などものともせずに、ポケットから何かビニール袋のようなものを取り出して掲げて見せました。
 ぼくは、不覚にも好奇心に負けて袋を覗きこんでしまいました。丸く膨らんだビニール袋の中には、金や銀、赤や青と、色とりどりに光る小さな星たちが浮んで、ちかちかと瞬いていたのです。
「どうです? きれいでしょう。今なら特別サービスで、たったの五百円。今、あなたが手に持っているその硬貨一枚で、コーヒー一杯の代わりに、このすばらしい夢が買えるんですよ」
 その時、ぼくは、ちょうど自販機で缶コーヒーを買おうとしていたところで、男の言うとおり、五百円玉を一枚、手に持っていました。そして、さっきも言ったとおり、この時、ぼくは、少々――いえ、正直に言うとかなり――酔っ払っていました。なので、ぼくは、つい、手の中の五百円玉と引き換えに、男からその袋を受け取ってしまったのでした。
 男は、ぼくに袋を渡すと、言いました。
「いいですか、お客さん。これは一日に一粒ずつしか食べてはいけませんよ」
「た、食べるんですか……?」
 思わぬ言葉に驚いて問い返しながら、手にした袋に目を落とすと、その中身は、いつのまにか、ただのこんぺいとうに変っていました。
 ぽかんとしているぼくに、男は、
「いいですね、一日一粒までですからね」と、念を押すと、呼び止める間もなく立ち去ってゆきました。
 妙な手品に騙されて五百円もするこんぺいとうを買ってしまったぼくは、なんだかバカらしくなって、もう改めてコーヒーを買う気にもならず、そそくさと一人暮らしのマンションに帰ったのでした。
 そして、シャワーを浴びて寝る段になって、テーブルの上に投げ出しておいたこんぺいとうの包みが目に入り、なんとなく、一粒、口に放り込んでみました。
 こんぺいとうの懐かしい薄甘さが口の中に広がったとたん、ぼくは、夢の中にいました。
 夢の中で、ぼくは、宇宙飛行士になって、色とりどりのこんぺいとうそっくりの星々の間を飛び回っていました。実に子供っぽい夢ではありましたが、夢を見ている間の感覚は妙にリアルで、あまりに楽しかったので、朝、目が覚めてからも、そういえば子供の頃、宇宙飛行士に憧れた時期もあったなあ、などと懐かしく思い出して、顔を洗い、ひげを剃りながらも、気がつくとにやにやと笑っているのでした。
 ひさしぶりにこんな楽しい夢が見られたのは、このこんぺいとうのおかげかもしれません。そういえば、あの奇妙な小男は、このこんぺいとうを『夢』だと言っていたのですから。これは、こんぺいとうの形をしているけれど、ただの菓子ではなく、何か、安眠のためのサプリメントのようなもので、そのおかげで心地よく眠れて、楽しい夢が見られるのかもしれません。サプリメントだから、一日の摂取量が決まっているのでしょう。
 それから毎晩、ぼくは寝る前に一粒ずつ、こんぺいとうを食べました。そして、毎晩、素晴らしい夢を見ました。プロ野球やサッカーの選手になって大活躍する夢。人気タレントになってテレビに出る夢。博士になって大発明をしてノーベル賞を貰う夢。
 十日ほど経つと、こんぺいとうが無くなりかけました。発売元が分かれば取り寄せることも出来るかと思ったけれど、袋には、連絡先どころか、商品名さえ書いてありませんでした。残念に思いながら最後の一粒を食べ終えた、その次の晩。会社帰りに、また、あの小男が現れて、次のこんぺいとうを、やはり五百円で売ってくれたのです。
 こんぺいとうの見せてくれる夢は、偉人や有名人になるような大それたものばかりではなく、もっとささやかな夢のこともありました。
 小さな子供になって、優しそうな両親に両手を繋いでもらって歩いている夢。テストで百点を取って褒められたり、かけっこで一等賞になったり、喧嘩した友達と仲直りしている夢。欲しかった玩具を買ってもらう夢。犬を飼う夢。好きな女の子と両思いになる夢。
 いずれも、どうということのない光景なのですが、どれもこの上もない幸福感に満ちていて、心の奥深いところまでしみじみと幸せが染み渡るような気がするのです。
