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G-03  クリスマス・オーナメントと子供と私

 クリスマス直前、デパートでの週末ともなれば、それはもう騒々しい毎日だ。
 辺りに流れる音楽は、一日中クリスマスソング。立ち並ぶそれぞれの店でも、趣向を凝らしたクリスマスの飾り付けが華やかで、それを見た客が笑顔で足をとめる。
 この季節というのは、人間の財布の紐が緩む時期でもある。そして、人間同士の関係が密接になる時期でも。
 右を見ても左を見ても家族連れやカップルやカップルやカップルでひしめき合っている状態だ。
 くそ、別れてしまえ。

 私はずっと、このデパートの一階にあるメイン廊下の真ん中辺りで立っていた。
 この廊下というのは三階まで吹き抜けになっていて、上を見上げれば三階の天井が見える。
 そして、私から少し離れた場所に、巨大なクリスマスツリーが三階の近くまで突き出すように伸びていた。
 私のいる位置からは、クリスマスツリーの天辺までは見えない。本当ならば、そこには銀色に輝く星が飾られているはずだ。だが、今年のツリーには星が飾られていない。それには、理由があった。
「馬鹿だったな、あいつは。どう考えても無理だったろうに」
 私はそんなことを一人呟く。誰も私の話など聞いてはいないから、独り言も楽だ。
 ……聞いていない?
 いや、聞こえていないのだ。
 なぜなら、私はこのデパートのメイン廊下に立っているマネキンに過ぎない。そのデパートが客に売りつけたい流行ファッションを身にまとい、身動き一つせず立っているだけの人形。それが私だ。
 だから、こうして私が呟いていてもそれが人間に聞き取れるわけがないのだ。 いつ、私がこうして自我というものを身につけたのかは覚えていない。それに、マネキン全部が私のように話せるわけでもない。私の周りにはあと三体のマネキンが立っているが、彼らは私のように自我を持ってはいない。中身がからっぽの人形である。
 私のようなマネキンは異色だ。しかし、以前はもう一人ここにいた。私と会話できたマネキン『ジョージ』。
「だいたい、星に願いをかけたら願いが叶うとか、眉唾だろう」
 私はジョージのことを思い出しながらそう呟いたが、その意識は別の方向に向かい始めていた。
 私たちマネキンのそばには、ベンチがある。客が疲れた時に座ることができるスペース。そこに、子供が一人で座っている。
 迷子か?
 私は最初そう思った。
 その少年はまだ十歳くらいの風貌で、赤いコートを着てぼんやりと行き交う人々を見つめている。そして、親がそばにいない。
 少年は痩せていて顔色は悪く、その表情はぴくりとも動かない。私から見えるのは少年の横顔だけだが、瞳に映る影がひどく思い詰めているようで気になった。
 辺りに響く陽気なクリスマスソングを聴いていれば、普通の子供だったら浮かれるだろうに。
「メリー・クリスマス」
 私はそっと呟いた。
 すると、少年がぴくりと肩を震わせて辺りを見回し、やがて私の方を見上げた。
 真っ直ぐな輝きを灯す双眸。それは、聡明さも伝えてきている。しかし、戸惑ったような瞳でもある。そして私も戸惑っていた。
「まさかね」
 少年がわずかに首を傾げて呟く。もちろん、私も。
「まさかな」
 私がそう言った瞬間、少年が眉を顰めて言った。
「まさか、人間?」
「人間であるわけがない」
「でも喋ってる」
「普通は聞こえないんだ、私の声は」
「じゃあ、何で僕に聞こえるんだよ」
「さあね」
 もしも私が人間であったなら、理由が解らないということを態度で示すために無言で肩をすくめてみせるところだ。
「……名前はあるの?」
 少年が興味津々といった光を瞳に灯して、少しだけ子供らしい様子を見せて訊いてきた。しかし、私は別のことが気になった。
「マネキンと話しているなんて、周りの人間に頭がおかしいと思われる。もう話さない方がいい」
「じゃあ、小声で話す」
 少年は急に真顔になって、ベンチの正面の方に視線を投げ、そのままできるだけ唇を動かさないようにして続けた。「名前は? それと、おしゃべりできるのは特別な理由があるの?」
「一つ目の質問の答えはマイケル」
「カタカナだ。そういえば金髪だね」
「二つ目の答えは『解らない』。私が特別な理由があるのではなくて、君に特別な力があるからでは? 人形と話す能力。もしくは超能力」
「超能力……あるわけないよ」
 少年が唸るように言った。「あったら普通に使ってるし、こんなに驚かないよ」
 だろうな。私もそう思う。
「もし、そっちに特別な力があれば、僕が借りたいくらい。……サンタクロースだったら僕の願いを叶えてくれるかな?」
「心の広いサンタクロースならね」
 私は子供の夢を砕きそうな言葉を言った。もちろん、それを聞いた少年はやはり冴えない表情になり、わずかに俯いた。
「何か願いが?」
 私が気になってそう訊いてみると、少年は素直に頷く。
「最近、ママとパパがケンカばかりしてるんだ。前みたいに仲良くなって欲しい。サンタクロースにそう頼みたい。……それに、ここのクリスマスツリーの話も聞いたんだ。願いを叶えてくれるツリーなんだって」
「ああ、その話か」
 私はそっと笑い声を上げた。
 確かに、このデパートのクリスマスツリーにはそういう噂がある。願いを叶えてくれるツリーなのだ、と。
 この巨大なクリスマスツリーがこのデパートに飾られるようになったのは、五年ほど前からだ。年々、運ばれてくるツリーの木は大きくなり、客の目を惹くようになった。
 しかし、ツリーに飾られるオーナメントは毎年変わらない。ドイツから輸入したオーナメントの数々は、どれも可愛い細工をしている。天使の姿をしていたり、サンタクロースだったり、トナカイだったり。きらめくミラーボールの数も数え切れないほど。
 そして、願いを叶えてくれると噂になったのはツリーの天辺に飾られる銀色に輝く星だった。それに触ると、願いが叶うとか何とか。
 だが私は、その噂を流したのはデパートの関係者じゃないかと疑っている。話題になって、客が増えれば……という考えからじゃないか、と。
 もちろん、本当のところは解らない。しかし、ツリーの飾り付けの時にその星に触れた人間に良いことが起こるというのは実際にあったと聞いた。宝くじが当たったとかいうスタッフがいるのは有名な話。
 でも。
「本当のところは解らないんだよ、少年」
「信一っていうんだ」
「信一」
「でも、その星に触ったら、もしかしたら」
「そうだな、もしかしたら」
 そう言った後、私は平坦に続けた。「でももう、その星はないんだよ。あのツリーの天辺にはね」