 毎晩毎晩、そんな楽しい夢を見続けるうちに、ぼくは、夜になって夢を見るのを楽しみに一日を過ごしているような気分になってきました。会社でも、早く帰ってこんぺいとうを食べることばかり考えて、ぼんやりすることが多くなりました。こんぺいとうがなくなりかけると、決まって、同じ場所にあの男が現れて、五百円硬貨と引き換えに、次のこんぺいとうを売ってくれるのでした。
 その頃、ぼくは、新しい重要プロジェクトの責任者にライバルを差し置いて大抜擢されたばかりで、大いに張り切っていたはずなのですが、こんぺいとうを食べるようになってからというもの、昼間も仕事に身が入らず、何度も上司から叱責されるはめになり、そのうち、プロジェクトは、いつのまにかぼく抜きで動き始めていました。みな、案じているような軽蔑しているような目で遠巻きにぼくを見るようになりました。仲の良かった同僚には、顔色が悪いと心配されました。なんだか顔が黒ずんでいる、しかも人相も変った、頬がこけたのか顔が面長になったように見える、どこか内臓でも悪いのではないかと言うのです。上司には、ストレスが溜まっているようだから心療内科でも受診してきてはどうかと勧められました。休みはいくらでもやるから、と。
 ぼくは、自分ではストレスが溜まっているなどとは感じていませんでした。以前のように仕事やら職場の人間関係のことが頭を占領して夜眠れなくなるということもなく、毎晩楽しい夢を見ながらぐっすり眠っているのですから。
 言われて見れば色は黒くなったような気がしますが、きっと日焼けでもしたのでしょう。そういえばまともな食事もとっていなかったので頬はこけたかもしれませんが、もともと太り気味を気にしていたぼくにとっては、むしろちょうど良いダイエットというものです。
 が、上司は、ぼくにはぜひとも療養休暇を取る必要があると思ったようでした。ぼくは、しかたなく、同僚に付き添われて産業医を訪ね、翌日から、会社を休むことになりました。
 その日から、ぼくは、時々コンビニで食料を買いだめする他には一切外出せずに、ろくに物も食べず、風呂にも入らず、ただ、こんぺいとうがなくなりかけた時にいつもの場所に出かけていって小男からこんぺいとうを買うだけという生活を送るようになりました。ぼくがあの場所に行くと、いつでもそこにあの小男がいるということを、もう、不思議にも思わなくなっていました。
 会社を休んでしばらくたった頃、心配した同僚から電話がかかってきました。もうすぐ療養休暇の期限が切れる、もう一度病院に行って診断書を取りなおせ、という上司の伝言も伝えられましたが、適当に返事をして、電話を切りました。
 そのうち今度は上司から電話がかかってきて、具合が悪いのならいつまででも休んでよい、例のプロジェクトは佐藤君に任せたから安心して完治するまで療養に専念するように、と言われました。なんならもうずっと会社に来なくても構わない、とも、付け加えられました。佐藤というのは、ぼくが蹴落としたかつてのライバルの名です。ぼくをあのプロジェクトの責任者に抜擢した時、確か、あの上司は、『これは君にしかできない仕事だ』と言ったのに。なんだ、別にぼくじゃなくても良かったんじゃないか……そう思うと、ますます、会社のことなどどうでもいいような気がしてきました。
 その頃には、ぼくは、とっくに一日一粒という制限を破り、朝も昼も、こんぺいとうを食べては一日中うとうとと夢を見て過ごすようになっていました。当然、こんぺいとうはすぐになくなり、数日置きに小男からこんぺいとうを買わなければなりませんでした。そのたびに、小男は、ぼくにこんぺいとうの食べすぎを注意しましたが、ぼくはのらりくらりと生返事をしながら、男の手からこんぺいとうをひったくるのでした。
 けれど、ある日、小男は、ぼくにこう言い渡しました。
「もう、あなたには、これはお売りできません」
「な、なぜですか!?」
 ぼくは、目の前が暗くなるような気がしました。このこんぺいとうがなかったら、この先、どうやって生きていけばいいのでしょう。ぼくは、必死で男に詰め寄りました。
「お、お金なら、まだありますから! 五百円といわず、五千円でも五万円でも、いや五十万でも!」
「いえいえ、お金の問題ではないのです。これ以上夢を食べると、獏になってしまうんですよ。ほら、こんなふうにね」
 そう言って帽子を取った男の顔をみて、ぼくは、すっとんきょうな悲鳴を上げました。
 確かに、今までも、帽子の下からちらりと覗く男の顔が異常に面長なことには気付いていました。それに、やけに色が黒かったので、『流暢な日本語を話すけれど、もしかすると外国人かもしれない』とは、思っていました。
 が、外国人などではありませんでした。小男は、本当に獏の顔をしていたのです。
 小男――いや、獏は、口をパクパクさせているぼくを見て、にやりと笑いました。当たり前ですが、ぼくは、獏が笑うところを初めて見ました。
「そんなに驚くことはないでしょう。あなただって、ほら、とっくに……」
 獏がポケットから取り出して目の前に突きつけた手鏡を見て、ぼくは、もう一度、もっと大きな情けない悲鳴を上げました。
「うわぁ……!」
 そこに写っていたのは、ほとんど獏になりかけた人間の顔でした。
 同僚がぼくのことを、色が黒くなり顔が長くなったと言っていたのは、あれは、本当だったのです。どうして今まで気づかずにいたのでしょう。そういえばぼくは、このところ、しばらく鏡を見ていませんでした。もう長いこと、顔も洗わず、歯も磨かず、髭も剃っていませんでしたから。
 けれど、一瞬の衝撃が去ると、ぼくは、不思議と肝が据わってしまいました。別に、顔が獏そっくりになったって、どうということはないでしょう。どうせ、ぼくの顔なんて、もともとそう見られる顔でもなかったし、ましてや今は会社に行っていないから、顔がどんなふうだろうと仕事に差し支える心配もありません。コンビニで店員に悲鳴を上げられたりすると少々困るかもしれませんが、この男のように帽子を目深に被るなりサングラスをするなりすれば、それなりにごまかせないこともないでしょう。
 そう言うと、獏は、ほほう、と、感心したように笑いました。
「いや、あなた、思ったより肝が据わっていますね。でもね、獏になるというのは、ただ姿が変るだけじゃないんですよ。私どものお仲間になっていただくということなんです。つまりですね、今、私がしているような、この<夢売り>のお仕事をしていただくことになるんです」
「構いませんよ。どうせ今の会社はもうクビですから」
「なかなか大変な仕事ですよ。海外出張が多いですからね」
「海外出張?」
「ええ。流れ星が落ちる場所を観測して、世界中のどこへでも拾いに行くんです。北極でも南極でも、砂漠やジャングルの真ん中でもね。実はね、このこんぺいとうは、みんなが流れ星にかけた願い事なんです。私どもは、地上に落ちた流れ星を世界中から集めてきて、みんなの夢が沁み込んだその星を精製して、こんぺいとうを作っているんですよ」
 そんな荒唐無稽な話が信じられるか、とも思いましたが、実際に、目の前には二本足で立って言葉をしゃべる獏がいるのです。ぼくは、半ばむきになって叫びました。
「お、面白そうじゃないですか! ぜひやらせてください! だから、こんぺいとうを売って下さいよ」
 けれど、獏は無情に言いました。
「いいえ。申し訳ありませんが、あと一袋食べると獏になれるという、その記念すべき最後の一袋は、お金ではお売りできないんです。あるものと引き換えに、無料でプレゼントさせていただいているんですよ」
「『あるもの』って、何です?」
「あなたの夢です」
「はぁ?」
「ああ、あなたがこんぺいとうを食べて見る夢ではありませんよ。あれは、あなたの夢ではなく、他の人の夢ですからね。眠っても夢が見られなくなるとか、そういうことはありません。そうではなく、あなたが胸のうちに持っている、あなた自身の夢です。それを持っているうちは、夢売りの仕事は出来ないんですよ」
 獏の言うことはさっぱり訳がわかりませんでしたが、こんぺいとうを食べて夢を見られなくなるのでさえなければ、別に構わないと思いました。そもそもぼくに『自分の夢』なんてものがあるとも思っていなかったし、もしあったとしても、自分でも持っているかどうか分からないようなものなら、獏にやってしまっても同じことでしょう。