「去年、ちょっとした騒動があった。星に触ったら願いが叶うという噂が広まってからは、何とかしてそれに触ることができないかと客が騒ぎ出してね。デパートの連中もツリーを片づける時になったら、しまう前にこの廊下に展示しようとか考えていたらしいが、客も大人しい客ばかりではなかった。今すぐ触らせろとか色々言い出してね。で、泥棒騒ぎが起きた」
「もしかして、盗まれたの?」
 信一がびっくりして大声を上げ、私を見上げる。そして、自分の声に驚いて慌てて両手で唇を押さえた。しかし、辺りを歩いていた人々の中には、奇妙な顔をしながら信一に視線を投げていく者もいる。
「で、どうしたの」
 信一がすぐに声を潜めて訊いてきた。
「盗まれてはいない。ただ、夜中に警報装置が鳴っただけだ。そして、ツリーの下でマネキンが壊れていた」

 ──我々はなぜ話せるんだろう? なぜ、意識があるんだろう? どうして人間ではないんだろう?
 唯一、私と同じように話すことができたマネキンのジョージ。彼は去年、クリスマスの前にそう言っていた。
 彼が人間になりたいのだと言った時、私は呆れたと思う。何を無理なことを、と考えた。しかし、彼は本気で願っていた。
 私がこうして意識を持つ前から、ずっと一人でマネキン仲間の中で立ちつくしていた彼。淋しかったのかも知れないとは思う。
 でも、人間になりたいとは無理な願いだ。クリスマスツリーの星には荷が重すぎる。そうではないか?
 でも、彼は行動を起こしたのだ。
 誰が我々に自我を与えたのか、そして誰が彼にそんな力を与えたのかも解らない。それでも、彼はデパートの人間が全員いなくなった夜中、自由の利かない両足を動かそうとした。両腕も動かしてツリーに昇ろうとした。
 そして、デパートの警報が鳴ったのだ。
 警備員がそこに駆けつけた時には、ツリーの足元に転がったマネキン。折れた腕。それは、もう展示用のマネキンとして使い物にならないという現実。
 警備員たちは、誰かがデパートに忍び込んだのではないかと疑った。そして、警報に驚いて逃げ出す時にマネキンを倒して壊した。そう結論づけた。当たり前だろう。まさか、マネキンがツリーに昇ろうとして落ちた、なんてことは誰も考えない。
 そして、ジョージは『処分』された。
 これも、哀しい現実。だから私は今、誰とも会話することなく、淋しく廊下の真ん中で人間を見つめることしかできないというわけだ。
 ツリーの星も、それきり飾られることはなくなった。もう、二度と問題が起きないようにと片づけられてしまった。
「星に願いをかけるなんてナンセンスだよ」
 やがて私は少年に言う。「叶うかどうか解らないものに頼るよりも、もっと現実的にいった方がいい。そうじゃないか?」
「ナンセンスって何」
「無理だって話」
 私は笑う。そして、少年を眼の隅で見下ろしながら続けた。
「君は人間で、現実に願いを叶えられる力を持ってるんじゃないか? 私とは違う力を持っている。サンタクロースに頼らなくても」
「でも」
 少年は俯いたまま言うのだ。「パパは他の女の人のことが好きになったんだって。ママよりもその人の方がいいんだって。もう、ほとんど家にも帰ってこないんだよ。帰ってきても、ケンカばかりで」
「でも、信一はお父さんが好きなんだね? だから帰ってきてもらいたいと考えている」
「うん、好きだけど、ママの方がもっと好きだよ。だから、泣くのは見たくない。もう、ずっと一人で泣いてるんだよ。かわいそうだ」
 そう言った後で、信一は苦しげに唇を噛む。しばらく、床を睨みつけて何ごとか考え込んだ後に、彼は続けた。
「ママが笑ってくれればいいんだ。もう、ずっと笑った顔を見ていないんだもの」
「そうか」
 私はもしも自分のこの腕が動くなら、彼の頭を撫でてやりたいと思った。もちろん、そんなことはできない。私は話すことはできても、ジョージのように動くことはできなかった。
 だから、ただ言葉を探した。しかし、言葉とは時には本当に役に立たないものだ。
 嘘を言ったら信一は救われるだろうか?
 きっとお父さんは君たちの元に帰ってくるよ、と上っ面だけの優しい言葉を言ったら納得するだろうか?
 何だかそれも違うような気がする。
 では、本当のことを言ったら?
 もう、ご両親の関係が修復できない可能性もあるんだよ、と言ったら。そうしたら、やっぱり信一は傷つくような気がする。
 では、どっちが良いのだろう? 優しい嘘と、哀しい現実と。
 私は結局、こう言った。
「もしも無理矢理お父さんを連れ戻したら、君のお母さんは笑ってくれるかな? 他の人のことを好きになってしまったお父さんだ。もう、別の女の人のことしか考えていないかもしれない。それでも良いのかい? それでも、お母さんは笑ってくれるだろうか?」
「じゃあ、どうすればいいの」
 信一が思い詰めたように私を見上げ、マネキンに向かって訊くのだ。だから、周りの視線が気になるというのに。
「君ができることをすればいい。お父さんだけがお母さんを笑わせることができるわけじゃない。君だって男の子だ。泣いている女性がいたら、守ってあげられるんだよ。君がお母さんを守ってあげたいと本当に思っているのなら、サンタクロースや星に願わなくても、それは叶うんだ」
「でも、でも」
 信一は少しだけ泣きそうな表情で続ける。「もしも、その星があったら、それに触ることができたら」
「叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。でも、そうだね。星を触って願いが叶わなかったら、君は逃げることができるね。星が願いを聞いてくれなかったから、と言い聞かせることができる。そして、他に何もしなくても納得できるよね」
「何もしなくても?」
「別に良いんじゃないか? やれることをやらないというのも一つの手だよ。神様に祈れば、それだけで努力したことになるというのなら。それで本当に後悔しないなら」
 信一はそれきり、黙り込んでしまった。私が真剣な眼差しで床を見下ろす少年を見つめていると、やがて彼は小さく言った。
「……考えてみる」
「そうだね」
 私はそっと笑う。それから、急に気になって訊いてみた。
「ところで、君はここに一人で来たわけじゃないよね?」
 すると、信一が我に返ったように辺りを見回しながら応えた。
「ママが買い物してくるって言ってた。ちょっと待っててって言うから」
 その時。
 信一がベンチから立ち上がると、「ママ」と呟く。私の視界には入らない位置から彼の母親は歩いてきたらしく、しばらくするとどこか疲れたような表情の女性が信一のところに足早に駆け寄ってきたのが見えた。彼女の右手には、食料品がぎっしりと詰まった大きな袋が提げられている。
「ごめんね、遅くなって」
 その通りだ。私は少しだけ苦々しく思う。こんなところに子供を待たせるなんて、あまり歓迎できることではない。
 しかし、彼女の提げたビニール袋の中に、何か隠されているのが見えた。それは、ラッピングされた箱。もしかして、クリスマスのプレゼントだろうか。
「帰ろうか」
 母親は少しだけビニール袋を信一の視界に入らないように気を使いながら、廊下を歩き始めた。
「うん」
 少年はそう頷いた後で、そっと私の方に視線を投げ、他の人間に見られないように気をつけながら手を振ってきた。
「じゃあ」
 私は手を振ることはできないから、ただそう応えただけだ。
 メリー・クリスマス。
 せめて、平和なクリスマスが彼に訪れますように。