 でも、そんなものをどうやって他人に渡すことが出来るのでしょうか。
 すると、獏は、にやりと笑いました。
「そんなもの、どうやって他人に渡すんだろうと思っていますね? 簡単です、こうやるんですよ、ほら」
 そう言って、獏はぼくの胸元に、黒手袋の手をにゅっと突き出してきました。
 ぎょっとして避けるまもなく、獏の拳はぼくの胸に何の抵抗もなくめり込み、かと思うと、すっと引き抜かれました。
 獏が拳を開いてみせると、掌の上に小さな黄色い星が浮んで、頼りなく瞬いていました。今にも消えそうな、くすんだ、小さな、弱々しい星でした。
 ぼくはびっくりしてそれを見つめながら、ふいに、胸に痛みを覚えました。痛みというより、寒さでしょうか。何かすうすうするような、寂しいような、自分が自分で無くなったような……。そう、たぶんこれが、よく喩えで言う、『胸にぽっかりと穴が開いたような』というやつなのでしょう。
 そして、ぼくは、その小さな弱々しい星を、絶対に売り渡してはいけないものだと知ったのです。
「か、返してくれ。やっぱりやめた。こんぺいとうはいらないから、それを返してくれ!」
 ぼくが詰め寄ると、獏は、急に今までの慇懃無礼な口調をかなぐり捨て、悪戯っ子のように節をつけて意気揚々と叫びました。
「やーだよー、だ! もらったものは返せませーん!」
 それを聞いたぼくの頭に、かっと血が上りました。
 ぼくは、獏に掴みかかりました。
「返せ、返せよぅ! それは、ぼくンだ。ぼくンだぞ!」
「あ、痛、いたた、ちょ、ちょっと、何すんですか! 案外乱暴な人ですね!」
「だって、ぼくはそれをあんたにやるとは言ってないぞ!」
「言いましたよ!」
「いや、言ってない!」
「言った!」
「言ってない!」
「……あ、そういえば、言ってなかったですね。しまった……」
 星を抱え込んで激しく抵抗していた獏は、急にしゅんとなって暴れるのを止め、ふてくされたように、ぼくに星を差し出しました。
「ほら、返しますよ、返せばいいんでしょ、返せば……」
 ぼくは獏の手の上からひったくるように星を奪い返して、いきなりそれを口に放り込み、飲み下しました。小さな熱の塊が喉を滑り落ちて、胸の奥のあるべき場所に星がすっぽりと収まるのを感じました。
 ああ、この感じだ……と、ぼくは気付きました。小さな、小さな、冴えない星だけれど、この星は、今までもちゃんとそこで瞬いていたのです。その、小さな小さな光で、ぼくの胸の中を、ほんの少しだけれど温め続けていたのです。
「お帰り、ぼくの小さい星……」
 胸に手を当て呟いたぼくの中で、星が、再会の歓びに震えて、チリチリと、リンリンと、歓喜の歌を奏ではじめました。最初は遠慮がちに、次第に高らかに、胸の中で鳴り響く星の歌は、光となってぼくの中から溢れ出し、どんどん広がって、世界は一面、晴れやかな歓喜の歌と眩い光に満たされました――。

 気がつくと、カーテンを開けっ放しだった窓から、朝の光が差し込んでいるのでした。
 ぼくは自分のベッドに寝ていて、目覚まし時計が鳴っていました。
 慌ててベルを止めると、枕元からスタンドミラーをひったくって、顔を映してみました。見慣れた自分の顔でした。頭が痛いのは、二日酔いのせいでしょう。
 テーブルには、昨夜脱ぎ散らした背広やネクタイが、だらしなく引っ掛けられて、ずり落ちかけていました。そして、その上に、封を開けたこんぺいとうの袋が載っていました。
 袋には、下手くそな獏のイラストと共に、こう書かれていました。
『夢の味! 獏印こんぺいとう ご注意:食べ過ぎると獏になります(なんちゃって☆)』
 ぼくは小さく笑って残りのこんぺいとうを全部ざらざらと口に放り込み、空き袋をゴミ箱にぽいと投げ捨てました。
 その時、袋に描かれた間抜け面の獏が片目をつぶったように見えたのは、きっと、前夜の酔いがまだ残っていたのでしょう。


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