 それから数日が過ぎ、クリスマスが終わると、デパートの中も少しずつ静けさが戻ってくる。私もまた定期的に新しい服に着替えさせられ、そこに立っている。いつもと変わらない日常。
 すると、急に私の前に立った小さな人影。
 信一だ。
「やあ」
 私は彼にそう声をかけた。
「パパとママ、離婚するんだって」
 信一はひどく静かに言った。そこに痛々しさはない。それが意外だった。彼は静かに笑っていた。
「僕、ママと一緒にいくことになったよ。頑張ってママを守ろうと思う」
「……そうか」
 私はただそう言って、信一の表情を観察する。信一は相変わらず周りの様子など気にした様子もなく、私を見上げて続けた。
「また来るね」
「私に話しかけると、頭がおかしいと思われるから」
「そうだね。気をつけるよ」
 少年はそう言うと、走って食料品売り場の方に行ってしまう。母親が待っているのかもしれない。
 私はただ、少年の後ろ姿を見送って。

 身体が動くというのは素晴らしい、と思った。ジョージに憧れたこともあった。
 だが、けして叶わない願いもある。叶えたくて行動したくても、行動も努力できないこともある。たとえば、私の願いがそうだろう。
 私の願い。それは、もう一度、私と会話できるマネキンが現れてくれないだろうか、ということ。ずっとここで一人で立っているのは淋しい。
 ──こればかりは、星にでも願いをかけないと叶わないことかもしれないな。
 私はぼんやりと廊下を行き交う人々を見つめる。クリスマスも過ぎたというのに、カップルやカップルやカップルの姿が目につく。
 くそ、別れてしまえ。
 私は内心でそう呟いた。


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